人間関係008:追い求めるほど苦しくなる他人の評価001

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◆あの人に気に入ってもらえただろうか?


 

「あの人はちゃんと気づいてくれたかな?]

 

「なぜ返事をくれないのだろう?」

 

「今日は笑ってくれなかった。何か気に障ることを行っただろうか?」

 

「今頃あの人たちは、私のことをどう思っているのだろう?」

 

このような不安を抱いたことはありませんか?

 

おそらく、ほとんどの人が昨日も今日も、このような不安がよぎる瞬間を何度も繰り返しているのではないでしょうか。

 

この不安はどうすれば消えるのでしょう。

 

Facebookなどをやられている方なら、より多くの知り合いを作り、より多くの人が自分にメッセージをくれるようになればいいと思っているでしょう。

 

そして、たくさんの友達が出来れば、「その時は、先程のような悩みは消え去ってしまうに違いない」と信じているわけです。

 

ところが、たとえば5000人の友達を達成したら、その瞬間にあなたの悩みは消え去るのでしょうか?

 

あなたは、その時からもう人からの評価を一切気にせずにいられると、本当にそう思えますか?

 

このような不安を覆い隠す為の努力は、実は残念ながら役に立ちません。

 

この方向でいくら友達を増やしても、あなたの不安が消え去る日は来ないでしょう。

 

最大の理由は、最初に挙げたような他の人からの評価や愛が必要だという考え方そのものが、あなたの不安の原因となっているからです。

 

皮肉にも、追い求めれば求めるほど、苦しさは増してきます。

 

求めるのを放り出したとき、それは消えていきます。

 

たとえば、「あの人はちゃんと気づいてくれたかな?]と思い、特定の相手がどう思ったのかを気にします。

 

その結果を知りたくてたまりません。

 

もし、もう私のことなんか必要のない人間だと思われていたらどうしよう。

 

想像すると、不安のあまり身体の調子も悪くなります。

 

他の事が手につかなくなるかもしれません。

 

しかし、ここでこんなことを考えて見て下さい。

 

何かの理由で、その人へのあなたの思いが変化して、

 

「もうあんな人にどう思われようとかまわない」という状況になったら。。。

 

そうなったとき、「あの人はちゃんと気づいてくれたかな?]という不安はどうなっているでしょう。

 

消えてしまっている!

 

そして、もうこれ以上その人の評価を気にしなくてもいいとわかると、あなたは肩の荷が下りて大きな開放感を感じるでしょう。

 

「もう気にしなくったっていいんだ。」

 

これから解る様に、不安を作りだしていたのは、まさに評価を求めるという行為そのものにあったのです。

 

 

しかし、あなたはこう思うかもしれません。

 

「だけど、それは他に頼れる人が出来たから、その人のことを手放せただけじゃないの?」

 

そうなのです。

 

そうやって、1つの不安対象を手放し、代わりに新しい不安の原因を求め出すから、この堂々巡りは永遠に続いてしまうのです。

 

必死になって、評価を追い求めるのを一切やめてしまえば、そこに見えて来るのは、すでに自分には求めなくても支えてくれるものが備わっていたんだと言うことです。

 

あなたのいまいるところで、まわりに見える物を考えて見て下さい。

 

どれをとっても、あなたが自分の力だけで作りだしたわけでもないけれど、それがあるおかげでいまの自分が成り立っていることがわかるはずです。

 

誰かがそれを作りだして、いろんな経緯であなたの元に届いたのです。

 

ものだけではありません。

 

あなたがいまこれが好きと思っている考えは、どこから来たのでしょう。

 

すべてあなたがひとりで考え出したことですか?

 

そもそも、あなた以外に誰もいなかったとしたら、ひとつでも自分で思いついたでしょうか。

 

思いもしなかった考えの集まりで、いまのあなたが出来上がっているのではないでしょうか。

 

知っている人、話したこともない人、文字だけの情報でつながっている人、本で読んだだけの人。。。

 

いろんな人がどこかで関与し、あなたの好みに影響を与え、あなたの廻りのものを提供してくれて、いまのあなたがやっと出来上がっています。

 

それらは、あなたが不安を感じながら追い求めなくてもやってきたものばかりです。

 

「いや、不安に思ったからこそ手に入ったんだ」と思いたいですか?

