絶望、自分の力ではどうにもならないという諦めしかない事実を認めたとき、私たちは突然、思ってもみなかったひらめきを得る可能性が開けます。それは今までいくら考えても思いつかなかったような解決なのです!!
今まで自分の思い込みで作り上げてきた世界の見方が効力を失った。
絶望してその無力さを認めたことで、いままで抵抗してきたものが取り除かれ、隠れていた特性が表に現れます。
それによって、やっと別の自分が見えるようになったのです。
実際思い込みが激しいと、自由にありのままに世界を観ることが出来なくなります。
ですから、それが解き放たれると、奇跡でも起きたように世界が違って見えることも起こりうるわけです。
まるで、それは別世界から飛んできたように思えるかもしれませんが、もともと自分の内面に備わっていたのに、発揮されてこなかった能力や可能性と考えるのが妥当でしょう。
◆井戸に落ちたハンターの話
密林で獲物を追っていたハンターが、誤って古井戸に落っこちてしまいます。
その井戸は、底の方に少しだけ水がたまっていますが、裂け目から水が他へ流れ出てしまって今は井戸の働きをしなくなっています。
ハンターは、なんとか井戸から抜け出そうとして、そこに垂れ下がっていた植物のつるをつかんで出口まで登ろうとしました。
しかし、途中まで上がった所で、つるは無常にも切れてしまいます。
次々に別のつるを試すのですが、どれも途中で切れてしまいます。
さて、最後の一本しかつるが残っていません。
ここでどのように考えるか、ちょっとご自分でも考えて見てください。
・最後の一本まで切れてしまったら絶望だ。もう少し慎重に考えてみよう。
・いや、逃げていても何も解決しない。可能性はすべて試して見るべきだ。
大きく分ければどちらかを選択するわけですが、前者はこれがダメだと終わりだという思いが強いと、試しても試さなくても地獄だと考えて身動きがとれなくなる可能性があります。
しかし、後者の場合は失敗したとしても、次の可能性に進めそうに思えますね。
話を戻すと、ハンターは最後の一本のつるに賭けてみようと思いました。
「なんと言うことでしょう、最後の一本に勇敢にも挑戦したハンターは無事出口まで登ることが出来たのです。」
という結末も1つあり得るのですが、それでは今回の寓話の目的とは外れてしまいます。
ハンターは最後の一本のつるをつかんで登ろうとしましたが、あっというまにつるは切れてしまいました。
すべての救いの道は途絶えました。
もはや、自分の力では登りようがありません。
こんなジャングルでは、誰も助けは期待できません。
この絶望、自分の力ではどうにもならないという諦めしかない事実を認めたとき、ハンターは突然、思ってもみなかったひらめきを得たのです!
ハンターは、水が逃げ出してしまっている隙間に、底にあった泥を埋め込んで穴をふさいでしまいます。
すると、逃げ場をなくした水は井戸の中にたまり始めます。
自分の力では脱出できないことを認めたハンターは、身をあずけることにしたのです。
井戸にたまっていく水に身をまかせて浮かんでいるハンターは、やがて出口まで労せずしてあがって行けたのです。
※これはバーノン・ハワード氏の著作に出てきた話をアレンジしたものです。
宇宙のセオリー この世でもっとも素晴らしい秘密
ヴァーノン・ハワード / 成甲書房 / 2010-07-08 /
絶望して自分の力ではもうどうにもならない事を認め、身をあずけたとき、全く今までとは違う解決に導かれる。
これは神秘的に見えなくもないですが、心理的に考えて見ればこう考えられるのではないでしょうか。
今まで自分の思い込みで作り上げてきた世界の見方が効力を失った。
絶望してその無力さを認めたことで、いままで抵抗してきたものが取り除かれ、隠れていた特性が表に現れます。
それによって、やっと別の自分が見えるようになったのです。
