生き方024:たまには観察者になって世界を見てみよう001


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★瞑想とは何ですか?
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=141887359224550>

瞑想とは何ですか? (Meditation: The First and Last Freedomより)

 

あなたが肉体的にも、精神的にも、どのレベルでも全く何もしていないとき、すべての活動が停止して、ただそこに存在しているなら、それが瞑想です。

あなたはそれを意図的に実行するわけにはいかないし、練習することも出来ません。ただそれを理解するしかないのです。

 

ただそこに存在していられる時間を持てるとき、すべての行為(doing)を落としなさい。考えることも、何かに集中することも、熟考することも行為です。

ほんの一瞬でもあなたが何もしないでいられるとき、あなたはセンターにいて全くリラックスしていられます。それが瞑想状態です。

一度そのコツをつかめたら、必要なだけその状態に留まることが出来ます。

そしてついには24時間その状態でいることもできるようになります。

 

そ のやり方が自覚できて、ただ存在することを邪魔しないでいられるようになれば、次は徐々にその状態を攪乱されないまま、ものごとを始められるようになりま す。それは瞑想の第二段階です。最初はあなたはただ存在するというやり方を覚えます。そして次は行動を起こすことを少し試して見る。床を掃除するとか、 シャワーを浴びるとか、それをあなた自身はセンターにとどまったまま行うのです。やがて徐々に複雑なこともできる様になります。

 

たとえば、いま私はあなた方に話をしているけれど、瞑想は少しも邪魔されてはいません。私は話し続けるけれど、センターにとどまったまま、さざ波すら立たずに静かなままでいられるのです。全くの静寂そのものです。

 

ですから瞑想は行動を妨げるものではありません。普通の生活から逃げ出す必要はありません。それでいて、あなたに新しい生き方を教えてくれます。あなたは竜巻の中心にいるです。

 

これによって、あなたの人生は、もっと充実したものになり、もっと喜びにあふれ、明瞭さが増し、より多くのビジョンを持ち、もっと創造的になります。

そのとき、あなたは丘の上から離れて、あなたに起きてくることをすべて見守る観察者になっています。

 

あなたは行為者(doer)ではなく、観察者になるのです。

 

それが瞑想の秘密のすべてです、あなたは観察するものになるのです。

あなたのレベルに応じてそれを続けるとき、そこには何の問題もなく、木を切り、井戸から水を汲むのです。

あなたは小さなことだろうと大きなことだろうと何でも出来ます、ただあなたがセンターにとどまることを忘れないようにすればいいだけです。

 

その気づきと観察者でいる能力があれば、まったく余計なことに曇らされず、邪魔されないまま生きることが可能になるのです。

 

 

 

Meditation: The First and Last Freedom

http://www.osho.com/shop/ShopDetailPage.cfm?ItemId=4997

 

 

What Is Meditation?

 

When you are not doing anything at all -- bodily, mentally, on no level -- when all activity has ceased and you simply are, just being, that’s what meditation is. You cannot do it, you cannot practice it: you have only to understand it.

 

Whenever you can find time for just being, drop all doing. Thinking is also doing, concentration is also doing, contemplation is also doing. Even if for a single moment you are not doing anything and you are just at your center, utterly relaxed -- that is meditation. And once you have got the knack of it, you can remain in that state as long as you want; finally you can remain in that state for twenty-four hours a day.

 

Once you have become aware of the way your being can remain undisturbed, then slowly you can start doing things, keeping alert that your being is not stirred. That is the second part of meditation -- first, learning how just to be, and then learning little actions: cleaning the floor, taking a shower, but keeping yourself centered. Then you can do complicated things.

 

For example, I am speaking to you, but my meditation is not disturbed. I can go on speaking, but at my very center there is not even a ripple; it is just silent, utterly silent.

 

So meditation is not against action. It is not that you have to escape from life. It simply teaches you a new way of life: you become the center of the cyclone.

 

Your life goes on, it goes on really more intensely -- with more joy, with more clarity, more vision, more creativity -- yet you are aloof, just a watcher on the hills, simply seeing all that is happening around you.

 

You are not the doer, you are the watcher.

 

That’s the whole secret of meditation, that you become the watcher. Doing continues on its own level, there is no problem: chopping wood, drawing water from the well. You can do small and big things; only one thing is not allowed and that is, your centering should not be lost.