 

しかし、そのように考えようと考えまいと、必要なものは手に入れていまのあなたが成り立っているのです。

 

「不安を持ちながら努力しないと欲しいものは手に入らない」

 

という迷信を信じなくても、気がつけばあなたは手に入れてきているのです。

 

むしろ、不安を感じるあまり、自分からあきらめるようなことしたから、本来は手に入ったものを逃しているかもしれません。

 

不安を抱きながら評価や愛を探し続けるのは、「まちがったやり方」。

 

これが腑に落ちて信じられれば、あなたはもうこれ以上苦しめられて自分を痛めつけることはなくなります。

 

あなたが期待してもしなくても、不安を感じようと感じまいと、あなたはすでにいっぱい手に入れてきたのです。

 

必要になれば手に入ると信じるだけでことは足りるのです。

 

足りていることを発見すれば、世界はすでにあなたのものだったことに気づけるのです。

 

「今持っているモノで満足し、ありのままの姿を喜ぶことだ。

何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものになる」

 

----- 老子 -----



◆認めてもらおうという気がなければあなたはどんな人になりますか?

「相手にどうやって自分の存在を認めてもらうか」

 

これは、私たちがふだんから、ほとんど意識せずにせっせとやり続けていることではないでしょうか。

 

よりはっきりさせるために、このような設定を考えてみて下さい。

 

・あなたが相手に印象を与えて自分の存在に気づいて欲しいと思っている人。

 

・愛されたいと思っている人。

 

・相手に自分はこんな才能があると気づかせて、「すごいなあ」といわせたいと思っている人。

 

・怒らせたくないと思っている人。

 

・あなたを支配できると思って恐れている人。

 

 

このような人を前にして、あなたがどんな行動をするだろうかを考えてみて下さい。

 

・必要以上に相手の言葉に感銘したと伝えようとする。

 

・注意を惹こうとして、相手の喜びそうなことなら自分にとってつまらなくてしょうがないことでも質問する。

 

 

・何とか自分を売り込まなければいけないと思って、自然な会話は上の空になり心が落ち着かない。

 

 

・相手の考えに合いそうもないことは、いくら自分で思っていても言ってはいけないと思い窮屈な会話になる。

 

 

・相手が気に入ることを探り出して、自分がそういう人間であると見せるのに必死になる。

 

つまり、極端に言えばあなたは相手の奴隷になり、自分に正直には生きられないということです。

 

 

ここで、それなら自分がその相手に対して、相手が認めてくれようがどうしようがかまわない、相手が自分を好きにならなくてもいっこうにかまわないという前提だったらどうなるでしょう。

 

そのつもりで接したら、その場合自分はどのようになるだろうかを想像してみます。

 

・あなたは自分の思ったことをチェックしたりせずに自由に話せます。

 

 

・相手の言うことに自分を合わせようと思わないので、ゆったりと相手が言っていることを聞き取れるでしょう。

 

 

・相手の提案に対しても、自分の利害関係を考えないので、率直にYES・NOを答えることが出来ます。

 

 

・この会話で成果を上げなければならないという緊張感や制約もないので自由に話を楽しむことが出来ます。

 

 

・相手に自由に自分を表現して、それで相手が嫌いになろうがなるまいが関係ないと思うことが出来ます。

 

そして、このような自然な自由な会話が、あなたからどれだけストレスを解放するかを想像します。

 

また制約のない会話のおかげで、どれだけ実りの多い相手との関係が得られるかを考えてみて下さい。

 

これは仕事だから、重要な取引だからという理由で、どれだけ「認めてもらおうという」という気持ちから行動しているかを知ります。

 

そして、もしその制約がなかったらどうなるだろうかを想像してみて下さい。

 

それがないと、絶体ダメ、うまくいかないと言いきれますか?

 

逆に、そんな制限がなければ、もっとうまくいくかもしれないという可能性は見えてきませんか?

 

過去を振り返って、知らず知らずそのような自然な関係を持ったおかげで、とても有意義な時間を過ごせたという経験があるはずです。

 

「認めてもらわなければ」という恐れから来る行動を、そんなものはいらないと拒否する勇気が出てきませんか?

 

そして、制限して作り上げている関係とは、あなたの側で作り上げた人工的なものであり、自分とは違う人間を演じないとなりたたない牢獄であることが見えてこないでしょうか。

 

ずっとそのままでいたいと思いますか?

