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故常無欲,以觀其妙,常有欲,以觀其徼

故に常に無欲にして、以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を觀(み)、
常に有欲(ゆうよく)にして,以て其(そ)の徼(きょう)を觀る。

老子道徳経 第一章

だから人は常に無欲で純粋であれば、その妙(みょう)である根源の世界を見ることが出来るが、いつも欲望の虜になっていれば、その徼(きょう)の世界、つまり差別や対立に満ちた末端の現象社会ばかり見ることになってしまう。


・・・・・
結局核心にあるのは、次の二点だと言うことになります。
徼(きょう)を観て判断を作り出すのか、妙(みょう)を観る段階に止まって楽しみを壊さないでいるか・・・
自分を喜ばせる原因と、苦痛をもたらす原因は、もとをたどれば同じであることに気がつけば、・・・
これが、世界を変えるのに必要なことだとしたら、どうすればいいのか?
これを考えていきましょう。
答えはすでに出ています。
妙(みょう)を観る段階に止まって楽しみを壊さないでいると言うことです。
それを壊すのは、名前をつけてしまったため、つまり言葉を使うようになったことです。
では「言葉を使わなければいい」というのは簡単ですが、あなたは言葉を覚える以前の存在には戻れない。
あなた自身が、もうすでに言葉の固まりになっている。
都合よく、リセットしますと言うわけにはいかないのです。
あなたはすでに知識をため込んだ。
その知識が生み出すおいしさも知っています。
しかし、その知識が、様々な言葉を使ってあなたを悩ませる。
今度はそれを捨てていくしかない。
最初からなかった状態にするのではなく、言葉の層があなたに張り付いているのを、1枚1枚歯がしていくのです。
ただし、この作業は、継続してやるしかない。
今日やった分が今日効果を発揮するという具合にはいかない。
ですから、それと平行して、今目の前にある問題について、そこにある言葉を調べてみる必要があるのです。
言葉というものを甘く見てはならない。
あなたが使うか、使わないかを簡単に扱えるわけではないのです。
なぜなら、それらはあなたの身体にしみこんでいるのです。
☆~⌒☆
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