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2013年03月

ときどき自分を切り替えてみよう

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自己の心理022:ときどき自分を切り替えてみよう001

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★後悔しないよう思いっきりやりましょう
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=159421714137781>

わたしは初心者だから、

わたしはまだそこまでマスターしていないから、

だから完成するところまでやり遂げられるはずはない。

 

まだそこまで到達していないから、この程度出来れば充分じゃないかと言う思い込みがあります。

だから出来るはずのことまでやり逃してしまうのです。

 

いつかその時がきたら、いつか充分な機が熟したら、その時は私にも出来るときがくる。

この思いが、今完結することを先延ばしにします。

 

その気になれば、初めてやり始めたことがそのまま最後まで到達するかもしれないのに、そんなことは端から考えもしないのです。

 

たぶん「心の準備が出来ていない」というような言い訳がどこかに潜んでいるのでしょう。

あるいは、「完璧にやってしまったら、その後何をすればいいのかわからない」と思っているのかも知れません。

 

 

これが「おもしろきこともなき世を、おもしろく」ないまま、だらだら過ごすことにつながるのです。

じつは、重大な変化を恐れているのかもしれません。

その時はまだ来ないと、今日はまだその時ではないと先延ばしし続けます。

 

「今日は子どもを叱りつけるのをやめよう」と思うのに、また今日も気がつくと子どもを叱ってしまいます。

ちょっと最近叱りすぎかもしれないと、抑えている親の気持ちとは裏腹に子どもは容赦なく叱ってくれとばかりの余計なことをしでかします。

親は試されているのでしょうか。

 

怒る気持ちが気になるくらいなら、それは充分に怒っていないのでしょう。

本気で怒ってしまったら、子どもを傷つけてしまうのではないかとか、自分を抑えられなくなるのではと恐れているのです。

しかし、まさにその中途半端さが、またしても子どもの怒りたくなる行動を見せられることにつながります。

こんなことなら、しっかり納得するまで叱っておけばよかったと後悔しないことです。

 

自分の怒る姿を思い浮かべて悪いことでもしている様に思わないことです。

あなたが怒っているのは本物の感情であることを認めて、余裕のある親の振りなどしないで、真剣に取り組むことです。

 

中途半端な自分の怒りは、後悔を生みます。

何か手抜きをしていることが、真剣に取り組まないことが、またいい加減になってしまったという後悔を生むのです。

 

真剣に怒っていないなと見れば、子どもはそれを見抜きます。

へたをすれば、それを無関心さと受け取るかも知れません。

子どもが親の行動を軽く見てしまうのは、そんな真剣さのないトータルでない関わり方かも知れません。

「中途半端にねちねちしかられるくらいなら、手抜きしないでしかってくれよ!」

 

 

「二の矢をもつことなかれ、後の矢を頼みて初の矢になおざりの心あり。 徒然草」

という言葉がありますが、今できることを精一杯やらないで後に残そうと思うのも考えものです。

 

いい仕事ができた、まとまったものが出来上がった。

これを少しずつ切り崩してしばらく楽をしていようかなどと考えないことです。

 

せっかく乗ってきたのに、なんでそれをやめてしまうのでしょう。

ようやく充実してきた勢いなのに、やめてしまえばそれを取り戻すのにもう一度一からスタートすることになりかねません。

 

不思議なもので、出し惜しみしないで使い切ったとき、もっといいものが続けて出てくるものです。

省エネは物だけにしておきましょう。

 

後悔しない仕事を目一杯やって、休むときは思い切って休みましょう。

やらずに後悔するより、思いっきりやったら失敗も怖くないというものです。




★時にはすっぽかしてみる ー 全体の中の私
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=157075087705777>

私が見張っていないと、ものごとが立ちゆかなくなってしまうと思っている人もいるものです。

 

毎日スケジュール通りに仕事をこなして、気がつくと休む暇もないままその日が終わってしまいます。

 

たまには1日休んでみようと思うのですが、休んでいても何か悪いことでもしているようで、うしろめたい気になって1日が過ぎる前に元通りの生活に戻ってしまうです。

 

いつもスケジュールに追われながらも、あなたが頑張っていないと全部ダメになるような気がするのです。

 

あるいは自分が家族のみんなの面倒をみなければ、誰も彼もとんでもないことを始めてしまうのではないかと心配になる人もいます。

 

あなたが全員の行動をチェックして、だれもミスがないように見張っていないといけません。

あなたはあなたで、家族のためにこなさなければならない作業が山積みです。

 

あなたが休もうものなら、家中しっちゃかめっちゃかになってしまうだろうと不安で1日も休む日がありません。

 

 

「今のやり方をちょっとでも手を抜いたら台無しになるに違いない!」

 

このような思いにとらわれているのなら、部分にとらわれないでもっと全体を見てみたらどうでしょうか。

 

休む暇のないスケジュールを見直してみましょう。

 

やるべきことをリストアップして、自分の使える時間の中に割り振り直してみるのです。

 

それも直近の1日とか1週間という短い範囲でなく、あなたがやりたい大きな目的を果たすためにもっと長いスパンで捉え直してみることです。

 

今日の一日分の作業に穴が開いたところで、長期的に見れば大した問題など生じないことと思い直してみましょう。

 

それよりも無理しないで継続していけることの方が、よほど重要です。

 

あるいはあなたひとりで仕事をしているのでなければ、あなたひとりがちょっと休んだ所で全体から見れば流れはちっとも滞ってなどいないのだと思い直してみましょう。

 

あなたのまわりの人達は、あなたが面倒を見なければ何も出来ないなどと思うのをやめましょう。

ひとりひとりが自分の行動に責任を持っているわけですから、あなたがそれを横取りしてはお互いの為になりません。

 