 

That awareness, that watchfulness, should remain absolutely unclouded, undisturbed.




★非人情の天地に逍遥
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=142312565848696>

私たちは安らぎを手に入れようとして、かえって苦しさを作り出すことに躍起になってしまうことが多いようです。

 

やろうとしていることが、自分を救ってくれて、楽になれると思い込んで動いているので、効果が得られなかったり余計苦しくなっても、それは努力が足りないせいだと思って余計動き回ってしまうのです。

 

つまり、間違った方向に努力しているから、やればやるほど泥沼にはまり込んでしまうのです。

 

間違った方向は、一見自分を幸せにしてくれる道に見えて、結果的に苦しさをもたらしてしまうという、実は自分を欺くものでしかないのです。

 

では間違った方向とはどういうものでしょうか。

 

私たちは技術を磨いたりや仕事を改善したりしようとして、いろいろ努力しようとします。

それらについては、確かに努力というものが結果をもたらしてくれます。

 

しかし、あなたが安らぎを手に入れたいのなら努力をしてはいけないのです。

 

なぜなら、その時のあなたの努力とは、あなたが幸せを作り出そうと考えているプランを実行するという努力だからです。

 

プランを実行しようとすることは、ありのままの現実を受け入れようとしないで、自分が思い込んでいる通りに現実を変えたいということなのです。

 

あなたのプランに基づいて現実を見るなら、ゆがんだ現実しか見えず、当然あなたのプランと現実はだんだんと別れ、離れ、遠ざかっていくのです。

 

それでもあなたの思い込みは、現実があなたのプランに合わせてくれるべきだと思っているのです。

 

そのときあなたは「あなたの思い込み」と一体になって、それこそが本当の自分だと思っていますから、それに反する事実はあなたへの攻撃であり脅威となってしまうのです。

 

ですから、あなたがそれに努力すればするほど、苦しい状況を作り出します。

 

しかし、逆にあなたがプランを諦め放り出したとき、あなたは初めてありのままの現実をみる余裕が出来てくるのです。

 

あなたのプラン、固定観念さえなければ、現実はあなたをわざわざ不幸にはしないのです

 

幸せは自分で作り出せるものではないと認識して、何もしないと決めたとき、あなたの予想に反して不幸が作り出されることもストップするのです。

 

 

「しあわせは、あなたが生きていることそのものの中にあるのであって、作り出すものではない」

これが分かれば、それ以上無駄な努力をしようとは思わなくなるでしょう。

 

幸せは探しても見つかりません、またそれは努力してストックできるようなものでもありません。

他の財産と同じようにため込もうとする努力は意味がありません。

 

ではあなたが偽の「幸せプラン」を実行しようとする行動をどうやって見分ければいいでしょう。

 

まずはあなたが「これが幸せをもたらす」と考えていることを一旦離れた所から見てみることです。

 

そして効果がない、あるいは有害であるやり方を放棄することです。

 

あなたの望んでいるものは、考えても作り出せないとわかれば、プランを持ち続けること自体が問題であるとわかってきます。

 

持ち続けることが、それに執着する自分を強化し続けるのです。

 

自分の思い込みをチェックして、1つずつ手放していけばいいのです。

 

しかし最初から1つずつチェックするのも気が重いでしょうから、1つ面白いアイデアがあるのでそれを紹介してみましょう。

 

まずは、すこし横道にそれますが、夏目漱石の「草枕」について少し触れたいと思います。

 

「草枕」では30歳の洋画家である主人公は『非人情の天地に逍遥』することによって、『とかくに住みにくい』人の世を生きてみようとします。

 

この場合の『非人情』とは、人情に巻き込まれない第三者的な生き方を言っているようです。

 

このような一節があります。

 

余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺《じい》さんも婆《ばあ》さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。

 

もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似《まね》をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探《さ》ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤《じんじかっとう》の詮議立《せんぎだ》てをしては俗になる。

 

動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差《さ》し支《つかえ》ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。

 

平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。

面倒になればなるほど美的に見ている訳《わけ》に行かなくなる。

 

これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。

 

そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐《ふところ》には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画《え》の前へ立って、画中の人物が画面の中《うち》をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。

 

間《あいだ》三尺も隔《へだ》てていれば落ちついて見られる。あぶな気《げ》なしに見られる。

 

言《ことば》を換《か》えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙《あ》げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。

 

余念もなく美か美でないかと鑒識《かんしき》する事が出来る。

 