実際思い込みが激しいと、自由にありのままに世界を観ることが出来なくなります。
ですから、それが解き放たれると、奇跡でも起きたように世界が違って見えることも起こりうるわけです。
まるで、それは別世界から飛んできたように思えるかもしれませんが、もともと自分の内面に備わっていたのに、発揮されてこなかった能力や可能性と考えるのが妥当でしょう。
なぜそんなに、多くのものをダメにしてきたのか、それは思考の持つ限界なのかも知れません。
ひとつの見方を採用したために、そこから外れた考え方は却下され、やがて忘れ去られたり、そんなものは存在しないかのように抑圧されていきます。
まあそういった理屈はともかく、「 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」ということをこの寓話は伝えてくれます。
自分自身と同一視して大事にしすぎていることがあると、その執着からは、なかなか新しい道は開けてこないということです。
しかし、「身を捨てる」決意は、だれでも実行するには非常に抵抗があり怖いものです。
人によっては、捨ててしまえば自分は溺れ死んでしまうという恐怖が、非常に根深いこともあるでしょう。
ですから、そこは一気に変化しようと考えずに、少しずつその感覚を取り戻していくことが必要です。
いまのレベルで手をつけられる易しいことからはじめて見ることです。
今までしがみついていたことを、ひとつ手放して何が起きるか見てみるのです。
そうすると何が起きるか。
今までは「知っていて説明出来ることを実行すれば、予測通りに物事が起きる」世界がすべてだと信じていました。
しかし、説明しなくても、自分が意図しなくても、あるいは理由がわからなくても、解決がもたらされることがあること発見します(あるいは思いだします)。
これは、説明出来ることがすべてだと信じ切っていた世界観を、徐々に崩していきます。
単純に目をつぶって飛んでみるという、子どもの頃には簡単にできたことを思い出していきます。
何事も自力のみでやろうとしていたことから、自力と他力の使い分けを考える様になります。
また「自分が何でも知っている、それを揺るがすものは排斥してやる」という姿勢を放棄するという選択が見えてきます。
何かを信じたいという思いがあると、人は簡単に冷静さを失って信じてしまいます。
「信じたい」という思いの裏には、大抵恐れが隠れています。
「何かが起こって欲しくない、だから起きないと信じさせてくれるものを信じたい」のです。
すぐに何かにしがみついてしまうのを防ぐには、普段から自分の内面を正直に観察しておくことや、外側に自分を助けてくれるものがあると信じないことです。
自分が変わらない限り、何を使おうといつもと同じ結果が待っています。
外側のもので自分を変えられたようにみえても、それは自分も一緒に変わったからに他なりません。
話を元に戻すと、これしか助かる道はないと思い込んでいることを見直してみましょう。
その思い込みが、いままでの自分の苦しさの原因だったことを発見するでしょう。
それを認めることで、根本から今の状況を見直してみようという選択肢がはじめて見えてきます。
それまでは、これしかないと信じていた方法をこね回すことしか思い浮かばなかったのです。
だから、いくら頑張っても次元の違う解決は思い浮かばなかったのです。
それは誰もが陥る心理のくせのようなものですから、意地を張らずに認めてしまえば、すぐに一歩離れたところからの視界が広がってくるのです。
◆あなたがどう思おうと
あなたがどう思おうと、
世の中は今のままで完全なのだ。
世の中はそのようなものなのだ。
そして、この世の中は、
自分を活かす場としては申し分のないところだ。
【引用】『今日が楽しくなる魔法の言葉』 アーニー・J・ゼリンスキー
何かにこだわって時間を無駄にしていると感じることはありませんか?