あなたが管理する前も、あなたがそれから手を引いた後も、その人たちはやはり同じように自分のやり方で行動していくのです。

 

あなたが面倒を見るのをやめたから、その人たちに問題が発生すると責任を感じる必要はありません。

 

今までの経験から、そんなふうに思わないといけない何かがあったのかもしれません。

あるいは、そうするしかやり方を知らなかったのかもしれません。

 

しかし、あなたはあなたの生き方にだけ責任を持てばいいのです。

あなたの考え次第で、まわりの人の行動まで左右してしまうという思い込みを手放してしまいましょう。

 

あなたが先取りして面倒を見てしまうから、まわりの人もそれにあわせてしまうということもあるのです。

 

「今日で面倒を見るのはやめにします」と宣言している自分を想像してみましょう。

 

それを実行したらどんなことが起きて、まわりの人達に何が起こると思えてくるでしょうか?

 

そしてこれが一番肝心なことですが、そのときあなた自身が何かをなくしてしまうと感じるでしょうか?

もしそうなら、それはどんなことでしょうか?

 

もしかすると、自分は犠牲になっていると感じながらも、どこかで自分で何も出来ないまわりのひとたちを支配していたかったのかもしれません。

 

 

「たまには今日の予定をすっぽかしてみる」

 

魅力的に思えませんか?

 

全体の中の一員としてあなたがあり、そのながれの中であなたが一部分としてかかわっている。

 

あなたがその一部分の切り離された存在だと考えると、あなたは孤独ですべての責任を背負っていると感じ始めます。

 

しかしあなたはまた、その全体そのものでもあると思うことが出来ます。

 

全体の中で自分だと意識しているあなたもその部分にすぎず、あなたが全体のながれそのものだと感じ取ってみたらどうでしょう。

 

あなたが必死で制御しようとしていたことも、その部分的な働きに過ぎないのだと思えてきます。

 

川の流れの中で、なぜかあなたはひとかたまりのものを、バラバラにならないように抱え込んでいます。

それを離したら全部バラバラになって、みんな消えてしまうと思っているのです。

 

しかしあなたが手を離しても、一時的に分かれていったとしても、すべては川の流れに沿って一緒に流れていきます。

 

それらが、時には近づき、時には離れて流れていく様子を思い浮かべて下さい。

 

あなたの一生懸命になっていたことは、その流れの中の一つのイベントに過ぎなかったのです。

 

あなたが全体の流れそのものになったとき、部分で孤立していたあなたのがんばりも違った目で見られるのではないでしょうか。

 

全体でもあり、部分でもあるあなたという存在を、偏らずに時には切り替えて眺めてみることです。




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相手の欠点?それとも・・・

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人間関係022:相手の欠点?それとも・・・001

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★相手の欠点?それとも・・・
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=354685074611443>

 

「相手の欠点にどう対処すればいいか」を考えましょうか?

 

さて、まずはこの「相手の欠点」と言う言葉を使っている時点でアウトです!

 

「欠点」だという見方をした段階で、あなたの価値観で判断を下しているわけです。

「欠点」というくらいだから、他のやり方に変えないといけないと思ってしまう。

 

その結果、相手を変えようとし始めるのだけれど、自分を変えることすら難しいのに、そう簡単に他人を変えることはできません。

 

挙げ句の果てに、変わってくれない相手を怒ったり、愛想を尽かしたりしてしまっては、何も進まない。

 

さてそこで、あなたが「補ってあげる点」という見方に変えたらどうでしょう?

「あなたが補ってあげる点」ここから始めれば、全然見方が変わって見えてきませんか?

 

うまくいかなければ、あなたの補い方に問題があるのかもしれない。

そこで相手を責めるのをやめて、自分を振り返ることになる。

 

相手を補って、助けてあげる方法を考えようとすれば、あなたにはそれがどうして出来ているのかが見えてきます。

 

あるいは、もしかすると、それが実は曖昧であって、自分でも教えられるほど出来ていなかったことが解ってくるかもしれません。

 

そうなれば、今度はあなたを磨く番です。

 

そういうやり方で、磨かれ、たどり着いた方法というのは、本物になるに違いありません。

そして相手を助けることも確実に出来るようになるでしょう。

 

このように「欠点」という見方からスタートするのと比べて、もたらされた結果には雲泥の差が出るというものです。

 

しかし、もしかすると、あなたは相手のその部分を助けてやりたくないと思うかもしれません。

 

それならそれで、その理由を探ってみましょう。

それは、あなた自身の側に痛みを伴うことかもしれません。

 

たとえば、相手を助けたくないのは、「自分もそのことで助けてもらえなかった、だから・・・」ということ?

 

あなたは、誰が相手か解りませんが、その恨みを晴らしたいのかもしれません。

そうしないと、他人を助ける気にはなれない。

 

ですが、そこまで気づけたとしたら、解決は目の前です。

問題が何かがわかれば、半分解決したようなもの。

 

このような完結しないままの思い「未完成の仕事」は、必ずといっていいほど、私達の悩みや触れたくない自分を作り出しています。

 

「近づくのが、ちょっといや」、でもそれを明るい場所に持ってくれば、あなたはいちだんと輝きを取り戻すようになれるでしょう。

 

いつのまにか、焦点が自分の問題に変わってしまったと思いましたか?

