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人間関係

いい人をやめてみる

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人間関係024:いい人をやめてみる

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★いい人をやめてみる
https://www.facebook.com/note.php?note_id=359635367449747

 

ほとんどのみなさんは、自分は「いい人」でありたいと思っていることでしょう。

 

しかしこの「いい人」であろうとすることが、自分を不必要に拘束してしまうことも多いようです。

 

いい人であるとはどういうことでしょう。

 

ひとつは困っている人に声をかけたり、気を配って面倒を見てあげるといった、積極的な働きかけをする人というものがあげられます。

 

こちらは押しつけにならないようにやれば、そのままでもいいと思うのですが、もうひとつの「いい人」のイメージとして、いい人は「~をしない」という否定形で表現されるものがあります。

 

つまり、「こんなことを頼んでは悪い」とかいって、自分の要求を出すのを抑えようとするのです。

相手の要求をまず聞いてあげようとするあまり、結局自分の望みを言う機会を失ってしまい、あとから何でこんなことになってしまうんだろうと後悔する。

 

こちらの方の「いい人」イメージは、バランスを見間違えてしまうと、いつも自分の要求を出せずに欲求不満をため込んでしまい、誰が悪いとも解らないまま、関係ない人に不満をぶつけてしまうことにもなりかねません。

 

「いい人」という言葉に、現実離れした理想を持ってしまったおかげで、必要もない不満やストレスをため込むことになってしまうのです。

 

相手の要求も、自分の要求もどちらも大事です。

片方ばかり重みを置いてしまうやり方は、どちらにせよやっかい事の原因になってしまうのです。

 

ギブもテイクもどちらも必要であり、その両方向の流れが滞らないことこそ、健全な関係には必要ではないでしょうか。

 

もともと自分は自分の要求ばかり言う方だという人は別ですが、いい人になろうとするあまり自分の要求を出せていないと感じる人は、このバランスの崩れを直してやる必要があります。

 

あれこれ考えずに、自分の要求をとにかく言ってみる練習をしてみましょう。

そのとき、自分の要求を出すこと(テイク)は、逆方向の相手の要求(ギブ)もスムーズに受け入れられることに繋がるのだと信じるのです。

 

そして、こんなこと言っては悪いなどとこれぽっちも考えずに、とにかく自分の要求を言ってみることをしばらくやってみることです。

 

そうすれば、そのことであなたの「偉大な寛大さ」がそれで損なわれることはなく、また「いい人」でなくなることもないことが解ってくるでしょう。

 

心配しなくても、相手は受け入れられない要求にはノーをいってくるものです。

 

この人は気を遣ってあげないとノーを言えない人だからとiう解釈も、あなた自身の躊躇を投影したものに過ぎないかもしれません。

あなたが遠慮なく要求を出すとき、相手も気兼ねなく自分の要求を出しやすくなるものです。

 

しかし、日本人には気づかいという美しい文化があるんだ。

命令や要求をあからさまに表現するのは、その伝統を壊してしまわないかと心配する人もいるかもしれません。

 

ですが間違えてはいけないのは、どのように表現するかということと、自分の要求をきちんと認識できるかどうかは別の話だということです。

 

認識できてこそ、どのように表現するかも考えられますが、気がつかないままだと、何でこんなに苦しいんだろうと思いながら、そこから抜け出すために余裕をなくして、でたらめな行動をとってしまうことにもなりかねません。

 

たとえば、あなたが何かの会合とかセミナーに参加して、知らない人ばかりの来たことのない部屋に通されたとします。

 

みんな知らない人同士のようで、何も話さずに黙っていますが、どうも部屋が暑いようです。

 

そこで誰かが勇気を出して「ちょっと暑くないですか?」と言い出します。

これがきっかけで、次々と、「そうですね暑いですね」「冷房を確認してみましょうか」とか「少し窓を開けますか」とか言い出します。

 

要求はみんな持っていたのに、いい人ばかりだったため、遠慮しなくてもいいようなことまで黙りこくってしまった。

 

あなたが最初の声かけをする人になれば、その場全体が打ち解け和やかになれるのです。

 

過大な「いい人」をやめて、自分の要求を素直に認め外に表現してみる。

それは、自分だけの勝手な願いではなく、相手やまわりの人にもスムースな流れを作り出してくれます。

 

「こんな小さなことは我慢すれば済むことだから」と思わずに、練習だと思って気軽に口に出してみる。

 

やがて、間違った寛大さとはどういうものだったかが区別できるようになるでしょう。

 

そしてあなたの完璧すぎるいい人ぶりは、時に相手を縛る命令にもなりかねないことが解ってくるでしょう。

 

自分の要求を表現できるようになってこそ、あなたは本当の寛大さで、自発的に自分から与える人にもなれるのです。

 

どうせなら、いわゆる「いい人」の持つ現実離れした寛大さを捨てて、本当の意味での「いい人」になりましょう。




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人間関係024:いい人をやめてみる



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もし落ち込んでいるのなら

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人間関係023:もし落ち込んでいるのなら001

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★もし落ち込んでいるのなら
https://www.facebook.com/note.php?note_id=182601061819846

もし今あなたが落ち込んでいるのなら、何かで怒っていないかを確かめてみましょう。

 

怒りは、外に向けられないと内側に向けるしかないのです。

 

内側に向けられた怒りは、何もできないあなた自身を責めて鬱にさせます。

 

外に発散できないあなたの無力さを責め、かといって自分を責めることにも納得できない。

 

進むことも退くこともできない罠に陥った状態があなたを鬱に向かわせるのです。

 

「何を怒っているのだろう」

 

「誰を怒っているのだろう」

 

もし当てはまるなら、正直にそれを表に引っ張り出して確認しましょう。

 

無意識のまま積み重ねていては、外側をどう変えても元気にはなれません。

 

意識して「私は○○を怒っている」ことを認めることです。

 

