自己の心理001:決められない001

どちらにするか決められない時をテーマにいくつか考えてみましょう。
最後は実行のみ!

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今日はわがままになってもいい日


今日はわがままを言ってみよう。

 

◆いつも我慢していることを、もう一つだけ許しちゃおう。

 

◇いい人に見せかけている自分を、「嘘だぴょーん」と告白してみよう。

 

◆今日は「頑張る」という言葉を禁止してみよう。

 

◇うまく説明がつかない自分の声を、今日は辛抱強く聞いてあげよう。

 

◆ 怒っていることや憎んでいる人がいるのを、素直に認めてみよう。

 

◇怖いと思って隠していることを、ちょっと覗いてみよう。

 

◆まわりから人気がないけど自分は好きだということをやってみよう。

 

◇そんなの問題外だといつも言っていることを、「それは本当?」と問い直してみよう。

 

◆今日は意地悪な自分がいるのを認めて、許してあげよう。

 

 

今日はわがままになってもいい日。

 


すぐにYES・NOを決めない

世間では、自分の考えをハッキリ示せることを、評価する傾向があるかと思います。

 

たしかに、むやみに優柔不断なのも考えものですが、だからといって、何に対しても即座に自分の考えを、どちらか一方に決めないといけないと考えすぎない方がいいでしょう。

 

意見を示せと言うのは、社会の側の都合であって、何にでも自分の考えがハッキリ決まっているわけではありません。

 

というよりも、考えたことのないことには、どちらか決めかねることの方が多いでしょうから、保留するという選択も、あって当然なわけです。

 

何を言いたいかというと、安易に周りや社会の傾向に合わせて、自分の意見を決めてしまわないということです。

 

 

とくに最近は、ドッグイヤー※よりも、さらにどんどん加速している感じがします。

※犬は人間の約7倍の速さで成長し老いていくことから、特にIT業界などの、時代の移り変わりの速さを言う。

 

1年前には予期しなかったことが、起きてくるといっても過言ではありません。

 

それに加えて、ネット社会になってくると、情報量はどんどん増えていきます。

 

とても、その都度、すぐに判断を下せるような情報量ではありません。

 

情報を遮断するというのも、ひとつの方法ですが、そうではなく、積極的に判断を保留するというやり方もありではないかと思います。

 

なんでもすぐに決断すると決めていては、社会の流れにそのまま乗っかってしまうしかありません。

 

せっかく多様な選択が出来る時代に生きているなら、本当に自分に合ったことを選んでみたいものです。

 

そして、当然それ以外は、捨ててしまうことです。

 

全部受け入れている時間はありません。

 

自分で選びたいなら、何を捨てるかを決めると共に、選ぶことにはじっくり時間を掛けましょう。

 

それは偏った親切さを持つ情報が多いからです。

 

個々の情報については親切に教えてくれても、何を選ぶかということについては、親切でもないし、それがわかっている人が、いるのかどうかも怪しいものです。

 

自分で選択するように注意していないと、すぐに大勢に流されてしまいます。

 

 

そこで最初に言ったように、何に対しても即座に自分の考えを、どちらか一方に決めないといけないと考えすぎない方がいいでしょう、という話になったわけです。

 

積極的に態度を保留するのも必要ではないかと思っています。

 

KY(空気が読めない)という言葉がはやっている時代です。

 

この言葉も、それが必要な場面はあるのでしょうが、むやみに使われると、少し心配になってきます。

 

「空気が読めないと、言われないようにしよう」というのは、大勢に合わせようと言うことにほ他なりません。

 

みんなでKYを避けていたら、どこに行くことになるのでしょうか。

 

考えようによっては、非常に怖いです。

 

空気が読めないと言われようとも、自分の判断を大切にした方がいいでしょう。

 

すぐに賛成か反対かを決めることもないでしょう。

 

だれも、急がす人はいません。あなたがそれを許さないかぎり。


★葛藤どちらも捨てられないが両方は成り立たない


葛藤というのは、どちらをとればいいか思い悩むことですが、「じゃあこっちに決めよう」で解決できるくらいなら、最初から悩むことはないわけで、そのような答えが出るのは本当の葛藤ではないのでしょう。

 

本当の葛藤というのは、タイトルにあるように、「どちらも捨てられない」のだけれど、かといって同時に「両方は成り立たない」という問題であるわけです。

 

たとえば、多くの方が経験することの中に、仕事をとるか家庭をとるかという問題があります。

 

「私は、仕事にそれほど未練はないから、子育てや家庭を守ることに専念します」と言いきれる人なら、葛藤は生じません。

 

あるいは、こんな別の問題を抱えるかもしれません。

いま都会にいて望む仕事があるけれど、田舎に残してきた両親も年老いてくるし、面倒も見なければならない。かといって、田舎に移り住めば、いまのような仕事は出来なくなるだろう。

 

 

しかし、いまやっている仕事をいつまでも続けたいし、それが自分の生きがいでもあると感じている場合は、いくらもう一つの課題である家庭の重要性を認識していたとしても、簡単には仕事を手放すことができないわけです。

 

また、仕事を続けたいから、家庭のことには時間やエネルギーをとれませんと言いきれるかといえば、それも難しいのです。

どうして、まだ小さい子どもを放っておけるというのだと、一方でそれを許さない自分が同時に存在します。

 

まず最初に認めなければならないのは、いま取り組もうとしていることは、このように同時に成り立たないことを何とかしたいと考えているのだということです。

 

