生き方016:人は自分自身になりさえすればいいのだ001

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★遠回り・寄り道

人は自分自身になりさえすればいいのだ。
これが、わしの基本的なメッセイジだよ。
自分をあるがままに認めた瞬間、
すべての重荷、山のように見えた重荷が、
うそのように消えてしまうのだ。
すると人生が喜びそのものになり、
光のお祭りになるのだよ。
--------- バグワン・シュリ・ラジニシ
 
「自分自身になるだけでいい」
この言葉ほど、誰もが見かけながら、実行せずに通り過ぎる言葉も少ないのではないでしょうか。
ほとんどの人は、自分自身のことはわかっていると思っているからでしょうか。
たえず関心は誰か他の人になること向けられ、あこがれの存在ようになりたいと追い求めるのに夢中になっています。
それでなければ、いまの尋常でないがむしゃらな走り方は説明がつかないのです。
走り出せば、目に入るのは併走する人たちばかり、走っている人たち同士で刺激を受け合っているので、誰も立ち止まることなど思いつかないというわけです。
自分自身になったところで、何も変わらないと思っています。
そんなことよりも、誰かさんにならないと、だれも振り返ってくれないと思うのです。
そこには、自分が持っているものなど大したものはないという確信があります。
その度合いは、自分への信頼のなさに比例します。
「もっと、もっと、スゴイ人にならなければ!」


自分をあるがままに認めた瞬間、
すべての重荷、山のように見えた重荷が、
うそのように消えてしまうのだ。
 
この重荷とは、いまは?であるという思いが、仮想の重荷を作り出しているです。
いまここには、重荷などないことに薄々気づいていながら、いまはその時ではないというプログラムがすべてを台無しにします。
「将来は?だが、いまが◎なのだ。」と言い切れるとき、初めて、いまを生き始めることが出来ます。
じつは、将来は誰にとっても?であることをなぜか忘れてしまいます。
将来をすべて見越して生きることなど不可能であることを認めさえすれば、そんな出来ないことに時間を使うことはないのだと気がつきます。
いまが楽しめないのは、いまはまだその時でないという「のろい」にかかっているだけです。
ですから、そんな脚本を抱えていない子どもたちは、いまを生き生きと楽しんでいるのです。
人は自分自身になりさえすればいいのだ。
ここでも、「いま」の否定がこれを不可能にします。
「自分自身? いまの自分など信用できるか!」・・・・

☆~⌒☆
しかし、いまであろうと将来であろうと、自分自身とはいま存在するものでしかない。
そして、それを確認してもいないのに否定してしまっている事実に気がついて、もう一度見直してみることです。
未来とは、甘く魅力的に見えますが、それは実体のないからっぽでしかないのです。

じつは、未来とは、いまの自分に見える範囲でしか見えていないことに気がつかないといけません。
他のだれでもない「いまのあなた」が予想しているのが、そのあこがれの未来なのです。
どこまでいっても、「未来への予想」はいまの自分を超えることはないのです。
未来を作ることばかりにとらわれずに、いま=自分自身に立ち返るだけで、どれだけ重荷が消えていくか。
いままで怖がって振り返らないでいたことを、ちょっと実行してみればそれは見えてきます。
 
いまには、どんな代償も、資格も、準備もいりません。
無条件にあるのがいまなのです。
 

★へんなものがつまっている

小学2年生の女の子の感想文におどろきました。

 

セロひきのゴーシュ (宮沢賢治のおはなし)の感想文なのですが、次のはじめの文章に衝撃を受けました。
これが、すべてを表現しています。
 
「だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん入っています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、本当のじぶんがちゃあんと見えません。」
 
人は自分では自分が役に立っていることに気がつきにくいものです。
 
「ゴーシュはひとりぼっちじゃなかったのです。下手でだめだと思っていたセロは、どうぶつたちのびょう気がなおるのでかんしゃされていたのです。」
 
そして驚いたのは、次の洞察力!
 
「今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと思います。「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかもしれません。だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。わたしはゴーシュだったと思います。」
 
「つらいのがんばってがまんするぞ」は本当の「がんばるぞ」ではないのですと見切ってしまう。
これが理解できていない大人がどれだけいるでしょう。
 
最後も参りますね!
依存と自立と相互依存をこんな言葉で「ちゃあんと」表現してしまいました。
言葉ってこんなに易しくも語れるんですね。
 
「人は、みんな、心をくっつけ合って、生きていくのです。でも、くっつけすぎには気をつけて、みんな元気な時ははなれて、じぶんのことをちゃあんとするのがいいと思います。
わたしは、がんばって大きくなります。」
 
 

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