 

 

「私なんかが責めてはいけない人」に感じている怒りはないでしょうか。

 

相手が誰であろうと、あなたに怒りを感じるのを禁じる権利はありません。

相手が誰であろうと、あなたは怒りを感じることを自分に許してもいいのです。

 

もしできないと思っているなら、なにがそうさせるのか、誰がやってはいけないと言っているのか、それを追跡してみましょう。

 

あなたには負い目があって、怒りを抱いてはいけないと思っている。

 

あるいは、あなたは自分の怒りを認めたら、とんでもないことが起きてしまうと思って、それを認めるのを怖がっているのかも知れません。

 

「誰かが怒ると怖いことが起きる」と子どもの頃に感じ、怒りの感情を封印しようとしたかも知れません。

 

あなたは、内面で怒りながら、怒ることは良くないことだと言い聞かせ、引きつった笑いを浮かべます。

 

怒りを感じた自分に気がつくと、わけがわからなくなって混乱する人もいます。

混乱してしまうことで、怒りを認めないでもいいようにです。

 

 

「私は本当は怒っていたのだ!」と気がつくだけで、あなたの鬱は消え去っていきます。

 

「自分を閉じ込めていたのは、認められない怒りにあった。」

 

そのことがわかれば、あとは正当なやりかたでそれを表現するだけです。

 

表現するといっても、面と向かって言えないとか、相手がもう存在しないかも知れません。

それでもイメージの中でそれを表現するだけでも効果はあります。

 

怒りを表現するのは、相手を責めることとは違います。相手はその人が思うことをしているだけ、あなたはそれに怒りを感じた。

それ以上でもそれ以下でもないはずです。

 

自分を怒らせた相手を責めていること自体が、自分が怒りを表現するのを禁じることに繋がりかねません。

相手はそのようなことを言ったりしてはいけなかった。

そう強く思うあなたは、自分の行動も相手を怒らせてはいけないと思うわけです。

 

 

肝心なのは、自分が怒りを感じていたことを認め、その怒りを自分が表現するのを見ることです。

 

誰か第三者に自分の感じていることを聞いてもらうだけで、きっかけが掴めるかも知れません。

頭ではなく、身体全体で怒りを感じている自分を感じられればいいのです。

 

 

もしあなたが、いつも自分の行動に説明が必要だと思っているなら、それが足かせになっているのかも知れません。

 

自分に責任を持つとは、すべての行動を説明出来ることだと信じていると、説明出来ない自分を許すことができません。

 

「うまく言えないけれど、私は怒っているのだ、悪いか?誰にも文句は言わせない!」と言ってみましょう。

 

それを意識してやることが、いままでとは違う結果をもたらすのです。

 

そうしないと、あなたは無意識のうちに、いままで通りの同じことをやってしまいます。

そちらの方は、いわゆる「切れた」状態に陥ってしまうという現象です。

 

ため込んだ怒りのあまり「切れて」それを誰かに当たり散らしても、うまく治まることは期待できません。

 

それどころか、まわりから怒りだすと手がつけられない人に見られてしまいます。

そして、あとからそんな自分を余計に責めることになるという後始末が待っているのです。

 

怒りを無理やり消すことは出来ません。

意識してそれを自分のコントロールのもとで発散する手段を見つけるのです。

 

怒りは正当に扱えば、破壊的な感情でもないし、禁止すべき感情でもないのです。

 

それは、うまく付き合っていく必要があるし、あなたに恩恵をもたらす感情でもあります。

 

それには、曖昧なままで「怒り」を扱っていていては、うまくいきません。

 

怖がらずに自分の怒りの源を探り当て、それをハッキリ認識して受け入れて、さらには、それを表現する権利を自分が持っていると認識した上で表現するのです。

 

ちょっと気分が滅入ったら、何が起きたのかを探ってみましょう。

鬱の多くは「誰かを怒っていますか?」という問いかけに、正直にこたえるだけでも改善できるのです。



★傷つけられた私の怒りと復讐
https://www.facebook.com/note.php?note_id=182543591825593

 あなたは誰かがちょっと触れただけで、傷つけられたと感じてしまう可能性があります。

 

それは、あなた(エゴ)が他の人はあなたを傷つけるものだと思い込んでいるから。

 

あなた(エゴ)は自分の傷を持ち歩いて、誰かを待ち構えています。

あなたにちょっと触ったら、

あなたに何気なく声をかけただけなのに、

誰かがあなたの傷にさわったと感じてしまう。

 

 

しかしあなたにはそう見えても、誰もあなたを傷つけようと思ったりしていません。

それどころか、誰もが自分の傷を守るのに忙しい。

人を傷つけている暇なんかありません。

ひたすら自分の傷を守るのに忙しいのです。

 

あなたの傷の扱いに注意しなさい。

それを大きくするようなことをしてはいけない。

それにさわらないで癒されるにまかせるのです。

あなたが根源に向かっていれば傷は癒されます。

あなたが頭(エゴ)で考えなければ、それだけ傷は癒されます。

あなたが頭を空っぽにすれば、そこには傷は何も存在しない。

頭を使わずに生きなさい。

トータルな存在として生きて、物事をそのまま受け入れるのです。

 

一日だけ、24時間だけすべてを受け入れることにして、なにが起きるか確かめてみましょう。

 

侮辱されてもただ受け入れて、それに反発しないでいる。

すると何が起きるでしょう?

