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報われない

いまのままではダメですか?

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自己の心理009:いまのままではダメですか?001

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◆あなたにもできます/自己変革という罠

「あなたにもできます!」

「好きなこと」をやって成功しましょう!

「誰にでも出来る失敗しようのない成功法」

 

自分を変えたいと思っている人にとっては、非常に魅力的な文句をよく見かけます。

 

「あなたが望んだとおりの成功が手に入ります。なぜなら...」

 

いろいろ装いを変えてこういった成功哲学のようなものが登場します。

 

しかしそれを実行してうまくいきましたという人はあまり見かけないようです。

 

それよりも、途中でやはり元の木阿弥になってしまった、あるいはやる前よりもよけいに落ち込んでしまったという人も多いのではないでしょうか。

 

「やれば出来る」「求めればかなう」というのは、確かにもっともらしく聞こえます。

 

今できていないのは、求め方が足りないから、やり方が間違っているからといわれれば、ちょっとどういう話か聞いてみたくなるのももっともなことです。

 

 

しかし実際にそれを実行してみても、途中で挫折してしまえば、

やっぱりこんなことは、うまくいった人にだけあてはまることなのだろうとか、

そもそもインチキだったんじゃないかと疑い出すことになってしまうのです。

 

それは原理自体には間違いはないのかもしれませんが、誰にでも当てはまるとは言えない理由がそこにはあるのでしょう。

 

まず自分を変えたいと思っている人とは、そしてその方法を探し求めている人とは、どんな状態にあるのか考えて見ましょう。

 

・私は今のままではダメだ。

・いまの状態の自分自身では、自分でも受け入れられない。

・このままの自分では他の人から受け入れたり尊敬してもらえないだろう。

 

このような思い込みが根底に隠れているのではないでしょうか。

 

だから今の自分を変革して、自分でも納得できる何かを達成したり、他の人からも求められるような人間に変わりたいと考えるわけです。

 

そしてここで重要なのは、今のままの自分に対しては自己否定が根底にあるという点です。

 

そんなときに「あなたにも信じればできる」という外部から自分を変えられるかのような魅力的な方法があると聞けば、その通りにやれば今の自分への信頼を変化させなくても何とかなるのではないかと思ってしまいます。

 

その方法に注意を集中させていれば、自己否定からくる痛みを感じなくて済むわけです。

いつか状況が変化することで、その自己否定も自動的に変革されると勘違いするわけです。

 

ところが、肝心なのはあなたの根底にある自己否定を変えることにあります。

 

それが変わらないまま何かのやり方だけをまねてみても、ちょっとした失敗や失望、挫折に出会えば一気に幻想は崩れてしまいます。

 

失敗は、もともと存在する自己否定と結びついて、ダメな自分を非難するパターンを呼び起こします。

 

最初はどこかやり方が間違っているからだと言い訳していますが、やがてどこまで行っても根本的には変わらないようだと思えてくる。

 

結局あきらめて、さらにはやっぱり自分はダメだと自己否定を強化してしまうことになるのです。

 

自分を本当に変えるなら、先程の自分自身への否定を解決しなければなりません。

 

そのためには、外側にある何かの目標達成や、他の人から認められる自分の姿にあこがれてそれを直接求めてもうまくはいかないのです。

 

いくら計画を立てて信じていれば達成できると思っていても、計画の途中には失望は当然発生します。

 

正直に考えるなら、もともと計画が100%その通りに運ぶなどと信じてはいないはずです。

 

計画は、うまくいっても5分5分だと思っているのが無理のない判断でしょう。

 

また、他の人があなたを認めたり、ほめてくれるかどうかというのも相手次第ですから、確率は半分というのが妥当なところです。

 

 

それではどうすればいいでしょう。

 

まずひとつは、自己否定の存在を認め、現在のありのままの自分を受け入れることです。

 

自分が欲しがっているのが、目標に掲げたことそのものなのか、あるいはそれによって周りに受け入れられる自分を望んでいたのか、そんなことを振り返って見ることです。

 

そしてもうひとつは、今持っていないものを獲得しようとしないで、今の自分の生かせる部分を伸ばしていくことに力を注ぐことです。

 

何かを為し遂げたいという衝動があるのなら、その中にあなたが今でも確信を持って出来ると思っているものが何か含まれているはずでしょう。

 