「なにごとにもいいところは見つかる」と信じるのは、根拠がどうであろうと、これこそ知恵というものではないしょうか。
その一方で、「なにごとも願えばかなう」と信じるのは、妥当なように見えても落とし穴が隠されています。
あなたがどう思おうが
「世の中はそのようなものなのだ。」
あなたが何を願おうと勝手ですが、世の中がそれにイエスと言うか言わないかも勝手なのです。
私たちは、自分の関心のままに世の中が動いていると考えてしまいがちです。
しかし、世の中の一部であるあなたの関心だけですべてが動いているわけではありません。
あなたは「こんなことは誰も望んだりしない」と確信していることをもっています。
しかしそれにもかかわらず、それこそが望ましいことだと信じる人たちが存在するのです。
その人たちは、あなたが思うのと同様に、これを否定する人などいるものだろうかと思っているかもしれません。
わたしは世の中の部分的な存在であり、わたしの関心のあることだけで世の中が動いているわけではないという見方をしてみましょう。
あなたの関心を一旦脇において、世の中全体を見渡してみれば、あなたにとっての真実は決して普遍的なものではないことがわかってきます。
そうすれば、「なんで世の中はこんなに理不尽なんだ」と思うことの無意味さが見えてきます。
あなたにとって「理不尽」なことなど、ちっとも普遍的ではないのかもしれません。
世の中の「理不尽さ」を愚痴りながら、すねて生きるなどもっとも無駄な生き方に思えます。
ところで、あなたが本当に「正しい」と思うことがあるのなら、それを人を説得できるところまで追求してみるといいでしょう。
やってみれば、それを人に訴えたい思ってうずうずしていたけれど、いつのまにかその欲求から解放されてしまうことに気づくでしょう。
なぜなら、あなたの「正しさ」を徹底して追求することは、あなたという人間を、あるいはその生き方を確認しながらシェイプアップしていくことだからです。
よく見えていなかった「あなたの望みとそうでないもの」をじっくり見分けていけば、あなたの正しさがどこから来たものかがわかってきます。
自分が何を望んでいるのか、その方向が見えてくれば、あなたの関心はそれを人に訴えたり正しさを証明することよりも、自分を磨くことに移っていくでしょう。
誰かに正しさを訴えたいと思うあいだは、まだそれを確信できていないのかもしれません。
確信が出来てくれば、いままでのあなたがアピールしたいと思っていた正しさなど、全体の一部でしかなかったことがわかってきます。
それよりも、もっと世界は魅力や不思議に満ちていて、こだわってしがみついていることなど、どうでも良くなります。
「そして、この世の中は、自分を活かす場としては申し分のないところだ。」
世の中は、愚痴をいって時間つぶしをしているのがもったいないと思うほど、あなたの関心を引くもので溢れていることを発見します。
☆~⌒☆
「はじめて牡蠣を喰べた人間は大胆な人間であった スウィフト」
とても食べられそうもない見かけをした「牡蠣」は、あなたの大胆さで発見されるのを待っています。
◆がんじがらめ
社会に生きる中で、自分は「がんじがらめ」になっていると感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
がんじがらめとは、いくつも自分がいてそれぞれが個々の主張をするために、何をどうしていいのかわからなくなっているといった感じでしょう。
そもそも「がんじがらめ」は「雁字搦め」と書いて、ひもなどを堅くしばりつけて、からみあったものがほどけなくなっている様子を言います。
「雁字」とは、かりが編隊になって飛ぶときをあらわしたもので、隊列がさまざまに変化することを搦めあっていると表現したようです。
複雑に絡み合った糸をほどくには、一つずつわかる所からほどいていかないとなりません。
手品のように、一振りでほどけるような方法はないでしょう。
日常生活での問題や、社会の中での自分の人間関係の問題についても、からみ合ったものをほどいていくには、やはり一つずつ片づけていくしかありません。
そのとき、全体が見えているのなら、いろいろなことが派生してくるおおもとに取り組む事も出来るかもしれません。
しかし、少なくとも「がんじがらめ」と表現しているような状態では、全体は掴めていない可能性が高いでしょう。
そんなときには、何から片づけるかについて、あまり迷ったりしない方がいいかもしれません。
考えすぎて、最初の一歩を検討してばかりいたのでは、いつまで経っても糸口が見えてきません。
それよりも、手近な問題を一つ取り上げて、当面それに集中する方法をとった方は良い結果が得られるでしょう。
ひとつは、とにかく動き始めることで、自分が問題に取り組み始めたことを身体全体で感じることが出来ます。