あなたは突然、いままで感じた事のないような、エネルギーが復活してくるのを感じるでしょう。


誰かがあなたを侮辱する。

あなたは惨めに感じ、混乱させられて、どうやって相手に復讐してやろうかと画策を始めてしまう。

 

昼も夜もそのことばかり考え出す。

1ヶ月、1年と復讐を考えて、よく眠れず、夢でもそれが登場してうなされる。

 

あなたの貴重な人生は、この復讐のために台無しになる。

あなたは、いまを生きてはいない。

あなたは、復讐劇の中に生きていて、現実の生活はおまけに過ぎない。

復讐することが生きることの代わりをしてしまう。

 

楽しんでなんていられない。

いまを生きてなんていられない。

そんなことをしたら復讐の手がゆるんでしまう。

復讐こそが、我が人生なのだ。

 

それもこれも、誰かがあなたを侮辱したことが始まり。

あなたのエゴがかってに戦いを始めてしまった。

 

そこでただ聞き流して、受け入れて、何も反発しなければ何も起こらなかった。

そうすれば、得られたはずの膨大なエネルギーが、あなたが頭を捨てれば蘇ってくる。

 

エゴの復讐劇に乗っかるのをやめるだけでいい。

 

もともとそこには、何もない。

あなたを侮辱した人は、何か理由が有ったのかどうかもわからない。

本人すら、何でそんなことを言ったりしたのか、覚えているかどうかも怪しいものだ。

もちろん、あなたを苦しめてやろうなどと思っていることはまずなかっただろう。

そんなことよりも、自分の傷を心配する方がよっぽど気になっているのだから。

 

人が傷つくようなことを言ってしまうのは、自分の傷が刺激を受けてしまったからに過ぎない。

自分の傷を触られそうだと感じるとき、慌ててしまう。

それを守ろうととっさに身構え、なりふり構わず必要なら相手を攻撃する。

 

なにが逆鱗になるかは、ひとりひとり違っている。

しかし、何も知らずに相手の逆鱗に触れてしまえば、あなたは反撃を受けてしまう。

それが今度は、あなたの逆鱗と結びついてしまう。

げきりんは、一時的にあなたを無敵モードにしてしてしまう。

 

そうやって、あなたはそれに立ち向かってしまった。

エゴにそそのかされて。

「こんな侮辱は許されてはならない。正義を守らねばならない!」

 

あなたは、全体として生きることを捨ててしまう。

あなたの関心は復讐にある。「この私の傷を見てみろ!どれだけ傷ついたと思っているんだ」

傷に障るたびに、怒りが生々しく蘇ってくる。

 

おそらく、相手も、そして誰も忘れてしまった出来事のために、

あなたは自分の他の生き方を捨ててしまった。

エゴと復讐に生きることに、いまを生きることを捨ててしまうのだ。

 

復讐劇をやめてみる。

誰かが侮辱しても、あなたを押し倒してきても、今日は何もしないでうちに帰ろう。そして、いつものように思い出したり、何かしてやろうと考えるのをやめてしまう。

そうすれば、何も起こってはいなかった。

あなたが傷をいじり回すのをやめたら、傷は自然に消えていく。

観察日記をつける必要も無い。

あなたは傷のことなんか忘れてしまう。

そして、あるときふと気がつく。

たしかここに傷があったような気がしたけど、いまはなにもない。

勘違いだったのかな。

 

そんなことよりも、復讐をやめて蘇ったあなたのエネルギーで、いまを生きることの方が忙しくなっているのだ。

復讐しようとしていた時を振り返って見れば、いかにあなたが馬鹿なことをしていたのかに気がつくだろう。

 

だれもあなたを破壊することはできない、ただあなたを除けば。

だれもあなたを救うことはできない、ただあなたを除けば。

あなた自身がユダであり、あなた自身がイエスなのだ。


※引用とテーマはこちらから

Angry All The Time? Try Osho's Anger Management.OSHOtimes

http://oshotimes.blog.osho.com/2011/04/osho-on-anger-management/

 



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人間関係023:もし落ち込んでいるのなら001

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相手の欠点?それとも・・・

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人間関係022:相手の欠点?それとも・・・001

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★相手の欠点?それとも・・・
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=354685074611443>

 

「相手の欠点にどう対処すればいいか」を考えましょうか?

 

さて、まずはこの「相手の欠点」と言う言葉を使っている時点でアウトです!

 

「欠点」だという見方をした段階で、あなたの価値観で判断を下しているわけです。

「欠点」というくらいだから、他のやり方に変えないといけないと思ってしまう。

 

その結果、相手を変えようとし始めるのだけれど、自分を変えることすら難しいのに、そう簡単に他人を変えることはできません。

 

挙げ句の果てに、変わってくれない相手を怒ったり、愛想を尽かしたりしてしまっては、何も進まない。

 

さてそこで、あなたが「補ってあげる点」という見方に変えたらどうでしょう?

「あなたが補ってあげる点」ここから始めれば、全然見方が変わって見えてきませんか?

 

うまくいかなければ、あなたの補い方に問題があるのかもしれない。

そこで相手を責めるのをやめて、自分を振り返ることになる。

 

相手を補って、助けてあげる方法を考えようとすれば、あなたにはそれがどうして出来ているのかが見えてきます。

 

あるいは、もしかすると、それが実は曖昧であって、自分でも教えられるほど出来ていなかったことが解ってくるかもしれません。

 

そうなれば、今度はあなたを磨く番です。

 

そういうやり方で、磨かれ、たどり着いた方法というのは、本物になるに違いありません。

そして相手を助けることも確実に出来るようになるでしょう。

 

このように「欠点」という見方からスタートするのと比べて、もたらされた結果には雲泥の差が出るというものです。

 

しかし、もしかすると、あなたは相手のその部分を助けてやりたくないと思うかもしれません。

 

それならそれで、その理由を探ってみましょう。

それは、あなた自身の側に痛みを伴うことかもしれません。

 

たとえば、相手を助けたくないのは、「自分もそのことで助けてもらえなかった、だから・・・」ということ?

