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心理療法

心配症(1,2)

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心理療法006:心配症(1,2)001


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★心配性

https://www.facebook.com/note.php?note_id=257260804353871


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「師よ、私は心配です。どうしたらいいでしょう。」

「では、その心配とやらを、ここに持ってきて見せてみなさい。」



結果がわかるまでは、誰でも不安を感じるものですが、その不安がどんどん巨大になって他の事が手につかなくなる人もいます。



いわゆる心配性といわれる人ですが、そうでない人にとっては、笑って済ませられることが重大な問題になってしまうのです。



心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。



しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出す。

心配がなくなるのが、これまた心配のタネになってしまうかのようです。



実際、心配することに依存症になってしまえば、それがないと落ち着かないのです。



他の人から見れば、最初は「そんなに心配しなくても」と優しい言葉をかけるでしょうが、いつもいつもそれが続くと、うんざりしていい加減にしてくれといって離れていくことになってしまいます。



しかし、なぜ心配性の人というのは、誰でもが抱くような心配がいつまでも消えないのでしょうか。



本来は、いくら心配していても、何らかの結果が出てしまえば、それは消滅してしまうはずなのです。



それが慢性的につづくのは、一種の依存症であり、心配することがその人のバランスを保つために何らかの役割を果たしているから、手放せなくなっているのでしょう。



心配すること自体は、その人にとっても苦痛ですが、それを我慢してでも何かから逃れたいと思うのでしょう。



心配性になるかどうかは、家族の心配する習慣をまねることを覚えて、引き継いできたというのが大きな要因であると考えられます。



「心配さえしていれば、悪いことは起こらないだよ」

「いつもうまくいくとはかぎらないよ」

「親になってみれば、心配することがどういう事かわかるだろう」

「うまくいきすぎるときは、心配しておかないとしっぺ返しが来るよ」

「どんなにお前のことを心配しているか、わかってるのかい」

「心配しないなんて、思いやりに欠けているんだ」



このような言葉は、「おまえも心配しなさい。そうすれば私が守ってあげよう」という依存関係を作り出します。



子どもにとっては親とのいい関係を維持するためには、自分も心配することを身に付けることが必要になってしまうのです。



大人になってからも、あなたが引き続き無力な存在であって欲しい、そう望む人は親に限らず、何人も登場してくることになります。



しかしそれらの人がどう考え、感じるかは、その人達の問題です。



あなたは、「そのようなひとがいるから、自分はそれに答えなければならないのだ」といって現状を維持することを断ち切らないと、心配性は解決しません。



ほかの人が何をしようが、あなたは心配に自分を巻き込むのを拒否することはできるわけです。



それほど大きな影響はないから、心配性でもいいんだ思うかも知れません。



しかし心配は、どっちに転ぶかわからないことには、参加しないあなたを作り出します。

それでは、冒険や楽しめることがなくなってしまう。



どこかで聞いたことがあるいいまわしですが、



死ぬ前にもっと心配しておけば良かったと嘆く人はいない。

もっと冒険しておけば良かったと嘆くのだ。



★心配性2/行動できない

https://www.facebook.com/note.php?note_id=359994280747189

心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。



しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出してしまうようです。



そんな心配性の人の中でも、行動を起こすことに抵抗を感じて動けなくなってしまうタイプがあります。



心配性だから動けないという言い方も出来ますが、実は自分から行動を起こすこと自体に問題を抱えているのかもしれません。



行動できない人の原因のひとつには、決断するのが恐ろしいというのがあります。



結果が怖くて決断を下せないので様子を見て先延ばしにするのです。



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行動しようとするのをストップさせるもの、そこには何か元になる原因があるはずですね。


「思いつきでしゃべらずに、話す前に考えなさい」
「いい加減なことをして後悔するのは自分だからね」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「何事も慎重に準備してからやりなさい」
「あわてる乞食はもらいが少ない」
「どんなときも気を許しちゃダメだよ」
「本当に必要なときだけ実行しなさい」
「調子に乗ってるんじゃないよ」



このようなメッセージは、本来は子どもの安全を願っての言い回しなのでしょうが、後々私たちの行動を起こす決断を鈍らせる働きを作り出します。



このくらい言っておかないと何をするかわからないと親は心配なのかもしれませんし、そういわないといけないタイプの子どもだっているでしょう。



しかし親が心配性だとちょっとしたことにも、このような言葉が反射的に出てくる場合もあるわけです。



何かにつけてこのようなメッセージを聞いていれば子どもは行動する代わりに心配することを覚えてしまうかもしれません。



「思い切ってやってごらん」というべきときにも、その影で「よく考えてからね」と言ってしまうのです。



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心配することが行動の代償行為になってしまうのは、行き過ぎた反応の仕方です。



行動することにはリスクが伴いますが、リスクを適切にとらえて判断することと、過剰に怖がって動けなくなることの間には大きな違いがあります。



その上「行動しない」という選択にもリスクはあるということも知っておく必要があります。



取り越し苦労というのは、勝手に自分で未来を予測して、それも悪いことが起こる方を予想してしまうわけです。



ですが、やっている本人にとっては、公平に未来を予測しているつもりになっています。



行動に移すことをためらいがちな人は、行動の代わりに、このゆがんだ未来予測に熱中してしまうのです。



またそのような人は、一生懸命未来を予測して完璧な仕事をやろうとしているのに、なぜいい加減な予測で行動してしまう人がいるのだろうと考えて、逆に心配しない人を非難したくなったりします。



ですが取り越し苦労というのは、どう考えてもエネルギーの使い方を間違えています。



行動に移した方がいろんな選択肢が増えて、思いもしなかった展開も待っているものです。



少ない可能性しか選べず、しかも悪い方の予測ばかり採用していて、それがよりよい結果に向かえるとは思えません。



それに「取り越し苦労」がまちがったやり方である証拠とでもいえるのは、その人の心身にも悪影響を与えるだろうということです。



心配性ではなかなか活動的になれませんし、心配ばかりしていると落ち込んできたり身体の調子も悪くなりがちです。



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「杞憂(きゆう)」という言葉がありますが、これは天が崩れ落ちてきはしないかと心配した人の故事からきた言葉ですね。



