自己の心理021:自信とは素直に表現された自分001

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★できないことを望むこと
~それがあなたのストレスの原因では?

<https://www.facebook.com/note.php?note_id=275520752527876>

 

たとえば『人を確実に説得する方法』などという言葉を聞くと、本当にそういうことができるのかな、という気にさせられます。

 

そして、いつか自分もそうなれると思って、探し続けている人もいるかもしれません。

ですから、まさにそういう人に、その期待を促すような話をすれば、それを信じたくなることは容易に想像できます。

 

人は自分の信じたいことは、少々の飛躍などすぐに見えなくなって信じてしまいます。

 

その意味では、相手の期待に手を貸すような話をすれば、あなたは一時的には相手に説得力を持てるかもしれません。

しかし、あくまで決断するのは相手です。

 

あなたの力で、なんでも思うように他人をコントロールできるなどと錯覚しないことです。

 

中には、そんな方法があるという人もいるかもしれません。

100%出来る方法があるなら、営業マンがグラフを前にして、ハッパをかけられることはないはずです。

そしてまさにその方法ゆえに、相手を信用できないと感じている人も、あえて口にしないまでも同じようにいることを忘れないことです。

 

できないことを無理やりできると信じていると、たまたま上手くいったときはいいですが、うまくいかないことに出会うと、できないはずはないのだと言って、自分や他人を責めることになってしまいます。

 

そんなことよりも現実的なのは、なぜそれがどうしても必要だと思い込んでいるのか、そんな自分を調べて、無理な望みから自由になることです。

 

そこには、それが出来ないと、とんでもないことになるという恐れが潜んでいるのかもしれません。

きっと他の人はみんなそういうことができていると、思い込んでいるのかもしれません。

 

ですが、望もうと望むまいと、できないことは出来ないのです。

 

『なんでも努力すれば解決策は必ずある』というのは、残念ながら、それが成り立つような前提がある場合に限られます。

 

信じるのは勝手ですが、できないことをいつまでも出来ると言い張るのをやめて、確実にできることに時間を使うことです。

 

確実なこととは、あなた自身であること、他の何かに依存しないでもできることです。

 

自分自身に嘘をつかずに快適でいられるなら、それで充分です。

他人が同意するか反対するかは、あなた自身が関知することではないのです。

 

相手が反対するのを恐れているのは、あなた自身に対する不安から来るものです。

他の人の賛成に依存した安心感がないと、自分をOKだと感じられないのです。

 

そのような不安から、他人をコントロールする方法を探し求めることは、自分自身の中にある不安の元をさらに強化することにもつながります。

 

他人の賛成や反対に依存しないで、自分自身でいて穏やかになれること、それこそが他人をコントロールする方法などより、ずっと大切なのだと思わないでしょうか?

 

自分自身に正直でいて、しかも穏やかに生きられる人は、それだけで他の人とも上手くやっていけます。

他の人は、その人に親しみを感じるし、自分の不足した力を相手が持っていることを感じ取るのです。

そして、相手の心からの同意以外を要求する必要もなくなるでしょう。

 





★自信とは素直に表現された自分
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=277088175704467>

 

自信というものは、私たちにどのような影響を及ぼし、どのように関わっているものでしょうか?

 

何かをやろうとするときには、自信がある方がないよりもうまくいくように感じます。

 

では、自信とは行動の前に必要なものであったり、やり続けるのに持っていないといけないものなのでしょうか?

行動や成果に影響を与える何らかの条件なのでしょうか。

 

結果を見て自信をなくしたと言います。

 

それまで自信を持っていたのに、結果が思わしくなかったことから、一気にどこかに自信が消えてしまったようです。

 

今までの自信は錯覚に過ぎなかったのだろうかと感じたりします。

ですがこのような時、その人は他人との比較をやっていないでしょうか。

 

それまでは他の人よりもうまくできると思っていたのに、やっていくうちに自分よりも上手の人が現れて、自分の力など大したことがなかったんだと思うわけです。

この場合、自信とは絶対的なものではなく、他との比較でどのようにも変化してしまうようです。

 

さて、最初の見方では、なにか気力がそこから現れる源であるようなものが、存在していて、それが必要条件であるかのような印象があります。

 

こう考えている人は、どうすれば自信が溢れ出してくるのか、その方法を探し求めようとします。

そして、まず自信を持てることが先に必要だという見方をしますから、「今はまだ自信がないから」と言って、自信が生まれてくるまで動こうとしないかもしれません。

果たして、自信とは、そのようにどこかから先に生まれ出てくるようなものなのでしょうか。

 

次に後者の比較がもたらした自信の喪失の場合には何が起きているのでしょうか。

この場合その人の能力自体は何も変化していません。

変わったのは、自分の能力に対する評価だけなのです。

 

ですから、自信があるとかないとか言っても、それは何も実体のない、単なる視点の変化や自我の再構築に過ぎません。

 

この場合、先ほどとは逆に自信とは原因や条件ではなく結果に過ぎないということになります。

 

さて、このような「自信」とは原因や条件なのか、単なる結果なのか、いままでの見方をしていても、その実体はよく見えてこないようですね。

 

そもそも自信とは実体があるようなものなのでしょうか。単なる言葉で表された他のことの言い換えに過ぎないのでしょうか。

 

比較によって自信を持てたり、失ったりするというのは、実際には私たちの日常でよく使われる表現です。

ですから、わたしたちの心に、はっきりわかるような変化をもたらすことは確かなのでしょう。

 

しかし、もし自信が実体のあるものならば、他の人や周りの状況次第で、それらに依存して変化することはないはずです。

 

ですから、比較がもたらす自信の獲得や喪失は、単に他のことを自信という言葉で表現しているにすぎないのではないでしょうか。

 

では、他のことに依存しない自信というものがあるのなら、その原因となっているものはなんなのでしょうか?

