人間関係で悩むのが苦手な人、嫌いな人の存在ではないでしょうか? (続)

人間関係で悩むのが苦手な人、嫌いな人の存在ではないでしょうか?
苦手な人、嫌いな人との対処方法
その裏にある心理(投射という働き)などについての話題を集めました。


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※最初の2題は文字数制限で前編をご覧ください。
人間関係で悩むのが苦手な人、嫌いな人の存在ではないでしょうか?

◆なぜ苦手な人がいるの「投影」


◆嫌いな人とのつきあい方

※※※※※

◆他人の欠点

ルーシーが女の子にリストを渡して去っていく。

 

[チャーリー・ブラウン]

またかよ!

 

[チャーリー・ブラウン]

いったい、いつになったら 他人の欠点リストなんか 渡して歩くのをやめるんだ?

 

[ルーシー]

私、崇高な理想をもっているのよ。チャーリー・ブラウン...

 

[ルーシー]

この世の中を 自分にとって 住みやすいところにしたいの!

 

いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント

エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02

 

 

 

最後のルーシーのセリフ「この世の中を 自分にとって 住みやすいところにしたいの!」。

 

「他の人の為を思って、欠点を教えてあげてるのよ!」ではなく、自分の為の行動という自覚がある分、まだ救いがある。崇高な理想なのだから(笑)。

 

しかし、どちらにしても、他人を変えてしまおうと考えている試みは、成功しそうにはない。

自分自身を変えるのも大変なことなのに、他人からお節介にも欠点を指摘されて、それで変わる人がいるとは思いにくい。

 

それはともかく、この2つのセリフについて、考えてみようと思う。

 

「他の人の為を思って、欠点を教えてあげてるのよ!」

 

こういう言葉を発した人が、本当に人がそれで変わると思っているのかは疑わしい。

 

口でそういっているのとは裏腹に、むしろ、他人の欠点を指摘することによって、何らかのメリットが自分にあると考えているという方が近いのだろう。

 

それは、普段から自分自身を批判していることを、他人に向けたくなったのかも知れない。

あるいは、他人をおとしめることで、自分の惨めさを緩和したくなったのかも知れない。

 

いわれた相手に目を向ければ、欠点を指摘されたときの反応は、3種類ぐらいに分かれるだろう。

 

まず最初は、最も多い反応かと思うのだが、批判じみた気配を感じただけで、身構えて反撃体勢をとろうとするというもの。

 

いきなり批判されれば、反射的に反発するのが普通であり、途中で相手の意見などまともに聞かなくなってしまうだろう。

 

反撃するか、失礼な人間だから無視しようとするか、あるいは聞くに値しないと判断して、まともにかかわろうとはしない。

 

2つ目の反応は、「また自分のダメな所を見透かされてしまった」と思ってしまうというもの。

 

これは、普段から自分に対する評価が低いため、批判めいた言葉を聞いただけで、きっとあたっているに違いないと思い込んでしまう。

 

例えそれが、客観的に見れば問題にならない程度のことであっても、自信のなさから自分の至らなさを悔いてしまうことになる。

 

もっとも被害を受けることになるタイプである。

しかし、実はこのタイプが逆に批評家側も演じやすいとも言えるのだが。

 

もう一つの反応は、冷静にその指摘を受けとるというもの。

 

しかし、これが出来るためには、その人は自分自身に対する信頼を持っていなければならないだろう。

 

少しぐらい批判を受けても、自分の大部分は大丈夫であるという信頼感を、自分に対して持っている。

 

だから、他の人からの批判も、余裕を持って妥当性を検討するだけの余裕が持てるのだ。

 

これはしかし、自分が正しいという確信とは、違うものだろう。

 

正しさを頼ったり、自分が正しいと言って欲しい気持ちがあるうちは、正しさの基準を崩されると、自己への信頼そのものも崩壊してしまう。

 

外部に依存しない、内面からの無条件の信頼のような気がする。

 

ところで、このような3つの反応は、ある人がどれかひとつの反応だけをするわけではなくて、その人がとりやすい反応の傾向はあっても、対象によってどの反応になるかは変わってくるものである。

 

自分が普段から、触れられたくなかったり、隠しておきたい部分に触れられれば、ネガティブな反応が飛び出してきやすいものだろう。

 

「この世の中を 自分にとって 住みやすいところにしたいの!」

 

ルーシーが「願う」ような、ほかの人達の「悔い改め」が本当に起きたとしたら、ルーシーは住みやすくなるのだろうか?

