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自分を責める

もう少し自分に優しくしてみようか

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自己の心理006:もう少し自分に優しくしてみようか001

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◆自己批判というもの

私たちは、まわりの人から批判されることを恐れています。
そして怖いのは他人からの批判であって、自分自身による批判のことなど重要ではないと思いがちです。
しかし、現実に自分を傷つけるのは自己批判なのです。
いくらまわりの人から批判されようと、自分自身が批判を受け入れない人は傷つくことはありません。
またそれとは逆に、まわりの人は別に何も批判していないのに、自分が批判されているに違いないと感じる人もいます。
その人を批判しているのは、自己批判そのものなのです。
自己批判とは、批判がまずあると言うよりも、自分自身に価値があることを認められないことが先にあるのです。
自分のことが好きで、自分の存在に価値があることを実感できる人にとっては、他の人が自分を好いているか嫌っているかは、大した問題ではなくなります。
当然まわりからの批判も、自分の信じる価値と対等に客観的に比較できますから、それを恐れる必要などありません。
またそれよりも、他人から認められるかどうかが、自分の幸福を左右する度合いが低いので、批判されることを恐れる必要もないのです。

◆結果の予測があなたを苦しめる


人はいつでも、いま行動しなければならない。
準備する時間など、もともとないのです。
結果のことなどわからないまま、ただ行動するしかない。
しかし、この当たり前の事実はいつしか歪められ、忘れられていきます。
準備してうまくやりさえすれば、もっといい結果をだせるに違いないと信じ込んでいきます。
実際そうなることもあるでしょうが、そうでないことも同じように起こります。
その思い込みは、どんな結果になるのかを意識させ、いつしか実際に今何をするかということよりも、結果こそが大事なものになってしまいます。
行動するのが心配で、どんどん負担になっていくのは、ひとえに結果を気にしているからです。
それが証拠に、結果が見えにくいときほど不安は大きくなり、結果が出るまで他の事が目に入らなくなるほど気にしてしまうのです。

◆ありのままの自分をすきになる

ありのままの自分に満足出来るようにならないと、
いつまでたっても、満たされたと感じられません。
肝心なのは、外側の問題が解決することではなくて、
自分自身と折り合いをつけること。
自分自身を好きになることです。
自分自身の中に自分に敵対する部分を抱えていたのでは
いつまでたっても外側にも敵が現れます。
まわりを見回してみましょう。
そこに、自分の苦手な人はいますか?
そして、自分に危害を与えるかもしれない人がみえますか?
その人が好きになれないのはなぜだろう?
それを正直に考えて見ることです。
それは、あなたの中にある敵対する自分がそのように見せているのではないでしょうか?
自分自身と仲良くなれるほど、外側の問題は消えていきます。

◆自分を責めるとは

自分を責めることはどんな意味があるのでしょう。
自分を責めるのは、なにか改善の努力をしているように勘違いするかもしれません。
しかし問題点がわかったら、それ以上責めることには何の意味もないこと。
責めて立ち止まっていても、何も変わらない。
そんなことよりも、さっさと許して出来ることに目を向ける方がずっとましです。
一歩先に進むのが、許すということ。
そこにとどまって動けなくなるのが罪悪感。
自分の過ちを認められずに、とどまっていては、自分のいいところも認められない。
だから自信が持てないのなら、一つでも自分を許すことを探した方がいい。
自分を責めている人間に、人を褒めることなど出来ない。
無理に人を褒めようとしているのなら、自分の中の小さな子どもを抱きしめてあげよう。
それに、誰の責任かなどいつまで経っても、わかるものではないのです。

◆新しいことに挑戦するときの試練

新しいことに挑戦するときには、「それを断念したくなるような誘惑にであうもの」という声をよく聞きます。
そのことは、課題に挑戦しようという人にとっては、試練と言えるものになります。
なぜそんなことを言うのか、明確な理由はわかりませんが、経験上そういったことが起こるものだという人は少なくないようです。
そこで起こることは、おそらく、こういったことではないでしょうか?
まずあなたは自信を持つまでいかないけれど、何かに挑戦してみたいという気になります。
いままでもやりたいという気があったのかもしれませんが、そんなことは無理だろうという自分に打ち消されて、その欲求は抑えられてきたのかもしれません。
しかし、いまは、恐れよりもやってみたいという気持ちのほうが優位になってきて、挑戦してみるという可能性を考え始めたわけです。
何しろ自信はなかなか維持できないものですから、ちょっと他の人の意見を聞いてみたくなります。
はじめは、ごく親しい人に恐る恐る話してみて、相手の反応を確かめてみたい気になります。
あなたの熱意が感じられて、駄目だと否定するほどのものがなければ、挑戦してみることを応援してくれるかもしれません。


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自分を責めるか他人を責めるか

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自己の心理004:自分を責めるか他人を責めるか001

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◆となりの芝生 - 自分の性格が嫌い?

