生き方026:自灯明・法灯明001

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★自灯明・法灯明
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お釈迦様が死の直前に弟子のアーナンダに残したといわれるのが、後に「自灯明・法灯明」と呼ばれる言葉でした。

 

自分が死んだ後に、弟子達が何を頼りにしていけばいいかということを言っている言葉です。

 

「自灯明」とは、自分自身を拠り所にして、それを灯明として闇を照らしなさいということであり、「法灯明」の方は、お釈迦様が教えた真理を拠り所にして灯明にしなさいという意味です。

 

ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来ていることが、どちらを優先すべきであるかを表していると言われます。

 

お釈迦様は、彼が説いた法ばかりを頼らないで、まず自分自身を拠り所にしなさいといいたいわけです。

 

「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということです。

 

弟子達が、そのように法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまうことを心配しての配慮であるということでしょう。

 

 

外部に基準を持たずに自分自身を信頼せよという考えは、東洋の哲学や宗教の特徴なのかも知れません。

 

老子は、全く違った観点から「道(タオ)」を説いています。

 

老子の場合は、人が作った法というのをもっと手厳しく否定しています。

そんなものに頼ることが、タオから外れるのだという言い方をします。

 

ですから、老荘思想にはもちろん「法」というものはありません。

あるのは、老子の言葉と「タオとの調和」ということぐらいです。

 

人は自分から何かをしようとせずに、タオと調和するように無為でありなさいというわけですから、命令や務めというものはありません。

 

タオを信じたら救いがありますとも言わないし、従わないと罰が当たりますとも言いません。

 

これとは対照的なのは、律法に忠実に従って特定の神を信じれば救われるとする、西洋の契約による宗教です。

 

他の神を信じることを禁じたり、律法を犯さないこと、破れば罰を受けると脅す神様です。

 

こちらは、言ってみれば「法灯明」のみを打ち出しているわけです。

 

もっともユダヤ教徒であるキリストが現れて、律法からの解放を説くようになってからは少し様変わりしていきますが、このあたりの話はこれぐらいにして「自灯明」に戻りたいと思います。

 

 

自分を拠り所にしなさいと言われると、法に従えとうるさく言われないわけだから楽じゃないか、といえるかというとそういうわけでもありません。

 

実は自分で判断しなさいといわれるのは、それほど簡単ではないのです。

 

外側には自信を持った教えというものが沢山存在します。

 

それに頼らずに自分で考えなさいと言われても、外部の自信ありげな教えは魅力的に映りますし、それに比べて自分の考えの方はなかなか自信が持てないのです。

 

これに従えば結果は保証しますといわれると、それならば自分で考えずに誰かを信じていた方が楽じゃないかと、ついつい頼りたくなるわけです。

 

そういった傾向は、宗教に限ったことではなく、最近になってどんどん進んでいるような気がしてなりません。

 

現代社会では情報は捌き切れないほど豊富に利用出来ますから、これがだめなら次の情報といった感じで、しがみつくものには事欠かない時代です。

 

誰かに付いて行きますと言って「法灯明」で生きていけば何とかなるんじゃないか。

そんな風に考えてしまうのも無理ないところもあるのでしょう。

 

しかし、問題はそれで人は幸せを感じられるかと言うことです。

 

外部に依存することが日に日に不満を蓄積していくのを感じないでしょうか。

 

なんで自分の好きなようにしないんだと、不満をもらす自分がそこにはいないでしょうか。

 

依存すればするほど、個性は失われていき、自分に対する信頼が欠如していきます。

 

まるでずっと親の監視つきで、宿題でもやらされているようなものです。

 

そんな状態では、なんとかここから抜け出したいという子どもの欲求が、麻痺して無抵抗になってしまわないよう祈るのみです。

 

 

なんとかこのような、がんじがらめの状態から解放する事を考えていかないと、自分では常に目的をもって行動しているつもりでいても、結局どこにも行き着けない状態に陥ってしまいます。

 

外に依存していると、不満を感じる対象も外にあると思いがちです。

 

社会が悪いのだから仕方がない、自分はこんなに頑張っているのにといって愚痴をこぼしているしか能のない人間になってしまいます。

 

いかに不安に思えても、自分に頼ることを諦めるべきではありません。

 

権威など見せかけです、そんなものを信じないで自分が主導権を握るようにしましょう。

人の人生を生きるのはごめんだと宣言しましょう。

 

シンプルに考えれば、「好きでもないことばかりしている」ならさっさと抜け出せばいいと気がつくはずです。

 

人に意見を聞かれても、自分がわからないと思うことなら「わかりません」と答えましょう。

 

わかったフリをして、無理やり納得してもいない考えを自分の意見にしてしまうから、自分の中で葛藤が起きてしまうのです。

 

ますます自分の考えに自信を持てなくなってしまいます。

 

そういうことを続けていると、簡単なことをやるにも「これで正しいのだろうか」と考えないといけなくなるのです。

 

「私は無知である事を知っている」と言ったソクラテスのように、自分が何も知らないことを認めてしまえば、自由を取り戻せます。

 

ドラマなどで何も知らない主人公が、知らない強みで権威に従わずに暴れまくるのを見て痛快に感じることがあるでしょう。

 

