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2013年06月

水のない河に残された舟で遊ぶ

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生き方031:水のない河に残された舟で遊ぶ

★水のない河に残された舟で遊ぶ
https://www.facebook.com/note.php?note_id=279624482117503

水のない河に残された舟で遊ぶ


 

水のなくなった河なのでしょうか。

とり残された舟で楽しそうにしている女の子2人。

まわりには人はいません。

 

一見取り残された風景ですが、取り残されたように感じる基準は、

私たちが流れのある河を当たり前のすみかにしているせいでしょう。

 

大人たちは、常に流れの真っ只中にいようとする。

流れに取り残されるのを恐れているからです。

 

今の流れでなくなった、流行から外れたものは、あまりにも早く忘れ去ろうとします。

そんなことよりも、新しい流れが気にかかるのです。

 

しかし子どもたちは、そんな気がかりなどないように、そこに自分たちの楽しみを見つけました。

はなやかでもなく、舟として機能もしない、人気もない、

私たちが捨ててしまったところにも、ちゃんと楽しみはありましたと言っているようです。

 

この写真を見て何かをおもいだすような気になったのですが、最初それが何かがはっきりわかりませんでした。

なんとなく大人になって忘れてしまった楽しみを、無邪気に見つけ出す子どもたち。

しがらみのない楽しさを思い出させてくれます。

 

私たちが、普段絶えず何かに悩まされているのは、流れにしがみついているから。

『取り残されないように』という思いが、無意識のうちに何よりも強く私たちを動かしています。

 

しかし流れにとどまろうとすることは、同時に悩みの原因をも引き連れているということです。

『取り残されないように』という思いは、依存するものの影響力を絶えず強化しているということです。

 

流れに沿った解決方法を探すこと自体が、無理なやり方なのです。

一方でしがみつきながら、一方で解放されたがっているという、もともと出来ないことをやろうとしています。

 

競争には勝ちたい、だけど争いはやめましょうと言っているのです。

理想の競争方法なら、争いではなくなると言っていることの矛盾に気がつきません。

 

流れの中にいれば、最先端で、華やかで、人気がある、

それが私たちが知らず知らずに追い求めて、その結果依存して離れるのが怖くなってしまったものなのです。

 

やすらぎや、自分を取り戻すことを求めるなら、その依存から離れなければなりません。

依存したまま解決を探しても、答えはいつまでたっても見つかりません。

 

流れのないところで、たとえ一人であっても楽しみを見つけようと思えたとき、

そこには何も問題はなく、完璧に満たされた世界が待っています。

そんな世界は獲得しなければ得られないと思っている人には、永遠にやってこないでしょう。

 

「いまのままでいい」

この言葉は、たいていの人にとっては単なる言葉にすぎません。

これとこれさえあれば今のままでいいというように、必ず条件を用意して依存から脱却する気はないのです。

 

「何も足さなくてもいい」

私たちはいつも何かを獲得し続けないと不安になります。

ストップすれば取り残されて、惨めな敗残者になると恐れているのです。

昨日と何も変わらない自分ではダメという思いが、絶えず私たちを急き立てます。

 

「何も克服しなくてもいい」

何かを克服してこそ幸せが待っているという神話は、私たちの中に染み付いています。

ただそのまんまの自分を、素直に受け入れることができなくなっているのです。

 

ありのままとは、何も必要としないということです。

そのままでいいというと、目くじらを立てて成長がストップしてしまうとがなり立てる人も多いですが、それこそがどっぷりと流れに使ってしまった結果の、恐れに基づいた行動でしかありません。

 

あえて止めようとしなければ、生きている限りじっとしていることなどあり得ないというのに、意識して何かをしなければダメだという思い込みが確信になっているのです。

 

この子どもたちのように、ただとどまっていることなど、かつてはたやすいことだったはずです。

それが出来なくなってしまうのは、成長だと言いながら悩みのもとをせっせとかき集めるからです。

公平な見方をするなら、私たちは悩みたくて悩んでいるのです。

解決したいと口で言っているだけで、今の場所から離れる気はないのです。

 

試しに、いつもないと困ると思っているものをひとつ、今日一日持たないでいてみましょう。

何を感じるでしょう。

不安が起きてきます。

いつもの快適さが少し損なわれるでしょうか。

しかしそれを上回る開放感がやって来ませんか?

それが欲しかったものではないですか?