「取り越し苦労」というのは、このようなたぐいの話です。



自分の心配はもっと現実的だといわれるかもしれませんが、いくら身近な予測でも未来は完全に予測できないことにかわりありません。



行動することは、やってもやらなくても100%満足する結果にはならないものです。



予測ばかりして様子を見ているだけでは何も変わらないだけでなく、新しい機会をどんどん失い続けます。



もちろん場合によっては、あえて行動しない選択の方が正しい場合もあります。



しかし、やらなかったことを後悔するようなら、あなたのやるべきことは「取り越し苦労」ではなく行動することにあります。



自分が行動しない理由が根拠のない心配からくるものに思えてきたら、目をつむってでも行動してみることです。



あなたは本当は行動しないでいることに、自分でもいら立ちを覚えているのです。



しかしそれでも行動しないことで、さらに予測をより悪いものに見せ、より恐ろしいものに変えてしまいます。



今度自分が「取り越し苦労」を始めたと気がついたら、その心配することでどんな情報や結論が導き出されたかを確認してみましょう。



そして、それが何の役にも立っていないことがわかったら、小さなことでもいいですから「保証のない不完全な行動」を1つ実行してみましょう。



それもあくまで結果を予測しないでやることです。

その時の自分を評価したり分析したりせず、ただ行動してみます。



実験のつもりで、どんな結果になってもいいと思って行動し、しばらく我慢してそれを続けてみるのです。



そしてそれが続けられたら、結果が良くても悪くても、新しい行動に踏み切れたことで自分を褒めてあげることです。



どのようなことに目を向けるかも大事ですね。



悲観的な人が考えがちなのは、



▼今は実現不可能なことなのに、何とか出来ないか考え続けてしまう。

▼過去の失敗をあれこれ思い起こして後悔する。

▼失敗の原因がたとえ変えようのないことだと明らかなのに、どこかに納得する理由がないか探し求めてしまう。



これらを方向転換してみましょう。



▲今すぐ実現可能なことだけに目を向ける。

▲過去にうまくいったことを思い出して、今に生かせないかを考えて見る。

▲失敗の原因として自分に変えられることだけをチェックしたら、あとは成り行きにまかせて考えないで行動する。





あの時は良かったと思い出すのはどんなときだろう?

あれこれ迷って結局やらなかったとき?

思い切って行動できたとき?



結果が悪かったことよりも後悔するのは、

「自分を生きなかった」という後悔の方だ



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心理療法006:心配症(1,2)001

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感情と親しくなってみよう

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心理療法005:感情と親しくなってみよう001

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★怒りを長引かせない方法
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=129561693790450>

まず怒りという感情はどのようなときに起こるものでしょうか。

 

もともとは自分が災難を被った、被害にあった状況で起こってくるのが怒りの感情ですね。

 

それはもともとは被害を受けた自分が、それ以上被害を受け続けないように自分を守ろうとする為に備わった感情なのかもしれません。

 

つまり、怒りを感じて相手に対して反撃に出るという行為に付随した感情とでもいいましょうか。

 

身を守ろうとして反射的に感じる行為の一部としての感情は、いくら抑えようとしても抑えきれるものではないかもしれません。

 

しかし、私たちは反射的な怒りの後に、いつまでもその怒りを維持してしまう傾向がありますね。

 

そこでは、反射的な感情ではなくて、その感情をいつまでも長引かせる自分の中での心の働きが存在するわけです。

 

たとえば、怒りの相手を「あんなことをする人間は許せない。このままにしておくべきではない。」というような考えをいつまでも繰り返しているわけです。

 

そして最初の反射的な感情は別として、この部分は自分次第でコントロール可能になると言えるでしょう。

 

心の働きとしては、自分が災難を被った「被害者」であり、その原因を作った自分を攻撃してくる「加害者」がそこには登場するはずです。

 

具体的な「加害者」が存在しない場合には、自分が「被害者」ではあってもそれほどいつまでも怒りは続かないことが考えられます。

 

荘子の「空っぽの舟」という話をご存じでしょうか。

 

自分の乗っているボートに他のボートがぶつかってくる。

とっさに、怒りを感じて「誰だこの野郎!」と思う。

しかしこの場面で、もしぶつかってきた舟に誰も乗っていないとわかったら、それでも君は怒り続けるかね?

 

といった内容の話です。

 

この話から気がつくように、怒りの感情を維持するときには、特定の加害者を想定しているものだと考えられます。

 

そして「加害者」が「被害者」である自分に迷惑を与え、「加害者」に非があるから罰してやらないと気がすまらないと思っている時に怒りが続くのです。

 

さて、ここまで考えてくれば、怒りを長引かせないためには、上記の必要な条件を崩してやれば良いのではないかと思い至るでしょう。役割に入り込まないで、外側から見られたら、怒りから脱却できそうです。

 

まずは「加害者」を考えます。

 

怒っているときは、加害者が自分の被害の原因であり、しかも故意にそのような攻撃を自分に仕掛けたと思っているわけです。

 

「故意の攻撃というのは本当に確実だろうか?」

・相手は自分を攻撃するような立場にある?

・自分がかってに攻撃を受けたと思っていないだろうか?

 

という点をもう一度チェックしてみます。

 

攻撃を受けるような客観的な要因はないとわかってくれば、自分が脚色してしまっただけかもしれないと思えてくるかもしれません。

 

そうすると、では「相手は何でそんなことをしたんだろう?」と考えを切り替える余裕が生まれます。

 

たとえば「もともと、誰に対してもそういう行動をとりがちな人なのかもしれない。」と思えたら「個人的に被害を受けた」という印象は変化してくるでしょう。

 

また、すぐに攻撃的になる人とは、何かを怖がっている人であるという見方をすれば、立場は逆転して、自分の方が何とかしてあげようという気にもなってきます。

 

その人は他の行動をとれない何らかの事情を抱えていたのだと考えられるのです。

 

「加害者」というレッテルをやめて、相手も状況の「被害者」だったのかもしれないという視点に立てば、怒りはいつのまにか収まってくるでしょう。

 

次に「被害者である自分」をチェックしてみましょう。

 

自分の普段の対人関係における姿勢を冷静にチェックしてみましょう。

・自分は「被害者」であるという立場をとりやすい傾向はないだろうか?

・他の人は自分を攻撃してくるものだと見る傾向はないだろうか?

 

わたしたちは、普段から自分の好みのストーリーを作り上げて、外の世界を見ている傾向があります。

 

◇自分は他の人に助けてもらう必要がある、あわれな「被害者」だと思いがちな人。

 

◇自分は他の人を救わないといけないだ。みんな危なっかしくて見てられないからと思う人「お節介やき」。

 

◇世の中は間違った人間が多すぎる。自分がそのような人を正していかないとならないという「裁判官」的な人。

 

そして、怒りの感情を長引かせやすいのが、「被害者」を演じやすい人や、正しさを追求したくなる「裁判官」なのです。

 

普段から自分のこのような傾向を正直に見つめていれば、「加害者」対「被害者」の関係に入り込まなくなりますから、怒りの当事者になることも少なくなります。

 

瞬間的に怒りを感じることは、前述のようにいつまでも消えることはないでしょう。

 

それを自分にはそんなことはないと無理をして聖人になったような真似をしても、結局怒りをため込んでしまうことにつながります。

 