 

しかし、それは当然なのです。

相手の「欠点」という言葉自体が、もともとあなた自身の問題が姿を変えたものだからです。

 

これで、ずいぶん楽になれますね。



★癒着した関係(共依存)の犠牲から解放される
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=352316904848260>

 

 

誰かとの癒着した関係は自分自身を見失ってしまいます。

どこまでが自分で、どこからが相手なのかが曖昧で、その結果自分の中心がどこにあるのかわからなくなってしまうのです。

 

その結果、今感じているのが自分本来の感情なのか、相手の感情なのか区別がつかなくなります。

 

癒着した関係は、両親や配偶者や自分の子どもとの関係で特に多く発生する、いわゆる共依存と呼ばれる関係です。

 

たとえばお子さんのいらっしゃる方なら、自分の子どもに関すること、進学の問題などで、それがうまくいったときにどのように感じるかを考えてみましょう。

 

まず、子どもが達成できたことに対して喜びを感じるでしょう。

子どもにおめでとうを言った後、癒着のない関係であれば、今度は自分がここまで子どもを育ててきたことへの自負を感じたり苦労をねぎらったり、自分自身に関しても喜びを感じるものです。

 

ところが癒着が進んでいると、親の喜びは子どもの喜びや成功次第になってしまう場合があります。

 

「私はどうでもいいのよ、あなたが喜ぶ顔が見られるだけでいいの」という言葉も、これだけでは判断出来ませんが、中には「私はどうでもいいの」と言う言葉が文字通りの意味になっている関係もあるのです。

 

親の方が自分自身についての喜びその他の感情を、すべて子どもの感情で肩代わりしているような場合が見られます。

 

親自身の感情は、子どもが関係してくるとどこに行ってしまったのかよくわからない状態になっています。

 

そして子どもの感情を頼りにしなければ、自分だけでは自分の感情をどうにも出来なくなってしまうのです。

 

そこ結果常に子どもをそばに置いて、自分の感情の代わりにしたり、子どもの自然な感情表現を押さえつけ、親の望む感情になれと無意識に強要してしまうのです。

 

そのような親に対して、子どもの方は何とか癒着を逃れられるかもしれませんが、多くの場合、この癒着に巻き込まれてしまいます。

 

そして、たとえば子どもは「親の期待するような感情ばかり表現し、自分の素直な感情表現を隠してしまう」といったことが起こってきます。

 

癒着した関係の問題点は、自分自身の中心を失ってしまうことにあります。

 

その結果、自分ひとりで判断出来ない(相手の判断を当てにする)とか、

自分自身の感情がわからない(上記のように相手の期待する感情に支配される)といった問題を生じるようになります。

 

程度の問題ではありますが、癒着した関係はたとえ最初の相手が身の回りにいなくなっても、別の人(たとえば配偶者)をその相手に選ぶようになります。

 

かつての癒着を再現してくれるような相手を選びがちになり、自分が癒着した関係を仕掛ける側に回って、相手が拒否したとしても無理矢理巻き込もうとする可能性があります。

 

どんなに環境が変わろうと、自分自身がその源を抱えている限り、依存関係を作り上げてしまうのです。

 

それによって生じる犠牲は、深刻になれば自分自身の中心がないと感じて、無理にまわりを巻き込み、そのような相手が見つからないと自分自身の力で自分を取り戻すことが出来なくなります。

 

そんな犠牲から解放されるためにも、あなたに潜んでいる癒着は、小さいうちに断ち切ってしまうことです。

 

最終的に見つけられるのはあなた自身しかありません。

最初は自分ひとりで区別がつかないのであれば、誰か第3者の手を借りてでも、手がかりをつかんで、その関係を終わりにする決心が必要です。

 

大変なのは、最初にそのような関係が自分の中にあることに気づくことです。

一旦大元の関係に気づいて受け入れられれば、個々の細かい問題はずっと容易に明らかになってきます。

 

ですが、これは関係性の問題である以上、もう一つ難しい問題が存在します。

それは、癒着を断ち切ろうとする相手が抵抗してくるということです。

 

程度によっては、相手はそんなあなたを批判し、怒り出すかもしれませんし、あるいは馬鹿なことはやめて元の関係に戻りなさいと懐柔してくるかもしれません。

 

それに負けて元に戻ってしまうということも、実際多く存在しているだろうと推測されます。

 

その程度によっては、ごく普通に見られる関係であり、また日本における関係はその傾向が元々あるといった事情もありますが、依存が進めば問題は生じてきますし、大きくなってからは断ち切るのが難しくなるのも確かです。

 

そして、少なくとも自分の感情を犠牲にしてしまっているのですから、とかくそれがトラブルの原因になりやすい関係であるとも言えます。

 

自分自身の自由な感情や自由な判断を大事にしたいとか、もっと本物の関係でありたいと願うなら、避けては通れない問題だと言えるでしょう。




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私の責任はここまで!

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人間関係021:私の責任はここまで!001

やるぞ



★自分の責任はどこまでかを見極める
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=345098685570082>

 

人間関係においては、いろんなタイプの組み合わせでドラマが行われます。

 

必ずしも、同じタイプの人がくっつくわけでもないようです。

 

第三者的に見ていると、片方が一方的に相手を責めていて、どうして相手はそれにつきあっているのか不思議に思うことはないでしょうか?

 

しかしそのような関係においては、どちらも自分の弱点をさらけ出さないために防御しているので、一見奇妙に見える関係が成立してしまうのです。

 

パティー:マーシー、あんたは私をあの学校に行くのをとめずに、笑いものにしたのよ!

 

マーシー:私が何か言ってもどうせ聞かなかったでしょう。

 

パティー:あんたの努力がたりないのよ。

 

パティー:ほんとに私をとめる気だったら、とめることもできたのよ。

 

マーシー:本気でとめようとしたら、私のことぶっていたでしょ...