それを繰り返し発展させていくことを考えて見たらどうでしょうか。

 

それは、単独では社会的に誇れるようなものかどうかはわかりません。

それがすぐに具体的な形を持った「成功」に直結するかどうかはわかりません。

 

しかしそれに取り組んでいるとき、あなた自身がやりがいを感じているのなら具体的な価値は後から付いてくると信じて、その能力を伸ばしていくことを考えてみるのです。

 

今すぐに結果が出ないからといって、それを封印してしまう理由にはなりません。

 

なによりも、それを表に出さないことが、いままでのようにあなたの自己不信を強化することにつながっているのです。

 

ちょっとしたことであっても、実行してみることと頭で考えているだけとは雲泥の差があります。

 

実際に動くことで初めて気がつくことが、1000回想像するよりも重要なのです。

 

途中の失望で自己不信を蘇らせないよう些細な経過は無視して、自分がやりがいを感じる体験に力を集中させるのです。

 

それが今の自己不信を弱めていき、ひいては本当の自己への信頼を取り戻していきます。

 

つまり、先に「成功」を求めたり、他の人から尊敬される自分を求めてもダメだとわかったのなら、今度は自分の中に隠れている宝物を磨いて表に出すことに力を集中させてみようというわけです。

 



◆報われない


私はこんなに一生懸命頑張っている。

なのにちっとも報われない。

だから、何かが間違っているのだ!

 

私たちは、たまたま自分が生まれてきた時代の社会に生きています。

残念ながら、自分でそれを選ぶことは出来ません。

 

自分がある程度大人になってから、それを変えていこうと思うことは出来ますが、どんな社会に生まれつくかは運次第というか、自分ではどうにもならないものです。

 

社会はそんなに急激には変わりません。

したがって、今の自分が思う理想と社会が食い違っているとすれば、自分が出来ることは何であるのかを冷静に考えないとなりません。

 

少なくとも、「自分が報われないから社会が悪い。すぐに社会を何とかしろ!」という責任転嫁は、かなわない嘆きでしかないでしょう。

 

ここで出来ることとは、大きく考えれば幾つかに限られてきます。

 

1.社会を自分の思うものに変革していく。

2.自分を社会に合わせるように変革する。

3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。

 

しかし、ここでひとつ忘れてはならないのは、社会と自己は独立して存在したり対立するものではなく、今の自己も社会の影響を受けて作られてきた存在であるということです。

また逆に今の自己が社会に影響を与え変えていくという関係にもあります。

 

自分が今の社会を嫌うとしても、その好き嫌いもまた、今の社会に生きてきたことで生まれてきた感情なのです。

時代が違えば考えもしなかった事なのかもしれません。

 

好きだった人がちょっとしたことで嫌いになったり、またその逆もおなじようにあるように、同じ要因が一気に反転したものに見えて来るということがあるわけです。

 

むしろ好き嫌いがどこかで反転することも、この世界のバランスを取ることに組み込まれた変化なのかもしれません。

少なくとも好き嫌いの心理というのは、それほど絶対的なものではないようです。

 

それがいつまでも変化しないのは、それを維持しようとし続けるからです。

 

「いや嫌いなものは、何があろうと嫌いだ」という心理は、そんな自然の変化を無理やり歪めて、「嫌い」という信念を消してなるものかと怨念に変えているだけかもしれません。

 

さて、話を最初の「報われない」という思いに戻しましょう。

 

「報われない」とは、

A.今の自分は十分評価される存在だし評価されていいことをやってきている。

B.それを評価しないのは社会が悪いからだ。

ということで成り立っています。

 

しかし先に書いたように、社会はあなたの思いによってすぐに変化するものではないのですから、この訴えはかなわない可能性が高いでしょう。

 

そもそもこのAの前提は正しいのでしょうか?