そんな無理なこと目指すのではなくて、不要な怒りの継続を止めることに努力する方が、現実的で実りも多いものになるでしょう。

 

それには、「被害者」を演じるのをやめること、また正しさを振りかざす人になろうとしないことです。

 

それと、「人は変えられない、自分は変えられる」という原則を忘れないことも大事だと思います。自分が何か言ったからといって相手がすぐ変わるということは期待できません。

変わったとすれば、たまたま相手が変わるタイミングにいたからでしょう。

その時期が来なければ人は変わらない。

変わってくれないからと自分が責任を感じることは、やがて新しい怒りを作り出すことにもつながります。

 



★窮屈な姿勢と嫌な感情
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=131725166907436>

私は首を片方に傾けるくせがあるようです(笑)。

人に言われないと気づかないんですが、写真を見ると確かに偏っています。

 

私たちは、窮屈な姿勢をとらざるを得ない状況だと、何とか身体をそれに合わせようとしますね。

 

しかし、その状況から解き放たれたら、のびをして元の状態に戻します。

 

ところが、この場合もくせになることがあって、もう身体を合わせる必要がないのに、何となくその姿勢をとってしまうのです。

 

 

ところで、姿勢だけでなく、私たちはその人特有の感情傾向を持つものですが、それを形作っている中に、おなじみの「嫌な感情」というものがあります。

 

ここで「嫌な感情」と言っているのは、表向きの説明が何であれ、じわじわと私たちに苦痛を感じさせるような感情という意味です。

 

この「嫌な感情」というのも、くせのようなもの。

先ほどの窮屈な姿勢にたとえると分かりやすいように思います。

 

最初は、窮屈な場所に押し込められて、しかたなく不自然な体制をとるわけですが、解放されると元に戻ります。

 

ですが、何かのきっかけでその姿勢がくせになっていくと、外側の状況がどうであろうと、自分からその体制をとってしまうのです。

 

「嫌な感情」も元はといえば、今まで生きてきた中で、むりやりそのような感情を持つしかない状況を経験したのでしょう。

 

無理な姿勢から解放されるのと同じように、最初はその感情はその場で完結して後を引くことはなかったのです。

 

ですが、いろんな理由から同じ感情を自分の中で引き起こしやすくなってくると、状況にはそんな理由がなくても、「嫌な感情」を自分から作りだしてしまうことがあります。

 

その場合、その人が感じるのは、自分からその感情を呼び出しているのにもかかわらず、原因は外にあるように感じます。

 

「また嫌な気分だ。世の中嫌なこと(人)が多いね。」といった具合なのです。

 

しかし、無理な姿勢が元に戻そうと思えば直せるのと同じで、「嫌な感情」というのも、どこかから突然わき出してくるものではなく、自分で消し去ることも出来るのです。

 

それには、まず自分がそういう感情傾向を持っていることに気づいて意識してみることです。

 

次に、それは「誰か(何か)のせいで起きてきた」と考えないで、自分が作りだしているものだということを納得できるまで調べて見ましょう。

 

「怒らせる人がいるから、自分はいつも嫌な気分にさせられる。」のではなくて、「私が怒っている」と認めることです。

それが納得できないといつまでも、その悩ましい感情とおつきあいしなければなりません。

 

なぜかといえば、それが外からやって来ると信じ込んでいるのですから、自分では変えようがないのです。

 

また同じようなことですが、勘違いしやすいのは、「人生というのは嫌なこともあるもの。この感情も我慢しないといけないもの」と思って納得してしまうこと。

 

中には避けられないこともあるでしょうが、自分で「くせ」にしてしまった感情をくりかえし引き出しているということの方が、むしろ多いのではないかと思います。

 

手放せるものは、大事に抱えていないで根こそぎ消し去ってしまおうと決心することです。

 

それから、3つめとして「嫌な感情」というのは、どこかで拾ってきた「くせ」のようなものであって、本来の自分が持っていたものではないことをはっきり知っておくことです。

 

もともと、そんな感情など自分がいつも持ち続けるような対象ではなかったのです。

役目を果たしたら消えてもらっても、ちっともかまわないのです。

 

しかし、そういった感情をなんとかしようと取り組みはじめると、すぐに抵抗が働きます。

 

抵抗するのは、今まで慣れ親しんだものを壊させまいとする、習慣の塊、エゴとか執着の働きです。

 

「それは必要な感情だよ。消し去ってはいけないよ」と言い出します。

 

「なぜかというと~だから」という理由をまくし立てて、何とか阻止しようとしてくるのです。

 

ですが、それはくせに過ぎないのですから、騙されないで不要な感情は作り出さない(湧いて出るのではない)と決心すること。

 

いつもとっている姿勢を変えると、最初は変な感じがしますが、気にとめないで楽な自然な姿勢こそが本来のものだと信じるのです。

 

手放していくにつれて、その言葉で説明しにくいやりかたを感触で覚えていきますから、どんどん楽に手放しが出来るようになります。

 

やがて、やっかいなボス感情とでもいうものも、決して本来の感情ではないと見破って、振り向かずに放り出してしまうことが出来るでしょう。

 

 

自分と正直に向き合うことは、やっかいで、怖くて、つい後回しにしてしまうものです。

 

私は別にまにあっています、それよりも目の前のことが大事とばかりかけずり回っていることも、調べてみたら、かなわない思いに突き動かされていることばかりなのです。

 

表向きは大丈夫と言いながら、一人になるとしつこい不安がいっぱいというのが普通なのです。

 

中には「ポジティブ!ポジティブ!」とスローガンのように唱える人もいますが、営業として割り切ってやっているのならいいですが、本来の自分と同一視してしまうと、こじらせて心の病を引き起こしかねません。

 

「そんなものはない」と言えば消え去るわけではないのが感情というものです。

 

嫌わないで正面から向き合えば、ごまかしではなしに、不要な感情に付きまとわれることはなくなります。

 

それには、何も特別なものはいりません。

その存在を無視しないで認めるだけでいいのです。

 

だだし、その時に説明しようと思ってはいけません。

だたその感情のままを感じ取ることです。

 




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見るのを避けていたこれらのこと

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心理療法004:見るのを避けていたこれらのこと001

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★ありのままに、そのままのサイズで
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=134257576654195>

苦 しい考えの本質を一度理解してしまうと、次にそれが浮かんだときには、あなたはそれをおもしろいと思うかもしれない。かつては悪夢だったものが、今ではた だおもしろいのだ。その次にそれが浮かんだときには、あなたはそれを滑稽だと思うかもしれない。その次のときには、もう気づきもしないかもしれない。これ が、あるがままを愛することの力だ。

バイロン・ケイティ

 

さらに続けて言えば、一度この変化が起きることを経験すれば、次からはもっと容易に変化の可能性を信じられるようになります。

 