 

パティー:あんた身をかわすこともできたのよ。

 

パティーのように、何を言おうと相手の責任にしてしまうことが反射的になっている人もいるものです。

 

マーシーがどうであるかは、これだけではわかりませんが、彼女の立場の人間が自分の方に責任があると思ってしまうタイプだと、一方的な攻撃に負けて自分が悪いと思い始めてしまうものです。

 

さて、その場合パティーのような人間に出会ったから、かわいそうにマーシーは犠牲になったのだ、と考えればいいのでしょうか?

 

表面的に見ればそう見えますが、パティータイプとマーシータイプが出会うとき、このようなゲームは毎回繰り広げられることになるのです。

 

パティーは表面的には「迫害者」の立場をとる人です。しかしそれは力の強い側が弱い側を迫害するというものとは違います。

 

パティーの方も実際には自分の中にマーシー的なものを抱えています。

そして自分の中のマーシーが痛めつけられるのを防ぐために、自分が先に攻撃に回ることでそれを回避しようとするわけです。

 

そんなとき逆の立場をとりがちなマーシーという存在は、ゲームを仕掛けるのに絶好な相手であるわけです。

 

マーシーの方も、自分の中で「犠牲者」的な自分と「迫害者」的な自分を抱えています。

しかし、パティーとは逆に、まずは「犠牲者」側にまわりがちな適応方法を身につけてきたと言えるでしょう。

 

オフェンスとデフェンスがそろったのでゲームが始まります。

 

ところで「犠牲者」と「迫害者」を括弧付きで書いているのは、心理的な役割だと言うことを示しています。

 

本当に迫害者になりたいわけでも犠牲者になりたいわけでもありませんが、いままでその役割を演じることで自分を守る方法を身につけてきたわけです。

 

そして、この役割は別の要因が生じると簡単に逆転してしまうこともあります。

 

よく「いじめ」の問題で言われることですが、自分がいじめられる立場になりたくないので、自分もいじめる側になってしまうと言うことがあります。

「迫害者」は自分の中に「犠牲者」の役割も抱えているのです。

 

 

本当はもっとストレートに自分の望みを伝えたり、あるいは不満を表明したいのです。

ですが、人生のどこかでそれは効果がないと思い込んでしまった。

実際にそう思うような機会を経験したのです。

 

しかしその多くは幼い子どもの頃に身につける姿勢、態度です。

そして、やってもだめと思い込んでしまったのは、自分が幼くて力がなく、それと比べて大人があまりにも巨大な存在に見えただけかもしれません。

 

どんな理由からにせよ、私達はそういった姿勢、構えを身につけてしまうものです。

 

大事なことは、このようなゲームの関係は、偽物であることを見抜くことです。

本気で迫害者になりたいと思ってもいないし、犠牲者になりたいわけではないのです。

 

さて、それをふまえて、「自分の責任はどこまでかを見極める」と言うテーマを考えたいと思います。

 

特にマーシー側になりがちだと思う人は、容易に自分に責任のないことまで罪悪感を感じてしまいがちです。

それはその結果、自分が「犠牲者」に身を置くことで、本当の自分の気持ちに直面しないでその場を乗り切るやり方を習慣にしてきたからです。

 

もしかしたら、哀れな自分を救ってくれる「救助者」が現れてくれるかもしれないと期待し、「犠牲者」に身を置こうとするのです。

 

ですがゲームを続けている限り、本当の自分の気持ちはわからないままです(少なくとも表面的には)。

それは、いつも満足のいかない形で、終わります。

 

それでも「誰からも無視されるよりはまし」と自分を納得させて、再びゲームの機会を持つような状況に身を置いてしまうのです。

 

自分の本当の気持ちを確認するためには、一つは「自分の責任はどこまでか」を問いかけてみることです。

 

「私は私の感情には責任を持つけれど、あなたの不満はあなた自身が責任を持たないとならない。」という事実をしっかり見極め、そう主張できる自分を持つことです。

 

とくにパティーのような相手に対する場合にです。

パティータイプは簡単に、自分の問題をあなたに押しつけてくるからです。

 

「それは私の問題ではない」とはっきり宣言することです。

それを言うことに、何も罪悪感を感じる必要はないのです。

 

ですが、マーシータイプは、なにかと自分が悪いと罪悪感に入り込みがちです。

うまく罪悪感を呼び覚ますコツをわきまえているのがパティータイプの人間だからです。

 

そして、いったん罪悪感が発動されると、「それは私の問題ではない」と冷静に判断出来る自分がどこかに飛ばされてしまうのです。

 

それでも、どちらのタイプであるにせよ、それは今までに身につけた姿勢や習慣に過ぎないと思って、繰り返し「自分の責任はどこまでかを見極める」ことにチャレンジすることは出来ます。

 

どんな習慣も、新しい習慣に置き換えられるときがきます。

今のままでいいとか思って、不満を抱える関係を続けないことです。

 

たしかにそれは、ある面であなたが絶望に陥るのを守ってくれたやり方だったかもしれません。

ですが、今の自分には他の選択もあるのです。

新しい姿勢があることを認めて、偽物の関係を捨ててしまう方がずっとずっとメリットは大きいのです。

 

『ゲシュタルトの祈り』

 

私は私のために生きる。

あなたはあなたのために生きる。

 

私は何もあなたの期待に応えるために、

この世に生きているわけじゃない。

 

そして、あなたも私の期待に応えるために、

この世にいるわけじゃない。

 

私は私。あなたはあなた。

 

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 

 

※なおここで「ゲーム」は、交流分析(エリック・バーン)、「迫害者」「犠牲者」「救助者」は交流分析(カープマン)の意味合いで使っています。

 

※引用:「いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント」

エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02

 