 

それは、今までの見方では自分自身の能力を自信の対象にしていましたが、そうした能力への信頼感ではなく、自分自身、自分の存在自体への信頼感が自信を生み出していると考えたほうがもっと核心に近づくのではないでしょうか。

 

能力への信頼と考えた場合、特定の条件を満たし続けられるかどうかで変化してしまうものです。

たとえば、スポーツ選手の場合、肉体的にこれ以上の年齢では無理という制限があるのが普通でしょう。

そうすると、能力への信頼は、当然時間とともに失われてしまうものになってしまいます。

 

もし自信といういつまでも変化しないものがあるとするなら、それは状況に左右されずに独立して持ち続けられるものでないと困りますね。

 

つまり、状況が変化したとしても、それなりの対応が出来て、自分自身に対する信頼を失わないものでないとなりません。

 

状況が変化して、たとえ今までの自信が吹っ飛んでしまうようなことが起きても、それでも自分自身への信頼ならば失わないでいることもできるはずです。

 

この対象に対しては、今までの自分の能力では、もうこれ以上のことは出来ないだろう。

たとえそう思ったとしても、その自己の能力の限界を素直に認め受け入れられること。

そして、それを認めたとしても、自分自身への信頼は今までどおり持ち続けられるとき、それこそが揺るがない自信だと言えるでしょう。

 

まわりの世界も、自分自身も常に変化していくものです。

 

常に一定の基準を維持することなどできません。

もしそのようなことを期待するものとしての自信を求めているとしたら、早めに考え直したほうがいいでしょう。

いずれはなくしてしまう時が来るものだと思わなければ、現実無視の思い込みに過ぎなくなってしまいます。

 

そうではなく、最初からすべては変化するものと思うところから出発すれば、「それでも変わらずに信じられるものとはなんだろう?」という発想が生まれます。

 

そして、そのような信頼できるものとはは、自分が信じるか、信じないかという意思次第で変化するようなものではないのかもしれません。

 

本来は、私たちが余計なものを持ち込もうとしないとき、なんにでも自信を持っているのではないでしょうか。

 

赤ちゃんが何度も転びながらも、自分の足で立ち上がろうとしているとき、それはどこかで自信を獲得してきたわけではないでしょう。

先に自信があったのではなく、邪魔をしないで表現されていくとき、その状態が自信を持っていると見えるのです。

 

自信があると思える時には、自分でよけいな邪魔をしないでそれを自由に表現させているのです。

 

自信がないと思うときには、自分でその表現をせき止めているのです。

そして、せき止めてしまうのは、自分自身への信頼感に大きく関係しているのでしょう。

 

たとえば、探ってみれば、自分にはそのような成功を達成できる資格がないと思っている自分が見つかるかもしれません。

もしそうなら、奇妙に聞こえますが、そのままやればうまくいったはずなのに、無意識のうちに自分で達成を避けようとしてしまうのです。

 

そのような制限には、そう思ってしまった起源があるのでしょうが、もともと一生引きずらないといけないような原因を持っているものではありません。

 

多くの場合、たわいない道理のわからなかった子どもの頃の誤解に端を発しているのかもしれないのです。

 

しかしどのようなものにせよ、それは現実にいま現在の自分を制限しているのです。

そのような制限を外して、今はもうすべての自分を表現してもOKと許可を与えましょう。

 

いいかえれば、自分自身を自由に表現してもいいと思える分だけ、それが自信となって現れるものではないでしょうか。

 

たしかに能力に関係した自信というものは、これとは別に存在すると言えるかもしれません。

例えば練習量や経験の長さ、豊富さによって変化する自信と表現されるものがあります。

 

ですが、その場合の自信とは、決まった対象と期間に制限された限定付きの自信です。

そして、その意味の自信もまた、自分自身への無条件の信頼に裏打ちされなければ、やはり制限されてしまうでしょう。

 

ですから結局は、自分自身への信頼と、自らが自分に課している制限を外すことがまずは必要なのではないかと思います。

 

外側を探して何かを獲得するのではなく、いかにすでに持っている自己を思い通りに外に向けて表現し成長させられるか、という方向に視点を切り替えるのです。

 

訓練や経験の積み重ねで自信が生まれるにしても、もともと持っていないものが現れたわけではないでしょう。

他の人は思いもしないのに、何かをやろうと思うようになったのは、あなたの中にそれを生み出す何かがあったからでしょう。

 

表現されるものは全て個性的で、特定の条件で比較し優劣を決められるようなものではありません。

そのように考えるなら、比較で左右される自信など問題にする必要などないことがわかるでしょう。

 

そして、限定付きの自信はやがて効力を失っても、自分自身への信頼はいつまでも変わらず維持できるものです。

 

しかもそれは、常に変化する現実や自分の能力に対して左右されずに維持されるのです。比較や競争で意味がなくなってしまうようなものでもないのです。

 

つまり自信とは、どこかから獲得してくるものというよりも、すでに持っているものを制限しないで、いかに表現できるかという、その状態を表しているように思えるのです。





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