 

正当な評価が下されていることを前提にするなら、社会が評価しないのは、社会にとって有益でないからです。

 

自分では価値があると思っていても、それは今の社会では価値があると見なされていない可能性があります。

 

そう考えてしまうことはなかなか厳しい現実ですが、目をそらしていたのでは、いつまでもかなわない嘆きを続けることになります。

またそれだけではなく、他の可能性を考える余裕がないままいたのでは、いつか自分の存在そのものが価値がないと結論づけてしまうことにもなりかねません。

 

もしそれが事実なら、今の自分のやっていることを脇に置いて、社会の需要に合わせたことをするように自分を変えるか、逆に自分の才能を社会で必要だと認めさせるような働きかけをするしかありません。

 

もっともこれは「報われない」という思いを何とかするにはどうするかということへの返答ですが、それ以外にも、この「報われない」という不満を手放すという選択肢も残されています。

 

それが「3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。」ということです。

 

何も今の社会に合わせるだけが生き方ではないはずです。

 

そもそも、あなたという人間が生きるということと、たまたま生きている社会を比べてどちらが重要であるかを考えてみることです。

 

何もあなたに許されたユニークな一生を、たまたま生まれついた社会のために犠牲にする必要もありません。

 

どこまで社会に係わって生きるのかは、それこそ無数に選択肢があるでしょう。

それを選ぶことは、誰も邪魔しない自分に任されたことです。

 

社会が悪いから自分がうまく生きられないなどという、人まかせなことを言っていないで自分でどうやって自分を生かすかを真剣に考えれば、「報われない」などという言葉でお茶を濁している暇などないと思えてこないでしょうか。

 

社会が何かをしてくれるという期待は、ますます薄らいでくるように感じる昨今です。

 

しかし自分が道を切り開く決心さえすれば、社会に不満を漏らして生きているよりもずっと積極的な生き方ができるし、自分以外を当てにすることによる不安定さを避けることが出来ます。

 

特定のしくみ、特定の人からだけ自分の生きる道があると思い込むとき、同時にそれをなくす事への恐怖を作り出します。

もしその方法が途絶えたらどうしよう、もしその人に嫌われたらどうしよう、そうなればもう終わりだと思い出すことになるからです。

 

今の社会でいかに要領よく生きるかということ以外にも、考えて見ることはいくらでもあるはずです。

自分で選択の幅を狭めなければ、それ以上の優先すべき事がいくらでも見えて来るでしょう。

 

「報われない」という言葉は、自分で切り開く可能性を放棄するものでしかありません。

 

 



◆うまくいかない時はまわりの人を見てみよう


「人生の悩みに押しつぶされそうになったら、

まわりの人たちを観察してみなさい。

そうすれば自分が幸せに思えるだろう」

-アン・ランダース-

 

 

「まわりの人たちを観察してみなさい。」という言葉には、幾つか解釈がありそうです。

 

まずは、単純に比較によって自分の優位を確認するというもの。

 

悩みの原因はほとんどが他者との比較がもたらしていますが、そういった理由の場合、自分の気にしている比較基準について、まわりの人を眺めてみることで対象を広げることが出来ます。

 

自分より不利な人がいることを発見して、まだ自分も捨てたものじゃないと思うことで安心するということもあるでしょう。

 

しかし、当然このやり方では、自分より優位にある人も目に入ってきます。

 

そんなに気にしていなかった人が、比較をしたために自信をなくしたり、自分のペースを乱してしまう可能性だって考えられるわけです。

 

いつまでも自分を優位に立たせられる人を探し続けるわけにもいきませんし、そもそもそんなことをしないといけないものだろうかと思うでしょう。

 

どちらにしても、比較することに頼るのは、根本的な解決をもたらすことはないわけです。

もっと言えば、比較をしないことが、悩みを作り出さない最大の解決にもなるとも考えられます。

 

では、比較するよりもよさそうなのは、まわりの人を見わたして何を見ればいいのでしょうか。

 

それは、自分が悩んでいることについて「この人ならまるで気にしないでいられるようだ」という人を見つけることです。

 

実際自分には想像がつかなくても、その人は「私の悩み」など悩みでも何でもないと思っているようです。

 

悩みによっても様々な考え方が存在するでしょうが、その人の場合のように考え方を変えれば悩みなど存在しなくなるのなら、その考え方を知りたくなりますね。

 

聞いてみれば、自分にも出来そうに思えるものが見つかるかもしれませんから、積極的にその人を研究してみるのがいいでしょう。

 

そして話を聞いて、たとえば「目から鱗でした」というような感想が自分に生まれるようなら、その考えに自分は好感触を抱いている可能性が高いでしょう。

なんとなく自分でも取り入れることが出来るかもしれないと思えるから、良さそうな考えに思えているわけです。

 

しかし一方では、まるで自分には受け入れられないというものも存在することでしょう。

 