 

これは必要なはずだからと習慣で手にとっているものなど、所詮必要などないものなのです。

必要なものは、ただ向こうからやってくるはずです。

 

水のない河に残された舟で遊ぶこと、それは今すぐにできます。

何も準備はいりません。

すぐに「何を準備すればいいですか」と聞きたくなるのをやめればいいのです。

 

私はこの風景を思い出すたびに、自分が今どちら側にいるのかを思い起こせるような気がします。




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空っぽの舟

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生き方030:空っぽの舟001

ボート

★空っぽの舟
https://www.facebook.com/note.php?note_id=267692009977417

わたしたちは、いくらありのままの自分でいようと思っていても、いざ他の人と言葉を交わした途端、無意識のうちに社会的な自分に切り替えてしまいます。

 

朝起きて、家族と顔を合わせた途端に、何かの構えを作りあげています。

一歩外に出れば、出会う人ごとに自分の在り方を演じることになります。

 

正確には、実際に顔を合わせるまでもなく、相手を思い浮かべただけで何らかの変化が生じているのでしょう。

 

これらは長年にわたって作りあげてきた自分自身の一部ですから、そんなに簡単に変えられるものではありませんし、それらを軽視することは自己否定へと繋がります。

 

しかし、そのような社会的な自分というのは、日頃から繰り返し演じることによって強化され続けるわけですから、その習慣を変えてしまうことはできるはずです。

 

 

つまり、あなたが「相手とうまくやろう」と考えることが、社会的な自己を強化し続けているのです。

 

「うまくやろうとする」というのは、あなたが考える理想的な自己像を維持しようと言うことです。

 

そのような理想の自己像にあわせようと、あなたはそのように振る舞う努力をします。

 

またうまくいかないとき、理想から外れてしまった自分の行動を後悔したり、責めたりし始めるのです。

 

あなたはどうすれば「人とうまくつきあえるか」というテーマで、モデルを探し求める努力を続けています。

 

それは、自分の持っている基準を、外から取り入れたもので修正し続ける努力です。

 

外から取り入れたやり方を、何重にも重ね合わせていくので、そのような理想の自己像はどんどん寄せ集めになり、融通の利かないものになっていくのです。

 

「意識したままで自分を演じきれる」という幻想が、あなたから自然な振る舞いをどんどん無くしてしまうのです。

 

外側にペンキを上塗りし続けても、しばらくすると、はげ落ちてしまうのです。

 

作りあげた自己像による関係は、根っこがないので容易に崩壊します。

 

たとえば、あなたが知らない人の不道徳を見聞きして、非難の言葉を浴びせたとします。

そしてその振り返った相手が自分の知っている人だとわかった途端、あなたの理想の自己は制御不能なものになってしまうのです。

 

避難しようとする自分と、親しい人にひどいことを言った自分を責める自分、寄せ集めの自分は、もはやバラバラに崩壊します。

借り物の自己ばかりでは、主人が不在でいざとなると何もできません。

 

余計なペンキは、きれいに剥がしてしまいましょう。

その下に隠れている、あなた本来の自分は、実は作られた自己像よりも、人と心を通じ合わせられるものです。

ただ、あなたが「そんなものを見せてはまずいことになる」と信じ込んでいるだけなのです。

 

さて荘子にでてくるおはなし「空っぽの舟」

 

たとえば、君が川を渡ろうとする。

すると向こうから、空っぽの舟が流れてきて、

君の舟にぶつかったとする。

でも君は、その舟に向かって、

カッとなって怒鳴りつけたりはしないだろう?

もし、その舟に人が乗っていたとすれば、

君はきっと、その人に向かって「気をつけろよ」と言うだろう。

もし相手が知らんぷりしていたら、君はもう一回

「おい、気を付けろ」と言うだろう。

それでも相手が知らんぷりしていたら、

君はきっと大声で怒鳴り始めるよ。

 

 

君が自分という舟を空っぽにして人生を漕いでいったら、

ぶつかった人は、怒鳴ったりしないのだよ。

 

空っぽの舟(山木篇)

荘子 ヒア・ナウ 加島祥造 PARCO出版






★自由にお入り下さい
https://www.facebook.com/note.php?note_id=268353336577951

 

入り口に「自由にお入り下さい」と書いてある画廊があります。

 

素直に見に入るかと言えばそうでもないですね。

 

へたに入って絵画を勧められたらこまってしまう。

中がよく見えないので、入るのを躊躇する。

絵なんて見ても自分にはわからないし、才能もないから関係ないよ。

自由には入れなんて、なにかあるに決まっている。怪しいものには近づかない。

 