他人の性格を見ていると、自分の性格がもう少し今と違っていたらと思うことがあるかもしれません。

 

自分が不得手なことをうまくやりこなしている人を見て、自分も「ああなれたらなあ」と思ってしまうと、欠けていると思っている自分の性格が悪い方向にばかり見えてくるものです。

 

しかし、自分は苦手だと思っている特性も、裏返せばそうでない人には優れた特性に見えて羨ましいと思われているのかもしれません。

 

自分の性格で嫌だと思っていることにはどんなものがあるでしょうか。

 

[N1]

人見知りする。

友達がが少ない。

うち解けるまで時間がかかる。

行動力に欠ける。

団体行動が苦手。

人前で緊張しやすい。

人付き合いが苦手。

無口。

頑固。

控えめで損している。

無表情。

迷うことが多い。

実行力に欠ける。

周囲にあわせて打ち解けるのが苦手。

自分の殻にこもる。

理屈っぽい。

 

[N2]

じっくり考えることが苦手。

気分が散漫になりやすい。

熱しやすく、冷めやすい。

飽きっぽい。

大雑把。

慎重さに欠ける。

無責任。

調子に乗りすぎ。

気が変わりやすい。

派手好き。

根気がない。

感情的になる。

短気。

軽薄。

そそっかしい。

 

 

このN1、N2であげた否定的に見られる性格特性も、それを反対側から見れば肯定的な特性でもあるわけです。

 

そして、自分にないそのような特性を持っている人を見かければ羨ましいと思い、自分もそうなれたらと考えます。

 

そこで今度は、そんなあこがれる対象、肯定的な面から見た特性をあげてみましょう。

 

[P1]

深いつき合いができる。

集中力がある。

じっくり取り組む。

慎重に行動する。

単独行動ができる。

我慢強い。

考えが深い。

好きなものに集中できる。

感受性が高い。

感情を抑制できる。

こつこつ粘り強い。

誠実。

重厚。

論理的。

独特の個性を発揮。

粘り強い。

根気がある。

 

[P2]

交際範囲が広い。

陽気で活発。

親しみやすい。

人付き合いがよい。

行動力がある。

グループ行動が得意。

話好き。

自信がある。

明るく陽気。

楽天的。

決断が早い。

統率力がある。

周囲の調和を考える。

開放的。

世話好き。

 

なんとなくお分かりになったかもしれませんが、ここで上げた特性はユングが唱える内向型、外向型の特性を否定面から捉えた場合(N1,N2)と肯定面から捉えた場合(P1,P2)で列挙してみたものです。

 

内向型の人から見て否定的に思える特性(N1)は、その裏返しでとらえてみると外向型の人にとってはそうなりたいと思う特性(P1)にもなるわけです。

 

また外向型の人から見れば、自分の嫌な面(N2)を裏返すと、内向型の人が憧れる特性(P2)であるということなのです。

 

私たちがふだん内向的な人、外交的な人と呼んでいるものは、元になっているのが、このユングが唱える内向型・外向型という類型です。

 

しかし、一般的に使われている意味合いは細かい部分で本来のユングの特性からずれてきている面もあるので注意したほうがいいでしょう。(本来エネルギーを外に向けるか内に向けるかという見方であることなど)

 

内向型は自分自身に関心が向かうというのがその基本にあり、内気だが思慮深い、また実行力という面では物足りなく、他に人との協調性に欠けるといった特徴を持ちます。

 

外向型は外側に関心が向かっているのが基本にあり、外部の刺激に影響されやすい特性を持ち、活動的で、情緒の表出が活発、人を統率する力があり、また協調性があるといった特徴を持ちます。

 

 

ところで一つ勘違いしがちなのは、内向型にしろ外向型にしろ、努力して自分の優勢でない方の面を磨いていけば、いつか反対側の性格にも自分を変えられるのだと考えてしまうことです。