 

あなたは、誰が相手か解りませんが、その恨みを晴らしたいのかもしれません。

そうしないと、他人を助ける気にはなれない。

 

ですが、そこまで気づけたとしたら、解決は目の前です。

問題が何かがわかれば、半分解決したようなもの。

 

このような完結しないままの思い「未完成の仕事」は、必ずといっていいほど、私達の悩みや触れたくない自分を作り出しています。

 

「近づくのが、ちょっといや」、でもそれを明るい場所に持ってくれば、あなたはいちだんと輝きを取り戻すようになれるでしょう。

 

いつのまにか、焦点が自分の問題に変わってしまったと思いましたか?

 

しかし、それは当然なのです。

相手の「欠点」という言葉自体が、もともとあなた自身の問題が姿を変えたものだからです。

 

これで、ずいぶん楽になれますね。



★癒着した関係(共依存)の犠牲から解放される
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=352316904848260>

 

 

誰かとの癒着した関係は自分自身を見失ってしまいます。

どこまでが自分で、どこからが相手なのかが曖昧で、その結果自分の中心がどこにあるのかわからなくなってしまうのです。

 

その結果、今感じているのが自分本来の感情なのか、相手の感情なのか区別がつかなくなります。

 

癒着した関係は、両親や配偶者や自分の子どもとの関係で特に多く発生する、いわゆる共依存と呼ばれる関係です。

 

たとえばお子さんのいらっしゃる方なら、自分の子どもに関すること、進学の問題などで、それがうまくいったときにどのように感じるかを考えてみましょう。

 

まず、子どもが達成できたことに対して喜びを感じるでしょう。

子どもにおめでとうを言った後、癒着のない関係であれば、今度は自分がここまで子どもを育ててきたことへの自負を感じたり苦労をねぎらったり、自分自身に関しても喜びを感じるものです。

 

ところが癒着が進んでいると、親の喜びは子どもの喜びや成功次第になってしまう場合があります。

 

「私はどうでもいいのよ、あなたが喜ぶ顔が見られるだけでいいの」という言葉も、これだけでは判断出来ませんが、中には「私はどうでもいいの」と言う言葉が文字通りの意味になっている関係もあるのです。

 

親の方が自分自身についての喜びその他の感情を、すべて子どもの感情で肩代わりしているような場合が見られます。

 

親自身の感情は、子どもが関係してくるとどこに行ってしまったのかよくわからない状態になっています。

 

そして子どもの感情を頼りにしなければ、自分だけでは自分の感情をどうにも出来なくなってしまうのです。

 

そこ結果常に子どもをそばに置いて、自分の感情の代わりにしたり、子どもの自然な感情表現を押さえつけ、親の望む感情になれと無意識に強要してしまうのです。

 

そのような親に対して、子どもの方は何とか癒着を逃れられるかもしれませんが、多くの場合、この癒着に巻き込まれてしまいます。

 

そして、たとえば子どもは「親の期待するような感情ばかり表現し、自分の素直な感情表現を隠してしまう」といったことが起こってきます。

 

癒着した関係の問題点は、自分自身の中心を失ってしまうことにあります。

 

その結果、自分ひとりで判断出来ない(相手の判断を当てにする)とか、

自分自身の感情がわからない(上記のように相手の期待する感情に支配される)といった問題を生じるようになります。

 

程度の問題ではありますが、癒着した関係はたとえ最初の相手が身の回りにいなくなっても、別の人(たとえば配偶者)をその相手に選ぶようになります。

 

かつての癒着を再現してくれるような相手を選びがちになり、自分が癒着した関係を仕掛ける側に回って、相手が拒否したとしても無理矢理巻き込もうとする可能性があります。

 

どんなに環境が変わろうと、自分自身がその源を抱えている限り、依存関係を作り上げてしまうのです。

 

それによって生じる犠牲は、深刻になれば自分自身の中心がないと感じて、無理にまわりを巻き込み、そのような相手が見つからないと自分自身の力で自分を取り戻すことが出来なくなります。

 

そんな犠牲から解放されるためにも、あなたに潜んでいる癒着は、小さいうちに断ち切ってしまうことです。

 

最終的に見つけられるのはあなた自身しかありません。

最初は自分ひとりで区別がつかないのであれば、誰か第3者の手を借りてでも、手がかりをつかんで、その関係を終わりにする決心が必要です。

 

大変なのは、最初にそのような関係が自分の中にあることに気づくことです。

一旦大元の関係に気づいて受け入れられれば、個々の細かい問題はずっと容易に明らかになってきます。

 

ですが、これは関係性の問題である以上、もう一つ難しい問題が存在します。

それは、癒着を断ち切ろうとする相手が抵抗してくるということです。

 

程度によっては、相手はそんなあなたを批判し、怒り出すかもしれませんし、あるいは馬鹿なことはやめて元の関係に戻りなさいと懐柔してくるかもしれません。

 

それに負けて元に戻ってしまうということも、実際多く存在しているだろうと推測されます。

 

その程度によっては、ごく普通に見られる関係であり、また日本における関係はその傾向が元々あるといった事情もありますが、依存が進めば問題は生じてきますし、大きくなってからは断ち切るのが難しくなるのも確かです。

 

そして、少なくとも自分の感情を犠牲にしてしまっているのですから、とかくそれがトラブルの原因になりやすい関係であるとも言えます。

 

自分自身の自由な感情や自由な判断を大事にしたいとか、もっと本物の関係でありたいと願うなら、避けては通れない問題だと言えるでしょう。




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私の責任はここまで!

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人間関係021:私の責任はここまで!001

やるぞ



★自分の責任はどこまでかを見極める
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=345098685570082>

 

人間関係においては、いろんなタイプの組み合わせでドラマが行われます。

 

必ずしも、同じタイプの人がくっつくわけでもないようです。

 

第三者的に見ていると、片方が一方的に相手を責めていて、どうして相手はそれにつきあっているのか不思議に思うことはないでしょうか?

 

しかしそのような関係においては、どちらも自分の弱点をさらけ出さないために防御しているので、一見奇妙に見える関係が成立してしまうのです。

 

パティー:マーシー、あんたは私をあの学校に行くのをとめずに、笑いものにしたのよ!

