人間関係002:心のむだ遣い  001

◆心のむだ遣い

「心のむだ遣い」とでも言うのでしょうか、神経を使ったり我慢してやっているにも関わらず、結果的にぎこちなくなり、受け取る相手もなにか緊張を感じてしまうような気の使い方があります。

 

本人はよかれと思ってやっている(あるいはそうあるべきだと思っている)のですが、その結果本人もまわりも何となく疲れてしまうのです。

 

た とえば母親が子どもを心配するあまり、「こんな言葉を使っては反発するだろうか」とか「このように動くとよくないかも」とか、子どもの反応を自分で勝手に 先取りしてあれこれ考えすぎてしまうと、気がつくと自分自身を見失って、自分の判断に自信が持てず自然に振る舞うことが出来なくなってしまいます。

 

またそんなふうに誰かの反応ばかり気にして行動すると、なんとなくその力みが伝わってしまい、相手の人もなにか緊張してリラックス出来なくなってしまいます。

 

傍から見ていると、よく出来た人とか我慢強い人にも見えるのですが、ふだんその人と接している家族は何かわからないけれど居心地が悪いと感じているかも知れません。

 

自分の方も自由に反応できないと感じてしまうので、うまく本音が伝えられずに我慢しなければならなくなってしまうのです。

 

 

つまり、その人の我慢や不自然さがまわりにも感染してしまうわけですね。

 

「我慢」という言葉は、昨今は簡単に諦めてしまう風潮へのアンチテーゼとして、もっと我慢することを強調するきらいがありますが、もともと無理な状態を自分に強いる行為でもあるわけで、そこに問題が無いとは言えないわけです。

 

誰かが疲れたので思いっきりリラックスしたい、少しやりたい放題やってストレス解消したいと感じたとしても、そのまわりに何かをじっと我慢して耐えていると感じさせる人がいては、ちょっと今はまずいかなとか遠慮してしまうことになります。

 

そんな状態がいつも続くようだと、その家族全体が重苦しい雰囲気の方に引きずられてしまいがちです。

例えば子どもの心配をしていた母親の思いが逆に子どもを身動き出来ない状態にしてしまうかもしれないのです。

 

「こうあるべきだ」というこだわりを手放して、少しずつ本当にしたいことに正直にしたがってみれば、肩の力が抜けていきます。

 

自分の緊張感が抜けるにつれて、相手の視線も柔らかく感じられるようになってきます。

思い切った冗談さえも言えるようになってくるでしょう。

 

 

作られた安定は、表現されている言葉はもっともですが、どこか不自然で何かがちがうぞという感じを持つものです。

 

そもそも常に変化するのが、生きているということだと振り返って見れば、無理な安定や完全さはつくりものでしかないことがわかってきます。

 

「考えて」「考えて」「見極めた」行動ばかりでは、自分もまわりも息が詰まります。

よくできた完璧な人は、感心はしても自分がそれに付き合うのはちょっと遠慮したくなるものです。

 

どこか抜けている所があるくらいの方が、長期的に見れば無理を感じさせず、その結果安心感をもたらすのではないでしょうか。

 

「天網恢々、疎にして而も失わず。」

 

天の網というのは、とても大きなもので、

その網の目は隙間だらけのように見えるけれど、

肝心なことは、決して逃さないように出来ている。

 

(老子道徳経 第七十三章)

 

「心のむだ遣い」とは、自分も消耗させ、まわりの人も巻き込んでしまうという間違った気の使い方です。

隙間だらけでも肝心なことは逃さない、そんな余裕を持った心の使い方が出来ればいいですね。



◆ 投影 - 他人はあなたに何をしてくるだろう?
 

