まぐまぐ!「タオに生きる」第11号(シリーズ)より
「いつでも動じない自分を見つけましょう」というテーマで、
具体的には頭にくる人とどう対処していくのか、あるいはどんな自分になればいいのか?
そういったテーマでしばらく書いてみようと思います。
さて、それではどんな自分になればいいのか?ということですが、結論をまとめたビデオを作成したので、
まずは御覧ください。
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すぐにご覧になれない方のために、文章のほうで進めていきます。
言い返したいと思うのは、いつも攻撃を受けた後だという事実に気がつくこと。
だからいつも、タイミングを逃すのは当たり前なのだ。
「いや、毎回あらかじめ準備して、今度こそ言いなりにはならないと決心してやっているけれど、なぜかうまくいかないんだ。」
と言われるかもしれません。
しかし、あなたと、あなたを攻撃しようする人とは、もともと、「被害者」と「迫害者」の役割を演じるのにピッタリの相性なのです。
相手からはあなたの作戦など、手に取るようにわかる。
なにしろ、相手はもともとそれに長けていて、いつもそれを使っている人なのですから。
いつのまにか、あなたの作戦は功を奏さないまま、相手のペースに巻き込まれてしまうので、最後にはあなたは悔しい思いをすることになります。
最初から攻撃を受けない自分になることだ。
柔道のように攻撃から素晴らしい反撃を見せようと思っているが、これがいつも悔しいまま終わってしまう悪循環を作っている。
今度こそ反撃してやると思っていても、あなたの作戦など赤子の手をひねるようにかわされてしまうでしょう。
何しろ相手は「迫害者」を演じることに長けていて、一方であなたは「被害者」を演じるベテランなのです。
「被害者」は最後には負けて悔しい思いをする。
それが「被害者」ゲームの筋書きなのです。
あなたは最後には負けるゲームをやっている。
負けて終わらないと意味が無いゲームだからです。
言い換えれば、いつも攻撃されるのが普通の自分で歩いているからいけない。
もう一方の、誰にも文句は言わせない自分で、いつもいようと決心すればいい。
そうすれば、あなたに隙はなくなる。
あなたが「被害者」ゲームを演じ続ける限り、いつもあなたをいじめてくる「迫害者」があなたのまわりに登場してきます。
あなたが、もうゲームはやめだ。本心から被害者になって、惨めな自分を演じることに飽き飽きした。
これからは、自分のほんとうの望みを追求する。それには被害者でいる必要はないのだと気づけば、事態は一気に解決するでしょう。
必要ならば、最初は何を言われたらどう返すか、必要なことを全部想定問答集にしておこう。
そして、いざとなったらいつでもそれを見ればいいようにしておく。
あなたは、いつも見かけだけ「今度こそ反撃してやる!」というゲームを演じているけれど、本心では勝つ気がないのです。
そのような負けを前提した対策など、いくら時間を書けても意味が無い。
相手が攻撃しようが、反対しようが、自分が満足するのは自分の望むことだけと決心する。
まず相手の攻撃ありきの反撃ではなく、最初から攻撃させないで、自分の望むことを発信するのが自分のやるべきことなのだと思い直すことです。
では、本当は何をしたいのか、それを徹底して自分に言い聞かせましょう。
負けるための反撃ではなく、あなたの望みを相手に正面から伝えることが目的であることを確認しましょう。
あなた自身が、これなら迷いはない。自分のほんとうの望みがわかったというところまで、想定問答集をつくり上げるのです。
こうして、あなたは「なんでも言ってみろよ、すぐに反撃できるぞ!」という気持ちで人に合う。
この結果、あなたの隙のなさに誰も何も言わなくなったことに気がつくだろう。
上記のように、今までとは違って、あなたは隙のない揺るがない自分を、そしてそれを感じさせるパワーをまわりに発信します。
あなたは最初、誰かがなにか言ってくるかと身構えますが、だれもあなたに近づいては来ないでしょう。
こうして、あなたは一言も反撃の言葉を使わないまま、戦わずして勝負に勝ちます。
もっとも、最初から勝ち負けではなかったことにも気がつくでしょう。
あなたは、むしろ自分から勝負を放棄していたのです。
いつまでも嘆いている人は、
本気でもう片方の自分になろうとはしていないのだ。
そして、また今日も反撃できなかったと悔しい思いで一日を終わる。
これが、本当は変わりたくない人間のその日の報酬になるわけだ。
報酬とは、「被害者」ゲームの結末です。
わざわざ自分をいじめるようなことを、自分からしたりするだろうか?
奇妙ではありますが、人はマイナスであろうがプラスであろうが、自分の書き上げたストーリーのためには、そこに書かれた報酬を追い求めます。
いつも嘆いてしまう結果が待っている人は、そのような結末のストーリーに生きているわけです。
自分を「被害者」に仕立てて、「かわいそうな私」を演じたり、「私をいじめて!」というゲームを行うのです。
それは、かつて子どもの頃に親からひどく叱られて、「かわいそうな私」になってしまった場面を再現しているかのようです。
つまり、嘆きと、意地悪な攻撃とはセットになっているということ。
攻撃を避けるやり方や反撃の仕方ではなく、嘆きをまずやめることだ。
嘆きは、報酬だと理解すれば、あなたが攻撃を受けやすい理由も、自ずから見えてくるでしょう。
あなたのまわりにばかり、意地悪な人がたまたま多いわけではないのです。
むしろ、「私は嘆きたい!」というオーラを発しているから、ではそれに応えて、いじめてあげましょうという人が近づいてくるのです。
そうすれば、あなたは「私をいじめて」というサインを出さなくなってくる。
もう、誰かにいじわるなことを言われたらどうしようと構えることも、いつの間にか忘れていることに気がつくだろう。
あなたが「私をいじめて」というサインを出さなくなって、自分の望むことを正当に求めるようになれば、
あなたをカモにしてゲームを仕掛けようという人も近づいて来なくなります。
ベテランの「迫害者」は、「被害者」を嗅ぎ分けることに長けているとともに、ゲームに参加しそうにない人間を見分けることも容易にできます。
もうあなたは、カモにはならない。
あなたを相手にするには、仕掛ける方はそれ以上のパワーが必要になるからです。
そのように判断すれば、あなたにいじわるすることは、向こうから諦めて避けるようになっていくのです。
そして自分自身も、もう惨めな役回りは必要ないことに気がつくようになるでしょう。
人に会う前に、
どんなリハーサルをしていたか
気がつきましたか?
本当のところ、あなたは痛い目にあったと思った時、その前にどんな結末を想像していたか考えてみてください。
口では今回こそ勝ってやると言いながら、実際にイメージしているのは惨めになった自分なのです。
嘆いている自分、それが「かわいそうな私」にはふさわしいから、そのような筋書きを自ら無意識に書いているのです。
あなたが、本当にほしいものを相手に要求したり、お願いしたりしている姿が見えるようになれば、あなたにいじわる人はもう必要がなくなります。
あなたの望みと行動は、ようやく一致するようになってくるのです。
もともと、頭にくる問題のある人への対策だと思っていたでしょうが、
自分を抜きにした悪者はそうそういるものではないということなのです。
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人間は、自分をいじめるゲームをしたがる奇妙な生きものです。
しかし、必ずしも人を真似て自分までゲームを演じる必要はないのです。
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まぐまぐ!「タオに生きる」第11号より
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