 

マーシー:私が何か言ってもどうせ聞かなかったでしょう。

 

パティー:あんたの努力がたりないのよ。

 

パティー:ほんとに私をとめる気だったら、とめることもできたのよ。

 

マーシー:本気でとめようとしたら、私のことぶっていたでしょ...

 

パティー:あんた身をかわすこともできたのよ。

 

パティーのように、何を言おうと相手の責任にしてしまうことが反射的になっている人もいるものです。

 

マーシーがどうであるかは、これだけではわかりませんが、彼女の立場の人間が自分の方に責任があると思ってしまうタイプだと、一方的な攻撃に負けて自分が悪いと思い始めてしまうものです。

 

さて、その場合パティーのような人間に出会ったから、かわいそうにマーシーは犠牲になったのだ、と考えればいいのでしょうか?

 

表面的に見ればそう見えますが、パティータイプとマーシータイプが出会うとき、このようなゲームは毎回繰り広げられることになるのです。

 

パティーは表面的には「迫害者」の立場をとる人です。しかしそれは力の強い側が弱い側を迫害するというものとは違います。

 

パティーの方も実際には自分の中にマーシー的なものを抱えています。

そして自分の中のマーシーが痛めつけられるのを防ぐために、自分が先に攻撃に回ることでそれを回避しようとするわけです。

 

そんなとき逆の立場をとりがちなマーシーという存在は、ゲームを仕掛けるのに絶好な相手であるわけです。

 

マーシーの方も、自分の中で「犠牲者」的な自分と「迫害者」的な自分を抱えています。

しかし、パティーとは逆に、まずは「犠牲者」側にまわりがちな適応方法を身につけてきたと言えるでしょう。

 

オフェンスとデフェンスがそろったのでゲームが始まります。

 

ところで「犠牲者」と「迫害者」を括弧付きで書いているのは、心理的な役割だと言うことを示しています。

 

本当に迫害者になりたいわけでも犠牲者になりたいわけでもありませんが、いままでその役割を演じることで自分を守る方法を身につけてきたわけです。

 

そして、この役割は別の要因が生じると簡単に逆転してしまうこともあります。

 

よく「いじめ」の問題で言われることですが、自分がいじめられる立場になりたくないので、自分もいじめる側になってしまうと言うことがあります。

「迫害者」は自分の中に「犠牲者」の役割も抱えているのです。

 

 

本当はもっとストレートに自分の望みを伝えたり、あるいは不満を表明したいのです。

ですが、人生のどこかでそれは効果がないと思い込んでしまった。

実際にそう思うような機会を経験したのです。

 

しかしその多くは幼い子どもの頃に身につける姿勢、態度です。

そして、やってもだめと思い込んでしまったのは、自分が幼くて力がなく、それと比べて大人があまりにも巨大な存在に見えただけかもしれません。

 

どんな理由からにせよ、私達はそういった姿勢、構えを身につけてしまうものです。

 

大事なことは、このようなゲームの関係は、偽物であることを見抜くことです。

本気で迫害者になりたいと思ってもいないし、犠牲者になりたいわけではないのです。

 

さて、それをふまえて、「自分の責任はどこまでかを見極める」と言うテーマを考えたいと思います。

 

特にマーシー側になりがちだと思う人は、容易に自分に責任のないことまで罪悪感を感じてしまいがちです。

それはその結果、自分が「犠牲者」に身を置くことで、本当の自分の気持ちに直面しないでその場を乗り切るやり方を習慣にしてきたからです。

 

もしかしたら、哀れな自分を救ってくれる「救助者」が現れてくれるかもしれないと期待し、「犠牲者」に身を置こうとするのです。

 

ですがゲームを続けている限り、本当の自分の気持ちはわからないままです(少なくとも表面的には)。

それは、いつも満足のいかない形で、終わります。

 

それでも「誰からも無視されるよりはまし」と自分を納得させて、再びゲームの機会を持つような状況に身を置いてしまうのです。

 

自分の本当の気持ちを確認するためには、一つは「自分の責任はどこまでか」を問いかけてみることです。

 

「私は私の感情には責任を持つけれど、あなたの不満はあなた自身が責任を持たないとならない。」という事実をしっかり見極め、そう主張できる自分を持つことです。

 

とくにパティーのような相手に対する場合にです。

パティータイプは簡単に、自分の問題をあなたに押しつけてくるからです。

 

「それは私の問題ではない」とはっきり宣言することです。

それを言うことに、何も罪悪感を感じる必要はないのです。

 

ですが、マーシータイプは、なにかと自分が悪いと罪悪感に入り込みがちです。

うまく罪悪感を呼び覚ますコツをわきまえているのがパティータイプの人間だからです。

 

そして、いったん罪悪感が発動されると、「それは私の問題ではない」と冷静に判断出来る自分がどこかに飛ばされてしまうのです。

 

それでも、どちらのタイプであるにせよ、それは今までに身につけた姿勢や習慣に過ぎないと思って、繰り返し「自分の責任はどこまでかを見極める」ことにチャレンジすることは出来ます。

 

どんな習慣も、新しい習慣に置き換えられるときがきます。

今のままでいいとか思って、不満を抱える関係を続けないことです。

 

たしかにそれは、ある面であなたが絶望に陥るのを守ってくれたやり方だったかもしれません。

ですが、今の自分には他の選択もあるのです。

新しい姿勢があることを認めて、偽物の関係を捨ててしまう方がずっとずっとメリットは大きいのです。

 

『ゲシュタルトの祈り』

 

私は私のために生きる。

あなたはあなたのために生きる。

 

私は何もあなたの期待に応えるために、

この世に生きているわけじゃない。

 

そして、あなたも私の期待に応えるために、

この世にいるわけじゃない。

 

私は私。あなたはあなた。

 

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 

 