それを見て共感するのは、自分の中にもそんな思いがあるからでしょう。

有害な知識なら無知であるほうがずっとましです。

 

実際には無いものをあると考えるのが、仏教でいう「無明」です。

外部の自信ありげな考えも、自分にとって真実でなければ自分の闇は照らしてはくれません。

 

「じゃあ、結局どうすればいいの?」と聞きたくなるのは、まだ外部に頼ろうとしています。

 

 

信じてもいないことを自分のものにしないで、自分で本当に納得できることを頼りにしようと決心すれば、法の奴隷にならずに自由を取り戻します。

 

そしてなによりも、自分への信頼や勇気を取り戻すことができます。

 

自分を信頼して起こることに任せて行動すれば、思っても見なかったすばらしい経験が待っているものです。



★世界は私の投影だ
https://www.facebook.com/note.php?note_id=183408341739118

ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。

あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!

いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたものであり、あなたはそれに束縛されないのだ。

誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。

それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。

想像を想像として見なさい。そして恐れから自由になるがいい。

 

アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話

ナチュラルスピリット / 2005-06 /

 

 

このようなマハラジの言葉がある一方で、あまり突き詰めて考えないかも知れませんが、私たちが常識的に思い浮かべてのはこんな世界ではないでしょうか。

 

  • 世界はあなたとは関係なく存在し、あなたはその中に放り込まれた一員に過ぎない。
  • 世界は他の人にも全く同じように存在し、同じように見えていて、だからあなたが見たものは、隣の人にも全く同じに見えている。
  • あなたの存在とは関係なく、世界は独立して存在する。
  • あなたがどう思おうと世界は変わらない。

 

しかし、これが正しいのはあなたの作った世界の中にいる限りにおいてです。

 

いいかえれば、この世界はあなた自身なのです。

 

隣の人があなたと同じように世界を見ていると信じるのも、あなたがそういう世界を作りだしているからです。

 

あなた自身は、実は常に新しく世界を創造し続けているのです。

その都度見方は変化しているのだけれど、昨日と同じ一貫した世界を望んでいるから、今日は違う私が存在することは認めようとしない。

 

一貫した世界を望むから、隣の人はあなたの思い描いた世界の筋書き通りの人でいてくれることを期待します。

その人が昨日と違う事を言えば怒りだすのです。

あるいは今日のあなたは変化していて、相手が昨日と同じことを言っていたら気に入らないかも知れない。

 

あなたが世界は怖いところだと信じていれば、まさにそのように世界は怖い存在に見えるし、やがてそれに合うような世界をあなたは創りだしてしまう。

 

想像するものを現実だと思うのは、長い習慣が作りあげたものにすぎないと本当に気がつけば、自分が作りだした世界に脅えたり束縛されることはなくなるでしょう。

 

そのかわりに、毎瞬、毎瞬、想像でない目で世界を見てみれば、あなたが思っていたのと違って、世界は何もあなたを束縛しては来ない。

 

世界はあなたの想像ほど酷くはないし、あなたの想像ほどあなたの理想通りでもない。

 

肝心なのは、あなたが創り上げた世界で生きるなら、常に理想と現実の食い違いが起こり続けてトラブルに見舞われるということです。

そして、本来の自分自身でないものを捨て去る決心をすれば、それだけ自由になれるし、期待した世界のように突然食い違いが起きてくる恐れもなくなります。

 

宝くじを買ったとします。

 

当選発表までは、もしかしてという期待感を味わいワクワク、ウキウキするかもしれない。

そして、ほとんどは期待はずれです。

 

期待はずれはわかっていても、それでもやはり失望を感じているのです。

しかしあなたは「宝くじだから外れは覚悟していたよ」と納得したようなことを言いながら、その裏では失望を隠そうとする。

 

考えずにこのようなことを続けていれば、ある日腹を立てている自分を発見します。

いくら確率だと言っても、「たまには当たってもいいはずだろう、こんな世界は間違っている」と。

 

そして、いままでの失望を蓄積を一気に嘆き、発散したくなるのです。

ついでに他の不満も蘇って来て、世界はままならぬものだと確信を強めます。

 

もともと宝くじなどないつもりで生きていれば、こんなことは起こらないわけです。

 

宝くじは、世界がこうあって欲しいというあなたの期待が創りだした想像の世界です。

しかし、いつのまにか「これがこの世界そのものだ」と思うようにすり替わっていくのです。

 

そう思っていても、なにもない世界では退屈だと決め込んだり、予想できない世界は怖いからと先手を打って世界を創りだしてしまうから、その「あなた特有の世界」にあなたは入り込んで悩み苦しむことになります。

 

自分で創り出しておいては、その問題を解決するのが現実というものだと思っているので、それ以外の、「ありのままのいまを生きる」ことなど思いもよらないものになってしまうのです。

 

「あなた特有の世界」を壊して手放してしまえば、その分あなたは自由になります。

 

いつもの気苦労もなくなり、何も束縛されない自由に戸惑いながらも、その時初めて「いま」を純粋に味わうという余裕も出てくるでしょう。

それは、いつか問題がすべてなくなったらやりたいと思っていた生き方ではないでしょうか。

 




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