このような反応の中にも、自己を主張することへの自信のなさや、見えないものへの恐怖、不安が見え隠れします。

また、自分にはそんな値打ちがないと行った、自己評価の低さが顕れていたり、自由さを奪うことと引き替えの自分を守るための信念が顕れているのです。

 

子どもならどうするでしょうね。

 

「自由に」ってかいてあるから、入っていいんだよ。入ろうよ。

あの絵がおもしろそうだから見に行こう。

 

興味の赴くままに行動するかも知れません。

 

こんな素直さは、大人の警戒心に隠されてしまうのです。

 

ところで、わたしたちには「自由にお入り下さい」といわれても、入れずに入り口をうろうろしている所があります。

 

それは、自分のこころの中です。

 

自由に入り込めるとは、自由に表にも出せるし、存在を認めることができると言うことです。

 

しかし、実際にはわたしたちの内部には、表に出すのを怖がっている自分が存在します。

「そんなこと考えるなんて!そんな「わたし」はいません。」と存在を否定されてしまった自分が潜んでいるのです。

 

上であげたような中に入れない理由というのは、どれも当たり前に思える理由です。

ですが、実はそんな当たり前に思う理由だからこそ、わたしたちはあっさりと自分を制限してしまうのです。

 

それは、いいかえれば自由に出入りするようになるのも、そんなに難しいことではないということです。

 

何も考えずに、画廊に入ってみる。

 

自分の関心の赴くままに、ただそれだけのことです。

 

ちょっと考えるのをやめて、ただ動いてみる。

「見る前に飛ぶ」という勇気。

 

もしあなたが、不安で動けなくなっているとしたら、「不安がなくなる方法」を外に求めることは、一番間違ったやり方かも知れません。

 

思い切ってやってみないと、新しいことには取り組めません。

新しいことを避けていると、いつもの古ぼけた思考とつきあって、機会をどんどん捨てているようなものです。

 

新しいことを始めるには、言葉は悪いですが、相手をなめてかかるくらいの部分も必要です。

完璧なスタートを切ろうという人は、いつまでもスタートできません。

 

パソコンの上達が早い人というのは、何よりも怖がらずにあれこれいじってみることができる人のようです。

 

だから、恐れを知らない子どもの上達というのは、すごいですね。

見たままを、まねてみる素直さにかなうものはありません。

 

「無為にして為す」とは牡蠣のように殻の中でじっとしていることではなくて、自然の大胆さに自分も同化することです。

 

畳の上の水練では泳げるようにはなりません。

 

動かないところに、バランス感覚は生まれません。

 

そこで生まれたバランス感覚が、「あなたらしさ」を作ります。

 

バランスさえ忘れなければ、他の事はなるようになっていくものです。




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怒りや悲しみは消え去るのでしょうか?

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自己の心理025:怒りや悲しみは消え去るのでしょうか001

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★怒りや悲しみは消え去るのでしょうか?
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=329273733819244>

 

私は怒りっぽい性格をなんとかしたいと思っている人もいるでしょう。

その人は、怒りとの対比で、いつも穏やかな人に憧れるかも知れません。

 

あるいは私は悲しく沈んでいることが多くていつも陰気に見られる、もっと陽気で明るい性格になりたいと思う人もいるでしょう。

そこでもやはり、悲しみの対極にある明るさ、陽気さに憧れているのです。

 

そして、自分を変えようとして、自分の理想の状態を増やしていこうと考えます。

 

その時、そこに時間という概念を登場させて、穏やかでいられる時間を増やしたり、陽気でいられる時間を増やせば、自分の理想像に近づけると考えます。

 

そうやって時間のトリックに騙されてしまいます。

 

どういうことかといいますと、「穏やかでいられる時間」と考えたとき、そこにあるのが、「穏やかさ」だけを持った自分が存在する時間を仮定しているのです。

そこには、同時には怒りは存在しないと思っています。

 

つまり、「穏やかなだけの時間」と「怒りだけの時間」の2つが存在し、「穏やかなだけの時間」の方を増やしていけば、やがて怒りは消えていくだろうというように錯覚するのです。

 

ですが、実際には、「穏やかなだけの時間」や「怒りだけの時間」など存在しないのです。

それは頭の中で創り上げたモデルに過ぎません。

怒りがあるから、それとの対比で平和なときが存在し、悲しみがあるから、陽気さも存在するのです。

 