ですから、考え続ければ、なにかうまい解決が見つかると期待するのは、少し現実離れした考えだと思った方が良いでしょう。

 

あるいは、いつかこれを解決できる方法を見つけてくれる誰かが現れるというのも、同じように、あるはもっと現実感のない幻想になってしまうでしょう。

 

だれが考えようと、あなたはひとりしかいないし、同時に両方をこなせる時間を持つことは出来ないからです。

 

 

ただ、このような幻想の中で生きていくことは、そのやり方は正しいとは言えないけれど、副次的に解決に役立つこともあります。

 

それは、いま現在は、どう逆立ちをしても両方を成り立たせることは出来ないという厳然たる現実があるわけですが、状況は時間の経過と共に変化していきます。

 

いまの時点ではどう考えても答えはないのですが、いろいろなまわりの状況が変化することで、事態はどんどん変化していきます。

また、あなた自身の感じ方、考え方も時間の経過や、経験の蓄積で変化を遂げていきます。

 

その結果、いくら考えても答えがなかった問題も、問題自体が消えていく可能性もあるわけです。

 

時代の変化やインフラの進歩で、在宅で出来る仕事が画期的に増えて来るかもしれません。

あるいは、あなた自身が、他の事に興味が出てきて、仕事にそれほど魅力を感じなくなるかも知れません。

もちろん、子どもは時間と共に成長しますから、それほど時間を取られなくなることは充分考えられます。

 

しかし、それは問題が解決したわけでも何でもないと言われるかも知れません。

ですが、問題を解くというロジックが重要なのではなく、現実の変化にそった生き方をすることにこそ意味があるわけです。

 

もし、問題を解決することにこだわってしまうと、もっと別の問題を作りだしていたかもしれません。

 

1.今すぐ答え(仕事を辞めるとか、逆に仕事一筋で生きる決断を下すなど)を出そうとしてしまう。

 

じつは、すぐに答えを出さないと先に進めないように感じてしまうのは、状況が逼迫していると言うよりは、当事者の主観的な焦りが原因である場合が多いように思えます。

 

もし、それで解決したように感じられるなら、もともと葛藤と呼べるほどの問題はなかったのかもしれませんが、本当にどちらも捨てられないことだったとしたら、手放したことをいつまでも後悔するリスクを伴います。

 

2.答えを出さなければいけないと思い悩んで、ストレスを作り出したり、それを避けるために自分自身を騙すような行動を取ってしまう。

 

たとえば、他の人に対して、「自分はどっちを取っていいのかわからない!」といつも悩んで見せますが、ある程度考えたら、答えが出ないことは自分でもうすうすわかっている筈なのです。

 

いつまでも、それを考えて、他の事ができないように振る舞うのは、純粋な動機の行動とは言えないでしょう。

 

まわりの人も巻き込んだ、からさわぎで時間つぶしをしていることになってしまいます。

 

後者については、そんなことをするくらいなら、堂々と答えはでないと認めてしまった方がいいのです。

 

いまの時点で、答えはだせないから、不可能なことで悩んで時間を潰すことから撤退しますと宣言するのです。

ただし、これにはまわりの人からの抵抗や批判が生じるかもしれません。

 

 

「決断しないなんて、なんて優柔不断な人だ」とか、「どっちをとるか決めないでぐずぐずするなんて、なまけもののすることだ」と言う人がいるかも知れません。

 

何かを判断するときに、他の人に相談して見ることは、有効なこともある一方で、有害なこともあるということも知っておく必要があります。

 

プラス面では、第三者は当事者よりも冷静に客観的に事態を眺められますから、当事者には見えていなかった新しい発見があるかもしれないということです。

 

しかし、それは裏返せば、マイナスの側面も持ちます。

 

つまり、第三者は当事者と違って、実際に「葛藤」を抱えてはいないと言うことです。

 

その人が状況を想像して、自分だったらこうするだろうという考えを述べているわけですが、現実にどちらも手放せない状況にいるわけではないという違いが在ります。

 

また、当然あなたの感じ方や、事態に対する耐性は、そのひととは違いますから、最後に判断できるのはあなたしかいません。

 

どんなすごい判断能力のある人の解答であろうと、それは問題ではなく、当事者であるあなたにしか答えは出しようがないのです。

 

他の人にあなたの代わりに生きてもらうわけにはいかないし、そんなことはあなたの望むことではありません。

 

がんじがらめの状況で、自分は犠牲になるしかなかったという恨みを抱えるやり方は、あなたにも相手にもマイナスしかもたらさないし、一生を台無しにしてしまいます。

 

他の人から見てどんなに奇妙に見える生き方でも、肝心なことは、あなたにとって生きている実感が持てるかどうかだということを忘れてはなりません。

 

本当の「葛藤」は、どんなに考えたところで、こたえを出すのは不可能です。

 

・出来ないことを何とかしようとして、事態を悪化させるようなことは控えた方が良いでしょう。

 

・多くの場合、答えは出ないことを認めてしまって、ただ変化していく状況を見守るのが最良の策ということもあるのです。

 

・問題に答えを出すのが、第一の目的ではありません。

それはあなたの中の思考システムがそれを目指して一直線に働いているに過ぎません。

肝心なのは、こたえよりも現実の中で、実際にあなたがどう生きているかにあるのです。



※以下は文字数制限で続編に続きます。
今日はわがままになってもいい日(続)

★決断すること言葉ほど単純ではありません

 
★冒険しよう!☆今日は馬鹿になりましょう

※※※※※




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