生き方015:常識を疑ってみよう001

「常識を疑ってみる」には、まず考える人が常識の枠をはずす大胆さが必要とされるでしょう。

せっかく飛躍した発想が生まれても、そこから先の考え方を従来の枠組みに頼っていては、導かれるものは今までと変わらないものになってしまいがちです。

枠にはめてしまう力が働くのは、その対象を自分の既知の世界で説明できるものにしたいからです。

言い換えれば、手がかりのない道に迷い込むのが怖いから。
安全神話を信じたいから。

ですが、私たちは自分では気づかずに安全でないことやっているものです。

ところが、大胆さを発揮したことで、生き延びてきたことを無視してでも、自分の行動をすべて説明づけたいと思ってしまうと、せっかくの生きる活力が失われてしまいます。

どうなってしまうのかわからない不安な状態も、それを経験しなければ、殻を破るきっかけが掴めないこともあるものです。

居心地の悪い世界に止まるとき、新しい世界が開けることもあるもの。
いつもいつも安全だけでは生きられない。

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◆偏っている処に生きている意味もある

人はみな
多かれ少なかれ
偏って生きている
偏っている処に
生きている
意味もある
 
More or less people are living in a biased manner,
this gives meaning to their lives.
 
・・・・ 
羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05
 
 
これを書いた了寛さんが、どう思ってこの文章を書かれたのかはわかりませんが、
この言葉を眺めながら考えて見ました。
 
「偏っている処に生きている意味もある」
 
あなたも隣にいる人も、何の偏りもなくて、世の中はすべて同じ人の集まりだったとしたらどうでしょうか。
あなたが感じたことは、隣の人も全く同じに感じています。
いったいそこでは、何を話せばいいのでしょう。
あなたの感動したことは、伝えなくても、隣にいる人も同じように感じていると、すでにお互いがわかっているのですから。
悪人ばかりの劇は成り立たないでしょうし、スーパーマンばかりが住んでいる国は何も面白くなさそうです。
犯罪者だけとか、刑事だけではドラマは成り立たないし、そもそもドラマでも何でもなくなります。
 
「人間関係をつくりだす為に、神は人にエゴを与えたのだ」と言う人がいます。
 
なぜそうなのかはわからないまでも、なるほどそういわれると、そうなっているのかもしれません。
あなたをいらだたせるあの人、「あんな人いなくなればいいんだ」と思っては見ますが、本当にいなくなってしまえば、それがあらゆる面での見方からでは無かったことに気づくでしょう。
逆に、あなたをいらだたせることもない代わりに、なんの喜びも刺激も感動も与えてくれない人たちばかり。
まわりにいるのが、そんな人ばかりになってしまったら、あなたはそちらの方が良かったと言えるでしょうか?
そして、あなた自身の偏り、それこそが「あなたが、あなたであることの証し」になっているわけです。
 
あなたの偏りが、まわりの人に影響を与え、それがあなたという存在を世の中に知らしめています。
それは、一時的に見れば、あるいは特定の人から見れば、ネガティブな影響であったり、ポジティブな影響であったりします。
 
 

◆何事も心のひとすぢにとどまりたるを病とするなり

何事も心のひとすぢにとどまりたるを病とするなり。
 
このさまざまの病、皆心にあるなれば、これらの病を去って心をととのうることなり。
 
柳生新陰流「兵法家伝書」
 
一つの目標に向かってエネルギーを集中させることが素晴らしいことだという考えは、広く受け入れられているように思います。
スポ根のアニメのように、一直線にひたむきに努力して、他の事を切り捨てて打ち込む姿は貴いとされます。
しかし、それと同じ原理で、上記の言葉のように「さまざまの病」を生じさせるという面があることも、忘れてはならないのです。
 