★マイナスの影響を与える人
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=351013994978551>
 

 

 

その人と会って話をしたり、ネットなどで文章を読んだとき、なぜだかわからないけれど、いやな気分が残ったり、イライラしてきたりするってことありますね。

 

どこが原因かわからないから、余計に始末が悪いんです。

 

ですが、自分の変化には何か原因があったはずです。

 

相手の言っている言葉は、表面的には直接原因を表すようなものでなかったのですが、巧妙にこちらの心理の何かを引っかけてしまっている可能性があります。

 

たとえば、社会的に望ましいことと自分が思っている基準から、相手の行ったことに反論することを控えてしまう様な場合です。

 

そこで私は言いたいけどやめておこうと我慢する。

ですが相手は巧妙に反論したくなる要素をちりばめているのです。

 

中には、下手に反論すると待ってましたとばかり、その反論の不備を突いてくる。

抑えるのもいやな気分にさせられるけれど、反撃してもやり返されて余計にひどくなる。

 

実はこういった相手は意識的か、習慣になってあまり意識がないかどうかはわかりませんが、結果の計算は出来ているのです。

 

その結果とは、相手の苦しむ顔、悔しがる様子であることが多いのです。

 

話さなければよかったと思う人の多くは、たとえばこのような人ではないでしょうか。

 

・こちらの言ったことに、何かとケチをつけてくる。

・せっかくの達成や気分の良さが台無しになるようなことを思い出させる。

・皮肉を言うことに楽しみを感じているような人。

 

 

皮肉屋さんというのは、自分の言葉で相手の痛いところを突いたと感じられることに快感を感じているように見えます。

 

そしてまた、それは打ち上げ花火のようなもので、相手をぎゃふんと言わせて、その一瞬の快感のためにやっているようなものです。

 

それが終わってしまうと、もう相手にも話題にも関心は無くなってしまいます。

当然、解決や後がどうなるかなど考えてもいません。

 

相手の痛がっている顔を眺めながら、自分は他の獲物を求めて、その場を立ち去っていこうとしているのです。

 

ですから、皮肉屋さんの言った内容は、そんなに考えた上で生まれてきたものではないし、本人もその続きがどうなるかなど考えていないのでしょう。

 

その意味では、皮肉屋さんに対して「あなたならどうすればいいと思いますか?」と聞いてあげましょう。

相手への仕返しではなく、相手のために聞いてあげるのです。

 

おそらくちゃんとした答えは出てこないでしょう。

なぜって、「痛いところを突く」と言うことがゴールであり、問題を解決しようと思って言っているわけではないからです。

 

あなたが一生懸命考えて、努力して積み上げたことは、誰かの一言で台無しになったりはしません。

 

実際にやったことは、実体のない一言などよりも重みがあるし、価値があることは明らかではないですか?

 

相手は自分が優位に立とうとしているのでしょうが、あなたまでそれに付き合って、だめな役に自分をおとしめる必要などないのです。

 

 

優位にあるか劣勢にあるかは見かけだけ。

 

容易に立場は逆転するものだし、そのような優位とか劣勢ということを超えて、対等な位置からものを見ることが出来なければ本当のことは見えてこないものです。

 

そして見かけの優位さなどに気を取られないで、本質を見抜くことを忘れなければ、相手の引っかけに惑わされることはありません。

 

ゲームに引き込むための「引っかけ」が存在していることに気づきましょう。

 

たとえばわざと曖昧な言い方をしていながら、「こんなにはっきり言ってるのにわからないの?」と言って挑発します。

 

誰しも自分に自信のないところがありますから、そういう言い方をされると自分の理解力が不足しているのかなあ、と自信をなくしてしまいます。

 

ですが、ゲームの場合は巧妙に話をぼかしているのであって、あなたの理解力の不足ではないのです。

 

それでも、自信をなくしたあなたは、細かく確認しにくくなるので、自分なりに考えて理解しにくい部分を補って意見を言います。

 

そうなれば、あなたは相手の引っかけにはまってしまったのです。

 

「そんなこと私はひと言も言ってないよ。全くあなたの理解力のなさには困ってしまうね。」みたいなゲームの仕上げをするのです。

 

あなたは、「そんなつもりじゃないのに」と思って悔しい思いをしますが、ますます相手のペースにはまってどんどん不利な状況に追い込まれてしまいます。

 

あなたの弱みは、たとえばあなたの信じている社会的な望ましい人物像にあるのです。

普通の相手ならそれは正しく機能しても、このような相手だと通用しなかったわけです。

 

たとえば、あなたが曖昧な言い方に対して確認を躊躇したこと、それはおそらくあなたの優しさ故なのでしょうが、相手は引っかけるための餌に、まんまとはまってきたぞと思っているのです。

 

罠にはまらないためには、あくまで自分を信じることです。

曖昧でわからないと思ったら、その自分の感覚を信じて、確認しましょう。

もし相手が、きちんと応えないのなら、その人とは話を打ち切ればいいのです。

 

相手はあなたの弱点を見抜く達人だけれど、まともなやりとりに戻ってしまえば、その企みは通用しなくなります。

 

あくまで自分を信じてぶれないことです。

あなたの本当の望んでいることが何かを忘れないこと。

 

あなたの弱点を突かれたのですから、動揺してしまうのは当然なのです。

間違っても、それをあなたの能力や価値のなさと結びつけないことです。

 

一息ついて、ちょっと動揺しただけだと思って、自分を信じる原則に従って仕切り直せばいいのです。

 

このようなゲームにはまってしまえば、それが相手の仕掛けだろうと、自分の仕掛けだろうと、本物の交流にはなりません。

 