 

自分の優勢でない方の特性を訓練して自分のものにしようとと考えるのは、ある程度は成功するでしょうが、根本的に反対側の性格型に変わるようなイメージを持つのは少し見当違いなのです。

 

一般にAというタイプの人がBというタイプの人をより理解しようとして少し相手のやり方を取り入れてみる、といったことであれば出来るでしょう。

 

しかし、このユングの性格型は生まれつきであって、基本的な方向はほとんど変化しないと考えられています。

 

ですから、あくまで優位な方向はそのままだと思った方がいいわけで、変えようと思うにしても反対側の人に歩み寄る程度のものだとイメージしたほうがいいということです。

 

これは例えば背の高い人と低い人がいて、大人になってからはその差はほとんど変化しないようなものです。

いつまでも身長を変えたいと思い続ける人はあまりいませんよね。

 

そして、可能か不可能かという問題ではなく、自然さを極端に損なわないでうまくコントロールすると思うなら、無理なことを期待しない方が現実的だし、得られるメリットも大きいということですね。

 

人それぞれ、自分では自由に扱いにくい部分を抱えていて、そのコントロールしにくい部分は、自分では気づかないうちに自然と表現されてしまうのです。

 

ですから、本人は気付いていないのに、他の人から見ると「君にはこういう面があるよ」というように本人よりもよく見えているという事が起きるわけです。

 

そして、自分ではコントロールしにくい部分にコンプレックスを持って何とかしたいと思うばかりで、そのプラス面を見ようとしないのは、無理が多く骨折り損になりがちなのです。

 

反対側の性格に変わりたいと望むのではなく、自分の性格型の長所を生かし、反対側の性格型の人に対しては反発するのでなくうまく折り合いをつけ、また補いあっていこうというやり方が現実的であり得るものも大きいといえるのです。

 

ところで、今の自分の持っているものを嫌って、反対側を欲しがるという、いわゆる「隣の芝生は青い」という見方があります。

 

この考え方を180度切り替えてみれば、反対側の人がうらやむメリットを、あなたは努力せずに獲得し、使いこなしているという見方もできるわけです。

 

あなたが意識して、努力を積み重ねて獲得したというよりは、ただ同然で手に入れたあなたの特性です。

 

それは、宿命のようなものとも言えますが、どういう経緯で自分のものになったにせよ、その値打ち自体が変化するわけではありません。

 

他の人から見れば、時には「垂涎の的」と写っているかもしれないものを、あなたははからずも手に入れ、持ち合わせているのです。

それを使わない手はありませんね。

 

 

例えて言えば、今まであなたは手持ちの1万ドルを、日本では使えないと思って、せっせと新たに100万円を稼ぎ出す方法ばかり考えていました。

しかし、今は手元にある1万ドルをうまく使おうと考えを変えてみるのです。

 

せっかく持っている財産も眠らせておいては、使うチャンスを逃してしまいます。

今は円の方が人気があるなどと考えて気をそらさずに、自分の持っているものを活かすことを考える方が、ずっと無理なく自分を活かすことができます。

 

自分の特性を出し惜しみしないで、またその価値を疑わないで、他の人にその恩恵を与えてあげましょう。

 

それこそが、あなたの存在する何よりの意義であり、また自分にとっても無理なく自分を発揮できるやり方なのです。

 


◆激しい感情に対処するには

怒りなどの激しい感情というのは、突然発生して自分の手に負えないと思うときがあります。

 

しかし、感情というものの本質を見極めていけば、いつまでもわけのわからない怪物のように怖がることも少なくなっていくでしょう。

 

感情についての誤解というか、大雑把すぎる考え方として、「感情は発散すれば消えてなくなるから、どんどん出していけばいい。」というものがあります。

 

この考え方は、時には正しく見えたりもしますが、全然当てはまらないように思えるときもあります。

それは、自然な感情と、自分で繰り返し作り出している感情を区別しないで、一緒に考えてしまうために起こる誤解ではないかと思います。

 

例えば、誰かに怒りを感じたとします。

自然な発生の感情だけであれば、ひとしきり怒りの感情を表出してしまえばおさまってくるものです。

 

しかし、それがいつまでも続くのは、おさまりそうになると、またその怒りの原因や、相手のことを思い出して怒りを再び燃焼させるようなことを繰り返しているわけです。

 