そして、いくつもそのような経験をすれば、ありのままの正体を知ることの重要性を信じるようになるでしょう。

 

また、それと並行してごまかしのテクニックが、いかにくだらないものかを知ることになります。

 

ではなぜ最初から本質を見ようとしないのかといえば、次のことを充分に理解していないからです。

 

「現実は怖いものではない。現実だと勘違いしているものだけが怖いのだ。」

 

これが意味するのは、こういうことです。

 

想像するのも嫌だと思うことは、考えることすらやめようとして封印してしまうのです。

たとえば、「いまのこの幸せな家族の誰かが、突然にいなくなったらどうしよう」

といったことです。

 

考えても無論わからないし、考える事すら怖ろしいと思って封印しようとするのですが、それが恐怖を無意識に大きなものに育ててしまいます。

 

忘れたつもりでいても、心は覚えていてどうしようかと考え続けています。

 

起こるかどうかもわからないこと、単に可能性があるだけのことも、恐れ出すと将来そのことが起きた場面を想像の中で作りだして、まるで実体験してるかのように恐れの幻想を作りだしてしまいます。

 

考えて見てください、可能性があるというだけで怖がっていたら、無数の怖い可能性がいくらでも出てくるでしょう。

 

そんなことを考えもしない可能性がある一方で、特定の可能性だけを怖がることのばかばかしさに気づくことです。

 

そのうえ大抵のことは、実際に起きてしまえば人はそれなりに耐えてしまうように出来ています。

むしろ作りだしてしまった恐れの方が、実はずっと実質的な害を与えているものなのです。

 

かつての悪夢は、やがて笑い話にすら変わってしまうものです。

 

つまり、恐れを抱えているなら、出来るだけ早く勇気を出してその正体をつかんでしまうことです。

 

「最悪こうなる」という事実も、それを隠してしまおうとしなければ、そのままのサイズの衝撃でしかなくて、いつまでも悪夢のように負担をかけることはありません。

怖いから曖昧にしようとして、ちゃんと見るのを避けるから呪いにかかってしまうというわけです。

 

怖さが残りそうなら、さっさと飛び込んでしまうことが有効な場合も多いでしょう。「見る前に飛べ」と言うしかないことも中にはあるものです。

 

痛みを一時的にごまかすようなやり方は、むしろ恐れを大きくする助けになってしまう可能性すらあるのだと思った方が良いでしょう。

 

「ありのままに、そのままのサイズの現実を、そのままのサイズで受け入れてしまう」というのが結局は最良の策なのです。

 

 

最後に追加として、このような文章を読むと、なるほどその通りだと思うのですが、いざ現実の自分の問題となると別世界に入ってしまう人がいます。

 

自分の問題は例外だ、これは特別だからあてはまらないと無意識に思ってしまうのです。それでは意味がありません。

 

それこそがこれに当てはまる問題だという目で見直してみましょう。

そうです、今ちらっとこころをよぎったその問題がそれなのです。

 

 



★批判したくなる相手にあなたを発見する
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=133210833425536>

あまり気が進まないワークです。

不愉快になるかもしれません。。

 

しかし成果は画期的なものになる可能性があります。

自分の不機嫌さの原因を笑えるようになったとき、世界は違って見えてきます。

 

 

あなたは、他人の行動にいらだったり、批判したくなることがあるでしょう。

 

そんな相手を見た途端に、あなたは何か批判の言葉を言いたくなるのです。

 

なぜそれが、あなたをいらだたせるのでしょうか。

 

それは、誰が見ても批判したくなる行動ですか。

 

それとも、あなただけが、そう感じるのでしょうか。

 

 

 

そんな他人の中に見る、あなたの嫌いな部分は、実はあなたがもともと持っていたものかも知れません。

 

あなたの一部分だった、そのような行動を、何らかの理由で封印したり、捨て去ってしまったのかも知れないのです。

 

それでなければ、他人の中に見たその行動に、いらだちを感じる必要は無いのですから。

 

ですから、それはあなたの失ってしまった一部分かも知れません。

 

なぜそれを嫌うのでしょう。

なぜそれを見ていらだちを感じるのでしょう。

 

それを探ってみるのは、有意義なことかも知れません。

 

いやな行動を、あえて感じたくないと思うかも知れませんが、それによってあなたを取り戻す助けになるかも知れません。

 

ですから、まずはあなた自身が、その行動を自分自身で演じてみるのです。

 

その行動をあなたが演じてみて、

 

どのような感じを持つでしょう?

何かを思い出しますか?

誰かがそこにいますか?

なぜ嫌っているのか、何かに気づきますか?

 

そのことで、誰かを傷つけたりしたのでしょうか?

 

それとも、あなたがその行動を取ったことで、まわりの誰かが機嫌を悪くしたのでしょうか?

 

 

 

なにも正確な起源を思い出す必要はありません。

 

あなたがそれで、どのように感じるかを、体感してみることが大事なのです。

 

それは、いま目の前にいる、嫌いに思った相手とは直接は関係ありません。

また、その人との関係を、どうこうしようと考えるのでもありません。

 

そのように考えてしまうと、自分の期待で、本当の感じ方を見失ってしまうかも知れません。

 

ただ、その仕草を、行為を、自分で演じてみることです。

 

どのような感じを持つでしょう?

何かを思い出しますか?

誰かがそこにいますか?

なぜ嫌っているのか、何かに気づきますか?

 

そして、それはかつて、自分の持っていた、自分自身の一部だったのでしょうか。

 

誰かを傷つけましたか?

それは、まわりのあなたにとって大事だった人でしょうか。

あるいは、傷ついたのは、あなた自身だったのでしょうか。

 

演じてみた結果、いまでも、その行為が嫌いでしょうか。

何かいやな感情を引き起こすでしょうか。

 

それとも、かつての自分自身だったことを、思い出したでしょうか。

 

 

 

かならずしも、発見があるとは限りません。

大した理由ではなかったかも知れません。

 

でも、いつまでもあなたが気にかかることであれば、あなたを取り戻す助けになるかも知れません。

 

あなたが本当に思い出すまで、それは繰り返してあなたの前に現れるでしょう。

 

無理をしなくても良いですから、何かを感じ取れるまで、試して見るのが良いかもしれません。

 

その行為そのもの、その言葉そのもの、その仕草そのものに、あなた自身がなってみるのです。

 

無理に結果を出そうと考えを使っては、それを取り逃します。

あくまで、体感してみることです。

 

わかりにくいと感じたら、それを誇張して演じてみるのも良い方法です。

おおげさに、その言葉、その仕草、その考えを演じてみましょう。

 

 

 

もともとあなただったもの、

何かの理由で自分ではないと決めてしまったこと、

 

意地を張っているほど、不愉快に感じるでしょう。

素直になれないときには、聞くんじゃなかったと思うかも知れません。

 

