至福を見つける前に私は地獄を受け入れなければならないのですか? タオに生きる http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-1317.html

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あなたは「至福を見つける前に私は地獄を受け入れなければならないのですか?」と問う。
他に方法はない。あなたは受け入れるだけではなく、理解し、飛び込まなくてはならない。
あなたは地獄の苦しみや痛みを味わい、それがどんなものかを完全に知らなければならない。
地獄がどんなものかを知ったときに初めて、あなたは自分がどうやって地獄を作り上げていたかを知ることができるだろう。
そして、自分がどうやって地獄を作り上げていたかがわかったとき、地獄をもっと作りたいか否かはあなた次第になる。
それはあなたの選択なのだ。「自分はどうやればよいのかわからない」とあなたは言う。
そうだ、地獄を受け入れるのはむつかしい。私たちは全勢力をつかって、それを否定するからだ。
自分の心の中では泣きながら、うわべだけは微笑んでいるのはそのためだ。あなたは悲しくても、自分は幸せそうに見せ続ける。
自分が惨めであることを受け入れるのはむつかしい。
しかしあなたが否定し続けると、あなたは少しずつ、あなたの気付きから切り離されてゆく。
OSHO
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ここで言っている地獄とは、隠し続けてきた自分です。
こんな自分なんていないよと否定したくなる自分です。
「私がそんなことするわけないでしょう!」と他人に見せかけようとする自分です。

しかしこの地獄を抱えたままだと、いつまでも認めてもらえない自分が、地獄から手を伸ばしてくるのです。
「私を忘れないで!」「いい子のフリばかりしないで」「こんな自分も私だと認めなさい」

そのような邪険に扱ってきた自分と、早く和解しましょう。
「わかったいい人のフリをして、こんなの自分じゃないと言い続けてきたことをもうやめます。」
「良くも悪くも、これが私なのだから」
どこに行こうと、私はくっついてきます。
よい子の自分だけでなく、虐げられた自分も一緒にどこまでも付いてきます。

だから、和解するしかない。消えてくれと行っても消えはしないからです。

虐げられてきた自分も、認めてもらえたとわかれば、抵抗をやめます。
これ以上、あなたを悩ますことはなくなるでしょう。
そして、無視してきたその私が、実は重要な私自身の柱でもあったときが付くかもしれません。
私には縁がないといっていたこと、でもそれをやって見たら自分が生き生きしてくるのを発見するかもしれないのです。

「いままでずっと認められなくて寂しかったよ。だから意地悪をして気を引こうとしたんだよ。」
そう思えたとき、私の一部が自分の中に統合されます。
自分の中の迷惑だと思っていた人は、もういなくなるのです。

そして、多くの場合、隠してきた自分を、すっかり投影した外部の誰かがいたことでしょう。
その人は、あなたが、苦手な人だと思い、近寄らないでいようとしてきた人なのです。
もう、その人たちも、あなたを悩ませる人ではなくなるでしょう。
なぜなら、映し出してきた元のあなたがもういなくなったからです。


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