たとえば「これだけでは怒りがおさまらない」というような言葉を漏らしているときは、そのようなことをやっているわけです。

 

ですから、このような怒りの扱い方をしているならば、感情は発散させてしまえば消えてしまうという見解は成り立たないし、怒りと再燃焼を繰り返すことにもなってしまいます。

 

一方、おさまってくればこれで終わりにしようと思えるようなときには、中途半端に押さえずに表現してしまえば完結してしまうということも成り立つわけです。

 

たとえば、幼い子供が危険な真似をしたら、思いっきりしかることがあるでしょう。そうしないと、子供は自分で危険を理解できないからです。

 

そのような場合には、たとえ激しい感情でしかりつけたとしても、役目が終わればもうこれくらいでいいだろう、終わりにしようと考えることが自然にできるでしょう。

 

 

このように、感情は自然におさまることを邪魔しなければ、やがて消えていくのが自然なように思えます。

 

海の波もいくら大きくても、打ちよせたらそこで消えてしまいます。

その1回分のエネルギーが消費されたからです。

 

そして、波は実体があったり、あとに形が残るようなものではありません。

海の水の一時的な形態にすぎないわけですし、どの水とどの水が波を作っていたと決められるようなものではないわけです。

 

瞬間瞬間で、変化する実体のないものが波と名付けられたものの本質なのです。

 

感情というのも、この波と同じように考えられます。

 

別に怒りの感情のもとになる実体があるわけではなく、そのときの状況や自分の思考、情緒などがいろいろ絡まって、作り出された一時的な「空性」なのです。

 

そして、自分でその感情を繰り返して呼び起こすようなことをしなければ、エネルギーを放出して収まる波と同じように静かになるのが本来の姿だと言えます。

 

 

しかし、そうはいっても一気に襲ってくる感情の波は、巨大で強力で自分のコントロールなどしばらく効きそうにないと思うときもあります。

 

そのような経験をしたために、感情とは制御などできないものと諦めている人や、あるいは感情に影響されるのも人間らしくていいじゃないかと考える人もいるでしょう。

 

ですが、激しい感情が、他者を傷つけたり、不満で自分に正常な判断を出来なくしてしまうことも多いわけで、やはりこの場合も単純に「感情」という言葉で一括りにしてしまうのは、大ざっぱすぎる判断といえるでしょう。

 

 

まず感情とは、先程のたとえのように波のようなものであって、一時的な症状であり、それが人を傷つけてしまうのは、その時の思考を深刻な苦悩にいたるまで維持し続けるためであると考えます。

 

また、一時的には制御できないまま怒りなどの状態に入ってしまうにしても、このような感情の本質を知っていくにつれて、いつまでも感情に流される必要もないことが分かってきます。

 

感情を否定も肯定もせずに、その感情が発生する前の段階の自分を取り戻せるなら、瞬間的には無理でも感情をこれ以上は必要ないというところで静かにしてしまうこともできるようになってくるでしょう。

 

波は、そのエネルギーを消費してしまえば収まります。

 

感情も、自然に発生したエネルギーを消費してしまえば、そこで終わるはずのものであって、それがいつまでも続くのは、その後の自分の思考(つまりエゴの働き)が原因であるのです。

 

それから、感情は無理やり抑えつけてしまっても、エネルギーが逃げないまま心の奥にとどまってしまうでしょう。

 

これについては、抑えつけるのではなく、むしろ自然な発生と終了を妨げずに完了させてしまうのがいいわけです。

 

無理やり感情を抑えつけたのでは、例えば怒りを押さえてしまうことで、他の喜びや楽しい感情までも抑えつけてしまうといったことが起こります。

 

なぜならこのやり方は、どんな感情にしろ鈍感になることで、表現されてしまうのを抑えようとするからです。

 

やがてどんな感情も不完全にしか表現しなくなるという、感情の鈍麻を起こしてしまうのです。

 

もし、あなたの親が怒鳴り散らす人だったとしたら、あなたもまた、そのような感情表現を自分の中に取り込んでいる可能性が高いわけです。

 

自分は、親と違ってそんなことはしないと思っていても、気がつくとそのような状態になっている自分に気づくことになります。

 

その場合は、それを否定しようという悪あがきはやめて、自分にはそのような感情の出し方があることを認めてしまうことです。

 