「投影(投射、プロジェクション)」という心理の働きについて考えて見ましょう。

 

あなたが最近「私を非難したがる人が多い」ように感じているとしたら、あなたは「誰かを非難したくなっている」のかもしれません。

 

「なんでみんな冷たいの?」と感じるとき、あなたの中で他の人を拒否しようとしている自分がいないでしょうか。

 

みんな優しい人ばかりに見えるとき、実はあなた自身が自分に優しく出来ているのです。

 

そんなちょっと不思議な心理を振り返って自分の見方にしてしまいましょう。

 

☆~⌒☆

 

まず、あなたは自分が何かをしたいと思っています。

 

しかし、それを行うことはあなたの持っている基準のようなもので禁止されています。

 

つまりあなたは「そんなことはしてはいけない」と思っているから、自分がそのような欲望を持ったことを否定して、そんなものは持っていないと思い込みます。

 

「わたしがそんなこと考えるわけないじゃない」と思って、その存在を消し去ろうとしますが、実際にあるものはただ消すというわけにはいきません。

 

仕方がないので、その欲望はエネルギーを保ったまま、どこか見えないところで、あなたの中にしまい込まれることになるのです。

 

これが「抑圧」ということです。

 

やらないようにしようと単に意識して押さえているのは「抑制」ですが、それよりもレベルが深くなって「抑圧」になってしまうと、あなたはその存在を意識することすらなくなってしまいます。

 

しかし、そのエネルギーは消えたわけではありません。

いつも機会があれば外に出たいと待ち構えているのです。

 

抑制や抑圧は誰でも抱えているものですが、ある程度まで強くなってくると、社会生活を送る上で障害になってくることもあります。

 

他人からみれば抑制や抑圧の表れは、比較的わかりやすいものです。

自分のことではないから、それを禁止する自分がそこにはいないからです。

 

ですから、「このことに触れると、なぜかこの人は不自然な行動を始める」というように感じられます。

なんとなく「何か隠しているな」と感じられるのです。

 

あなたに好意的な人であれば、それに触れないでおいてあげようと思いますが、そうでない人は容赦なく、そこに切り込んできたりするでしょう。

 

いずれにしても、いつまでもそれを隠したままでいたのでは、いつまでもスッキリしないし、人間関係に溝を生じさせてしまうことにもなりかねません。

 

ですから、余り抑圧のエネルギーが巨大に成らないうちに、ガス抜きしようとします。

 

たとえば自分では「何でこんなこと言ってしまったんだろう」と理由が掴めない行動の多くは、このようなガス抜きの行動だったのかもしれません。

 

このような、抑圧を外に発散する手段のひとつとして「投影」という働きがあります。

これは直接的な発散ではなくて、ひとひねりした心の働きです。

 

「投影」とは本来あなたの欲望なのに、それを他の人が持っていて、あなたにそれを要求してくると感じる現象です。

 

つまり、本当はあなた自身がそれをやりたいのですが、自分でやることは許せないから、他人があなたに向けてそれを実行してくると思うことで、エネルギーを調整しようとしているのです。

 

「抑圧」から「投影」に転じる仕組みを理解していれば、あなたは自分の「投影」を探ることで、自分自身の「抑圧」を発見し、停滞しているエネルギーを解放することができます。

その結果ずっとスムーズに自己を解放できたり、他者と係わることが楽になってきます。

 

それには、あなたの行っている「投影」を探してみることです。

 

自分の中に求める気持ちが全くなければ、他人の行動は自分の感情を刺激したりはしないものです。

 

気になっていること、あなたが普段から「他の人が私にしかけてくる」と感じていることをチェックすれば逆にたどって自分の隠している抑圧を見つけることが出来るわけです。

 

◆「まわりの人は私を非難しようとしている」

 

他人のちょっとした仕草や言葉に過剰に反応して、想像をふくらませてしまい、客観的な事実もないのに他人が自分を非難しようとしていると感じるのです。

そこには、あなたの側に他人を非難したい気持ちが隠れています。

 

◆「まわりの人は私の悪口を言っている」

 

これも前の項目の亜流ですね。

顔を合わせたときにはどんなに親しく好意的であっても、あとでひとりになるとあのときのあの行動、あの言葉には裏があったように思えてきたりするのです。

 

だから、あとから「私のいないところでは悪口を言っているに違いない。」と信じ始めたりするのです。

 

しかし、これが「投影」だとすれば、実はあなた自身が普段から「相手を非難したい」と思っていることになります。

 

