人間関係010:気づいていない自分を知る001

50b3792316aee321eb6e2c45e0a38af1


◆許す、許せない、許す

ヘミングウェイの短編にあるお話だそうです。
゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜
不幸な出来事が重なって、親子は仲違いして少年は父親を置いて家を飛び出す。
息子を捜し続ける父親は、最後に新聞の尋ね人欄に広告を出します。

    愛するパコ。
    明日の正午、マドリードの新聞社の前で会おう。
    すべてを許す。愛している。

翌日の正午、新聞社の前には
許しを求めて800人のパコが国中から集まった。

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜

幸福セラピー グレン・ヴァン・エカレン ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2005-12-06 /

普段は何気なくくらしていても、心の奥底で許しを求めている人は、こんなにいるわけです。
許しを求めているとは、自分を許せないでいる人がいるということです。
自分を許せないことと、誰かを許せないことは非常に密接に絡み合っています。
片方が存在すれば、もう一方もあると言ってもいいくらいです。
誰かを憎んでいれば、それは対象を外に向けているということですが、
同時にそんな自分の思いを許せないで自分を責めている自分も存在するように思えます。
そして、二人の間で、片方が「すべてを許す」といったとき、普段は隠していた憎しみや罪悪感が一気に目を覚まします。

◆束縛されたくないと言うけれど

ほとんどの人は、自分が他人から束縛されることを厭がっていると思います。
しかし本当に束縛を全部嫌っているかと言うと、時には全く自由にしろといわれると戸惑ってしまったり、寂しく感じたりします。
どこかで相手に依存している部分があるからです。
その意味では「自由にさせろ、束縛するな」というのは、勝手なときだけ使っているとも言えます。

別の見方をすると、自分の自由を完全に主張するためには、相手の自由も完全に認めなければなりません。
相手には言うとおりにしろと言っておいて、自分だけは自由にしたいというのは、相手が納得しないし、自分でも後ろめたいところがあってうまくいきません。
本当に自由にしたいのなら、相手にも完全に自由を認めなければなりません。
また、たとえ相手がどのようにあなたを批判しようと、それは相手の自由で、その責任は相手にあるのだから、それに対して自分は何も反論する必要もないと思える覚悟も必要です。
これは、権利の問題ととらえる事も出来ますが、実際には権利以前に人間の心理というのは、自分と相手の自由の片方だけを取るということが出来ないもののようです。
実は、多くの場合逆をやってまずい結果をまねいていることが多いのですが、これをふまえて、この原理をうまく使うことを考えた方がいいでしょう。

◆どうせ私なんか...

「どうせ私なんか...」「自分は何をやってもだめだなあ」といった言い方が口癖になっている人はいないでしょうか。
このような言い方をしていると、そのたびに自分の評価を下げ、現実に対応できない自分に嫌気がさしてきます。
しかしそれでは本当に自分のことをダメだと思っているのかというと、案外「どうせ私なんか...」を多用している人に、能力を評価しない扱いをすれば機嫌が悪くなったりするものです。
これは、「私なんかダメ」と口では言いながら、「本当の私はこんなものではない」「今に自分のほうが能力が上であることを見せてやる」とどこかで思っていたりするからでしょう。
口にする言葉とは裏腹に「自分は他の人より能力があり、特別な存在である」という評価を受けないと満足できないと思っているのです。
しかし、現実は自分のイメージ通りにはいかないし、まわりも正当な評価をしてくれていないと思っていますから、いつも不満を感じて続けることになってしまうのです。
それでは「自分はそのように評価されるはずの人間である」ということに根拠があるのかというと、そうではありません。
そう思っていないと自分を肯定できないから、そうあって欲しいと思う願望が、根拠にすりかわっていたりするわけです。