もしかすると、それは今一番嫌っているものかもしれません。

 

それはでも、今でも気になっていること

いつもあなたのエネルギーを要求しているものです。

 

自分のものと認めてしまえば、肩の荷が下りて世界は一変する可能性があります。

 

 

 

 




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共依存と子育て

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心理療法003:共依存と子育て001

共依存(共生関係)についての解説。
親子関係から、子育ての姿勢など。

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◆共依存(共生関係)とは

共依存(共生関係)とは、お互いが相手に依存することで成り立つ関係のことです。

 

生まれたばかりの赤ちゃんが、親に依存しないと生きていけないというような関係は健全な依存といえますが、その後成長するにつれて赤ちゃんも、依存から抜け出して自立していくようになります。

 

しかしその成長過程において、不適切な育児を受ける環境に育った場合には、正常に自立することが難しいという場合がでてきます。

 

この自立を妨げるのが、依存から抜け出せない関係、共依存の関係です。

 

では親子の場合の共依存とはどのような関係でしょうか。

 

まず親の方は、「子どもを養育する」ということに依存しています。

つまり、このような親は子どもとの関係を通じて、「子どもに何かをしてやれること」によってようやく自分の存在価値を見いだすという依存があるわけです。

 

 

依存する親の多くは子供に対して「甘やかし」をします。

子供に依存した親は、子供が成長していくにつれ、だんだん自分がしてやれることが、少なくなってくることに不安を感じます。

 

そのために、子どもに自分でやらせた方が良いことまで、親の方から先に手伝ってやってしまおうとするのです。

 

一見子供を心配しての行動に見えますが、過度の干渉になってしまうのは、子供のためと言うよりも、親自身の不安から来る行動だと言えます。

 

一方で、子供の方は依存した親に育てられると、「自分でやるからいいよ」という一言がいえないまま、自分も親に依存するという関係を強いられることになります。

 

このような子供は、大人になってからもお互いで依存するような関係をもてる相手を探し出そうとします。自分の親との関係を再現するような関係です。

 

自分で出来ることも相手にしてもらうことを求めたがったりする関係や、あるいは逆に自分が親の立場で、相手を甘やかして依存させる関係を築こうとするわけです。

 

そしてまた、将来的にも自分が甘やかす親となって、自分の子供に依存させるように接するというのも珍しくないわけです。

 

このような操作的な親と暮らしてきた人は、大人になっても適切な人間関係を持つのがとても困難なものです。

なぜなら、自分は不適切な人間関係の取り方ばかり見せられてきているので、それ以外の方法をとることを知らないからです。

 

 

共依存は、まずどちらかが自立したいと思うことが、その関係を断ち切るためのスタートになります。

 

片方が依存をやめようと思っても、相手は何とか今の依存関係を維持するための抵抗を示すでしょう。

 

今日取り上げた親子の関係の場合であれば、親は何とか自分の手助けというものが必要なのだと、説得しようとします。

それでも依存を拒否されれば、「こんなに子供のことを思っているのに、なんて親不孝な...」といったことを言い出すかも知れません。

 

共依存の場合、その中で依存されることにより自己愛や自尊心などが満たされるという関係であるため、それを捨てても他の方法で満たすという決心も必要になります。

 

なかなか簡単なことではないですが、まずは自分が共依存という関係にあることを認識し、またそれ以外の関係の持ち方があることを経験しながら、自分の依存している部分を他の方法で置き換えていく必要があります。

 

 

友人との関係や仕事での人間関係などを、新しいやり方で作り上げていくこと、またそのような関係が自分にもとれることを知ることです。

それによって、自立して自分の判断で決定することも可能なのだということに、自分をならしていくのがいいのではないでしょうか。

 

また自分だけでは手に負えないと感じるのであれば、新しい人間関係を作り上げる方法やそのための訓練を教えてくれるような専門家に相談してみることが必要な場合もあるでしょう。その場合もまずは決心してスタートを切ることです。



◆共依存から脱却するには

共依存で生きることを強いられてきた人が、そこから脱却するということ。

 

そのためには、他人からの感情の操作に抵抗できるだけの知識を持ち、信じ込んできた幻想から自由になる必要があります。

 

「そんなことは考えない方がいいよ」という他人の声に対して、従う必要があることなのかそうでないのか、それを自分で判断できるようにする訓練が必要です。

 

子どもの時に判断力も乏しく弱い立場にあるときに、親が操作的な人だったりするとその影響を受けることを拒否することなど出来なかったでしょう。

 

 

その結果、自発的な自分の考えや感情は間違っていると思い込まされて大人になります。

「自分の感情を信じてはいけない、自分が感じていいのは他の人も認めることだけだ。」

「相手の感情を傷つけたのは、全て自分の責任だ。」

 

そしてまた、裏返しで自分の側からも、他の人がそのように信じることを強要することにもなります。

 

大人になってからもその影響は続いているので、親以外からでも感情を操作するやり方には屈してしまうことになります。

 

「そんな考えを持つなんて、ひどい人間だよ、私は傷つけられた」

「なんで怒ってるかわかる?あなたのそのやり方はひどいことなんだよ。」

「そんな考えを持っていると、いつかひどい目に遭うよ、あとで後悔するよ」

 

 

自分の意志や判断をもつことに充分な信頼を持っていて、また他の人との関係においても負い目を感じずに接することが出来る、そんな人ならばこういう脅しには乗らずにいることが出来ます。

 

しかし、いままで共依存の環境で生きてきた人にとっては、他人からこのような感情操作を受けると、すぐに自分の判断がぐらついてしまいます。

 

「やっぱり自分のしようとしていることは、間違っているのではないだろうか?」と考えてしまうわけです。

 

そこで、これまでの幻想を打ち砕いて、新しい自分が持つべき指針は次の点です。

 

「私は他人の言ったことで感情をコントロールされたりしない」

「私の感情は私自身がコントロールできる」

「私の感情の責任は私だけにある」

「相手の感情の責任は私にはない」

 

相手の感情は、その人が責任を持つことです。

あなたの自分の何かがその人の感情を傷つけたという脅しには乗らないことです。

 

あなたは自分の自発的な感情を信じることも許可されているのです。

「そんな風に感じるなんてダメだよ」と他人から言われる必要はないと言うことです。

 

 

これを頭に置いて、相手が自分の罪悪感に訴えて感情を操作しようとしてきても、きっぱりと自分の判断でそれが自分に必要かどうかを判断できるように訓練していくことです。

 

またその時には、共依存の関係にある人からは、抵抗に遭うことも覚悟する必要があります。

あるいはまた、自分自身の内側からも、「こんなやり方はよくないよ。今までのままの方が平和でいいんだよ。」といった抵抗が出てくるかもしれません。

 