実際には、「怒り」と「穏やかさ」は常に共存します。

別々の時間など存在しないのです。

単に、片方がもう一方よりも目立っている状態があるだけだと考える方が現実的でしょう。

 

ですから、「穏やかな時間を増やそう」作戦は、失敗に終わります。

そもそものモデルが間違っているからです。

 

ですが、努力や訓練によって、自分が望む方向に自分を変えるというのは正しいように思えます。

 

実はそのように思う背景には、学習曲線というモデルがあるのです。

 

心理学などで学習の効果を表現するのに、「学習曲線」という概念を使います。

 

例えば、ネズミが迷路を通って入り口から出口までたどり着く時間を測定し、それと訓練の度合い(試行回数など)との関係をグラフに描いたのが学習曲線です。

 

ご想像の通り、「学習曲線」は右肩上がりになります。

 

単純な比例関係ではないにしても、努力の度合いが増えれば、成果も向上するという関係がそこに表れます。

 

一般的な言葉で言えば、頑張れば頑張っただけの成果が現れると言うモデルです。

 

先ほどの「穏やかな時間を増やそう」作戦もこのモデルをあてはめて考えているわけです。

 

ですが、なんでも学習曲線型のカーブを描くわけではありません。

つまり、何でもかんでも「頑張れば頑張っただけの成果が現れる」というものではありません。

 

そもそも、今相手にしている対象が、そのような関係が見込めるものかどうか、その見極めを最初に行うことが肝心なのです。

 

それを無視して、乱暴に何にでも「頑張れば頑張っただけの成果が現れる」と考えるやり方は要注意なのです。

 

そのようなモデルで、「怒り」をゼロにしたり、「悲しみ」をゼロに出来た人がはたしているでしょうか?

 

あるいは、今までにそのような努力をした経験のある方も、少なくないと思います。

 

しかし、それは失敗に終わったはずです。

あてはめるモデルが間違っているからです。

 

さて本題に戻って、それでは、「怒り」や「悲しみ」やあるいは、「嫉妬深さ」や「頑固さ」といったやっかいな対象にどのように対処すればいいのでしょうか。

 

それらは、個別に考える必要はありません。

 

例えば、「悲しみの時間」と「陽気な時間」のような間違ったモデルを使うのをやめて、それらが同居する自分をありのままに、作為なしに見つめることです。

 

自分の中の「怒り」の感情を否定せず、また一瞬後には「穏やか」な自分に変化している様子を受動的に見つめることです。

 

たとえば、いったん怒りだしてしまうと、その後怒りが納まっても、それを引きずって素直に穏やかな自分に戻れなかったりします。

 

しかし、そのような時には何らかの作為が入り込んでいます。

 

受動的に、ありのままの自分を観察するとき、そこに他者を意識したりせず素直に変化しつつある自分を感じることができます。

 

頭で考えた「理想の自分」に近づける様な努力を一切やめて、ありのままの自分にあくまで従うやり方を取ったとき、その時初めて「自分が怒りの虜になってしまう」などの問題や怖れから解放される可能性が生まれるのです。

 

そこで必要なものは、努力や訓練ではありません。

理想に向かわせようという作為的な働きをやめるという、反努力、ありのままを受動的に見つめる姿勢だけが必要なのです。

 

押さえつけた穏やかさや、陽気さなど付け焼き刃にしかなりません。

学習曲線のモデルに騙されて、無駄な努力はやめましょう。

 

またそのような作られた無理なふるまいは、他の人から見て不自然で作為的であることがすぐにわかってしまいます。

一緒にいて疲れる人、窮屈な人になってしまいます。

 

またそのような訓練をしてあげましょう的な誘いに乗ってはなりません。

努力すれば向上するのなら、だれかに助けてもらう必要などありません。

 

そして、自分が相手にしているのが、そのようなモデルに当てはまるかどうかを見極めることを忘れてはなりません。

 

間違った方向での成功は、成功すればするほど、それだけ大きな失敗を意味しているのです。

 

そして、努力したほど、今までが失敗だったことを認めるのが難しくなるという、やっかいなオマケまでつきまといます。

 

以上、今回はそれ以上の話は省略して、その方向性ということだけを書いて終わりにします。



★怒りや悲しみは消え去るのでしょうか?#2
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=329792107100740>

 

前回は「頑張れば頑張っただけ向上する」的な思考に不用意にはまらないこと、自然な自分の感情を素直に見つめることが必要なことなど、大まかな指針をお話ししました。

 

今回はそれの続きで、もう少し補足的な話をしたいと思います。

 

