★空っぽの舟
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わたしたちは、いくらありのままの自分でいようと思っていても、いざ他の人と言葉を交わした途端、無意識のうちに社会的な自分に切り替えてしまいます。
朝起きて、家族と顔を合わせた途端に、何かの構えを作りあげています。
一歩外に出れば、出会う人ごとに自分の在り方を演じることになります。
正確には、実際に顔を合わせるまでもなく、相手を思い浮かべただけで何らかの変化が生じているのでしょう。
これらは長年にわたって作りあげてきた自分自身の一部ですから、そんなに簡単に変えられるものではありませんし、それらを軽視することは自己否定へと繋がります。
しかし、そのような社会的な自分というのは、日頃から繰り返し演じることによって強化され続けるわけですから、その習慣を変えてしまうことはできるはずです。
つまり、あなたが「相手とうまくやろう」と考えることが、社会的な自己を強化し続けているのです。
「うまくやろうとする」というのは、あなたが考える理想的な自己像を維持しようと言うことです。
そのような理想の自己像にあわせようと、あなたはそのように振る舞う努力をします。
またうまくいかないとき、理想から外れてしまった自分の行動を後悔したり、責めたりし始めるのです。
あなたはどうすれば「人とうまくつきあえるか」というテーマで、モデルを探し求める努力を続けています。
それは、自分の持っている基準を、外から取り入れたもので修正し続ける努力です。
外から取り入れたやり方を、何重にも重ね合わせていくので、そのような理想の自己像はどんどん寄せ集めになり、融通の利かないものになっていくのです。
「意識したままで自分を演じきれる」という幻想が、あなたから自然な振る舞いをどんどん無くしてしまうのです。
外側にペンキを上塗りし続けても、しばらくすると、はげ落ちてしまうのです。
作りあげた自己像による関係は、根っこがないので容易に崩壊します。
たとえば、あなたが知らない人の不道徳を見聞きして、非難の言葉を浴びせたとします。
そしてその振り返った相手が自分の知っている人だとわかった途端、あなたの理想の自己は制御不能なものになってしまうのです。
避難しようとする自分と、親しい人にひどいことを言った自分を責める自分、寄せ集めの自分は、もはやバラバラに崩壊します。
借り物の自己ばかりでは、主人が不在でいざとなると何もできません。
余計なペンキは、きれいに剥がしてしまいましょう。
その下に隠れている、あなた本来の自分は、実は作られた自己像よりも、人と心を通じ合わせられるものです。
ただ、あなたが「そんなものを見せてはまずいことになる」と信じ込んでいるだけなのです。
さて荘子にでてくるおはなし「空っぽの舟」
たとえば、君が川を渡ろうとする。
すると向こうから、空っぽの舟が流れてきて、
君の舟にぶつかったとする。
でも君は、その舟に向かって、
カッとなって怒鳴りつけたりはしないだろう?
もし、その舟に人が乗っていたとすれば、
君はきっと、その人に向かって「気をつけろよ」と言うだろう。
もし相手が知らんぷりしていたら、君はもう一回
「おい、気を付けろ」と言うだろう。
それでも相手が知らんぷりしていたら、
君はきっと大声で怒鳴り始めるよ。
君が自分という舟を空っぽにして人生を漕いでいったら、
ぶつかった人は、怒鳴ったりしないのだよ。
空っぽの舟(山木篇)
荘子 ヒア・ナウ 加島祥造 PARCO出版
★自由にお入り下さい
https://www.facebook.com/note.php?note_id=268353336577951
入り口に「自由にお入り下さい」と書いてある画廊があります。
素直に見に入るかと言えばそうでもないですね。
へたに入って絵画を勧められたらこまってしまう。
中がよく見えないので、入るのを躊躇する。
絵なんて見ても自分にはわからないし、才能もないから関係ないよ。
自由には入れなんて、なにかあるに決まっている。怪しいものには近づかない。
このような反応の中にも、自己を主張することへの自信のなさや、見えないものへの恐怖、不安が見え隠れします。
また、自分にはそんな値打ちがないと行った、自己評価の低さが顕れていたり、自由さを奪うことと引き替えの自分を守るための信念が顕れているのです。
子どもならどうするでしょうね。
「自由に」ってかいてあるから、入っていいんだよ。入ろうよ。
あの絵がおもしろそうだから見に行こう。
興味の赴くままに行動するかも知れません。
こんな素直さは、大人の警戒心に隠されてしまうのです。
ところで、わたしたちには「自由にお入り下さい」といわれても、入れずに入り口をうろうろしている所があります。
それは、自分のこころの中です。
自由に入り込めるとは、自由に表にも出せるし、存在を認めることができると言うことです。
しかし、実際にはわたしたちの内部には、表に出すのを怖がっている自分が存在します。
「そんなこと考えるなんて!そんな「わたし」はいません。」と存在を否定されてしまった自分が潜んでいるのです。
上であげたような中に入れない理由というのは、どれも当たり前に思える理由です。
ですが、実はそんな当たり前に思う理由だからこそ、わたしたちはあっさりと自分を制限してしまうのです。
それは、いいかえれば自由に出入りするようになるのも、そんなに難しいことではないということです。
何も考えずに、画廊に入ってみる。
自分の関心の赴くままに、ただそれだけのことです。
ちょっと考えるのをやめて、ただ動いてみる。
「見る前に飛ぶ」という勇気。
もしあなたが、不安で動けなくなっているとしたら、「不安がなくなる方法」を外に求めることは、一番間違ったやり方かも知れません。
思い切ってやってみないと、新しいことには取り組めません。
新しいことを避けていると、いつもの古ぼけた思考とつきあって、機会をどんどん捨てているようなものです。
新しいことを始めるには、言葉は悪いですが、相手をなめてかかるくらいの部分も必要です。
完璧なスタートを切ろうという人は、いつまでもスタートできません。
パソコンの上達が早い人というのは、何よりも怖がらずにあれこれいじってみることができる人のようです。
だから、恐れを知らない子どもの上達というのは、すごいですね。
見たままを、まねてみる素直さにかなうものはありません。
「無為にして為す」とは牡蠣のように殻の中でじっとしていることではなくて、自然の大胆さに自分も同化することです。
畳の上の水練では泳げるようにはなりません。
動かないところに、バランス感覚は生まれません。
そこで生まれたバランス感覚が、「あなたらしさ」を作ります。
バランスさえ忘れなければ、他の事はなるようになっていくものです。
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生き方030:空っぽの舟001
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