こういうとき、頭の中で思考実験だけしていては、新しい糸口は見えてこないのです。
ひとつの行動が新しい展開を生んだり、あるいは動いてみないとわからなかったことが見えてきます。
最初のうちは、もつれた糸をほどくのと同じで、地味で非常に面倒な作業に見えます。
しかし、糸がほどけてきて全体が姿を現し始めると、もうすこしで何とかなりそうという期待が出てきて、やる気を与えてくれます。
また、芋づる式という言葉がありますが、一つが解決すると次々と関連した問題が解決していくものです。
全体がある程度見えて来れば、大ボスは誰かがわかってきますから、思い切って核心に切り込んでみることも可能になります。
☆~⌒☆
ところで、問題が複雑でどうしていいのかわからないと嘆いているときに、実は問題に取り組むのが怖いので、問題がわからないままにして、どうしようもないと言い訳しているという場合があります。
そんなときには、手近な問題ですら、あえて取り組まないでおこうとしてしまうのです。
「こんなに複雑では手がつけられないよ」といつまでも言い続けられるからです。
しかし、それで損をするのは自分自身です。
問題が片付かないだけでなく、いつもいつもやらなくてはいけない課題を残していると、ある重さを超えたときに心身に異常を来してしまうことにもなりかねません。
問題は、易しいうちに取り組むことです。
タオに生きる人は、小さな問題の中に潜む難しさを見抜いているから、小さいうちから慎重に扱う。
だから、問題が大きくなっても無難にこなせるのだ。
老子道徳経 第六三章
最後にこんな和尚の言葉を引用して終わりにします。
瞑想とは、学んだことを忘れることにほかならない
自分の玉ネギを剥いてごらん
それは大変だ
あなたはその玉ネギに自己同化してしまっているからだ
あなたはそのいくつもの層を自分だと思っている
だから、それを剥いてゆくのは難しい
それは苦痛でもある
それはただ着ている服を脱ぐのとはわけが違うからだ
むしろ、それは自分の皮をはぐようなものだ
あなたはそうした皮にあまりにも執着しすぎてしまっているのだ
けれども、一度わかったら
一度ひと皮落としたら
新鮮さが沸き上がってくるのが感じられる
あなたは新しくなる
そうすれば、勇気が増す
そうすれば、希望が出てくる
そうすれば、もっと確信が持てる
そうすれば、あなたはまた新しい皮を剥くことができる
剥けば剥くほど、あなたはもっと静かに
もっとハッピーに、もっと至福に満ちた人間になる
もう、あなたは正しい路線に乗っている
もう、玉ネギ全体を捨てるまでそう遠いことではない
Tao永遠の大河〈3〉―バグワン・シュリ・ラジニーシ老子を語る
バグワン・シュリ・ラジニーシ めるくま-る社 / 1980-05
◆自分の求めるままと人生の求めるまま
その兆候とは例えばこういうことです。
・いつも自分の計画通りに進んでいないのではないかと不安になり、イライラしてしまう。
・自分の中で反発が起きていても決めたことを押し通そうとするので、自己矛盾に苦しむことになる。
・自分がいったん手に入れようと決めると、状況がどんなに不自然でも状況が自分に合わせるべきだと考えて不快になる。
・いつも次の計画に向けて作戦を考え続けている。計画外のことは楽しむ余裕もないし邪魔者ですらある。
・計画の邪魔になることに、神経質になり腹を立てやすい。
・いつも戦っているような気がする。油断すると自分の計画がダメになると考えてしまうから。
・新しい目標が見つからないと不安になる。
・世の中がいつも競争の対象に見えてしまう。
・心がゆったり出来るときがない。
・自分の成果は自分の分身であり、批判や脅威に脅えている。
・どれだけ成果が上がったかが自分の幸福度のバロメータになってしまうので、外の世界しだいで自分が振り回されてしまう。
世の中を「自分の求めるまま」に動かそうとしないで、「人生の求めるまま」に切り替えてみましょう。
・起きてきたこと次第で自分の心の状態が影響されなくなります。
・計画に縛られていないので、どのような状況でも静かに落ち着いていられます。
・外界がもたらすことによって、怒りや不安を感じる必要がなくなります。
・いつか将来満足するのではないので、いまここが自分の居場所だと感じることが出来ます。
・やり忘れたことがないかと常に駆り立てられている状態を抜け出せます。
・通り過ぎていくものを自分の側に抱えようとしないので、失う事への恐れがなくなります。
・計画外の事態が発生しないので、いつも起きることは自分の受け入れるままと感じていられます。
・競争や闘いから無縁なのでいつも穏やかでいられます。
◆自分の求めるままと人生の求めるまま2
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