ところで「頑張れば頑張っただけ向上する」的な思考は、その親戚みたいなものですが、「頑張れば何事も叶う」という発想に繋がっていくのは成り行きでしょう。

 

そして、自由の国、誰でもが望みを叶えられる可能性があることをスローガンに建国したのがアメリカという国でした。

 

「アメリカン・ドリーム」とは「誰でも頑張れば可能性があり、何事でも叶えられる」ということです。

 

それの裏付けとして、成功哲学というものも生まれてきました。

やがてそれは、その人がどれだけ望むかが成功の目安であるかのように考えられていきます。

 

そして、大胆な目標を立て、それに一直性に向かうことが、すべての困難を排除してくれる魔法の杖のごとく考える様になります。

 

この考え方の批判をすることは、ここでの本題ではないので、関係がありそうな点だけを取り上げます。

 

まず、すべてのことが、このルールで片付くわけではないこと(右肩上がりの成長曲線が該当することは一部に過ぎません)。

 

それからもうひとつ、この哲学では、今の自分を新しい自分に変えるという色彩が強いという点です。

 

今の自分が満足出来ないから、目指す自分に変わればいいではないかという発想になるわけです。

 

ですが、今の自分を捨てられるわけはありません。

 

また、目指す理想の自分とは、現在自分がそうだと見えている自分への、反動やアンチテーゼのようなものに過ぎないということです。

 

反動は、もとになるものを超えることはありません。

敵対するものを作ることで、その反対を自分だと認識するようなものだからです。

 

それに今の状態に不満な自分がひねり出した理想など、今の自分を超えるものではないわけで、たどり着くところはやはり今のままの自分なのです。

 

この発想をきっぱり捨ててみましょう。

 

そして、新しい自分を創り上げるのではなく、本来の自分を取り戻すという、見方によっては正反対の方向を考えて見ましょう。

 

本来の自分は、いまは様々なしがらみで見えなくなっています。

そのまま見えている自分など、ほんの一部だと考えた方がいいでしょう。

 

社会の一員として、様々な関係の中で成長してくる中で、本来の自分を隠して社会的に望ましい自分を創り上げてきました。

 

そんなガラクタの中から、自分でも見えなくなっている自分を表に出すことが、実はあなたの本当の望みではないでしょうか。

 

本当に不満を言っているのは、素直に表に登場できない自分なのです。

 

先ほどの理想の新しい自分像の中に表れていたのは、きっとこれら虐げられてきた自分への復活の思いが反映していたはずです。

 

人は全く新しい今の自分に縁のない自分に変わりたいわけではないのです。

 

本来の自分を取り戻す試みは、まず今までに出てきた、変えたいと思っている自分を手がかりにすればいいでしょう。

 

その望みを、新しい自分を創り上げるという発想ではなく、そこに表れている表に出たがっている本来の自分を見つける手がかりにするのです。

 

たとえば、今あなたが、普段沈みがちで暗い自分を、活発で明るい自分に変えたいと望んでいるとしましょう。

 

この発想は、実は先ほどの新しい自分に変えてしまおうという発想から来るものです。

そしてそこには、暗いより明るい方がいいというような社会的な意味での価値観が含まれているでしょう。

 

今説明のために、一方の端に悲しみ、反対の端に陽気さを置いた尺度を表す直線を想定してみましょう。

 

さて、実は、社会的な価値観を含めなければ、悲しみを感じることも必要だし、陽気な自分になれることも必要なのは明らかです。

 

そして、人はこの直線上を絶えず揺れ動いているものでしょう。

なにかのイベントが発生して、一気にどちらかに大きく移動することもあるでしょう。

ですが、自分で無理やりひきとめない限り、どこか一ヶ所にとどまり続けるのは不自然な状態です。

 

明るい自分になりたいと思っているあなたは、自分が悲しみの端の方にいつも寄っていると思っているのですが、実際には他の人と同じように絶えず揺れ動いているのです。

 

そして、たとえとどまることの多い位置が、悲しみ近かったとしても、それは他の人と比較したり、他人からとやかく言われる筋合いのものではなく、その人らしさ、その人の個性のようなものなのです。

 

ですが、あなたはそれでも今の自分が不満なのです。

 

そこには何があるのでしょうか。

 

あなたは、実は過去の出来事での悲しみを、解決しないまま抱えているのではないでしょうか。

 