しかし、自分の魂を売り渡したまま生きるのがいやなら、それは取り組む価値のあることです。

自分を取り戻せるまで、少しずつ繰り返して自分のものにしていくことです。


◆3つの家庭『レンガ壁・クラゲ・背骨』

バーバラ コロローソさんは、子育てにおける家庭には3つのタイプがあると言います。

 

「レンガ壁タイプ」は、変えようのない枠組みが頑として出来上がっていて、しかもそれはすべて親の権限に委ねられています。子どもが自分の自主性を発揮する隙はありません。

 

「クラゲタイプ」は、その名前のように背骨になるはっきりした基準がありません。

レンガ壁タイプとは対照的に、すべて行き当たりばったりで、一貫性のないしつけになってしまいます。

 

「背骨タイプ」は、上記の2つのタイプに欠けている「背骨」がしっかりしています。

「背骨」とは、子どもが自分のことを大事な存在であると確信できる拠り所を持たせてくれるものです。

「背骨」が育っていれば、自分も他人もそれぞれが大事な存在であることを認識しますから、どちらに対しても傷つける様な行動を取らずに、それぞれがかけがえのない存在であることを見いだします。

 

 

「レンガ壁タイプ」の問題は、親子の間で上下関係が一方的に存在するため、命令は有無を言わせないものとなり、そのような親に育てられた子どもは、自分自身で判断するという能力を育てられないままになってしまうことです。

 

単に命令する態度だけを受け継ぐのなら、まだ救いはありますが、自分で考える能力を奪われ、自分の要求を持つことは出来ないこと(やってはいけないこと)だと信じ込まされますから、大人になってからも自分の判断や感情を表現することが出来なくなります。

 

その時、その場面で自分の判断する力を押さえつけていますから、やれることは親が見せてきた、一方的な押しつけや、反抗に対して力で押さえつけようとするやりかたばかりになってしまいます。

 

このようなやり方でそだてられると、「考えるな」とか「感じるな」という禁止令を背負い込んでいくことになります。

 

この結果大人になっても、自分の考えや感じ方を人前で表現することを、無意識にさけるようになります。

 

たとえば、自分が意見を言えないのは、充分な知識がないからだと言い聞かせているかもしれません。

 

しかし、自分の禁止令に気がつかないと、いくら知識や情報を与えられても、なぜか自分の意見が思い浮かばないという状態になるかも知れません。

 

あるいは、自分は感情を表現しないタイプだとか、感受性が乏しいと思い込んでいるかもしれませんが、何かのきっかけで火が付いたような感情の表出が起こって、自分でも戸惑うかもしれません。

 

また、「レンガ壁タイプ」に育った子どもは、親のような一方的な力で押さえつけるやり方を嫌い、自分が親になったらそのようなやり方を子どもにはしないようにしようと思う場合もあります。

 

しかし、そこで親とは違った、自分のやり方、考えを持とうとしたときに、自分の中でそのモデルになるものが育っていなかったことに直面することになります。

 

 

そのような経緯から出来上がった家庭は、「クラゲタイプ」になる可能性が在ります。

 

親は子どもに自分が受けたような、強制的な力関係を持たないようにしようと思いますが、その一方で子どもにどのように見本を示して良いのかわからないことが多いからです。

 

その結果、子どもに対しては自由にやらせてあげようとする一方で、急に親に教えられたような高圧的な禁止命令を与えたりすることになります。

 

子どもの自主性をはぐくむ場面と、圧力を掛けても矯正すべき場面を見分けて、やり方を変えるというモデルになる親像が、自分の中にないからです。

 

あるいは、自分自身もどう動いて良いかがわからないのかもしれません。

 

また、上記のタイプと重なる部分もあるかもしれませんが、「クラゲタイプ」には、自分の面倒を見たり、困難を処理するのに精一杯であるために、子どもへの対応が「クラゲ」のように背骨なしになってしまう場合もあります。

 

たとえば、自分の自尊心をうまく育てられなくて、子どものことを考えるだけの余裕が無かったり、アルコール依存や仕事依存のために家庭を顧みる余裕がもてないといった理由で、子どもを相手にしている時間を持つことが出来ません。

 

子どもにしてみれば、拠り所にするものを親から期待できないので、何でも自分で処理しなければならないと思うしかありません。

 

しかし、子どもには充分な判断力は期待できませんから、でたらめをやることになったり、また人を信用するという心を育てられません。

 

そんななかで、どうにか生きていくためには、表面上は大丈夫を装ったりしますが、いつも不安でたまらないでしょう。

 

嘘をついたりして、何とか人を利用する方法を編み出そうとするかもしれません。

 

 

当然「クラゲタイプ」の場合も、「レンガ壁タイプ」に育てられた子どもと同様に、自分や他人の面倒を見るというモデルが育ちませんし、自分を大切にすることや、自分に価値があると信じることが難しくなってしまいます。

 

「レンガ壁タイプ」や「クラゲタイプ」というのは、別にすべての面でそうなるというわけではないわけで、だれしも部分的には、自分にもそういう所があると思うことでしょう。

 

どれだけ、親から影響を受けたかは人それぞれ違いますが、親自身もやりたくてそうしたわけではないという点をわすれてはならないでしょう。

 

自分の側も、充分に育たなかった部分は、そのような事情もあって仕方がなかったんだと認識すれば、今度は自分で自分の中に、新しい親のモデルを作り上げていくという選択も出来るわけです。

 

「背骨タイプ」の特徴として、バーバラさんが上げていることを引用してみます。

 

●子どもを無条件に愛し、受け入れ、はげますことによって、子どもを尊重する。人生において大切な意味をもつ次のようなメッセージを日々与える。

 

「わたしはあなたを信頼している」

「あなたはちゃんと取り組めると思う」

「わたしはあなたの言葉を聞いている」

「あなたは大事にされている」

「あなたはわたしにとって大切な存在だ」

 

●子どものあるがままの姿を受け入れ、やる気をうながす。

 

●失敗しても、きちんと「次のチャンス」が与えられる。

 

●自分の感情を受け入れ、責任を持ってその感情を表現する方法を学ぶ。

 

●しっかりした自尊心を育み、トラブルや危険から身を守れるようになる。

 

●経験によって、他人の意見を尊重することを覚える。

 

●ルールは、はっきりとわかりやすく言葉にされる。

 

●子どもの尊厳を保ちながら、問題解決の方法を考えさせる。

 

 

「自分ならもっと他のやり方を知っているのに」と親が思っても、成功にしろ失敗にしろ自分自身で経験させなければ自分のものになりませんから、時には言葉を呑み込む必要も有るでしょう。

 

経験のある大人と違って、子どもははっきりしたルールを示されないと、自分で判断する力がないかもしれません。

 

