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癒着した関係(共依存)の犠牲から解放される


生きるヒント~人生を変えるコラム集ストレージ : 相手の欠点?それとも・・・

誰かとの癒着した関係は自分自身を見失ってしまいます。

どこまでが自分で、どこからが相手なのかが曖昧で、その結果自分の中心がどこにあるのかわからなくなってしまうのです。

 

その結果、今感じているのが自分本来の感情なのか、相手の感情なのか区別がつかなくなります。

 

癒着した関係は、両親や配偶者や自分の子どもとの関係で特に多く発生する、いわゆる共依存と呼ばれる関係です。

 

たとえばお子さんのいらっしゃる方なら、自分の子どもに関すること、進学の問題などで、それがうまくいったときにどのように感じるかを考えてみましょう。

 

まず、子どもが達成できたことに対して喜びを感じるでしょう。

子どもにおめでとうを言った後、癒着のない関係であれば、今度は自分がここまで子どもを育ててきたことへの自負を感じたり苦労をねぎらったり、自分自身に関しても喜びを感じるものです。

 

ところが癒着が進んでいると、親の喜びは子どもの喜びや成功次第になってしまう場合があります。

 

「私はどうでもいいのよ、あなたが喜ぶ顔が見られるだけでいいの」という言葉も、これだけでは判断出来ませんが、中には「私はどうでもいいの」と言う言葉が文字通りの意味になっている関係もあるのです。

 

親の方が自分自身についての喜びその他の感情を、すべて子どもの感情で肩代わりしているような場合が見られます。

 

親自身の感情は、子どもが関係してくるとどこに行ってしまったのかよくわからない状態になっています。

 


生きるヒント~人生を変えるコラム集ストレージ : 私の責任はここまで!

パティーのように、何を言おうと相手の責任にしてしまうことが反射的になっている人もいるものです。

 

マーシーがどうであるかは、これだけではわかりませんが、彼女の立場の人間が自分の方に責任があると思ってしまうタイプだと、一方的な攻撃に負けて自分が悪いと思い始めてしまうものです。

 

さて、その場合パティーのような人間に出会ったから、かわいそうにマーシーは犠牲になったのだ、と考えればいいのでしょうか?

 

表面的に見ればそう見えますが、パティータイプとマーシータイプが出会うとき、このようなゲームは毎回繰り広げられることになるのです。

 

パティーは表面的には「迫害者」の立場をとる人です。しかしそれは力の強い側が弱い側を迫害するというものとは違います。

 

パティーの方も実際には自分の中にマーシー的なものを抱えています。

そして自分の中のマーシーが痛めつけられるのを防ぐために、自分が先に攻撃に回ることでそれを回避しようとするわけです。

 

そんなとき逆の立場をとりがちなマーシーという存在は、ゲームを仕掛けるのに絶好な相手であるわけです。