あなたは、その悲しみを何とかしようと思って、すぐ近くにまで行くのですが、自分がいざその悲しみそのものになると思うと、反射的に飛び退いてしまうのです。

 

悲しみと一体になった自分を想像して怖れを作り上げてしまっているのです。

 

ですから、悲しみの近くに絶えず近づいては、いざとなると離れると言うことを繰り返します。

 

また、その悲しみを解決していないという思いから、心から陽気になることを禁止しているのです。

あの悲しみを解決するまでは、私は心から楽しんではいけないと、無意識に自分を制限してしまいます。

 

ですから、充分に悲しむことも出来ず、また心から楽しむことも出来ない状態を繰り返すのです。

 

そう考えるなら、あなたが行きたい場所は、明るさではなく、置き去りにしてきた悲しみとの対面なのです。

 

自然な感情というものは、あなたを傷つけたりしないものです。

有害な影響を及ぼす感情とは、作為的に作られ、歪められ、繰り返し強化されたような不自然な感情なのです。

 

あなたの残したままの感情がどんなものかはわかりませんが、元々の感情は怖がるようなものではなく、それ以上でもそれ以下でもない、そのままの大きさの、あるひとつの悲しい出来事なのでしょう。

 

それと向き合わずに避けてきたために、いつのまにか巨大で恐い存在に創り上げられてしまったのです。

 

自然にその悲しみの中に入っていけば、その時は辛い思いを伴うかも知れませんが、いつまでも続くものではありません。

 

そして自然にその納まるところへ納まったら、それ以上あなたを悩ませることはなくなるでしょう。

 

あなたはもう解決したのです。

 

そして、不自然に悲しみの端に近づくことも自然となくなるでしょう。

もはやそんな必要がなくなったからです。

 

陽気な方に自由に飛んでいくことも出来ます。

もちろん反対に悲しみに沈むことも制限しないで出来るようになるのです。

 

あなたの望みは、特定の陽気さの位置にとどまることではなかったと気がつくでしょう。

自分の望みは、自由に悲しみと陽気さを行き来できる、本来の自分を取り返すことにあったのだと確信することでしょう。



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不満とは捨てられない正しさ

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自己の心理024:不満とは捨てられない正しさ001


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★不満とは捨てられない正しさ、
満足とは受け入れた現実 

https://www.facebook.com/note.php?note_id=327095804037037

 

不満を抱いたままにしていると、人間関係がだんだんぎすぎすしてくることにもなりかねません。

 

一緒にいる時間が苦痛になるほど、不満を溜め込まないようにしたいものですが、大抵の人は自分の不満を相手に伝えるのを躊躇します。

 

それを相手に伝えてしまうと、せっかくの関係が壊れてしまわないかと心配なのです。

このくらいなら自分が我慢しておけば、ゴタゴタを起こさなくてすむからと思って、心の奥にしまい込もうとします。

 

ですが、しまい込まれた不満は消え去ることはありません。

 

実は消え去らないのは、それを表に出して完結してしまわないからということもありますが、同時に不満の原因を何度も自分で思い起こしているからです。

 

思い出す度にその不満の感情は息を吹き返すことになるのです。

 

 

なぜ何度も思い出してしまうかと言えば、 

不満とは「あなたの正しさ」を証明したいという思いだからです。

 

あなたの考えのほうが、相手よりも正しいことを明らかにしたいけれど、それを相手は分かっていないようだから何とかしたいと思うのです。

 

問題は、そのような場合私たちは、自分のほうが正しいという前提で行動しようとしてしまう点にあります。

 

自分の正しさを証明しようと思うあまり、公平な判断ではなく、どうやって自分の正しさを示せるかにしか関心が向けられなくなってしまうのです。

 

それは、そのうち不満という感情としてだけ認識されるため、自分でもなんで不機嫌になってしまうのか分からなくなっていきます。

 

このような、正体の明らかでない感情を溜め込むと、相手との関係はどんどん重苦しい物になってしまうのです。

 

 

ですから、まずはその不満の元になっているのは、「自分の正しさを証明したい」という思いにあることを認めることです。

 

そうすれば、その「正しさ」とはどんなもので、本当に妥当なのだろうかという公平な判断をする余裕が出てきます。

 

正体の分からない不満感に乗っ取られているあなたではなく、具体的な要求を持っているあなたを客観的に評価する自分に切り替えることが出来ます。

 

もしかしたら、あなたの「正しさ」は、それほど根拠のあるものではなかったことが判明するかもしれません。

 