※なおここで「ゲーム」は、交流分析(エリック・バーン)、「迫害者」「犠牲者」「救助者」は交流分析(カープマン)の意味合いで使っています。

 

※引用:「いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント」

エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02

 



★マイナスの影響を与える人
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=351013994978551>
 

 

 

その人と会って話をしたり、ネットなどで文章を読んだとき、なぜだかわからないけれど、いやな気分が残ったり、イライラしてきたりするってことありますね。

 

どこが原因かわからないから、余計に始末が悪いんです。

 

ですが、自分の変化には何か原因があったはずです。

 

相手の言っている言葉は、表面的には直接原因を表すようなものでなかったのですが、巧妙にこちらの心理の何かを引っかけてしまっている可能性があります。

 

たとえば、社会的に望ましいことと自分が思っている基準から、相手の行ったことに反論することを控えてしまう様な場合です。

 

そこで私は言いたいけどやめておこうと我慢する。

ですが相手は巧妙に反論したくなる要素をちりばめているのです。

 

中には、下手に反論すると待ってましたとばかり、その反論の不備を突いてくる。

抑えるのもいやな気分にさせられるけれど、反撃してもやり返されて余計にひどくなる。

 

実はこういった相手は意識的か、習慣になってあまり意識がないかどうかはわかりませんが、結果の計算は出来ているのです。

 

その結果とは、相手の苦しむ顔、悔しがる様子であることが多いのです。

 

話さなければよかったと思う人の多くは、たとえばこのような人ではないでしょうか。

 

・こちらの言ったことに、何かとケチをつけてくる。

・せっかくの達成や気分の良さが台無しになるようなことを思い出させる。

・皮肉を言うことに楽しみを感じているような人。

 

 

皮肉屋さんというのは、自分の言葉で相手の痛いところを突いたと感じられることに快感を感じているように見えます。

 

そしてまた、それは打ち上げ花火のようなもので、相手をぎゃふんと言わせて、その一瞬の快感のためにやっているようなものです。

 

それが終わってしまうと、もう相手にも話題にも関心は無くなってしまいます。

当然、解決や後がどうなるかなど考えてもいません。

 

相手の痛がっている顔を眺めながら、自分は他の獲物を求めて、その場を立ち去っていこうとしているのです。

 

ですから、皮肉屋さんの言った内容は、そんなに考えた上で生まれてきたものではないし、本人もその続きがどうなるかなど考えていないのでしょう。

 

その意味では、皮肉屋さんに対して「あなたならどうすればいいと思いますか?」と聞いてあげましょう。

相手への仕返しではなく、相手のために聞いてあげるのです。

 

おそらくちゃんとした答えは出てこないでしょう。

なぜって、「痛いところを突く」と言うことがゴールであり、問題を解決しようと思って言っているわけではないからです。

 

あなたが一生懸命考えて、努力して積み上げたことは、誰かの一言で台無しになったりはしません。

 

実際にやったことは、実体のない一言などよりも重みがあるし、価値があることは明らかではないですか?

 

相手は自分が優位に立とうとしているのでしょうが、あなたまでそれに付き合って、だめな役に自分をおとしめる必要などないのです。

 

 

優位にあるか劣勢にあるかは見かけだけ。

 

容易に立場は逆転するものだし、そのような優位とか劣勢ということを超えて、対等な位置からものを見ることが出来なければ本当のことは見えてこないものです。

 

そして見かけの優位さなどに気を取られないで、本質を見抜くことを忘れなければ、相手の引っかけに惑わされることはありません。

 

ゲームに引き込むための「引っかけ」が存在していることに気づきましょう。

 

たとえばわざと曖昧な言い方をしていながら、「こんなにはっきり言ってるのにわからないの?」と言って挑発します。

 

誰しも自分に自信のないところがありますから、そういう言い方をされると自分の理解力が不足しているのかなあ、と自信をなくしてしまいます。

 

ですが、ゲームの場合は巧妙に話をぼかしているのであって、あなたの理解力の不足ではないのです。

 

それでも、自信をなくしたあなたは、細かく確認しにくくなるので、自分なりに考えて理解しにくい部分を補って意見を言います。

 

そうなれば、あなたは相手の引っかけにはまってしまったのです。

 

「そんなこと私はひと言も言ってないよ。全くあなたの理解力のなさには困ってしまうね。」みたいなゲームの仕上げをするのです。

 

あなたは、「そんなつもりじゃないのに」と思って悔しい思いをしますが、ますます相手のペースにはまってどんどん不利な状況に追い込まれてしまいます。

 

あなたの弱みは、たとえばあなたの信じている社会的な望ましい人物像にあるのです。

普通の相手ならそれは正しく機能しても、このような相手だと通用しなかったわけです。

 

たとえば、あなたが曖昧な言い方に対して確認を躊躇したこと、それはおそらくあなたの優しさ故なのでしょうが、相手は引っかけるための餌に、まんまとはまってきたぞと思っているのです。

 

罠にはまらないためには、あくまで自分を信じることです。

曖昧でわからないと思ったら、その自分の感覚を信じて、確認しましょう。

もし相手が、きちんと応えないのなら、その人とは話を打ち切ればいいのです。

 

相手はあなたの弱点を見抜く達人だけれど、まともなやりとりに戻ってしまえば、その企みは通用しなくなります。

 

あくまで自分を信じてぶれないことです。

あなたの本当の望んでいることが何かを忘れないこと。

 

あなたの弱点を突かれたのですから、動揺してしまうのは当然なのです。

間違っても、それをあなたの能力や価値のなさと結びつけないことです。

 

一息ついて、ちょっと動揺しただけだと思って、自分を信じる原則に従って仕切り直せばいいのです。

 

このようなゲームにはまってしまえば、それが相手の仕掛けだろうと、自分の仕掛けだろうと、本物の交流にはなりません。

 

