生き方008:変わるときには変わるものだ001

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◆変わるときには変わるものだ

子犬をしつけるときに注意することは、誰がボスであるかをしっかり教えることであるそうだ。
子犬を見てカワイイからといって、ついつい甘やかすと、子犬は自分がボスかも知れないと勘違いするから、どちらがボスなのかハッキリさせないといけないのだそうだ。
ところで、子犬はともかく、私たちは自分自身のこころの状態について、ボスになりきれているものだろうか?
自信のあるときには、自分のこころは、自分が思ったとおりに働いていると考える。
しかし、気がつくと感情的に反応して、後悔し落ち込んだ状態で、自分のこころの動きがもたらした結果に気づくことになる。
あるいは、それと気づかないうちに、なんとなく気分が少しずつ憂鬱さを増してくるような、そんな気分になるかも知れない。
もちろん、それぞれの状況を調べて、対策を考えようとしてみるのも悪くはないだろう。
どうにもならないからと、自暴自棄になってしまうよりはいいというものだろう。
しかし、なかなか、自分のボスになりきろうとするのは難しいものである。

どのように表現していようと、それでもなお、自分のこころはいつも暴走してしまうのだ、と言いたくなるかもしれない。

そんなときは「いつか変わるときには、変わるものだ」と考えてみよう。

「変わらなければならない」と思っても、思ったからすぐに変われるわけではない。
「いつまでに変えるのだ」というのは、内容にもよるが、まず不可能だと諦めた方がいい。
今まで生きてきた中で作りあげたものが、変えようと思い立ったからといって、一気に変わるものでもないのだから。
変われる期限まで、自分で指定しようとしないことだ。

「いつか変わるときには、変わるものだ」と考えていれば、気がついたら変わっていたというのは、今までに経験してきているのではないだろうか。
「自分で変えてみせる」と思うのを諦めて、「いつかは変えてみたい」という思いだけにしておけば、余計なストレスを背負い込むこともなくなる。

そして
「いつか変わるときには、変わるものだ」、
「変わらずにはいられないものだ」
とその時を力まずに、静かに待っていよう。

開き直って力むのではなく、なるようにまかせてしまおうと考えてみる。待っていればいいとわかれば、つまらないことに時間を使わなくても済むのだから。

自然(じねん)というは、
自はおのずからという、行者のはからいにあらず。
然というはしからしむという言葉なり。
しからしむというは、行者のはからいにあらず。
~親鸞~

◆ニーバーの祈り

ニーバーの祈り

 

神よ、

 

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

 

 

THE SERENITY PRAYER

 

O God, give us

serenity to accept what cannot be changed,

courage to change what should be changed,

and wisdom to distinguish the one from the other.

 

Reinhold Niebuhr

 

The Serenity Prayer(ニーバーの祈り)

 

 

「変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

 

これが完全に区別できるものなら、ほとんどの問題は解決するのではないだろうか。

 

「変えることのできないもの」を変えようとすることは、2つの意味で問題がある。

 

1つは、出来ないことを延々とチャレンジし続けて、時間も費やしてしまうことである。

しかし、こちらはそれでも、その過程での経験が役にたつので、一概に無駄とは言えないかも知れない。

 

しかし2つめが問題である。

 

かなわないことをチャレンジし続けた結果、疲れ果ててそれを投げ出してしまうことになる。

その結果あなたは、何もかもチャレンジすることがイヤになってしまう可能性があるのだ。

 

逆に言えば、人間はいつまでも結果が出ないことに、チャレンジし続けるようには、出来ていないのだろうと思われる。

 

 

失敗にめげずに、チャレンジし続けて何かを為し遂げるというのは、美談ではあるが、誰でもが、あるいはいつでも、出来るという保証はないのである。

 

失敗にめげないことよりも、失敗を恐れないでスタートすることの方が、重要な場合が多いように思える。

 

そして、最初の祈りの言葉に戻ると、「変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。」ということの重要さをもっと認識したいものだと思う。

 

変えられないことを受け入れるのは、言葉で言うほど簡単ではない。

 

その大きな原因のひとつは、私たちは、「自分が望むこと」と、「自分がやりたいこと」とを、しばしばごっちゃにしてしまうからである。

 

わたしたちは、子どもの頃にまわりから期待されたことや、大人になってからは社会的な望ましさ、といったものを基準に、自分が目指すべきことを決めようとする。

 

しかしそれは、自分がそれに向いていて、自発的にやりたいと思うことであるとは限らない。

 

多くの場合、「自分が望むこと」が「自分がやりたいこと」に重ねられてしまうために、自分に可能なことかどうかは、あまりチェックされないままになってしまう。

 

自分の自発的にやりたいことが、必ずしも自分に向いているかどうかはわからないけれど、外部から取り込んだ理想の目標よりは、ずっとリアリティがあるはずだと思う。

 

そして、自分の理想は頑張ればかなうはずだという、期待から出発する見通しは、「変えることのできないもの」だから希望がない、というようには、なかなか諦めきれないのである。

 

 

それとは逆に、自分が自発的にやりたがっていることというのは、重要視されるとは限らない。

 

そんなことは、誰も注目してくれない。

そんな能力は、社会では役に立たない。

あるいは、

自分の出来ることなど、たいしたことではない。

 

といった、厳しい評価、否定的な評価を受けやすいため、日の目を見ないままになってしまう可能性がある。

 

最後に、自分が自発的にやりたがっていることを発見する方法について、少し書いておきたいと思います。

 

自分がやりたがっていることというのは、さきほどあげたような批判する自分の影響から、内観的に見つけ出すことが難しい場合が多い。

 

それよりも、発見しやすいのは、自分が実際に何をやっているかを、客観的に調べて見ることである。

 

心理学のアプローチの一つで、内観的な見方、意識主義を廃して、行動だけを観測しようとする行動主義のながれは、そういった一面を捉えた主張であった。

 

自分が実際に行っていることを調べるには、振り返ってみるというだけでは難しい。

 

一日の終わりに、自分が今日やったことを振り返るというようなやり方では、すでに主観的にゆがめられている可能性が高いので、客観的な判断が難しい。

 

例えば、タイマーのようなものを利用して、一定の間隔で自分が今何をしていたかをチェックして、メモに書き留めておくというのがいいだろう。

 

これをやってみると、予想していたのと違って、自分がいかに偏ったことに時間を使っていたかが発見されたりする。

 

内観的な、予測とはかなりずれているのが普通である。

 

 

こうして、自分が一番実際に時間を費やしていることを見つけたら、そこから自分が自発的にやりたがっていることを見つけ出せる可能性が高い。

 

その自発性を、自分で積極的の伸ばしてみることを考えるのが、「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。」ということにもつながるのではないだろうか。




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