青空文庫 図書カード:草枕

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card776.html

 

 

ここでは、自分の周りの現実を平面的な絵の世界だと思ってみようと言っています。

 

「ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。」

 

「動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。」

 

絵に描かれた人物のように、相手を平面上に存在するものとして見て、相手はたとえ動いても、平面からは出てこないつもりで接しようと言っています。

 

そして「遠き上から見物する」、「人情の電気」が起こらないように、巻き込まれないでいようとします。

 

このように、相手との人情を切り離して世界を見てみることを「非人情の天地に逍遥」することだと言っているようです。

 

 

それではこの世界観を踏まえて本題に戻りましょう。

 

「草枕」の主人公の場合は「芸術的観点」から世界を見ようとしているわけですが、これを応用して世界を見るとき、私たちは不幸を自分で作り出すような努力を切り離してしまった世界を見ることが出来ます。

 

「非人情の天地に逍遥」を思考実験として体験して見れば、一つ一つの自分の関わりをまとめてリセットしてみることが出来ます。

 

人情を切り離した関係の世界を体験してみれば、どこで人情というこだわりに自分を駆り立てようとしているかが見えてきます。

 

衝動的に巻き込まれる人情の世界を切り離して、たとえば「迫害者」「犠牲者」「救助者」のドラマを作り出すのを阻止してみるのです。

 

そうすることで、あなたは偽物の自己(エゴ)の働きが、本物の自分ではないことを発見することが出来ます。

 

あなたに恐怖をもたらすのが、偽物の自己(エゴ)が作り出している一時的な状況に過ぎず、決して永続的な恐怖にはなり得ないことも見えてきます。

 

それは、あなたが自分から関わらない限り存在しないのです。

 

あなたが努力しないと不幸になると思って駆り立てられ、不安を感じていたのは、本当のあなたではなく、自分だと思っていた偽の自己の働きであったことに気づきます。

 

そんな中に滞在して、あなたがどうしても本心から人情でかかわろうと思うことだけに参加すればいいわけです。

 

あなたが主体的にかかわらなければ、世界の出来事はあなたの身には降りかかっては来ません。

 

まわりの世界が原因で、それに自分が巻き込まれるという思い込みから、自分がかかわらなければ実は何も起こらないことを発見するのです。

 

違和感のある駆り立てられるような他の人への関わり方は、本当の自分の反応ではありません。

 

しかしあなたがそれを自分自身だと信じてしまうと、そのような偽物の自己はあなたの一部として存在を主張し続けることになります。

その偽の自己は、自分に従わないと大変なことになるとあなたを説得しようとするのです。

 

しかしそれに従うことは、結果的に傷ついて終わる偽物の交流を作り出します。

その傷は「誰かや何かが自分を傷つけた」というものです。

 

誰かや何かがあなたを傷つけることはできません。

 

自分が自分を傷つけることを許さない限り自分は傷つかないと承知していれば、それは偽物の傷にすぎないことが分かってきます。

 

わざわざ自分を傷つける行動を取るのは、賢明なやり方とは言えません。

 

「人情の電気」が起こらないように「遠き上から見物する」とき、偽物を見分けることが出来るのです。

「非人情に逍遙」してみることで、本当の関わりだけを選ぶ体験を選択することが出来ます。

 

 

知らない土地に旅行してみたとき、あなたはいつもより開放感を感じないでしょうか。

その開放感とはどこから来るのでしょう。

 

知っている人がいない開放感です。

知っている人は、あなたがいつもの人情に巻き込まれる存在です。

 

そこでは、あなたは自分を見せたい存在であるように着飾っていなければならないのです。

その人達は、努力している自分を証明して見せないといけない相手なのです。

 

だから知らない人ばかりの住む土地では、証明する必要を感じずに済むのでその分開放感が得られるのです。

 

知らない土地に行ったときと同じように、今の周りの世界を「非人情の天地」と見なしてみましょう。

 

「まわりの人物は平面上の人物であり、あなたがかかわろうとしなければ人情の電気は起こらないのです。」

 

自分の本物の人情を見つけるために、たまには「非人情に逍遙」する実験を試してみるのです。

 

「なぜいつもこのような目にあうのだろう?」ではなく、

「私の中のなにがこの状況を引き寄せているのか?」を問いかけてみることです。




※続きはダウンロードしてお楽しみください。

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