「自分の役割を果たさなかったら、あした学校に行かせません」と言えば、子どもは朝になってもベッドから出ようとしないかも知れません。「出来なかった分は、学校から帰ったら遊びに行くまでに済ませること」というようにはっきり示さないとなりません。

 

 

子どもの問題行動を叱るには、まず、何がいけない事だったのかをはっきりさせておくことが必要です。

 

親がただ、「なんてことをしてくれたんだ」と怖い顔をしていただけでは、子どもは何を問題にしているのかわかっていないかもしれません。

 

また、問題が明らかになった所で、子どもがどのようにそれに関わっていて、どの部分に自分が責任を負わなくてはいけなかったのかをはっきりさせる必要があります。

 

そうしないと、同じ事態が起きるたびに、自分が係わっていなくても、また叱られるのではないかと脅えるようになってしまうでしょう。

 

それと、子どもに解決能力があるようになったら、できるだけ解決する方法を考える事に参加させて上げるのが良いでしょう。

 

自分も後始末に参加出来ることで、子どもは自信を持つことができますし、失敗の記憶よりも自分の解決能力を発揮出来たことに夢中になるかもしれません。

 

逃げようのない無条件の非難で子どもの自尊心を傷つけることを避け、また、安易な賞罰で問題ある行動をやめさせるのは必要最低限に留めた方が良いでしょう。

 

アメで言うことを聞かせれば、次もアメがないと動かなくなるし、ムチで力任せに従わせていると、そのうち子どもが力を持ったら仕返しやるぞと思うかも知れません。

 

そして、では自分も「背骨タイプ」になろうと決心しても、自分の持っていないことまで急に出来る様になるわけではありません。

 

親だからというだけで、失敗や欠点を免れるわけではありませんから、まずは親自身が自分自身と折り合いをつけられるようになる必要があることは言うまでもないでしょう。

 

 

【参考文献】

子どもに変化を起こす簡単な習慣―豊かで楽しいシンプル子育てのすすめ (PHP文庫)

バーバラ コロローソ / PHP研究所 / 2003-11 /  

 

 




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向き合うのはいつも自分

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心理療法002:向き合うのはいつも自分001


ゲシュタルトの祈り


◆苦痛から抜け出すために/向き合うこと


苦痛に出会ったとき、私たちがとるやり方はいくつかあります。

 

1.苦痛から目をそらすものを探し求める。

2.苦痛の責任が他の誰かにあると決めつけて、それを攻撃することで苦痛を忘れようとする。

3.苦痛などないかのように振る舞う。

そしてもう一つは、

4.苦痛そのものに向き合ってそれを体感する。

 

最初の3つのやり方では、苦痛そのものがなくなることはないのですが、私たちはそれでも4つ目の方法は出来るだけ避けて一時的な回避策を試みてしまいます。

 

しかし苦痛をごまかすやり方に上手になってはいけません。

それは将来のやっかいごとの元凶を育てているようなものです。

 

ところで、起きてきた出来事が直接苦痛を含んでいるとは限りません。

 

起きた出来事によって、あなたが見たくないと思ってしまい込んでいたものが暴露され、あなたの苦痛や対象への憎悪を引き出すかもしれないのです。

 

それと苦痛を持続させているのは、実は現実ではなく1から3のような条件付けられた思考によるものです。

 

ですが、私たちはこのような解決をもたらさない思考をやめることを恐れています。

もっともな理由があると言い聞かせて、それを続けようとするのです。

 

つまり人は間違ったことをやめないのは、やめることを恐れているからです。

それしか逃れる方法がないと思い込み、やめると怖ろしいことが起きると思ってしがみついているのです。

 

苦痛に満ちた事態が発生すると(あるいは予感すると)、すかさず条件付けされた思考パターンを働かせ始めます。

そのやりかたで状況を追いかけ続けていないと、すべてが崩壊してしまうかのように誤解するのです。

 

 

しかし苦痛を抜け出すには、これとまったく逆のやりかたが必要です。

 

条件付けられた思考をストップさせれば、本当の解決が見えてきます。

 

苦痛に向き合って直接体験するとき、その場で即座に解決することはできないかも知れないし、苦痛を回避することはできません。

 それに比べて、回避策を使っていれば、その場は苦痛を感じなくて済むのですから、ついそちらを選んでしまいます。

 

そして苦痛を避け続けていれば、そのうち何が起こってそれが解決するのかのように思ってごまかそうとする。

 あるいは、答えがすぐに見つからない状態は耐えられないからと、無意識にすぐに回避策に逃げ込む。

 

ついやってしまいがちなこういった逃げの姿勢は、残念ながら根本的な問題が残ったままになるので、いつまでも問題をぶり返して悩む原因となります。

 

不安感や答えが見つからないことによるいら立ちは、確かに誰でも辛いものですが、本当の解決が欲しいのなら、また将来に問題を持ち越したくないのなら、そこで解決してしまうのが一番いいはずなのです。

 

痛みから自由になるには、痛みを感じ尽くさなければなりません。

 

身体の場合でも、熱があるからといってすぐに解熱剤を使うと、本来の身体の治癒しようとする力を阻害してしまうことがあります。

その結果状態を長引かせてかえって悪い結果になってしまうのです。

 

同じように心の痛みの場合も、「それを通らずに済ませるわけにはいかない」と諦めて、抵抗せずに受け入れることが根本的な解決をもたらすのです。

 

上記の回避策のように、怒りや憎悪を作り出して本質を覆い隠したり、現実を無視するやり方をとらないでいれば、その痛みはやがて苦痛の原因を完全に取り除く方法に導いてくれます。

 

 

まずは、あなたの問題を充分に意識して見てみましょう。

 

すぐに目を背けたくなるのを防ぐために、当事者として見ることを少しやめて、客観的に問題を問いてみようという第3者的な好奇心の目で問題を扱ってみましょう。

 

あなたが他の誰かの相談にのっているつもりで、その問題に接してみるのです。

 

それがいかにあなたを苦しめているか、感じたくないことを感じさせるかを目をそらさずに見てみるのです。

 

これは、いつもはあなたが見ないようにしてきたことです。

それを「あえて見てみることでどんな反応があなたに現れるのか」に注意して見守りましょう。

 

充分に苦痛そのものを見つめたら、今度はそれに「反抗」してみましょう。

 

反抗といっても苦痛をもたらす原因や人に対しての反抗ではなく、その苦痛の現れてくるあなたの内部に対して反抗してみるのです。

 

いままでは、存在を充分に認めなかった苦悩に対して、「もうこんな苦しいことは充分だ。充分我慢してきたからこれ以上我慢しない。これで終わりにする。」と宣言してみます。

 

これまでは反抗どころか、最初から手をつけかねてきた苦悩に対して、自分が決別することを選択すると本気になって宣言してみることです。

 