 

いつかそうでない関係に戻れるから、いまは仕方ないと思っているかもしれませんが、おそらくそれは永遠に変わらないでしょう。

 

そのうち、やり方を変えるよりも、これは必要悪であると理由をつける方が簡単になり、それが習い性になってしまうからです。

 

しかも、そのやり方は、特定の相手だけでなく、誰に対しても同じやり方をするようになっていくのです。

 

※ディスカッションにも追加しました。書き込んで自分を確認してみてはどうでしょう。

 



◆見返りを求めるのは正当なことでしょうか?

 子どもたちが友達と遊んでいます。

 

誰かが自分がやりたい遊びをやろうよと言いますが、「いやだ、やらない」と言う子もいます。

 

言い出した子は「もうあのことは遊ばない!友達じゃない」と言いたくなる。

 

「友達なら自分が求めることには賛成するべき」

 

という暗黙のルールがそこにはあるわけです。

 

大人になってもそれは変わりません。

 

「自分を大切にしてくれる人は、自分の考えに賛成してくれる人であるはず」

 

そう信じているので、例外が発生すると動揺し慌てることになります。

 

「悪いけど、今回はその考えには乗れないね!」と言われたら。。。

 

ルールをあまりにも信じていると、相手が自分とは独立した存在であることを忘れてしまいます。

 

「この人はどんなときだろうと私の望みをかなえてくれるはず」と思い込んでいるので、

 

ちょっとした反対に出会うと、ナイフでぐさりとさされたようなショックをうけてしまうのです。

 

あげくは「あの人は、心変わりしたんだ」、もう自分の期待する人でなくなったと極端な考えに走ります。

 

しかし、ここで冷静になって考えて見て下さい。

 

「悪いけど、今回はその考えには乗れないね!」とか、「○○は好きじゃないから、遠慮しとくよ」というのは、おかしなことでしょうか?

 

それは違反だという考えと、人には自分の好きな選択をする権利があると考えるのと、どちらがより正しく思えるでしょうか?

 

問い直せば、わかることの筈です。

 

ですが、「自分を大切にしてくれる人は、自分の考えに賛成してくれる人であるはず」という考えが染みついてしまうと、とんでもない裏切りが起こったように動揺してしまうのです。

 

「いいよ、そういうつもりなら、付き合うのをやめよう」

 

言葉にして言うか、ただ自分の中で密かに決めてしまうかはわかりませんが、

 

冷静に考えれば奇妙なことも、それが当然のことのように思えてしまうのです。

 

このルールを守って、自分も相手に「あわせる」ことを自分に言い聞かせ実行しているている人ほど、他の人からの「見返り」を期待するようになります。

 

そして、裏切られたという感情もより強い得ものになってしまうのです。

 

 

しかし、このようなやり方は、うまくはいかないでしょう。

 

人は自分のやりたいようにやる方が自然なルールなんですから、その範囲内でならで賛成するでしょう。

 

しかし、どんなときもそのルールを守れと言われたら、それはできないと拒否するのが当たり前なのです。

 

 

わかっていながら「見返りを求める」ことをついついやってしまいます。

 

しかし、期待して待つのはとても苦しい時間を作りだします。

 

「もし期待を裏切られたら、そうなったらどうしよう、仕返ししてやるから、早く返事が欲しい。。。」

 

「期待している私は悪くないはずよ、もしNOだったら悪いのはあの人の方!」

 

相手にNOを言う権利はあることを十分わかりながら、それを一方的に期待している後ろめたさを、なんとか誤

魔化すためのいいわけを探そうとします。

 

契約した商取引なら、守ってもらわないと困ります。

 

しかし明文化されているわけではない暗黙のルールは、気づかないうちに私たちを「いらつかせ」たり、「いたたまれない」思いに陥れます。

 

結構ありがちなストレスの原因ではないでしょうか。

 

何でこんなに苦しい思いをしているのかと思ったら、無理な見返りを期待していないか考えて見るといいかもしれません。

 

それに気がついたら、あっさりその期待を手放して、他の確実な関係に係わった方がずっと建設的なのです。

 

相手のせいだと言いはって譲らないとき、痛手を受けるのは他ならぬ自分だけなのです。

 


◆個人的な受け取り方から抜けだそう/すぐにキレないために

いきなり結論から入りますが、ついムカッとなったり、キレてしまう状態から脱却するには、いつまでも出来事を個人的に受け取り続けないことです

 

私たちは普段からものごとのとらえ方の癖といったものを持っています。

 

ですから、いきなり自分の枠組みから外れた働きかけを受ければ、身構えたり、反発を感じたり、攻撃に転じたりしてしまうのも仕方のないことです。

 