つまり「非難したがる人が多い」と感じ始めたら、あなたは「誰かを非難したくなっている」けれどそれを抑圧しているのかもしれないのです。

 

これに付随するのは、他人のあら探しです。

他人のあら探しをしては、不満を溜めて「これじゃあ誰かを非難しないではいられないよね」という状況をせっせと作り上げ、我慢できなくなって爆発することで抑圧を外そうとする非常手段を使うのです。

 

◆「なんでみんな冷たいの?」

 

そんな風に感じるとき、あなたの中で「他の人を拒否しようとしている自分」がいないでしょうか。

本当は「いまは近寄ってこないで!」と言っている自分が隠れているかもしれません。

そんな自分に気がつけば、まわりの人への見え方も変わってくるでしょう。

 

◆「なんでそんなにカリカリしてるんだ、笑顔で行こうよ」

 

必要以上に他の人に笑顔を要求したいとき、あなたの中に誰かへの「怒り」は隠れていませんか?

あなたが感じることは許されないと思っている怒りはないでしょうか。

 

◆「まわりの人はうまく立ち回っている」

 

まわりの人に嫉妬していないでしょうか。

そう感じるあなた自身が、誰よりも評価されたいと願っているのかもしれません。

原点に戻って、目の前のことを淡々と進めていきましょう。

 

以上あげたのは否定的な感情でしたが、肯定的な感情もまた相手に映し出されています。

 

◆「みんな優しい人ばかりだ」

 

そう思えるとき、あなた自身の他の人へのいとおしさがあふれているのかもしれません。

 

 

まわりの人を、いまのあなたはどんな風に感じていますか?

 

それは、もしかしたら自分の中で抱えている感情かもしれません。

 

他の人があなたにしてくるのではなくて、その前にあなたがそうさせているとわかったなら、自分がまず変わればよかったのだと気がつくでしょう。

 

世界は自分に働きかける個々の人物や物の集まりだと見ているかも知れませんが、実はあなた自身が投影して作り上げている世界です。

他の人も、あなたと全く同じように自分の世界を作り上げて世界を見ています。

 

エネルギーをどちらから見るかで、自分に見えたり他人に見えたりしているだけで、すべてあなたが見え方を決めている世界なのです。

 

そう思えば、誰が何と言ったかを気にして、その駆け引きに疲れはてていることのくだらなさが見えてこないでしょうか。

 

「私の思い」なのか「あなたの思い」なのかは、重要ではなく、どうすればうまくエネルギーを回せるのかを考えればいいのです。

 


◆ 要領が悪いと言われる

「要領が悪い」とか「のろま」などと言われるのを気にしている人もいるかと思います。。

 

あるいは「気がきかない」「融通が利かない」「がんこ」などがそれに続きます。

 

こう言ったタイプにもいくつかあるのでしょうが、1つには「他人のことを先に考える」という特徴があります。

 

相手がどう思うかをまず気にしてしまうので、自分の考えで自由に動けなかったり、「いや」と言うことに強い抵抗を感じるのです。

 

また家族などから見ると、そういった人は「外見をよく見せるのです」と言われたりします。

これは時として、ふだんの他人に合わせることの反発から急に変化したりするのを見ている人からの印象なのでしょう。

 

 

このようなタイプは、自分の考えに合わないことでも、何とか相手の意見を受け入れるようにふだんから無理をしているわけです。

 

それは本人にとって疲れることですが、それ以上に他人から嫌われてしまうことを恐れているので、仕方なくそうせざるを得ない状態なのです。

 

しかしいったん我慢していた感情が抑えられなくなると、堰を切ったように感情が爆発して止められないといったこともあるようです。

 

もちろんそのような出来事の後は、本人にとって一番恐れている他人から嫌われる行動をとってしまったわけですから非常に落ち込んでしまいます。

そのために余計にまわりに気を使わないといけない状態を強化してしまいます。

 

相手に合わせなければという気持ちが強いので、自分が動こうとしても、相手の気を悪くするようなことをしていないかがまず気になります。

 

