心理療法002:向き合うのはいつも自分001


ゲシュタルトの祈り


◆苦痛から抜け出すために/向き合うこと


苦痛に出会ったとき、私たちがとるやり方はいくつかあります。

 

1.苦痛から目をそらすものを探し求める。

2.苦痛の責任が他の誰かにあると決めつけて、それを攻撃することで苦痛を忘れようとする。

3.苦痛などないかのように振る舞う。

そしてもう一つは、

4.苦痛そのものに向き合ってそれを体感する。

 

最初の3つのやり方では、苦痛そのものがなくなることはないのですが、私たちはそれでも4つ目の方法は出来るだけ避けて一時的な回避策を試みてしまいます。

 

しかし苦痛をごまかすやり方に上手になってはいけません。

それは将来のやっかいごとの元凶を育てているようなものです。

 

ところで、起きてきた出来事が直接苦痛を含んでいるとは限りません。

 

起きた出来事によって、あなたが見たくないと思ってしまい込んでいたものが暴露され、あなたの苦痛や対象への憎悪を引き出すかもしれないのです。

 

それと苦痛を持続させているのは、実は現実ではなく1から3のような条件付けられた思考によるものです。

 

ですが、私たちはこのような解決をもたらさない思考をやめることを恐れています。

もっともな理由があると言い聞かせて、それを続けようとするのです。

 

つまり人は間違ったことをやめないのは、やめることを恐れているからです。

それしか逃れる方法がないと思い込み、やめると怖ろしいことが起きると思ってしがみついているのです。

 

苦痛に満ちた事態が発生すると(あるいは予感すると)、すかさず条件付けされた思考パターンを働かせ始めます。

そのやりかたで状況を追いかけ続けていないと、すべてが崩壊してしまうかのように誤解するのです。

 

 

しかし苦痛を抜け出すには、これとまったく逆のやりかたが必要です。

 

条件付けられた思考をストップさせれば、本当の解決が見えてきます。

 

苦痛に向き合って直接体験するとき、その場で即座に解決することはできないかも知れないし、苦痛を回避することはできません。

 それに比べて、回避策を使っていれば、その場は苦痛を感じなくて済むのですから、ついそちらを選んでしまいます。

 

そして苦痛を避け続けていれば、そのうち何が起こってそれが解決するのかのように思ってごまかそうとする。

 あるいは、答えがすぐに見つからない状態は耐えられないからと、無意識にすぐに回避策に逃げ込む。

 

ついやってしまいがちなこういった逃げの姿勢は、残念ながら根本的な問題が残ったままになるので、いつまでも問題をぶり返して悩む原因となります。

 

不安感や答えが見つからないことによるいら立ちは、確かに誰でも辛いものですが、本当の解決が欲しいのなら、また将来に問題を持ち越したくないのなら、そこで解決してしまうのが一番いいはずなのです。

 

痛みから自由になるには、痛みを感じ尽くさなければなりません。

 

身体の場合でも、熱があるからといってすぐに解熱剤を使うと、本来の身体の治癒しようとする力を阻害してしまうことがあります。

その結果状態を長引かせてかえって悪い結果になってしまうのです。

 

同じように心の痛みの場合も、「それを通らずに済ませるわけにはいかない」と諦めて、抵抗せずに受け入れることが根本的な解決をもたらすのです。

 

上記の回避策のように、怒りや憎悪を作り出して本質を覆い隠したり、現実を無視するやり方をとらないでいれば、その痛みはやがて苦痛の原因を完全に取り除く方法に導いてくれます。

 

 

まずは、あなたの問題を充分に意識して見てみましょう。

 

すぐに目を背けたくなるのを防ぐために、当事者として見ることを少しやめて、客観的に問題を問いてみようという第3者的な好奇心の目で問題を扱ってみましょう。

 

あなたが他の誰かの相談にのっているつもりで、その問題に接してみるのです。

 

それがいかにあなたを苦しめているか、感じたくないことを感じさせるかを目をそらさずに見てみるのです。

 

これは、いつもはあなたが見ないようにしてきたことです。

それを「あえて見てみることでどんな反応があなたに現れるのか」に注意して見守りましょう。

 

充分に苦痛そのものを見つめたら、今度はそれに「反抗」してみましょう。

 

反抗といっても苦痛をもたらす原因や人に対しての反抗ではなく、その苦痛の現れてくるあなたの内部に対して反抗してみるのです。

 

いままでは、存在を充分に認めなかった苦悩に対して、「もうこんな苦しいことは充分だ。充分我慢してきたからこれ以上我慢しない。これで終わりにする。」と宣言してみます。

 

これまでは反抗どころか、最初から手をつけかねてきた苦悩に対して、自分が決別することを選択すると本気になって宣言してみることです。

 

見るのがいやなほど、どうしようもないと思って諦めていたことも、正面から取り組む気になれば他の選択も出来るものだということが徐々に見えてきます。

 

他の人の問題ならアドバイスできたように、あなた自身の問題にも、可能性を除外し続けてきた選択肢が存在することが見えてくるでしょう。

 

今までそれが出来なかったのは、最初からそれを除外して考えてしまう、条件付けされた思考が放置されていたからです。

 

正面から取り組めばどんな苦痛にも解決はあるものです。

 

習慣的に苦痛のストック場所へ放り込んできたことに、今度からは本気で向き合ってみることです。

 

「苦痛のストック場所」が空っぽにならないと、今にとどまることができないため、いつも慢性的になにかが気がかりになってしまうのです。

 

その時はエネルギーが必要ですが、未処理の作業がたまってじわじわあなたを苦しめるのよりは、トータルで見ればずっと楽であることを発見するでしょう。

 