自分が被害者だろうと、攻撃する側だろうと、あるいは助けようとしている人であろうと、どれも同じように偽物の関係に過ぎないということです。

 

さて、こういった相手に対しては、今は相手にしたくないと思ったら、相手とは関わらなければいい。

 

それでも、相手をしなければいけないのなら、あくまで自分を信じて自分の弱点に注意しながら接することです。

 

その意味では、自分の弱点を知っておくのは大事です。

 

その弱点は、普段はうまく正しく機能するし、自分でもそれは自分の良さの現れだと思えるようなものである場合が多いのです。

 

ですが、相手によっては、あなたのその原則を守ろうとするこだわりを、逆手に取られてしまうのです。

 

ですから一般に使われる表現で言えば、優しさもいいけど相手によっては厳しさも必要だよということですね。

 

もちろん同じ相手であっても、普通に流せばいいときもあれば、この人がこれを言い出したときは接し方に注意しようと思う必要があるでしょう。

 

◆なんのためにこの人と接しているのかを思い出しましょう。そこから外れてきたら、話を打ち切ることです。そのことを相手に悪いとあなたに思わせるのは、あなたの弱点と相手の引っかけの相互作用なのです。

 

◆ゲームの仕掛けにはまらないこと。また自分の仕掛けやすいゲームにも気づきましょう。

ちなみに相手のゲームとあなたのゲームが対照的で、相補的な(攻撃側といじめられる側のような)場合お互いにゲームを仕掛けることも多いのです。

 

◆あなたの優しさや良い面も、相手によっては引っかけの道具にされてしまうこともあることを知っておくこと。たとえ良さであっても、こだわりすぎずにニュートラルに戻れるようにしておくことです。

 

◆同じ人でもいつでも論理的であるわけではありません。変化に対応するには、頼れるのは自分であり、自分に忠実であるという軸をぶれないようにすることです。

どんな立派な見解であっても、外側に基準を持っていたのでは、簡単に揺れ動いてしまうし、ゲームに入り込んでしまうのです。




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人間関係021:私の責任はここまで!001

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少し自分のペースを外してみようか

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生き方023:少し自分のペースを外してみようか001


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★あせること、イライラすること

<https://www.facebook.com/note.php?note_id=123526531060633>

『何かをあせってやろうとすると、かえって空回りばかりで、いつものようにうまくできない。』

 

こんな経験、どなたにもあるのではないでしょうか。

 

こんなとき、あなたはあなたの決めた時間でものごとが起こっていくのを期待していませんか?

 

しかし、ものごとは、まるでそれに特有のスピードを持っているかのように、あなたの思いなど関係なく起きるべくして起きていきます。

 

たとえば、あなたがせっかちな人だとします。

 

そして、あなたの前には時間など気にせずに、自分の決めた手順が変わるのを嫌がってものごとを非常にていねいに行っている人がいます。

 

あなたは、それをみているとだんだんイライラし始めるのです。

 

人と人の関係では、せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。

 

そして、それはわかるけれど、ものごとが自分の決めたスピードで進んでいかないと、あせったりイライラしたりし始めるのです。

 

ものごとが運んでいくスピードに、特有のスピードがあるものかどうか、それはわかりません。

 

しかし、単に見る側の心理的なスピードだけで、ものごとが起きていくわけではないでしょう。

 

それが起きていくには、様々な無数の要員が非常にからまって進んでいくはずです。

 

ですから、あなたがいくら自分で「○○までに結果が出る」と決めたところで、期待通りに起きてくれるとは限りません。

 

植物の種をまいて、いっぱい水や肥料をやったんだから早く芽を出せと言っても仕方がありませんね。

 

またそんなことをするから、あなたはあせったり、イライラしたりするということもありそうです。

 

別の言い方をすれば、あなたはものごとに対する見方が「荒く」なっているのかも知れません。

 

落ち着いているときのあなたは、もっと「こまやかに」ものごとを見ていられるのかもしれないのです。

 

「荒く」見ているから、細かい変化が目に入らない、なんでこんなに変化しないんだということになる。

 

あなたが、自分で時間をコントロールすることをやめて、ものごとが起きていくスピードに任せて見ていられるなら、必要以上にイライラせずにゆったりと過ごすことができるでしょう。

 

さらに発想を広げれば、あなたはものごとの結果についても、同じよう「にコントロールしようとしない」という選択もできるわけです。

 

起きることに逆らわずに、それが起きるのに任せるということです。

 

「そんな受け身ばかりの生き方などごめんだ」といわれるかもしれません。

 

ときにはあせったりイライラしたりするのが、逆に楽しみにつながることもあるでしょう。

 

たとえば、あなたがプロ野球やサッカーの試合を見ながら、ひいきのチームを応援するようなときです。

 

あなたが、いくら逆立ちしようと、あなた自身がピッチャーやバッターになれるものではありません。

 

しかし、あなたがどちらが勝とうがかまわないと思うのなら、興奮もしない代わりに応援する楽しみもありません。

 

それは、もはや応援とは言えないでしょう。

 

不安とワクワクすることは紙一重です。

 

コントロールしたいという思いと、イライラすることは、お互いに切り離せない関係にあるのでしょう。

 

ですから、すべてあきらめようとか、すべてコントロールしようとか、2つに1つで片方だけに決めようとしないことです。

 

心配しなくても、あなたはイライラから完全に解放されることもないでしょうし、無理をして何事にも無気力になる必要もありません。

 

ただ、イライラしたり、あせったりすることが、必要以上にあなたにストレスをかけていないかをチェックすることは役に立つでしょう。

 

ときには、ものごとが起きていくスピードや結果を、そのまま受け止めてみてはいかがでしょう。

 