 

おそらく、それはいつまでたっても叶わない望みである。

 

なぜなら、他の人がルーシーの望む人間になってしまっても、ルーシーの不満は解消されず、「本気で変わると思わなかったわ。でもね、あなたには、まだこういう問題があるの! そっちも変えないと、まだだめよ。」とでも言ってしまうことだろう。

 

問題はルーシーの内部にあるからである。

 

ルーシーに見えてくる他の人の欠点とは、ほとんどはルーシー自身の問題に他ならないからである。

 

 

そして、自分の中に適応するパターンを見つけたとき、多くの場合、そのペアとなる親の側の感じ方、行動の仕方も取り入れていると言われます。

 

親の行動を嫌って、決して自分はそうはならないと決心しながら、気がつくと親と同じ態度を、こどもや他人にとっている自分に気づくこともあるのではないでしょうか。

 

これは自分の内部でも、この親子ペアがやりとりを繰り返していることも意味しています。

 

「ハーイ今やります」~適応の3パターン

 

いずれにしても、他の人の欠点を指摘して廻るのは、むなしい試みに終わってしまう。

 

他の人はまず変わらないものだし、そのとき気分がよくなったように感じても、自分自身は、だませないわけだから、そのようなダブルスタンダードは、自分自身を複雑なやりきれなさに追い込んでしまうことになる。

 

他人を変えたいという執着があるのなら、何よりも先に捨ててしまうことをお勧めする。

 

1つ捨てれば、10くらい自分が軽くなるだろう。

9つ得をする。


◆他人の中に見る自分のこころ


他の人を非難したり嫌いだと思ったりすることと、

自分を嫌い批判することは、実は同じことです。

 

非難の対象を、他の人の中に投影してみるか、自分自身の中に見つけるかの違いです。

 

そして、多くの場合他の人を非難していることは、客観的に自分以外の存在を非難していることとは別のものです。

 

たとえば、自分が他の人を批判しているのに気付いた時に、

何を非難しているのかを考えてみて下さい。

 

それは、自分自身に関係のない、興味のないことでしょうか?

 

違いますね。それらは、自分が普段から気になっている事柄ではないでしょうか。

 

分かりやすい例で言えば、自分で料理をしない人は、他人が料理をしているやり方を批判したりしません。むしろ料理できるだけで感心してしまうでしょう。

 

ペットに関心のない人は、他の人のペットの飼い方に口出ししないでしょう。

迷惑をかけられているのなら別ですが。

 

自分に感心があることだからこそ、その存在が気になるわけです。

 

それは、実は自分の中に抱えている非難、批判を、他の人の中に見いだしているものと言えるでしょう。

 

そもそも、自我というものが芽生える前の、赤ちゃんには自分と他人という区別はありません。

 

そのことを思い出せば、他人の中に見ている非難や、他人を嫌っていることは、実は自分自身の一部に対するものであることがわかってきませんか?

 

これは道徳的な意味で、他人を非難することを戒める以前の問題なのです。

 

問題なのは、他人に批判の対象を求めている時、実は自分自身への批判や、自分自身を嫌うことを

同時に増強し、育てていることになることです。

 

それは、結局自分で自分を苦しめることにつながります。

 

他人に対してであっても、自分に対してであっても、批判を何度も繰り返す習慣はストップしましょう。

 

こころの中では、いつも色々な感情が渦巻いていてますが、それは自然なこと。

 

どんな感情の自分がいてもいいんだと認めた上で、それを非難したり、あってはならないものだと

押し込めたりしないことです。

 

ありのままの自分を信じていいんだと思える様になれば、非難する対象も徐々になくなっていきます。

それは自分に対しても他人に対してもです。

 

不思議なもので自分が非難をやめれば、まわりに自分を非難する人もいなくなるし、同時に嫌いな人も少なくなってきます。

 

 

・自分が嫌わなければ、嫌いな人というのはいなくなるものです。

 

・他の人が嫌っていないのに、自分だけ嫌っているとしたら、自分の中に嫌いのもとを抱えていると考えるのが自然です。

 

それは誰もが認めるのを嫌がりますが、原因を教えてくれるはっきりした道しるべです。

抱えたままにするか、けりをつけてしまおうと決心するか、自分次第です。

 

・不満や愚痴を言うことは、気に入らない世界を自分で作っているのと同じです。

 

中立である白地のぬりえにどんな色をつけるかを自分が選んでいるわけです。

 

・自分を嫌っていない人に出会えば、誰もがその人を嫌いにはならないものです。自分もそうなりたいからです。

 