「小さいうちに対処すれば、大きな問題に遭遇しないまま、やがて大きなことも成し遂げられるのだ」

   老子





◆ゲシュタルトの祈り+アルファ


ゲシュタルトの祈り

 

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

 

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

 

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

 

私は私。あなたはあなた。

 

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

 

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 

 

この姿勢をベースにして、もう少し具体的なことを少し書いてみたいと思います。

 

・「あなたはこう感じるべきだ」と誰かに言われても断固拒否しよう。

自分の感性を見くびらないようにしよう。

 

・相手が何をしたかをいつまでも気にしない。代わりにその動機を考えて見る。

それは自分を振り返るのにも大いに役に立つ。

 

・自分らしく振る舞ったり、自分の大事にしている考えを正直に話せないような人との関係は、どんな理由があっても深入りしないこと。

妥協してしまえば、地獄に生きることになると覚悟すべし。

 

・相手が悪かったとしても、必要以上に傷つけるやり方は極力避ける。

相手を傷つけたその刀で、自分も傷つくことを決して忘れないこと。

 

・相手を怖がっているとき、「それは自分が相手からもらいたいものがあるから」という考えを検討してみる。

要求を通したいために言いなりになるようなら、他のルートを考えて見る。

自分の「エゴ」は大事ではないが「尊厳」は失わないようにしよう。

 

・悪口を言われても、かっとなって自分を守り始めるのを我慢してみよう。

相手を罵っても嫌な感じを後々まで引きずるだけだが、我慢したなら自分を成長させることができる。

 

・相手の方が自分のことを理解できている人だと思ったら、素直に見習ってみよう。

自分がそれを身につければ、自分の周りの人にも伝える事が出来る。その結果、あなたの周りに過ごしやすい環境を築くことが出来る。

 

・苦痛や失望を避けて動けなくなるのを避けよう。

半分以上失望するとわかっていても、避けられないことは先延ばしにしないこと。先延ばしにした思いは、自分の他の思いにも影響を与え続けるので、どんどん歪んだ感情を蓄積することになる。

拒絶からも「いずれは必要になるはずだった経験」をもらえると考えて、その場で思い切ってみる。

 

・その他大勢でしかないからといって、奇抜なことで自分を売り込まないこと。

それはありのままの自分では価値がないといっているようなものだから。

 

・不愉快な相手、不愉快な感情も、克服する機会が与えられたと思って歓迎する。

実際に克服する経験を積むにつれて、強がりではなく、それが本当に歓迎できるものに見えて来る。

 

・まわりにろくな人がいないように思えたら、自分の中にもろくな美徳がないからかもしれない。

まずは自分が見本を示してみるくらいに考えると、いつのまにか周りも変わってくる。

 

・周りに歓迎されたいと思って策を弄さないこと。

どうせ最初しか効果はないし、ありのままの自分でないのは、すぐにばれてしまう。

その結果「自分を作っている人」という目で扱われることになる。自分が望むのはありのままを受け入れられることのはず。

 

・あなたが思っている以上に、あなたが自分らしく、そのままであることを望んでいる人が、必ずいることを信じよう。

信じられないのは、自分の価値を値引きしているからに他ならない。

 


◆原因探求もいいけれど・・・


心理学の本などを読んで、あっ、これは自分に当てはまるとか、そういうことだったのかと思ってしまう場合も多いでしょう。

 

これが原因だったのかと、トラウマだとかAC(アダルトチルドレン)といった言葉で妙に納得してしまう。

 

しかし親子関係で何も問題なく完璧に育てられたなどという人はいないわけで、何かしら納得できていないわだかまりは誰もが抱えているものです。

 

原因を追及してみることはそれなりに意義のあることですが、何かしらの説明がつくとそれで安心してしまって、事が解決したような気になってしまう場合も多いものです。

 

さらにまずいのは、「自分はACだからこんな状態でも仕方ないだろ!」というように開き直って変化を拒絶してしまうことです。

 

そもそも原因を知りたいと思ったのは、自分の現状に不満で変化したいという思いがあったはずです。

 

説明がついてスッキリしたと思っていると、実は自分は何も変わっていないわけですから、不満はまた再現されることに気がつくことになります。

 

必要なのは、原因を知ることではなくて「それじゃあ自分はどうしたいの?」ということである筈です。

 

自分を変えることは、どんな動機にしろ何かしらの痛みを伴うもの、その痛みは自分が感じるしかありません。

 

それは外注化することは出来ないのです。

プロにまかせても、説明を聞いて納得しても、自分を自分で変えない限り変化は起こりません。

 

もちろん理由もなく自分を変える必要などないし、変わればいいというものでもありません。

 

今は自分を変えてまで対処する切迫感がないのかもしれません。

しかし、いつかこれ以上我慢しないと思ったら、躊躇しないで本心から納得のいく行動を起こせばいいでしょう。

 

重要な意味がありそうに思わなくても、ちょっとしたことがいまの自分のバランスを取るのに重要な役割を果たしていることもあります。

 

ですから誰かに言われたからといって、ちょこちょこ自分を変えた振りをすることには意味はないし、弊害があるかもしれません。

 

変わるかどうかよりも重要なのは、いまのままの自分を素直に受け入れられかどうかということです。

いざとなっても、いまの自分を信じてみると言いきれるように、普段から自分の中に葛藤を抱えないでいることです。

 

「自分を変えなさい」と人から言われても、必要なければ自分は結構ですと言いきれる自己への信頼を持ちましょう。

逆に痛いところを突かれたと感じる様なら、反射的に拒絶してしまわないで、素直に自分を振り返ってみることを許せる自分を持ちましょう。

 

肝心なことは、「いまの自分がいつもベストだ」と言い切れるように、主体的な選択をすることです。

後悔や叶わない未来で代理の自分を生きることではなく。

 

 



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