最初から「私には到底無理!」と思うもの、あるいは「私はその考え方は嫌い、受け付けない」と思い込んでいるものもあるでしょう。

 

しかし考えて見れば、「到底無理」とか「嫌い」「受け付けない」と感じているからこそ、その人が悩まずにいられる境地に、自分はなれないのだとも言えるわけです。

 

いきなり拒絶して自分を閉ざしてしまわないで、可能性を検討してみる余裕を持てないだろうかと考えて見る。

 

若いときはわかりませんが、ある程度人生の経験を積んでくれば、「自分には到底受け入れられない」と感じてきたことも、年齢と共にそんなに荒唐無稽なことではなかったんだと思えてくることを経験するものです。

 

頑固に自分のこころから閉ざしてしまわなければ、人が考えることは大抵自分にも受け入れる余地があるものです。

 

いまの自分が行き詰まりを感じているなら、なおさら「飛びに妙手あり」という事も考えられます。

 

面白いことに、「これだけは自分は受け入れられない」と思っていることが、そのまま自分を制限して悩みを作りだしている原因であることも多いのです。

 

一度頭をリセットして、「絶対受け入れない」と思ってきたことを、「もし自分がやったとしたらどうなるだろう」と想像してみることです。

 

悩みというのは、単純に考えれば自分にとっての○より×が多いと言うことです。

○と×の基準が変われば、悩み自体も消えてしまうと言えるのです。

 

 




※続きはダウンロードしてお楽しみください。

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報われない・うまくいかないと感じるとき

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報われない・うまくいかないと感じるとき

◆報われない

私はこんなに一生懸命頑張っている。

なのにちっとも報われない。

だから、何かが間違っているのだ!

 

私たちは、たまたま自分が生まれてきた時代の社会に生きています。

残念ながら、自分でそれを選ぶことは出来ません。

 

自分がある程度大人になってから、それを変えていこうと思うことは出来ますが、どんな社会に生まれつくかは運次第というか、自分ではどうにもならないものです。

 

社会はそんなに急激には変わりません。

したがって、今の自分が思う理想と社会が食い違っているとすれば、自分が出来ることは何であるのかを冷静に考えないとなりません。

 

少なくとも、「自分が報われないから社会が悪い。すぐに社会を何とかしろ!」という責任転嫁は、かなわない嘆きでしかないでしょう。

 

ここで出来ることとは、大きく考えれば幾つかに限られてきます。

 

1.社会を自分の思うものに変革していく。

2.自分を社会に合わせるように変革する。

3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。

 

しかし、ここでひとつ忘れてはならないのは、社会と自己は独立して存在したり対立するものではなく、今の自己も社会の影響を受けて作られてきた存在であるということです。

また逆に今の自己が社会に影響を与え変えていくという関係にもあります。

 

自分が今の社会を嫌うとしても、その好き嫌いもまた、今の社会に生きてきたことで生まれてきた感情なのです。

時代が違えば考えもしなかった事なのかもしれません。

 

好きだった人がちょっとしたことで嫌いになったり、またその逆もおなじようにあるように、同じ要因が一気に反転したものに見えて来るということがあるわけです。

 

むしろ好き嫌いがどこかで反転することも、この世界のバランスを取ることに組み込まれた変化なのかもしれません。

少なくとも好き嫌いの心理というのは、それほど絶対的なものではないようです。

 

それがいつまでも変化しないのは、それを維持しようとし続けるからです。

 

「いや嫌いなものは、何があろうと嫌いだ」という心理は、そんな自然の変化を無理やり歪めて、「嫌い」という信念を消してなるものかと怨念に変えているだけかもしれません。

 

さて、話を最初の「報われない」という思いに戻しましょう。

 

「報われない」とは、

A.今の自分は十分評価される存在だし評価されていいことをやってきている。

B.それを評価しないのは社会が悪いからだ。

ということで成り立っています。

 

しかし先に書いたように、社会はあなたの思いによってすぐに変化するものではないのですから、この訴えはかなわない可能性が高いでしょう。

 

そもそもこのAの前提は正しいのでしょうか?

