★信念とうまくつきあう
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信念という言葉に対してどのような感じを持っておられるでしょうか。
信念が一貫している人は、どういう人なのかはっきりしていて、なにか信頼できるというイメージがあります。
特に仕事などで付き合う場合には、重要な要素かもしれませんね。
しかしこの信念というもの、結構誤解していたり、弊害をもたらしていることに気づいていない場合もあるのではないでしょうか。
信念といっても、実は自分で常に意識している、言い換えれば言葉で表現してスローガンにしているものがある一方で、自分では意識していないけれど一貫して自分を動かしている姿勢とでも言うようなものと2つ考えられます。
私たちが信念という場合、前者のことを指している場合が多いのですが、実は後者も本人が気づいていないだけで、他の人から見ればあなたという人間を印象づける上で大きな働きをしています。
一貫した姿勢というのは、もちろん良い面も多くあるのですが、変化を拒んで融通が利かなくなるという悪い面も持ち合わせています。
とくに自分がスローガンとして発表してしまったことは、引くに引かれず状況が変化しても、言ったことは絶対守るとばかりしがみついて、自らがんじがらめになってしまうことがあります。
また、「私はこう信じています」という表現だけが信念ではありません。
「私ってこういう人間だから」「これを譲ったら私でなくなるから」というような表現も同じように自分に対する信念であると言えるでしょう。
信念とか、さらに一般的に言えば何かを規定する言葉というのは、一貫して物事を為し遂げるときには強力な武器となりますが、その必要がなくなってもいつまでもそれを抱え込んでしまう傾向があります。
一度方針を決めてそれが効を奏したら、これは役に立つと思って、何にでもそれを適用したくなってしまうのですが、あくまでそれが役立ったのは、その時の対象、その時の状況を抜きにしては語れないはずです。
役割を終えたら、信念も手放し、そこに捨てていかないといけない。
河を渡ったら、舟は置いていくのです。
今の季節、暑いからと冷房を入れると、冷えすぎて寒くなってしまうということもありますね。
強力な道具は、そこまで必要のないときには微調整が効かなくて、もてあましてしまうという面を持っています。
近距離の敵に重戦車で立ち向かうような愚は避けなければなりません。
信念や言葉による制限のもたらす悪影響としては、なかなか気づけないだけにやっかいなのが、その排他性という性質です。
自分はこういう人間だと決めてしまうことで、そこから外れた自分など存在しないかのように扱ってしまう。
前面に打ち出された信念だけを追っかけていると、背景に沈み込んでしまった自分を無視したり、否認したりすることにつながります。
置き去りにされた自分は、消えてしまうのであれば、まだいいのかもしれませんが、それがなくなることはありません。
なくならないと言うよりは、そこにあるものに、一部分だけ名前をつけてそれだけが存在すると主張しているだけなのです。
そこにあるものは、すべて生かしてこそ、満足感も得られるというものです。
特に仕事やビジネスでは「信念を貫く」ことが重要で価値があると見なされる傾向がありますが、そこで見落とされてしまった要因は時として問題を大きくしてしまいます。
こんなに一貫して頑張っているのに、なぜうまくいかないんだろと嘆くとき、皮肉にも、一貫しようとする姿勢こそが状況を悪化させていると言うこともあるのです。
スローガンなど捨てて、そんなものは問題外だと排除していたことを素直に試して見れば、それだけですんなり解決するかもしれないのです。
意地を張ってすねている子どものように、かたくなにならずに、やっぱり間違っていたと素直に認めてボツにしていた考えを採用してみましょう。
言葉というのは、物事の一面のエッセンスを取り出して凍らせ変化できなくしたものです。
言ってみれば生きて呼吸してはいないもの。
しかし、私たち自身も、まわりの状況も常に変化していることを忘れるわけにはいきません。
縦割り行政がいかにひどい弊害をもたらすかを、まざまざと見せつけられながら、解体もうまくできない。
そんな巨大なシステムに取り込まれてしまわないためにも、一貫性というのはあくまでその時点の正しさでしかないことを認識して、変化を受け入れ融通の効くシステムにしなければなりません。
巨大な信念の塊も、ほんの小さな「私はこう思う」という小さな積み重ねから出来上がっています。
それは、いまここでの正しさに過ぎないことを忘れないこと。
意識していない、いろんな自分がいまの自分の世界を作り上げ、現にそれを見ているのだとことを思い起こしてみることです。
言葉で表現した信念など、自分の全体から見ればほんの一部に過ぎない、それだけを相手にしていてはうまくいかないのも当然のことなのです。
緩さを持たない固定してしまった言葉に頼らずに、意識しないで背後で淡々と生きている自分の存在を信じて任せて見る。
そうすれば、いま目の前で起こっていることを、そのまま見る余裕も生まれてくるでしょう。
信念を背負っていれば、色眼鏡でしか見えない。
あるいは、見えているならまだましで、即座にフィルターを掛けてしまう思考は、これは見てはいけないと、目を向けることすらしなくなるのです。
信念がうまく働く為には、それなりの変化しない条件が一定期間保たれているという前提が必要なのです。
終始変化をし続ける対象を相手にするときには、「信念を貫く」などというのは、ろくな結果をもたらさない。
閉塞感を感じる状況では、なおさら信念など捨てて、緩い見方、柔軟な行動修正ができることが要求されるのです。
信念でごり押しするのは、行動的で強力には見えても、方向が間違っていれば事態をどんどん悪化させるだけだと忘れないことです。
★動きながら安定する
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だるまさん
だるまさんは、転ばない。
だるまさんは、右から押されたら左に傾き、左なら右に傾く。
しかし倒れてしまうことはありません。
右に、左に、揺れ動きながらも、落ち着けばまっすぐに立っている。
ところが、動かないで倒れまいとすると、いつも反対の力で抵抗しなければなりません。
右から押されたら、左方向に押し返し、左なら右に押し返す。
毎回毎回、力を入れっぱなしになってしまう。
動かないで安定しようとするから、このような無駄なエネルギーが必要になるわけです。
だるまさんは、抵抗しないから、他からの力がなくなれば、唯一の力である重力でまん中で落ち着くことが出来るのです。
まっすぐでいたいのなら、力で抵抗しなければそれだけでいいわけです。
「わたしは、絶対に~しません。」と宣言するから、ずっと力んでいなければならなくなる。
「わたしは、Aであることもあるし、Bになることもある。でもいつもZに戻ります」と考えればいいわけですね。
Zはだるまさんで言えば重力、力を入れないときに帰って行くところです。
揺れ動きながらも、トータルでは安定する。
自然の分布は、まん中の平均値が一番多くなる正規分布に落ち着きます。
自然に逆らわなければ、力を入れなければ、抵抗しなければ、放っておいてもトータルで安定する。
だから、ただ手放すだけでいいのです。
いつもいつも掴まるところを探しているから、
いつまでもいつまでも、手放すのが怖いのです。
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生き方022:こだわりをすてよう!大局を見よう!001
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