その場合、不満自体が労せずして消えていってくれるでしょう。

思っているよりも、実体を明らかにするだけで解決してしまう場合は多いものです。

 

もちろん、それでもあなたの方が正しいという考えは変わらないかもしれません。

 

その場合でも、今度はあなたは自分の求めていたことをはっきりと認識して行動できるわけです。

 

相手に何を求めていたのかをはっきり分かっていますから、むやみに不満をぶつけるのではなく、相手に自分のどのような考えを伝えたいのかにそって行動できるようになります。

 

自分が「僕のほうが正しい。お兄ちゃんのほうが悪い!」と駄々を捏ねている子どものようになっていないか確かめてみるといいでしょう。

 

またもう一つ大事な点は、不満が自分の正しさへのこだわりから来るとわかれば、それが相手に起因するものではないことにも気がつくのです。

 

「相手が悪いから自分が被害をうけている」という相手しだいで影響を受けてしまう、どうにもならない感情から、自分で充分コントロールできる余地がある、自分の側の要求の問題へと姿を変えることができるのです。

 

まわりの人や環境で自分の気分を左右させられてしまう自分から、自分でどう受け取るかを決められる自律的な人間に自分を変えていけるのです。


 

★自分への信頼を取り戻そう 

https://www.facebook.com/note.php?note_id=326195790793705


 

世の中には、いわゆる「打たれ強い」と言われる人がいます。

そういう人は他人から批評を受けても、少々のことなら受け流すことができます。

 

他人からの反対が、すべてを決めるとは思わない、たとえ自分一人の考えであっても、信じる可能性を捨てないでいられるということです。

 

一方では、少しでも批判の要素を感じるとすぐに元気をなくしてしまう人もいます。

 

受け流せるレベルを超えて批判を受けてしまうと、落ち込んだり、体調さえ崩してしまいかねません。

 

その人にとっては、自分自身への信頼だけでは不十分だし不安なのです。

信頼できる基準は外にあると信じてやまないのです。

 

実はこの違いを生むのは、その人のそれまでの経験や生育条件というのが、大きく関係していると思われます。

 

その中でも大きな指標になるのは、その人が「どれだけ無条件に自分をOKだと感じられるか」にあると思います。

 

無条件に自分をOKだと感じるというのは、別の言い方をすれば、どんなに失敗したり、うまくいかないことが重なっても、「そんなこととは関係なく、自分を受け入れてくれる人が存在する」と信じられるということです。

 

「何かをうまくやりとげられれば、人は受け入れてくれる」というのが条件付きのOKです。

 

多かれ少なかれ、親は子供をしつける為に、条件付きのOKやNGを出さなくてはいけません。

 

それは、子供を社会に適応させる為には必要なことで、このこと自体には問題はないと思います。

 

しかし、子どもの方からすれば、この条件付きのOKがすべてではなく、無条件のOKだってあるということを理解し受け取る必要があります。

 

無条件なOKも存在することを、どれだけ感じられてきたかが、大人になってからも、「どれだけ無条件に自分をOKだと感じられるか」に関わってくる様に思います。

 

「だってみんな私を好きだから、好んでやってくれているんだ」と納得できるかどうかです。

 

そして、この度合いが、先ほどの打たれ強さや、批判に対する耐性に大きな影響を与えているはずです。

 

しかし、いままでは無条件の信頼が不十分だと感じていても、悲観することはありません。

 

誰かをあてにするのではなく、自分自身が自分を信頼するということを、少しずつ取り戻していくことです。

 

誰かを信頼することと、自分自身を信頼することは、結局は同じことです。

自分自身への信頼を本当に感じていない人は、他人を信頼することもできません。

 

信頼する人を探すのではなく、まずは自分自身への信頼を育てていくことです。

 

今の時点で自分を信頼できていることはなんでしょう。

 

あるいは視点を変えて、誰か他の人に対してここは信頼していると思っているのはどんなことでしょう。

 

その2つは、全く違うことですか?

それとも何か共通するものが見えてこないでしょうか?