その起源がなんであれ、その感情表現はもはや自分の一部です。

それを否定するのは、自分自身を否定することにつながります。

 

認めるのを拒むのではなく、素直に認めて、その上で自分で制御しようと考えればいいのです。

 

それが始まった瞬間は、自分で気づけなかったり、しばらくは自分のコントロールできない時間があるかもしれません。

 

しかし、それでも自分の感情をありのままに観察し、苦悩を産み出してしまうようなエゴの思考に結びつけてしまわないように気をつけていけば、徐々に激しい感情であっても自分でコントロールすることができるようになってきます。

 

そのような感情の本質についての理解を深めて、自分で感情に責任を持とうと決意すれば、それは少しずつでも訓練次第でどんどん自分でコントロール可能なものになってくるでしょう。

 

そして、発生から消滅までが自然な流れで完結するよう、余計な思考をそこに入りこませないようにすることです。

 

また嫌な感情を繰り返し呼び起こすような思考習慣がないかどうか、ふだんから注意しておくことです。

 

嫌な感情を繰り返すのは、エゴの言い分に自分が従ってしまうからです。

「まだ終わらせるな、思い出してみろ!」という声に耳を貸してはなりません。


◆裁く人ではなく見守る人に

自分のことを振り返ったとき、どのように感じますか?

 

なにかと自分の欠点が目に入って来るでしょうか?

それともただそういう人間だからと笑って受け入れているでしょうか?

 

とは言っても、ずっとどちらか一方という人は少ないでしょう。

 

その時の状況によって、欠点が気になったり、思い出して憂鬱を感じたり、不安になったりすることもあれば、こういう自分も好きだよと思えるときもあるでしょう。

 

それはバランスの問題ですが、自己批判の傾向が強すぎると、いつも自分に不満を感じて、なにかと別の自分に変わりたいと、せき立てられているように感じるかも知れません。

 

そうなると「今のままではダメ」という思いが、いつも付きまとうので、何もかも忘れてゆったりするということが出来ません。

 

そして、ひとりで自分自身と向き合っていると居心地がよくないと感じる人は、その不安を隠すために他の人とのつながりを求めるようになります。

 

人と話をして、不安をごまかせている間はいいのですが、そのうち自分の中の不安が表面に表れてきます。

 

そして問題なのは、自分自身の不安なのに、そうなってしまうのを相手のせいにしてしまうということをやりがちなのです。

他人のせいで自分が居心地が悪いと思ってしまいます。

 

 

実は自分を評価したり、批判したりすることなど必要ありません。

必要なのは、いまの自分をそのまま受け入れることだけです。

 

批判的に自分を見る傾向があると、そこでは「裁く自分」と「見張られている自分」が存在することになります。

 

自分の中に、そのような駆け引きを必要とする関係があったのでは、いつも間違いをしでかさないかをチェックしながら生きていくことになります。

 

この対立関係が自分の中での葛藤を引き起こす原因なのです。

 

自分を2つの自分に分裂しないことです。

 

ただそのままの自分でいればいいと思えるとき、何も考えずに自然に自分を動かすことが出来ます。

その時はじめて、自分の感じたことがそのまま自分だと思えるのです。

 

そこには、裁く人も、許可する人も必要ないのです。

 

面白いことに、自分ひとりではこの「裁く人」を断ち切れない人が、誰かと一緒だとゆったり出来るといった場合もあります。

 

それは、自分ひとりでは許せないことを、その人が「大丈夫やっていいよ」と言ってくれる気になれるからでしょう。

 

ですが、それでは誰かに依存した生き方から抜け出せません。

 

自分で自分を許す人になり、さらには裁くこと自体がもう必要ないと思えるまで、自分を受け入れる人になることです。

 

それは、独善家になるということではありません。

 

独善家というのは、名前の通り善悪の裁きを常に持っていて、自分の考えと違う人を裁こうとしている人です。

 

実はそのままの自分でOKだと言えることは、特別なことでも何でもなくごく当たり前のことであるはずです。

 

自然界を見て下さい、自分で芽を出していいか自信を持てない種などありません。

蔓を伸ばしていいですかと許可を求めたり、今日も咲いていいですかと尋ねる朝顔など見たことがないでしょう。

 

ですから、不安を感じるのは、何か余計なものを自分で背負ってしまっただけだと思って、いずれそれは消えてなくなると信じればいいのです。

 

自分でそうなると思えば、そうなります。

 

それが出来ないのは、相変わらず自分の邪魔をする自分を大事に持っていようとするからです。

嘘みたいですが、自分を痛めつける原因を自分から手放さないようにしてしまうのです。

そんなのどう考えても不自然なことじゃないですか?