昔から目標を紙に書き出して、それを毎日眺めていれば、最短距離で目標を達成できるという考え方があります。
しかし、これはどれほど根拠があることなのでしょうか。
1.目標をはっきりさせることで、目標を達成できる。
2.目標をはっきりさせることで、目標に近づくことができる。
このように効果を2つにわけて考えて見ます。
2の方は、それほど抵抗なく受け入れられそうな考え方です。
なにしろ、自分の行き先をはっきりさせて、そちらに向かって歩こうというのですから、行き当たりばったりに進むよりも、より速く目的地に近づくことが出来るでしょう。
しかし、1の方はとなると、事情が違ってきます。
目標に近づくことは出来ても、それに到達するかどうかまで断言することは難しいのです。
その目標が、その人にとって可能なことかどうかは、なかなか簡単には見極めることは出来ません。
ましてや、自分だけですべての状況をコントロール出来ることばかりではないのです。
自分では最善を尽くしても、どうしても行き着けない抵抗が存在する可能性があるわけです。
達成できるかどうかまで予言することは、「願えば叶う」と信じる以上の保証をもたらすものではないでしょう。

また、その目標がはたして自分が本当に望むものであったかどうか、を抜きにして語ることも問題です。
目標を立てるだけなら、その目標についてすべてを知らなくても出来ることです。
そして自分が本当にそれを望んでいるかどうかも、同様です。
なにかをやろうとするとき、100%の自分がそれに賛成するなどということは、まずないでしょう。
多いか少ないかは別として、自分の中でそれに抵抗する自分も存在するものです。
そして、目標の華やかさにとらわれて、抵抗勢力を見くびっていると、思わぬしっぺ返しに合う可能性があるのです。
 
「何事も心のひとすぢにとどまりたるを病とするなり」
 
元気よく目標に向かって頑張っている自分だけが自分だと思っていると、それが心の病を引き起こす原因になることもあるのです。


◆問題があるとき答えも同時に存在している

「問題があるとき答えも同時に存在している」

という考え方を聞かれたことがあるでしょうか。
つまり答えは問題とセットでやってくるので、答えを見つけるのに時間を費やす必要はないというのです。
 
これは、私たちが普通考えるのとはずいぶん違った発想ですね。
私たちが普通に思い浮かべるのは、どこかから(外から)問題が突然起きてきて、それに対する答えを見つけだし、解決しなければならないというものです。
では、なぜ問題と答えは一緒に発生してくるというのでしょうか?
それは、答えが存在するから問題も存在するのだということなのです。
答えを受け入れるためには、問題を解かなければならないと言い換えてもいいでしょう。
 
最初に答えが存在します。
それは、私たちが欲しいと思うこと、願望から来るものなのでしょう。
しかし、それを手に入れたり、受け入れたりするためには、多かれ少なかれ抵抗があるのです。
その抵抗が問題という形で現れてくるのです。
抵抗がなければ、そのまますぐに答えを受け入れることが出来ます。
しかし、抵抗が今の自分にとって簡単に受け入れられないものであるとき、それを外的な問題が存在するためだと考えるのです。
ですから、実は抵抗は内面的なものなのです。
 
私たちは、問題を分析するというやり方で問題に取り組んでいるつもりになっていますが、それは解答をすぐに受け入れることへの抵抗なのです。
答えを受け入れる勇気さえあれば、すぐにでも答えは目の前に明らかになります。
それは直感やひらめきという形で現れるかもしれません。
しかし、答えを受け入れる準備が自分にできていないとき、私たちはそこに問題が存在してすぐには手に入らないと思ってしまうのです。
問題を解決しなければいけないと思っている時、自分がどのような事を思い浮かべるかを、ゆっくり確認してみましょう。
それらは、ひとつひとつが答えに対する抵抗を表していないでしょうか。
自分が抵抗しているのです、答えをすんなり受け入れることに対して。
ひととおり抵抗が出尽くしたら、今度は「本当の答え」を知り、受け入れたいと思ってみましょう。
 
問題とは、どれもあなた個人にとってユニークなものなのです。
あなたと関係なく、どこかから湧いて出てくるわけではないのです。
あなたの願望があるから、それに対する抵抗が問題というかたちで姿を現してくるのです。
それに取り組んで、抵抗する自分を受け入れる過程こそが、あなたの可能性を広げてくれるのです。
このように考えると、どこか知らないところから問題が振って湧いてくると考えるよりも、主体的に問題に取り組むことが出来ます。
 
そして、答えは、実は最初から自分の中にあるのです。
それを受け入れる自分の準備が整ったとき、答えがひらめきとして現れてきます。
 

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