 

そこから始めてみましょう。

 

1つでも信頼できる柱ができれば、そのあとは驚くほど増やすのは簡単になってきます。

 

そして、やがてもともとは、自分への信頼を持っていたことを思い出してくるでしょう。

 

自分が本心からそう思えたら、信頼していいんだと言うこと。

そして、それと比例して他人を心から信頼できるという感覚も増えて来るに違いありません。




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障害を取り除こう

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生き方029:障害を取り除こう001

★防衛をやめれば楽になる 

https://www.facebook.com/note.php?note_id=335989873147630

 

「自分を守らないといけない」という思いが強いと、それだけで疲れてしまいます。

 

実は、防衛が強いほど攻撃の対象になりやすく、守るのをやめてオープンにしていれば逆に攻撃は避けられるのです。

 

ドッジボールでは、やたらと逃げ回っている子どもは、背中を見せて真っ先にあてられてしまいます。ゆったり身構えていれば、やたらと攻撃されないし、受け止める用意も出来るというものです。

 

あなたの守ろうとしている態度が、余計に攻撃者を呼び込んでしまうのです。

 

一方で、守るのをやめて自分をオープンに出来ていれば、隠す必要も無いのでゆったりと構えていられます。

 

実は、守らないといけないという思いは、内面に隠している痛みを感じないようにしようとする防衛なのです。

 

確かにそれを思い出すのは辛いのかも知れませんが、だからと言ってそれを『戸棚の骸骨』にしてしまっては、余計にやっかいなものを抱え込むことになってしまうのです。

 

過去の痛みをしまい込まずに、さらけ出してしまう気になれば、それは思っているほどやっかいなものではなかったことが、わかってくるでしょう。

 

どうしても隠さないといけない事など、そうそうあるものではないでしょう。

それよりも、隠そうとすること、防衛しようとすることが、それを元々の存在よりも巨大なものに変えてしまうのです。

 

しかしオープンにしたとしても、攻撃されるかも知れません。

その時は、それがもたらす痛みをしっかりと受け止めてみることです。

 

それは、過去の痛みを先延ばしにしていたからかも知れません。

しかし今それを受け止めることで、それは消え去ります。

 

この先も、ばれるのを怖がる必要のないものに変わってしまうのです。

そもそも、そんなに頑張って隠し続けてくる必要などなかったと感じるかも知れません。

 

隠すこと、防衛すること、逃げることが、怖さを作り出すのです。

誰かが怖がれと言ったとしても、あなた自身の感じ方を信頼しましょう。

対象をそのままの大きさで評価すれば、怖いものなどないのです。

 

怖がらずにオープンになれたとき、それがもたらすものは痛みなど遙かに凌駕するものだったと気がつくでしょう。



★自分には資格がない 

https://www.facebook.com/note.php?note_id=335545069858777

 

なんとなく「自分には資格がない」という思い。

 

それは、あなたが人生で欲しいと思いながら、手に入らない、自分には縁がないと思っているものと繋がっています。

 

「自分には資格がない」という思いは、別名「罪悪感」です。

 

この不足しているという思いは、自分で押し込めているので、「自分には資格がない」とか恐れ多いことだと思って正面から考えようとしません。

 

しかし、不足しているという思いは感じていますから、形を変えて表現されたりします。

 

多くの場合、あなたの家族やパートナーが、それを叶えてくれるべき人だと信じようとします。

 

「あの人がこうしてくれさえすればできるのに、私の思いは叶うはずなのに」と言ってその人を責め立てるのです。

 

わたしが望みを叶えられないのは、この人達が悪いんだと思って、矛先を変えているのです。

 

 

「自分には資格がない」と思うのは起源になる出来事があったのかも知れません。

 

子どもの頃は、充分な判断力がないので、たわいのないことで自分を責めるようになったかも知れません。

 

自分のせいで何かが失敗したりすると、それに関連したことを自分はもうやってはいけないのだと思い込んでしまうのです。

 

「もう絶対にやりません」とまわりに表明し、今もそれを続けようとしている自分がいるのです。

 

それに対して許可を与えてあげられるのは、あなた自身が一番であり、そして唯一の存在かも知れません。

 

子どもの頃の固い決意に対して、あのときは自分で出来なくても仕方なかった、自分には罪はないのだと言ってあげられるでしょうか。

 

わけもなく自分には関係ないと拒絶していること、自分に出来るわけがないと口にしていることに反論してみましょう。

 

それが本物なら、それに挑戦したがっている自分が顔を出してくるでしょう。

今なら、客観的に可能性を判断できる自分がいます。

 

資格など自分が与えれば誰でも持てるのだと思って見ましょう。

客観的に自分には無理なのか、単なる思い込みから諦めているのか、今なら自分で評価し直すことが出来ます。

 

それにくっついてくる嫌な思い=罪悪感に負けてしまわないで、コツコツとそれに挑んでみましょう。

本当に必要なものなら、それは必ず応えてくれるはずです。


 


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