 

正当な評価が下されていることを前提にするなら、社会が評価しないのは、社会にとって有益でないからです。

 

自分では価値があると思っていても、それは今の社会では価値があると見なされていない可能性があります。

 

そう考えてしまうことはなかなか厳しい現実ですが、目をそらしていたのでは、いつまでもかなわない嘆きを続けることになります。

またそれだけではなく、他の可能性を考える余裕がないままいたのでは、いつか自分の存在そのものが価値がないと結論づけてしまうことにもなりかねません。

 

もしそれが事実なら、今の自分のやっていることを脇に置いて、社会の需要に合わせたことをするように自分を変えるか、逆に自分の才能を社会で必要だと認めさせるような働きかけをするしかありません。

 

もっともこれは「報われない」という思いを何とかするにはどうするかということへの返答ですが、それ以外にも、この「報われない」という不満を手放すという選択肢も残されています。

 

それが「3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。」ということです。

 

何も今の社会に合わせるだけが生き方ではないはずです。

 

そもそも、あなたという人間が生きるということと、たまたま生きている社会を比べてどちらが重要であるかを考えてみることです。

 

何もあなたに許されたユニークな一生を、たまたま生まれついた社会のために犠牲にする必要もありません。

 

どこまで社会に係わって生きるのかは、それこそ無数に選択肢があるでしょう。

それを選ぶことは、誰も邪魔しない自分に任されたことです。

 

社会が悪いから自分がうまく生きられないなどという、人まかせなことを言っていないで自分でどうやって自分を生かすかを真剣に考えれば、「報われない」などという言葉でお茶を濁している暇などないと思えてこないでしょうか。

 

社会が何かをしてくれるという期待は、ますます薄らいでくるように感じる昨今です。

 

しかし自分が道を切り開く決心さえすれば、社会に不満を漏らして生きているよりもずっと積極的な生き方ができるし、自分以外を当てにすることによる不安定さを避けることが出来ます。

 

特定のしくみ、特定の人からだけ自分の生きる道があると思い込むとき、同時にそれをなくす事への恐怖を作り出します。

もしその方法が途絶えたらどうしよう、もしその人に嫌われたらどうしよう、そうなればもう終わりだと思い出すことになるからです。

 

今の社会でいかに要領よく生きるかということ以外にも、考えて見ることはいくらでもあるはずです。

自分で選択の幅を狭めなければ、それ以上の優先すべき事がいくらでも見えて来るでしょう。

 

「報われない」という言葉は、自分で切り開く可能性を放棄するものでしかありません。


2691_Cat_Got_Your1024_768


◆あなたにもできます/自己変革という罠

「あなたにもできます!」

「好きなこと」をやって成功しましょう!

「誰にでも出来る失敗しようのない成功法」

 

自分を変えたいと思っている人にとっては、非常に魅力的な文句をよく見かけます。

 

「あなたが望んだとおりの成功が手に入ります。なぜなら...」

 

いろいろ装いを変えてこういった成功哲学のようなものが登場します。

 

しかしそれを実行してうまくいきましたという人はあまり見かけないようです。

 

それよりも、途中でやはり元の木阿弥になってしまった、あるいはやる前よりもよけいに落ち込んでしまったという人も多いのではないでしょうか。

 

「やれば出来る」「求めればかなう」というのは、確かにもっともらしく聞こえます。

 

今できていないのは、求め方が足りないから、やり方が間違っているからといわれれば、ちょっとどういう話か聞いてみたくなるのももっともなことです。

 

 

しかし実際にそれを実行してみても、途中で挫折してしまえば、

やっぱりこんなことは、うまくいった人にだけあてはまることなのだろうとか、

そもそもインチキだったんじゃないかと疑い出すことになってしまうのです。

 

それは原理自体には間違いはないのかもしれませんが、誰にでも当てはまるとは言えない理由がそこにはあるのでしょう。

 

まず自分を変えたいと思っている人とは、そしてその方法を探し求めている人とは、どんな状態にあるのか考えて見ましょう。

 

・私は今のままではダメだ。

・いまの状態の自分自身では、自分でも受け入れられない。

・このままの自分では他の人から受け入れたり尊敬してもらえないだろう。

 

このような思い込みが根底に隠れているのではないでしょうか。

 

だから今の自分を変革して、自分でも納得できる何かを達成したり、他の人からも求められるような人間に変わりたいと考えるわけです。

 

そしてここで重要なのは、今のままの自分に対しては自己否定が根底にあるという点です。

 

そんなときに「あなたにも信じればできる」という外部から自分を変えられるかのような魅力的な方法があると聞けば、その通りにやれば今の自分への信頼を変化させなくても何とかなるのではないかと思ってしまいます。