・自分と同じ嫌いなものを抱えている人は、最初は仲間だと思うかも知れませんが、自分が素直になるに連れて、だんだんと一緒にいるのが嫌になってきます。

 

・自分を騙して、一生嘘をつらぬける人はいません。自分が嫌っていることを見つけたら、さっさと和解するのが賢明というものです。

 



◆他人の中に見る自分のこころ2


他の人を嫌いだとおもうのは、自分の中に抱えているいやな部分が相手の中に映し出されることから生じます。

 

このような反応を感じた時は、なにも人を嫌っていやな気分に浸ることに使う必要はありません。

 

自分の嫌っている部分や、コンプレックスを発見し解消するためのいいチャンスだと発想を変えましょう。

 

そこには自分のこだわっている思い込みが発見できるはずです。

 

根が深く、混み合っているというのでなければ、気がつくだけでも自分を変えられるかも知れません。

 

この思い込みは、じつは他人が持っているものではなく、自分の思い込みであるわけですから、それを変えようとすると、自分の側から抵抗が生じます。

 

そうだとすれば、嫌っている部分は、本来相手が持っていた問題ではなかったことの証明でもあります。

 

この抵抗が生じるのは、変化することは、自分が今までずっと間違っていたことを認めることになるためです。

 

いったん自分のポリシーだと言い出すと、客観的な判断であっても自分の考えと違っていれば間違った考えであり、排除すべきものにしか見えてきません。

 

自我はそれを自分自身の存在への否定ととらえて反発します。

 

自我の働きは、比較や判断によって何が正しいかを決めるところにあります。

 

この働きは、いわば科学的な手法と同じでそれ自体が問題ではありません。

 

しかし問題が生じる原因は、次の点にあります。

 

・一度どちらかが正しいと決めると、思い込みになってしまって軌道修正が難しい。

・そもそも「正しい」と「間違い」のどちらかに決められることではないことも、どちらか一方に決めてしまう。

 

この思い込みから自由になることができれば、嫌いな他人も存在しなくなるし、自分の思い込みを守るための無駄な努力からも解放されます。

 

まずは、他人の中に見える自分の思い込みを見つけたら、その存在を認めること。

次に「正しい」と「間違い」の思い込みを検証してみることです。

 

「正しい」と「間違い」は裏表の関係にあります。片方が正しいと思っても、見方が変わればもう一方が正しくなる。

 

しかし自我はこのような曖昧さを嫌って、どちらか一方、唯一の正しさを求めるように働きます。

 

どちらか片方に正しさの本質が存在するのではなく、それらは言葉で表現した仮のものであって、本質は両極をあわせもったものだという発想を持つことです。

 

そうすれば自我の思い込みも解きほぐしやすくなります。

 

もうすこしこういった心理の深い部分を見てみましょう。

 

嫌いな人というのは、実はその人の中に映し出されているのが、自分の嫌いな部分であるような人だということです。

 

・自分の判断に自信がないとき、それを揺るがす反対意見を言う人は嫌な人なのです。

 

自分が無理してでも肯定したいと思っていることを、もう一度検討し直して見ましょう。

守りたい考えに反対する考えを持った自分が、同時に自分の中に存在しているから自信を持てないのです。

 

・自分の中に持っている否認したい部分を刺激し呼び起こす人は、存在して欲しくない嫌な人なのです。

 

自分の中に存在しないと思いたがっているものを、相手は垣間見せてくれているのですから、思い切って自分にも存在しないか考えて見ることです。

 

抵抗があるでしょうから、軽い気持ちで、「もし自分がそうだったらどんな気持ちになるだろう」と想像してみましょう。

 

嫌な気分にもなるでしょうが、同時にそんな中でも、存在を認めて欲しいと思っている自分が発見されるでしょう。

 

それでなければ、もともと嫌ったり、気にする必要などないはずだからです。

 

 

さてこうして自分への見方を振り返って見れば、自分のこだわりが解消できどうかは、きっかけをくれた相手に対する自分の見方がどのように変化したかで判断することが出来ます。

 

自分の方が変化すれば、最初は相手が持っているように見えたいやな部分が、きれいに消え去ってしまうことに気づくことでしょう。

 

それと同時に自分の中にあった嫌いな部分も、大事な自分の一部であったことを認められるようになっているはずです。

 

簡単にできる変化からはじめて、自分の思い込みを徐々に解除していくことは、非常にやりがいのあることだと思います。

 

もしかすると、自分を見つけるために、自分から嫌いな相手を捜し求めたくなるかもしれません(笑)。

 

 





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