自分が被害者だろうと、攻撃する側だろうと、あるいは助けようとしている人であろうと、どれも同じように偽物の関係に過ぎないということです。

 

さて、こういった相手に対しては、今は相手にしたくないと思ったら、相手とは関わらなければいい。

 

それでも、相手をしなければいけないのなら、あくまで自分を信じて自分の弱点に注意しながら接することです。

 

その意味では、自分の弱点を知っておくのは大事です。

 

その弱点は、普段はうまく正しく機能するし、自分でもそれは自分の良さの現れだと思えるようなものである場合が多いのです。

 

ですが、相手によっては、あなたのその原則を守ろうとするこだわりを、逆手に取られてしまうのです。

 

ですから一般に使われる表現で言えば、優しさもいいけど相手によっては厳しさも必要だよということですね。

 

もちろん同じ相手であっても、普通に流せばいいときもあれば、この人がこれを言い出したときは接し方に注意しようと思う必要があるでしょう。

 

◆なんのためにこの人と接しているのかを思い出しましょう。そこから外れてきたら、話を打ち切ることです。そのことを相手に悪いとあなたに思わせるのは、あなたの弱点と相手の引っかけの相互作用なのです。

 

◆ゲームの仕掛けにはまらないこと。また自分の仕掛けやすいゲームにも気づきましょう。

ちなみに相手のゲームとあなたのゲームが対照的で、相補的な(攻撃側といじめられる側のような)場合お互いにゲームを仕掛けることも多いのです。

 

◆あなたの優しさや良い面も、相手によっては引っかけの道具にされてしまうこともあることを知っておくこと。たとえ良さであっても、こだわりすぎずにニュートラルに戻れるようにしておくことです。

 

◆同じ人でもいつでも論理的であるわけではありません。変化に対応するには、頼れるのは自分であり、自分に忠実であるという軸をぶれないようにすることです。

どんな立派な見解であっても、外側に基準を持っていたのでは、簡単に揺れ動いてしまうし、ゲームに入り込んでしまうのです。




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人間関係021:私の責任はここまで!001

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苦手な人-考えるだけで憂鬱

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人間関係020:苦手な人-考えるだけで憂鬱001

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★苦手な人-考えるだけで憂鬱
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=322999471113337>

 

あなたには苦手な人がいます。

 

誰でもそうですよね。

 

できるなら避けて通りたいひとです。

 

相手をしないといけないと思っただけで、憂鬱になります。

 

あのひとと仕事するくらいなら、仕事を変わりたいとまで思うかも知れません。

随分そのひとは嫌われたものですね。

 

ともかく、そういった他人と毎日顔を会わせることは、大変なストレスとなります。

 

 

 

何か方法はあるのでしょうか。

 

まず、あなたにとって、その苦手な人とはどういう人なのかを考えましょう。

 

苦手な人というのは、ひとそれぞれ異なるものでしょうが、一般的な傾向というのは見いだせるかも知れません。

 

・その人は話しかけにくい。

・何か下手なことを言うと、攻撃されそうである。

・あなたの考え方からすると、その人は何を考えているのかよくわからない

 

どうでしょうか。

このあたりは、共通してみられることではないでしょうか。

 

それを確認できたら、次はどうすればいいでしょう。

 

あなたはこれらの問題点は、相手の問題だから、変わるべきは相手だと思っていないでしょうか。

 

実際そうなのかも知れません。

しかし、たとえそれに賛同する人がいたとしても、あなたが取り組むのは相手を変えることではありません。

 

それが成功するくらいなら、あなたはいつまでも苦手なままでいるはずがないのです。

 

あなたは、いや試したことがないから、というかもしれません。

なんなら試してもいいですが、他人を変えることは、ほとんどの場合割に合わない取り組みに終わります。

恐ろしくパワーのいる取り組みになってしまうでしょう。

 

その方向で考えるのはやめて、相手ではなく、あなたに出来る方法を考えましょう。

 

・その人は話しかけにくい。

・何か下手なことを言うと、攻撃されそうである。

 

話しかけにくい難い人というのは、ほとんどの場合、防御がかたい人です。

自分の苦手な部分に入り込まれることを、怖がっている人です。

 

ですから、正面から入ってこられると、すぐに身構えてしまいます。

それがあなたには、取っつきにくさを感じさせるわけです。

 

「下手なことを言うと、攻撃されそう」

そうです、あいては自分の守っていることに触れられれば、攻撃してでも阻止しようとします。

 

ですからその面だけを見て、その人は横柄な人だという見方をしていては理解できません。

そのひとは、自分を守ろうとしている、怖がっている人だと理解するのです。

 

 

 

 

難しい入り口を選ばないことです。

正面から意見を聞こうとしないことです。

 

取っつきにくい人とはいえ、あなたにも相手とはなせる話題の1つはあるはずです。

差し支えのないことから、なにげなく話しかけてみるのです。

 

「なんで自分から話しかけないといけないんだ」とか考えないようにしましょう。

あなたがやるべきことは、相手を糾弾することではなく、理解することです。

 

あなたが目指すのは、あなたのストレスを、これ以上続けないようにすることにあるのですから。

 

自分を守ろうとしている人ほど、いったん自分が警戒を解いてもいいことがわかれば、180度接し方がかわってくるものです。

 

 

 

 

自分の取っつきにくさを自分でも感じているからこそ、自分のことを誰かに理解して欲しいと言う気持ちも強いわけです。

 

あなたは、その理解してあげられる人になれるのです。

 

・あなたの考え方からすると、その人は何を考えているのかわかりにくい。

 

わかりにくさというのも、自分を守ろうとして見せかけている態度から来るものでしょう。

 

あなた自身も意地を張っている時と言うのは、相手の意見にあわそうなどとしないものではないでしょうか。

 

あなたがいったん共通の話題を見つけたら、相手の堅さも和らいできます。

相手の人も、守る必要がないとわかれば力が抜けて打ち解けてきます。

 