 

どちらを信じるかと考えていたのでは、いつまでも騙され続けます。

裁く自分は巧妙にあなたを信じさせようとするからです。

 

「これだけは許せない」なんて思っていませんか?

いったいどれだけ「これだけ」を作ってきたでしょうか。

 

ただ「もういらない」といって手放して振り返らないこと。

手を放してしまった風船のように、飛んで行ってしまうのをただ見送ればいいのです。

 

 


◆自信が持てないときは他の人に手をさしのべよう

うまくいかないことがあって気分が落ち込んでいたり、何かの出来事で傷ついたとき、

今の自分がどう思われているかが気になり、否定的な気分が支配的になってしまうときがありますね。

 

そんなときは、屈辱感とか罪悪感、あるいは正体のはっきりしない恐れの気持ちから、何かをやるにも自信が持てず、自分が非常に小さな存在に思えてしまうものです。

 

誰かに助けを求めたい気持ちがある一方で、誰とも顔を合わせたくないという複雑な状態になるかもしれません。

 

このような困難に陥った自分に気づいたとき、自分の内面を怖がらずに振り返って見ることも大事ですが、もう一つの脱出方法として、自分ではなく他人に意識を向けてみることを試してみてはどうでしょう。

 

 

他人のことどころではないという気持ちに流されないで、あえて、あなたのまわりの人を見回して、あなたの助けを求めていそうな人を見つけて、手をさしのべてみるのです。

 

何か自分に出来ることはないかという見方で、相手の状況を聞いてみましょう。

 

自分の苦悩はひとまず横に置いて、他の人の問題に自分の関心を集中させてみます。

 

自分の傷口を見直して悲惨な感情にのたうち回るのではなく、自分から人に手をさしのべて相手の問題に取り組むとき、相手もあなたも共に癒されるのです。

 

そんなとき、あなたのぼろぼろになりかけていた自信は、いつのまにか「なんか問題なんてあったの?」というように小さな問題になっているかもしれません。

 

それよりも、あなたが手をさしのべ、他の人に何かをしてあげられたことで自分への信頼を取り戻し、また自分が他の人から必要とされていることを思い出して勇気が湧いてくるのです。

 

「今の自分よりも大変な人はいないだろうか?」という目で見てみれば、自分の問題などどうでもよくなって、もっと大事なことを思い出すかもしれません。

 

 

「自分のため」が「人のため」に変わり、また「人のため」が「自分のため」になって返ってくるという、いい流れに自分が乗っているのを発見するでしょう。

 

人を助けようとするとき、自分がひとりでやっていたのでは、起きてこなかったような勇気が湧き上がってくるのを感じます。

 

人の為に動いていると、自分の為にやっていたときには出来なかったようなことを平気でやっている自分を発見します。

 

人を助けているつもりが、自分も相手やまわりの人から支えられていることを実感し、相互依存の関係を感じることが出来ます。

 

人をリードしているつもりが、自分が人を活かしているのではなく、人に助けられたり支えられて一緒にその中にいることを発見するとき、自分の孤独感や、他人からどう見られているかなどの不安というのは消え去っています。

 

自分の出来ることは、それを必要とする他の人の存在があってこそ意味があることを見いだしたとき、孤立している自分ではなく、流れの中で他の人と一緒に存在している自分を実感できるのです。

 

自分に自信が持てないときは、だからこそ他の人に手をさしのべてみましょう。



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なぜか自分の気持ちと正反対のことを
言ってしまって相手を傷つけてしまったり…。

時にはいわれのない悪口・陰口を叩かれたり…。

「つまり、何が言いたいの?」、
「ん?結局それはどういうこと?」、

と呆れられたり馬鹿にされたり…。

コミュニケーションが上手くいかないと、
損どころか様々なシーンで散々な思いをします。

ダン・オコナーによれば、

現実的な話、実に世の中の90%以上の人が、無意識の内に
『会話において重大な間違いを犯してしまっている』とのことです。

単純に鵜呑みにしなくてもいいですが、こういったコミュニケーションの
法則や発想は、あなたの発想に刺激を与え、自分なりに吸収すれば、
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