◆人間関係における私の共謀

人間関係のトラブルでは、通常誰かが自分に害を与えるから自分は悩んでいる、という図式が多いかと思います。
そんな時、大抵はその誰かのせいで自分が迷惑している、私の側には責任はないのに、と考えているのではないでしょうか。
つまり、言ってみれば、突然外から自分に危害を与える存在が出現したのだと思っているわけです。
しかし、そこに自分の側の責任はないのだろうか、ということを今回は考えてみたいと思います。
そこから「私の側からの共謀」はないのかという意味で今回のタイトルになっています。
例えば、職場や学校で自分の悪口を言う人がいるとします。
私は「なんでこの私が悪口を言われないといけないのだ!」という感じで、とっさに防御体制に入り、悪口を言う相手を悪人に仕立てあげようとします。
ここでもし、冷静に相手の悪口を言うに至った状況を確認できるのなら、そもそも相手の悪口にいつまでも悩まされることはないのでしょうが、なかなか現実はそうでなく動いてしまうようです。
つまり、最初から相手が悪く、悪口を言う相手が不当なものにされてしまうのです。
相手が自分の悪口を言うような、ひどい人間だということになれば、その悪口を「私」は正面から見なくてもいいわけです。
そんなひどい人間の言うことなど、間違っているに決まっているからです。
これは、あえて悪口をねじ曲げたというよりも、とっさに習慣で自分を守ろうとするやり方であり、多かれ少なかれ誰でもやってしまうことです。
☆~⌒☆
本来、意味も無く人の悪口を言いふらして楽しい人などいないはずです。
そこには、自分を守るための、その人にとっては必死の防衛規制が働いているわけです。
その場合は、先程の自分が気づかずに解釈を歪めている時と同じように、相手に対して不当であると非難したところで、そんなはずはないと防御を強くしてしまうばかりです。
ですから、そこで取れる選択は、相手との関わりをやめるか、それともあえて相手のあり方に関与していく覚悟があるかを決めなければなりません。
関わるとすれば、相手の怖がっている原因をうまく取り除くなどの、こちら側にはそれだけの余裕が必要です。
相手の問題なのに、こちらが非難を受ける可能性も強いですし、相手がそれで変わってくれるかどうかはわかりません。
 
話せばわかるということは、いつでも成り立つとは限らないもの、ダメな場合は自分の許容範囲を超えたら手を引かないと、新たな敵を作り出すことにもなりかねません。
それほど人を変えるのは難しいし、覚悟や自分の側のエネルギーに余裕がなければできません。
もちろん自分の面倒も余裕をもってみられるようになっている必要があります。
そうでなければミイラ取りがミイラになってしまいます。





※続きはダウンロードしてお楽しみください。

ダウンロードリンク
※ユーザー:life  パスワード:hint を入力

人間関係010:気づいていない自分を知る001

☆~こちらででご相談サービスが受けられます。⌒☆

サービス10~心の支えが欲しい、拠り所を求める方へ~その時実際には何をしようとしているのだろう?|元気になる方法|ココナラ

サービス9~ブログを始めたいけれどなかなか続かない、時間が取れないという方へ|文章に関するコツ・ノウハウ|ココナラ

サービス8~この絵何に見えます?~そして見なかった背景に隠れているものは?|心の悩み・メンタル|ココナラ

サービス6~ゲシュタルトの祈り~私は私と言い切れたらどんなにいいだろう|心の悩み・健康|ココナラ

サービス5~勝ち犬と負け犬のゲーム~最後は負け犬が勝つからくりとは?|心の悩み・健康|ココナラ

サービス4~人間関係の3つの役割(迫害者・犠牲者・救助者)私はどれ?|心の悩み・健康|ココナラ

サービス2~一方的に攻撃してくる人に対応するには(モラハラ・パワハラ)|心の悩み・健康|ココナラ

サービス1~人間関係の悩みや、このままの私でいいのだろうか?自信が持てない。ちょっと一押しが欲しいなと思ったら|心の悩み・健康|ココナラ