そうなれば、それほどわかりにくい人ではなかったことに気づくでしょう。

そのひとも、実はあなたと同じ事を考えているんだという発見をするでしょう。

 

取っつきにくい人ほど、相手と話が出来るようになることを喜ぶものです。

あなたは、苦手な人の克服だけではなく、とても有益な関係を築けたことを発見するかも知れません。

 

あなたがやるべきことは、相手を糾弾することではなくて、理解することです。

 

逆のことを考え続けるかぎり、あなたはストレス状態を、今までどおり続ける事になるのです。

 

横柄な人だという見方

相手が変わるべきだという見方

このような役に立たない批判をあなたの側で捨てることです。




★苦手な人-考えるだけで憂鬱2
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=324041084342509>
 

 

前回の話ではこのような面を考えました。

 

あなたがやるべきことは、相手を糾弾することではなくて、理解することです。

逆のことを考え続けるかぎり、あなたはストレス状態を、今までどおり続ける事になるのです。

 

横柄な人だという見方

相手が変わるべきだという見方

このような役に立たない批判をあなたの側で捨てることです。

 

https://www.facebook.com/note.php?note_id=322999471113337

 

 

今回はもう少し根底にあるものを考えてみたいと思います。

 

ところで、あなたは自分の苦手な人が誰もいなくなってくれたら、この世界はすばらしく住みやすいものになると想像しているでしょうか?

 

自分の好きな人ばかりになるのだから、よくなるに決まっていると思うでしょうか?

それとも、それでもまた新しい苦手な人が現れるに決まっていると思うでしょうか?

 

歴史は絶えず悪者を排除しようとしてきましたが、黒を消せば白だけの世界ができあがることはありませんでした。黒を消してもそのときの灰色が黒に変わるだけです。

 

しかし、このようなたとえを追求するよりも、自分の苦手な人がどうして存在するのかを考え直した方が、新しい発見があるように思います。

 

さて、苦手な人とは、あなたが排除したくなる人かもしれませんが、実はあなたの一部であるとは考えられないでしょうか?

 

あなたの中に存在しないことは、あなたを傷つける原因になることはありません。

そうではないですか?

 

あなたが苦手な人は、あなたの触れたくない部分を刺激するのです。

見ないようにしている自分を思い出させるから、「この人やだ!」と思って近づきたくないのです。

 

表向きは、そんな自分はいないと自分の一部を否定していますが、その部分は確実にあなたの中に存在するのです。

 

一方で否定し見ないようにしながら、それでもふとしたときにその存在は自己を主張してくるのです。

 

つまり周りに対しては、あってはならない存在だと誰かを批判する対象にしていますが、実はそれが自分の中に潜んでいることも十分認識しているのです。

 

誰かの中にその嫌な部分があると思うことで、そしてその相手を嫌ったり批判することで、自分の中にそんなものはないと言い聞かせたいのです。

 

ですが、その批判する行為は、自分の中に向かっても跳ね返ってきます。

批判するたびに、自分の中の一部を痛めつけます。

 

外側を批判することで懸命に隠そうとしながら、一方ではその批判が自分を痛めつけるという、少々やっかいな構図になっているのです。

 

それがたまたま周りにいる人間の中に見えるとき、苦手な人、嫌いな人を作り出しているだけなのです。

つまり本質は自分自身との関係の中に存在し、他人は巻き込まれているだけです。

 

あるいは、こうも考えられます。

必要ならあなたは、嫌いな人間をつくりだしてでも、誰かを批判するという隠れ蓑を作り出そうとするのです。

 

ただ見たくない自分を隠し続けるためにです。

 

ですから、これを根本的に解決するには、自分自身と向き合うしかありません。

 

隠すことが何の解決も生み出さないことを、とことん理解したとき、正直に自分と向き合う決心が出来るでしょう。

 

そして、正体が暴かれたらとんでもないことが起こると恐れていたことは、白日の下にさらしてしまえば、他の様々なできごとの中の一つに過ぎなかったことがわかるでしょう。

 

否定し続けることが、いかに無駄なエネルギーを使わせていたかに気がつき、それが葛藤や憂鬱を生み出す原因だったことに気がつくのです。

 

 

やり残した夏休みの宿題は、考えるだけで憂鬱になります。

思い出せば、その都度暗い気分にさせるのです。

 

宿題をやってしまわないと問題は消えないことは十分わかっています。

しかし、なんとか、それ以外の方法で原因が消えてくれないかと思うのです。

 

ですが、それがまさに悪循環を生み出しているのです。

いつのまにか、巨大な怪物に成長してしまいます。

 

ですが、考えるのをやめて宿題に取りかかった瞬間、道は開け、きっとすぐ青空が広がる予感を感じ始めるでしょう。

 

 

苦手な他人の中に見え隠れする、自分自身の嫌だと思っている部分ときっぱり仲直りしましょう。

取りかかってみれば、思っているよりずっと簡単なことだとわかるでしょう。

 

自分で大変な重荷に作り上げていただけですから。

 

たかが夏休みの宿題も、放っておくととんでもない重荷になるのと同じなのです。

 

そして苦手な他人とは、その宿題の存在を思い出させ続けてくれます。

 

すぐに対立する存在を作り出すという思考の癖が、あなたの内部に対立するものを作り出し、自分を分裂させてしまうのです。

 

「要するにどっちが悪いの?」という発想をやめることから、道は開けるでしょう。

 

それが存在することは、正しいか間違っているかという分類以前の前提なのです。

 

分類することで、何かが解決したように錯覚しないで、存在自体と向き合わなければなりません。

正真正銘、あなたの一部なのですから。

 

分類をやめて、批判をやめて、両方の存在そのものを認めたとき、はじめて問題は消え去るのです。

 

それを本当に理解すれば、苦手な人はあなたに解放をもたらしてくれる人に見えてくるでしょう。




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