見るのがいやなほど、どうしようもないと思って諦めていたことも、正面から取り組む気になれば他の選択も出来るものだということが徐々に見えてきます。

 

他の人の問題ならアドバイスできたように、あなた自身の問題にも、可能性を除外し続けてきた選択肢が存在することが見えてくるでしょう。

 

今までそれが出来なかったのは、最初からそれを除外して考えてしまう、条件付けされた思考が放置されていたからです。

 

正面から取り組めばどんな苦痛にも解決はあるものです。

 

習慣的に苦痛のストック場所へ放り込んできたことに、今度からは本気で向き合ってみることです。

 

「苦痛のストック場所」が空っぽにならないと、今にとどまることができないため、いつも慢性的になにかが気がかりになってしまうのです。

 

その時はエネルギーが必要ですが、未処理の作業がたまってじわじわあなたを苦しめるのよりは、トータルで見ればずっと楽であることを発見するでしょう。

 

「小さいうちに対処すれば、大きな問題に遭遇しないまま、やがて大きなことも成し遂げられるのだ」

   老子





◆ゲシュタルトの祈り+アルファ


ゲシュタルトの祈り

 

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

 

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

 

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

 

私は私。あなたはあなた。

 

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

 

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 

 

この姿勢をベースにして、もう少し具体的なことを少し書いてみたいと思います。

 

・「あなたはこう感じるべきだ」と誰かに言われても断固拒否しよう。

自分の感性を見くびらないようにしよう。

 

・相手が何をしたかをいつまでも気にしない。代わりにその動機を考えて見る。

それは自分を振り返るのにも大いに役に立つ。

 

・自分らしく振る舞ったり、自分の大事にしている考えを正直に話せないような人との関係は、どんな理由があっても深入りしないこと。

妥協してしまえば、地獄に生きることになると覚悟すべし。

 

・相手が悪かったとしても、必要以上に傷つけるやり方は極力避ける。

相手を傷つけたその刀で、自分も傷つくことを決して忘れないこと。

 

・相手を怖がっているとき、「それは自分が相手からもらいたいものがあるから」という考えを検討してみる。

要求を通したいために言いなりになるようなら、他のルートを考えて見る。

自分の「エゴ」は大事ではないが「尊厳」は失わないようにしよう。

 

・悪口を言われても、かっとなって自分を守り始めるのを我慢してみよう。

相手を罵っても嫌な感じを後々まで引きずるだけだが、我慢したなら自分を成長させることができる。

 

・相手の方が自分のことを理解できている人だと思ったら、素直に見習ってみよう。

自分がそれを身につければ、自分の周りの人にも伝える事が出来る。その結果、あなたの周りに過ごしやすい環境を築くことが出来る。

 

・苦痛や失望を避けて動けなくなるのを避けよう。

半分以上失望するとわかっていても、避けられないことは先延ばしにしないこと。先延ばしにした思いは、自分の他の思いにも影響を与え続けるので、どんどん歪んだ感情を蓄積することになる。

拒絶からも「いずれは必要になるはずだった経験」をもらえると考えて、その場で思い切ってみる。

 

・その他大勢でしかないからといって、奇抜なことで自分を売り込まないこと。

それはありのままの自分では価値がないといっているようなものだから。

 

・不愉快な相手、不愉快な感情も、克服する機会が与えられたと思って歓迎する。

実際に克服する経験を積むにつれて、強がりではなく、それが本当に歓迎できるものに見えて来る。

 

・まわりにろくな人がいないように思えたら、自分の中にもろくな美徳がないからかもしれない。

まずは自分が見本を示してみるくらいに考えると、いつのまにか周りも変わってくる。

 

・周りに歓迎されたいと思って策を弄さないこと。

どうせ最初しか効果はないし、ありのままの自分でないのは、すぐにばれてしまう。

その結果「自分を作っている人」という目で扱われることになる。自分が望むのはありのままを受け入れられることのはず。

 

・あなたが思っている以上に、あなたが自分らしく、そのままであることを望んでいる人が、必ずいることを信じよう。

信じられないのは、自分の価値を値引きしているからに他ならない。

 


◆原因探求もいいけれど・・・


心理学の本などを読んで、あっ、これは自分に当てはまるとか、そういうことだったのかと思ってしまう場合も多いでしょう。

 

これが原因だったのかと、トラウマだとかAC(アダルトチルドレン)といった言葉で妙に納得してしまう。

 

しかし親子関係で何も問題なく完璧に育てられたなどという人はいないわけで、何かしら納得できていないわだかまりは誰もが抱えているものです。

 

原因を追及してみることはそれなりに意義のあることですが、何かしらの説明がつくとそれで安心してしまって、事が解決したような気になってしまう場合も多いものです。

 

さらにまずいのは、「自分はACだからこんな状態でも仕方ないだろ!」というように開き直って変化を拒絶してしまうことです。

 

そもそも原因を知りたいと思ったのは、自分の現状に不満で変化したいという思いがあったはずです。

 

説明がついてスッキリしたと思っていると、実は自分は何も変わっていないわけですから、不満はまた再現されることに気がつくことになります。

 

必要なのは、原因を知ることではなくて「それじゃあ自分はどうしたいの?」ということである筈です。

 

自分を変えることは、どんな動機にしろ何かしらの痛みを伴うもの、その痛みは自分が感じるしかありません。

 

それは外注化することは出来ないのです。

プロにまかせても、説明を聞いて納得しても、自分を自分で変えない限り変化は起こりません。

 

もちろん理由もなく自分を変える必要などないし、変わればいいというものでもありません。

 

今は自分を変えてまで対処する切迫感がないのかもしれません。

しかし、いつかこれ以上我慢しないと思ったら、躊躇しないで本心から納得のいく行動を起こせばいいでしょう。

 

重要な意味がありそうに思わなくても、ちょっとしたことがいまの自分のバランスを取るのに重要な役割を果たしていることもあります。

 

ですから誰かに言われたからといって、ちょこちょこ自分を変えた振りをすることには意味はないし、弊害があるかもしれません。

 

変わるかどうかよりも重要なのは、いまのままの自分を素直に受け入れられかどうかということです。

いざとなっても、いまの自分を信じてみると言いきれるように、普段から自分の中に葛藤を抱えないでいることです。

 

「自分を変えなさい」と人から言われても、必要なければ自分は結構ですと言いきれる自己への信頼を持ちましょう。

逆に痛いところを突かれたと感じる様なら、反射的に拒絶してしまわないで、素直に自分を振り返ってみることを許せる自分を持ちましょう。

 

肝心なことは、「いまの自分がいつもベストだ」と言い切れるように、主体的な選択をすることです。

後悔や叶わない未来で代理の自分を生きることではなく。

 

 



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「つまり、何が言いたいの?」、
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損どころか様々なシーンで散々な思いをします。

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