その結果、態度がぎこちなくなったり、臨機応変に対応することが苦手になりますから、人から見ると「のろま」とか「気がきかない」といった悪い評価をまねいてしまうことにもなります。

 

 

一方で相手のことを気にしているので、自分ひとりで動くことも避けるためいつも相手にくっついていようとしたがります。

 

相手から見ればその人が何をやりたいのかがよく見えないまま、なんとなく近づいてこられるので、時としてイライラしてくるかもしれません。

 

ハッキリ自分のやりたいことを表明してくれればいいのにと思ったり、あるいは要領よくこちらの態度に反応して欲しいのに、なにかハッキリしない行動をとるのがイライラしてしまうのです。

 

本人からすると、何とか相手のペースに合わせようとするのですが、それが余計に相手にとってはわからない行動に映るという悪循環にもなりかねません。

 

そのような相手を一方的に受け入れるやり方は、苦しい中で無理を重ねているわけなので、素直に相手の言うことを聞いていたと思ったら、急に自己主張に切り替わり、人が変わったようにいら立ちを相手にぶつけるような行動に発展します。

 

そのあたりが理解できていないと(普通わかりませんよね)、相手の人は突然の変化に驚いて理解に苦しむことになります。

 

 

「相手に合わせなければ」という気持ちは、誰しも持っているものですが、普通はあまりこじれさせない程度に相手に合わせることで、適度に相手につき合っていくものです。

 

ところが、このようなタイプの人は、「相手に合わせなければ」という気持ちが強すぎて、相手に嫌われることを極端に恐れてしまうのです。

 

これを緩和するには、相手に合わせなければいけないという絶対命令を解かなければなりません。

 

まず誰しも他の人の気に入る対応ばかりが出来るものではないし、それが出来ないからといって相手はそうそう気を悪くするものではないことを、少しずつ実験して体験していくことが必要かと思います。

 

頭で理解したとしても、すぐに今までの反応をしてしまうものですから、少しずつ相手に気をとられずに、自分のペースで動くというのを試していきます。

 

ただ、このタイプの人はいままでずっと相手の希望に添うことを優先してきたために、自分のやり方というのがわからなくなっているものです。

 

どうするかを決めるのは相手だという思いがあるので、自分で考えることを禁止しているのです。

 

出来るだけ自分の今の素直な感情に気がついてもOKであると言い聞かせながら、そのような感情を受け入れることに慣れていく必要があります。

 

 

それから、「相手に合わせなければ」という思い込みを打ち破るために、こんな考え方も知っておくといいでしょう。

 

それは、ほとんどの人は自分のやり方で動きたいと思っていながらも、誰かリードしてくれる人が現れるのを待っているものだということです。

 

自分のこだわりを超えない範囲であれば、誰かに「こんなやり方がありますよ」というのを見せてもらいたい気持ちがあります。

それほど誰しも自分のやり方に自信があるわけではないのです。

 

あなたが何かで独自のやり方をしても、まわりの人はそれを批判しようと見ている人ばかりいるわけでなく、逆に他の人にとって参考になって喜ばれるものである可能性が高いのです。

 

そして、そんなやり方を隠しているよりも、表に出して見せてもらった方が安心してあなたと付き合えると思うものです。

 

あなたが思っているほど、他の人は自分に合わせて欲しいと思っているわけではないのです。

 

相手にとってもあまり無理して合わせてもらっても、かえって窮屈に感じるものです。

 

自分のペースで動くことを取り戻していけば、「気がきかない」とか「融通が利かない」とか「要領が悪い」と思われることも少なくなっていくでしょう。

自分の思うように動かなかったから、ぎこちなくしか動けなかっただけですから。




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◆ 被害者は加害者でもある

◆ あなたの選択を反映するまわりの人間関係

こんなふうに考えたことがあるでしょうか?