「相手はこういう人だから、こういう言い方をしがちだ」という情報を持っていれば、それが防止に役立ちそうにも思えますが、やはりいきなり話しかけられたりしたときには、その場ではつい衝動的に反応してしまうものです。

 

相手の傾向について情報を持っていれば、後からそれを使って相手の言動を理解し直すことは出来ますし、それを繰り返していれば徐々に衝動的に反応することも少なくはなっていくでしょう。

 

ですが、いつも一緒にいる家族や同僚となら、そういうことも出来ますが、会う人会う人ごとにいちいちそんな対応が出来るわけではありませんね。

 

 

そう考えてくると、むしろ「キレない」でいようとするよりも、いつまでもその状態をとり続けないことを考える方がずっと現実的なのではないかと思うのです。

 

いつまでも反発が収まらないかったりこだわりがとれないのは、最初に言ったように、いつまでも出来事を個人的に受け取り続けるところにあると思います。

 

つまり、相手の言ったことや行動が「わたしという特定の個人に向けられた」ものであると思いこみ過ぎるのです。

 

人の心理というのは、誰か特定の人にだけ向けられた思いのように見えても、ほとんどの場合は「自分(1人称)」か「誰か他の人(2人称あるいは3人称)」かという大ざっぱな2種類のものに向けられたものなのです。

 

またさらに言えば、自分に向けられた感情と他人に向けられた感情は、容易に入れ替わってしまうものです。

相手を攻撃している思いは、容易に自分への攻撃にも転化しますし、その逆の現象も同様におこります。

 

ですから、人の心理状態は誰か特定の人への思いというよりも、その人固有の構えによって生じた、不特定の相手への感情表現であると考えた方が近いように思います。

 

つまり、何かを許せないと思う人は、あなたに対してだけではなく、他の誰に対してもその非難を向けるものだということです。

それをいつもいつも「わたしという特定の個人に向けられた」ものであると気にしすぎることはありません。

 

たとえ相手の人が「他の人はそんなことはしない。あなただけだよ!」という表現を使ったとしても、だから私は特別変わっているんだというように思わないことです。

 

その人はいたる所で、あなたのような人を見つけているはずですから。

 

その非難が、もし普段から自分の気にしている弱みだったりすると、つい自分だけに対する攻撃のように思ってしまうでしょう。

 

しかしほとんどの場合、あなただけが気にしすぎる必要はないことなのです。

 

あなたが、たまたま運悪くその場に居合わせただけなのかもしれません。

 

 

このような人間の心理の傾向をわかっていれば、いつまでも相手からの非難などを個人的なものだと思い続ける必要はないことがわかります。

 

ついムカッときて反応したとしても、いつまでも私への非難だと思い続けなければ、キレた状態を続けることもなくなるのです。

 

そして、より早くその切り替えを出来る様にするには、すぐに「いま」に立ち戻ることです。

 

相手の非難で自分の普段から気にしている弱みを刺激されてしまうと、「いまここ」を離れて一気に過去の記憶の世界に入り込んでしまいます。

 

自分の過去の記憶から、傷ついた経験やその時の感情などがセットになって蘇ってきて、あなたはその記憶の世界にさまよい込んでしまいます。

 

相手の言ったことは、きっと私のあの出来事を知っていて非難しているに違いないとか、自分はまたあのときのような失敗をしてしまったのだろうかとか、そういったことを思い出してそれをここで再現してしまうのです。

 

また、自分への非難や攻撃として受けとってうろたえると、なんとか自分を守ろうとして、相手に対する反撃に転じてしまいます。

 

こうなると、もはや原因が相手なのか自分なのかはあまり関係なく、「いまここ」から離れた自我の攻防の世界に入ってしまうのです。

 

ですから、なんとかこのような世界に入り込まないように、「出来事を個人的に受け取らない」ことと、素早く「いまここ」に立ち返ることが肝心です。

 

「いま」の相手の表情をありのままに見て、「いま」相手が言っていることを自分の構えに影響されずにそのまま聞き取るようにするのです。

 

そうすれば、一瞬のうちに遠い記憶の世界に飛んでいた自分を、いまここに引き戻すことが出来ます。

 

そうか動揺しているとき、自分は「いまここ」にいなかったと気づきます。

 

「見るときは、じかに見ること」「聞くときには、聞こえることをそのまま聞くこと」

 

キレるとは、遠い記憶の世界に飛んでいってしまうことなのです。

 

 

 

※続きはダウンロードしてお楽しみください。

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