 

その方法に注意を集中させていれば、自己否定からくる痛みを感じなくて済むわけです。

いつか状況が変化することで、その自己否定も自動的に変革されると勘違いするわけです。

 

ところが、肝心なのはあなたの根底にある自己否定を変えることにあります。

 

それが変わらないまま何かのやり方だけをまねてみても、ちょっとした失敗や失望、挫折に出会えば一気に幻想は崩れてしまいます。

 

失敗は、もともと存在する自己否定と結びついて、ダメな自分を非難するパターンを呼び起こします。

 

最初はどこかやり方が間違っているからだと言い訳していますが、やがてどこまで行っても根本的には変わらないようだと思えてくる。

 

結局あきらめて、さらにはやっぱり自分はダメだと自己否定を強化してしまうことになるのです。

 

自分を本当に変えるなら、先程の自分自身への否定を解決しなければなりません。

 

そのためには、外側にある何かの目標達成や、他の人から認められる自分の姿にあこがれてそれを直接求めてもうまくはいかないのです。

 

いくら計画を立てて信じていれば達成できると思っていても、計画の途中には失望は当然発生します。

 

正直に考えるなら、もともと計画が100%その通りに運ぶなどと信じてはいないはずです。

 

計画は、うまくいっても5分5分だと思っているのが無理のない判断でしょう。

 

また、他の人があなたを認めたり、ほめてくれるかどうかというのも相手次第ですから、確率は半分というのが妥当なところです。

 

 

それではどうすればいいでしょう。

 

まずひとつは、自己否定の存在を認め、現在のありのままの自分を受け入れることです。

 

自分が欲しがっているのが、目標に掲げたことそのものなのか、あるいはそれによって周りに受け入れられる自分を望んでいたのか、そんなことを振り返って見ることです。

 

そしてもうひとつは、今持っていないものを獲得しようとしないで、今の自分の生かせる部分を伸ばしていくことに力を注ぐことです。

 

何かを為し遂げたいという衝動があるのなら、その中にあなたが今でも確信を持って出来ると思っているものが何か含まれているはずでしょう。

 

それを繰り返し発展させていくことを考えて見たらどうでしょうか。

 

それは、単独では社会的に誇れるようなものかどうかはわかりません。

それがすぐに具体的な形を持った「成功」に直結するかどうかはわかりません。

 

しかしそれに取り組んでいるとき、あなた自身がやりがいを感じているのなら具体的な価値は後から付いてくると信じて、その能力を伸ばしていくことを考えてみるのです。

 

今すぐに結果が出ないからといって、それを封印してしまう理由にはなりません。

 

なによりも、それを表に出さないことが、いままでのようにあなたの自己不信を強化することにつながっているのです。

 

ちょっとしたことであっても、実行してみることと頭で考えているだけとは雲泥の差があります。

 

実際に動くことで初めて気がつくことが、1000回想像するよりも重要なのです。

 

途中の失望で自己不信を蘇らせないよう些細な経過は無視して、自分がやりがいを感じる体験に力を集中させるのです。

 

それが今の自己不信を弱めていき、ひいては本当の自己への信頼を取り戻していきます。

 

つまり、先に「成功」を求めたり、他の人から尊敬される自分を求めてもダメだとわかったのなら、今度は自分の中に隠れている宝物を磨いて表に出すことに力を集中させてみようというわけです。

 



◆うまくいかない時はまわりの人を見てみよう

「人生の悩みに押しつぶされそうになったら、
    まわりの人たちを観察してみなさい。
    そうすれば自分が幸せに思えるだろう」

    -アン・ランダース-
 
「まわりの人たちを観察してみなさい。」という言葉には、幾つか解釈がありそうです。
まずは、単純に比較によって自分の優位を確認するというもの。
悩みの原因はほとんどが他者との比較がもたらしていますが、そういった理由の場合、自分の気にしている比較基準について、まわりの人を眺めてみることで対象を広げることが出来ます。
自分より不利な人がいることを発見して、まだ自分も捨てたものじゃないと思うことで安心するということもあるでしょう。
しかし、当然このやり方では、自分より優位にある人も目に入ってきます。
そんなに気にしていなかった人が、比較をしたために自信をなくしたり、自分のペースを乱してしまう可能性だって考えられるわけです。


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