それが、いかにあなたにとって重要で差し迫ったことでも、あなたにコントロール出来ない事なら、手を出そうとせずにまかせてみましょう。

 

「あなたの力」で、おきてくることをコントロールしようとおもうことが、結果に影響を与えるかどうかを冷静に考えてみましょう。

 

「あなたの力」で、「あなたの意志」で成し遂げたから、だから価値があるというのは、ひとつの考え方でしかありません。

 

そして、あなたが自分でコントロールして成し遂げたと思っていることも、単に起きるべくして起きているだけかも知れないのです。

 

「さからうのはやめた!」と思ったときの開放感、あなたにも経験があるのではないでしょうか。

 

 



★一緒に雨やどり
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=123885667691386>

一緒に雨やどり

 

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜

 

かたつむりと

 

かたつむりを見ているこのわたし

 

かたつむりの気持ちをわたしは知らない

 

わたしの気持ちをかたつむりは知らない

 

知らないもの同士だけど

 

もう、ずっとこうしてそばにいて

 

一緒に雨やどりをしているよ

 

 

違うってことはもっと仲良くなれること  

著者: 山元 加津子 樹心社 / 2003-04

 

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜

 

この詩から何を感じ取るかは人さまざまでしょう。

 

ここでは、「相手の気持ちを知らない」と言う部分について考えて見たいと思います。

 

かたつむりの気持ちをわたしは知らない

 

わたしの気持ちをかたつむりは知らない

 

人間の私と、かたつむりの間ですから、お互いに気持ちがわからないのは別に不思議ではないでしょう。

 

そもそも、かたつむりは何かを考えたりするだろうかということもあります。

 

しかし、それならこれが人間同士だったらどうなのでしょうか。

 

これがたとえば親子で雨宿りしているなら、何か共通の気持ちを持つだろうと思うのでしょうか。

 

これが恋人同士で雨やどりだったら、また違った共有するものがあるのでしょうか。

 

しかし、それは本当かどうかはわかりません。

 

相手の気持ちがわかると言っているのは、そう言っている側の人の考えに過ぎないとも言えるわけです。

 

どんな関係にある人同士でも、同じものを見て全く同じことを考えると思うのは無理がありそうです。

 

お互いが、それまでに経験してきたことは、同じではあり得ない。

 

当然何を思うかも違っているのが当たり前です。

 

あるいは、そもそも「同じものを見ることが出来るのか」といえば、それすらも疑わしいと言わざるを得ません。

 

まあ、その点はそれ以上追求しないとしても、

 

簡単に相手の気持ちを知っているなどと思うよりは、所詮は別の人が考えていることを正確にわかることはできないと考えた方が現実的であり、余計な誤解やトラブルを生み出さないと思うのです。

 

「その気持ちわかるわ」と言われてうれしく思う一方で、どこか違う解釈をされていると感じ始めて戸惑うこともあるでしょう。

 

 

しかし、この詩のかたつむりと私の関係のように、たとえ相手の気持ちがわからなくても、一緒に同じ場所で、同じ時間を経験したということに、何かの意味を感じてしまうのはなぜでしょうか。

 

第三者が、この詩の情景を思い浮かべたとしたら、何か両者に通じ合うものがあったのではないかと感じてしまう。

 

それは、先ほどの相手を知っているという独断的な判断ではなく、当事者でないそれを見ている人が感じるものであるわけです。

 

同じ時間を共にしたということに感じ取るものは、実は「相手を知っている」などという余計な考えが入り込まない方が純粋に感じ取れるという気さえしてきます。

 

すこし目の前にいる人のことを、頭で理解し自分の側で説明するのをやめてみたら、どんな風に相手が自分の中に飛び込んでくるだろうか?

 

そんなことを考えてみたのです。

 

相手を知らなくても感じ取れるものと、理解したつもりの私の考えた相手は別のもの。

 

相手は「かたつむりだ」くらいに思っている方が、素直に感じ取れる世界がそこにあるのです。

 




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こだわりをすてよう!大局を見よう!

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★信念とうまくつきあう
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=129029267177026>

信念という言葉に対してどのような感じを持っておられるでしょうか。

 

信念が一貫している人は、どういう人なのかはっきりしていて、なにか信頼できるというイメージがあります。

 

特に仕事などで付き合う場合には、重要な要素かもしれませんね。

 

しかしこの信念というもの、結構誤解していたり、弊害をもたらしていることに気づいていない場合もあるのではないでしょうか。

 

信念といっても、実は自分で常に意識している、言い換えれば言葉で表現してスローガンにしているものがある一方で、自分では意識していないけれど一貫して自分を動かしている姿勢とでも言うようなものと2つ考えられます。

 

私たちが信念という場合、前者のことを指している場合が多いのですが、実は後者も本人が気づいていないだけで、他の人から見ればあなたという人間を印象づける上で大きな働きをしています。

 

一貫した姿勢というのは、もちろん良い面も多くあるのですが、変化を拒んで融通が利かなくなるという悪い面も持ち合わせています。

 

とくに自分がスローガンとして発表してしまったことは、引くに引かれず状況が変化しても、言ったことは絶対守るとばかりしがみついて、自らがんじがらめになってしまうことがあります。

 

また、「私はこう信じています」という表現だけが信念ではありません。

 

「私ってこういう人間だから」「これを譲ったら私でなくなるから」というような表現も同じように自分に対する信念であると言えるでしょう。

 

信念とか、さらに一般的に言えば何かを規定する言葉というのは、一貫して物事を為し遂げるときには強力な武器となりますが、その必要がなくなってもいつまでもそれを抱え込んでしまう傾向があります。

 