 

「あなたのまわりの人の行動は、あなたの選択を反映しているのです。」

 

人間関係において、あなたの行動や感情はあなた自身が選び出しているものです。

 

それは意識しては気がつかないまま行っている場合も多いのですが、しかしそれに責任をもつのはあなたしかいません。

あなたの思考が、あなたのまわりにある人間関係のシナリオを作り出しているのです。

 

問題は、ほとんどの場合、自分でもその思考に全く気がついていないということにあります。

 

その思考過程は、ほとんど自動的で、とても一つ一つをチェックして選択しているようなものではないのです。

 

それは、ちょうど身体で覚えた動作を無意識に行っているのと同じように、気がつかないまま思考を働かしているのです。

 

この考えを受け入れて信じるなら、あなたは自分の思考や行動の全てに責任があるという事実を受け入れなければなりません。

それは、多くの場合、自分の過去の行動や出来事について、自分を責めたり罪悪感を感じることにもなってしまいます。

 

ですが、あなたやまわりの人は、そうした行動を取ることが、その時点でベストのことだと考えて行っていることですから、誰を責めるというものではありません。

 

そこでもたらされた結果は、それに関係した人たちがすべて同意したからもたらされたものです。

誰かひとりでも違う考えを持ったとしたら、結果は異なったものになっていたでしょう。

 

結果に対して、自分の責任で起きたことだからと自分を責めたり、あるいは誰か他の人を責めようとすることは、絶対必要というわけではありませんが、選ぶとすればそれもまた「自分の選択」の一つなのです。

 

あるいは、誰かが間違った選択をしようとしているのに気がついたとしたら、それもある意味であなたの選択が反映されたものだと言えるでしょう。

 

あなた自身にそのような考えがなければ、そもそも見えてこないことだからです。

 

そのような場合には、誰の責任かというよりも、あなたとその人にとって、どちらにもいい方向に向かうような選択をとればいいわけです。

 

ではこのような考え方をすることでどんなメリットがあり、どのように自分の選択する力を行使していけばいいのでしょうか。

 

まず、自分の選択によって人間関係を作り出しているのだという認識を持つことで、自分の行動に責任をもつことが出来ます。

自分にできる範囲の選択は、自分の責任において行うべきであるとはっきり認めることで、あとから結果を他の人や出来事のせいにしなくなります。

 

それは、より主体的な自分で選択する力を生み出します。

やったことに対して、自分が主体的に行ったという満足感、充実感を感じることができます。

 

さらには、いままでほとんど無意識に行なっていた自分の選択を、あらかじめわかるようになってきます。

 

「いま自分がやろうとしていることは、相手に何を期待していたり、あるいは何を避けようとしているのだろう?」

 

「なにか過去の仕返しをしようとしているのだろうか? それはどんなことに対するものだろう?」

 

このような質問を投げかけることで、より自分の選択をはっきりさせ、夢のなかで生きているような曖昧さをなくすことが出来ます。

 

自分の選択を意識することで、それにともなって起きてくる感情や思考が見つかるでしょう。

その時の感情や観念をもう一度見なおしてみることで、よりよい選択肢が見えるようにもなるでしょう。

 

このように、自分の選択に責任をとれば取るほど、自分の人生が流されるままのものではなくなっていきます。

 

より主体的な選択を取れるようになるし、自分のまわりに集まってくる人たちが、なぜいまのようになっているのかがわかってくるので、より自分の望む関係を選んだり切り捨てたりすることもできるようになります。

 

これらの思考を、はっきり意識できようとできまいと、その選択をとってしまう事実に変わりありません。

結果を引き受けるのは、自分です。

ならば、より自分で意識して選びとったほうがいいと思いませんか?

 

また、それと直面することを避けて、わからない振りをするのも人間性というものですが、そうやって見ないふりをして行う選択がよりいいものになることはあまり無いでしょう。

 

それよりも、なぜ自分がそれを見ないようにしたがるのかを突き止めることで、新しい発見とより主体的な自分が見えてきて、最終的にはもっといいものをもたらしてくれるのは明らかです。

 

なんども書いているように、自分で変えられないことは、そのまま受け入れるしかありません。

しかし、自分で選択できることはできるだけ主体的に行うのが、より充実した自分を生きている感覚をもたらしてくれるに違いありません。

 

自分で全部選んでやっていくと思うのも無理があるし、だからといって、選べないことがあるから一切自分で選ばないというのも、また困りものなんですね。

 


 

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