一度方針を決めてそれが効を奏したら、これは役に立つと思って、何にでもそれを適用したくなってしまうのですが、あくまでそれが役立ったのは、その時の対象、その時の状況を抜きにしては語れないはずです。

 

役割を終えたら、信念も手放し、そこに捨てていかないといけない。

河を渡ったら、舟は置いていくのです。

 

今の季節、暑いからと冷房を入れると、冷えすぎて寒くなってしまうということもありますね。

 

強力な道具は、そこまで必要のないときには微調整が効かなくて、もてあましてしまうという面を持っています。

 

近距離の敵に重戦車で立ち向かうような愚は避けなければなりません。

 

 

信念や言葉による制限のもたらす悪影響としては、なかなか気づけないだけにやっかいなのが、その排他性という性質です。

 

自分はこういう人間だと決めてしまうことで、そこから外れた自分など存在しないかのように扱ってしまう。

 

前面に打ち出された信念だけを追っかけていると、背景に沈み込んでしまった自分を無視したり、否認したりすることにつながります。

 

置き去りにされた自分は、消えてしまうのであれば、まだいいのかもしれませんが、それがなくなることはありません。

 

なくならないと言うよりは、そこにあるものに、一部分だけ名前をつけてそれだけが存在すると主張しているだけなのです。

 

そこにあるものは、すべて生かしてこそ、満足感も得られるというものです。

 

特に仕事やビジネスでは「信念を貫く」ことが重要で価値があると見なされる傾向がありますが、そこで見落とされてしまった要因は時として問題を大きくしてしまいます。

 

こんなに一貫して頑張っているのに、なぜうまくいかないんだろと嘆くとき、皮肉にも、一貫しようとする姿勢こそが状況を悪化させていると言うこともあるのです。

 

スローガンなど捨てて、そんなものは問題外だと排除していたことを素直に試して見れば、それだけですんなり解決するかもしれないのです。

 

意地を張ってすねている子どものように、かたくなにならずに、やっぱり間違っていたと素直に認めてボツにしていた考えを採用してみましょう。

 

言葉というのは、物事の一面のエッセンスを取り出して凍らせ変化できなくしたものです。

言ってみれば生きて呼吸してはいないもの。

 

しかし、私たち自身も、まわりの状況も常に変化していることを忘れるわけにはいきません。

 

縦割り行政がいかにひどい弊害をもたらすかを、まざまざと見せつけられながら、解体もうまくできない。

 

そんな巨大なシステムに取り込まれてしまわないためにも、一貫性というのはあくまでその時点の正しさでしかないことを認識して、変化を受け入れ融通の効くシステムにしなければなりません。

 

巨大な信念の塊も、ほんの小さな「私はこう思う」という小さな積み重ねから出来上がっています。

 

それは、いまここでの正しさに過ぎないことを忘れないこと。

 

意識していない、いろんな自分がいまの自分の世界を作り上げ、現にそれを見ているのだとことを思い起こしてみることです。

 

言葉で表現した信念など、自分の全体から見ればほんの一部に過ぎない、それだけを相手にしていてはうまくいかないのも当然のことなのです。

 

緩さを持たない固定してしまった言葉に頼らずに、意識しないで背後で淡々と生きている自分の存在を信じて任せて見る。

 

そうすれば、いま目の前で起こっていることを、そのまま見る余裕も生まれてくるでしょう。

 

信念を背負っていれば、色眼鏡でしか見えない。

 

あるいは、見えているならまだましで、即座にフィルターを掛けてしまう思考は、これは見てはいけないと、目を向けることすらしなくなるのです。

 

信念がうまく働く為には、それなりの変化しない条件が一定期間保たれているという前提が必要なのです。

 

終始変化をし続ける対象を相手にするときには、「信念を貫く」などというのは、ろくな結果をもたらさない。

 

閉塞感を感じる状況では、なおさら信念など捨てて、緩い見方、柔軟な行動修正ができることが要求されるのです。

 

信念でごり押しするのは、行動的で強力には見えても、方向が間違っていれば事態をどんどん悪化させるだけだと忘れないことです。

 

 



★動きながら安定する
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=129323910480895>

 

だるまさん

 

だるまさんは、転ばない。

 

だるまさんは、右から押されたら左に傾き、左なら右に傾く。

 

しかし倒れてしまうことはありません。

 

右に、左に、揺れ動きながらも、落ち着けばまっすぐに立っている。

 

ところが、動かないで倒れまいとすると、いつも反対の力で抵抗しなければなりません。

 

右から押されたら、左方向に押し返し、左なら右に押し返す。

 

毎回毎回、力を入れっぱなしになってしまう。

 

動かないで安定しようとするから、このような無駄なエネルギーが必要になるわけです。

 

だるまさんは、抵抗しないから、他からの力がなくなれば、唯一の力である重力でまん中で落ち着くことが出来るのです。

 

まっすぐでいたいのなら、力で抵抗しなければそれだけでいいわけです。

 

「わたしは、絶対に~しません。」と宣言するから、ずっと力んでいなければならなくなる。

 

「わたしは、Aであることもあるし、Bになることもある。でもいつもZに戻ります」と考えればいいわけですね。

 

Zはだるまさんで言えば重力、力を入れないときに帰って行くところです。

 

揺れ動きながらも、トータルでは安定する。

 

自然の分布は、まん中の平均値が一番多くなる正規分布に落ち着きます。

 

自然に逆らわなければ、力を入れなければ、抵抗しなければ、放っておいてもトータルで安定する。

 

だから、ただ手放すだけでいいのです。

 

いつもいつも掴まるところを探しているから、

いつまでもいつまでも、手放すのが怖いのです。

 

 

 




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