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2013年02月

感情と親しくなってみよう

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心理療法005:感情と親しくなってみよう001

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★怒りを長引かせない方法
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=129561693790450>

まず怒りという感情はどのようなときに起こるものでしょうか。

 

もともとは自分が災難を被った、被害にあった状況で起こってくるのが怒りの感情ですね。

 

それはもともとは被害を受けた自分が、それ以上被害を受け続けないように自分を守ろうとする為に備わった感情なのかもしれません。

 

つまり、怒りを感じて相手に対して反撃に出るという行為に付随した感情とでもいいましょうか。

 

身を守ろうとして反射的に感じる行為の一部としての感情は、いくら抑えようとしても抑えきれるものではないかもしれません。

 

しかし、私たちは反射的な怒りの後に、いつまでもその怒りを維持してしまう傾向がありますね。

 

そこでは、反射的な感情ではなくて、その感情をいつまでも長引かせる自分の中での心の働きが存在するわけです。

 

たとえば、怒りの相手を「あんなことをする人間は許せない。このままにしておくべきではない。」というような考えをいつまでも繰り返しているわけです。

 

そして最初の反射的な感情は別として、この部分は自分次第でコントロール可能になると言えるでしょう。

 

心の働きとしては、自分が災難を被った「被害者」であり、その原因を作った自分を攻撃してくる「加害者」がそこには登場するはずです。

 

具体的な「加害者」が存在しない場合には、自分が「被害者」ではあってもそれほどいつまでも怒りは続かないことが考えられます。

 

荘子の「空っぽの舟」という話をご存じでしょうか。

 

自分の乗っているボートに他のボートがぶつかってくる。

とっさに、怒りを感じて「誰だこの野郎!」と思う。

しかしこの場面で、もしぶつかってきた舟に誰も乗っていないとわかったら、それでも君は怒り続けるかね?

 

といった内容の話です。

 

この話から気がつくように、怒りの感情を維持するときには、特定の加害者を想定しているものだと考えられます。

 

そして「加害者」が「被害者」である自分に迷惑を与え、「加害者」に非があるから罰してやらないと気がすまらないと思っている時に怒りが続くのです。

 

さて、ここまで考えてくれば、怒りを長引かせないためには、上記の必要な条件を崩してやれば良いのではないかと思い至るでしょう。役割に入り込まないで、外側から見られたら、怒りから脱却できそうです。

 

まずは「加害者」を考えます。

 

怒っているときは、加害者が自分の被害の原因であり、しかも故意にそのような攻撃を自分に仕掛けたと思っているわけです。

 

「故意の攻撃というのは本当に確実だろうか?」

・相手は自分を攻撃するような立場にある?

・自分がかってに攻撃を受けたと思っていないだろうか?

 

という点をもう一度チェックしてみます。

 

攻撃を受けるような客観的な要因はないとわかってくれば、自分が脚色してしまっただけかもしれないと思えてくるかもしれません。

 

そうすると、では「相手は何でそんなことをしたんだろう?」と考えを切り替える余裕が生まれます。

 

たとえば「もともと、誰に対してもそういう行動をとりがちな人なのかもしれない。」と思えたら「個人的に被害を受けた」という印象は変化してくるでしょう。

 

また、すぐに攻撃的になる人とは、何かを怖がっている人であるという見方をすれば、立場は逆転して、自分の方が何とかしてあげようという気にもなってきます。

 

その人は他の行動をとれない何らかの事情を抱えていたのだと考えられるのです。

 

「加害者」というレッテルをやめて、相手も状況の「被害者」だったのかもしれないという視点に立てば、怒りはいつのまにか収まってくるでしょう。

 

次に「被害者である自分」をチェックしてみましょう。

 

自分の普段の対人関係における姿勢を冷静にチェックしてみましょう。

・自分は「被害者」であるという立場をとりやすい傾向はないだろうか?

・他の人は自分を攻撃してくるものだと見る傾向はないだろうか?

 

わたしたちは、普段から自分の好みのストーリーを作り上げて、外の世界を見ている傾向があります。

 

◇自分は他の人に助けてもらう必要がある、あわれな「被害者」だと思いがちな人。

 

◇自分は他の人を救わないといけないだ。みんな危なっかしくて見てられないからと思う人「お節介やき」。

 

◇世の中は間違った人間が多すぎる。自分がそのような人を正していかないとならないという「裁判官」的な人。

 

そして、怒りの感情を長引かせやすいのが、「被害者」を演じやすい人や、正しさを追求したくなる「裁判官」なのです。

 

普段から自分のこのような傾向を正直に見つめていれば、「加害者」対「被害者」の関係に入り込まなくなりますから、怒りの当事者になることも少なくなります。

 

瞬間的に怒りを感じることは、前述のようにいつまでも消えることはないでしょう。

 

それを自分にはそんなことはないと無理をして聖人になったような真似をしても、結局怒りをため込んでしまうことにつながります。

 

そんな無理なこと目指すのではなくて、不要な怒りの継続を止めることに努力する方が、現実的で実りも多いものになるでしょう。

 

それには、「被害者」を演じるのをやめること、また正しさを振りかざす人になろうとしないことです。

 

それと、「人は変えられない、自分は変えられる」という原則を忘れないことも大事だと思います。自分が何か言ったからといって相手がすぐ変わるということは期待できません。

変わったとすれば、たまたま相手が変わるタイミングにいたからでしょう。

その時期が来なければ人は変わらない。

変わってくれないからと自分が責任を感じることは、やがて新しい怒りを作り出すことにもつながります。

 



★窮屈な姿勢と嫌な感情
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=131725166907436>

私は首を片方に傾けるくせがあるようです(笑)。

人に言われないと気づかないんですが、写真を見ると確かに偏っています。

 

私たちは、窮屈な姿勢をとらざるを得ない状況だと、何とか身体をそれに合わせようとしますね。

 

しかし、その状況から解き放たれたら、のびをして元の状態に戻します。

 

ところが、この場合もくせになることがあって、もう身体を合わせる必要がないのに、何となくその姿勢をとってしまうのです。

 

 

ところで、姿勢だけでなく、私たちはその人特有の感情傾向を持つものですが、それを形作っている中に、おなじみの「嫌な感情」というものがあります。

 

ここで「嫌な感情」と言っているのは、表向きの説明が何であれ、じわじわと私たちに苦痛を感じさせるような感情という意味です。

 

この「嫌な感情」というのも、くせのようなもの。

先ほどの窮屈な姿勢にたとえると分かりやすいように思います。

 

最初は、窮屈な場所に押し込められて、しかたなく不自然な体制をとるわけですが、解放されると元に戻ります。

 

ですが、何かのきっかけでその姿勢がくせになっていくと、外側の状況がどうであろうと、自分からその体制をとってしまうのです。

 

「嫌な感情」も元はといえば、今まで生きてきた中で、むりやりそのような感情を持つしかない状況を経験したのでしょう。

 

無理な姿勢から解放されるのと同じように、最初はその感情はその場で完結して後を引くことはなかったのです。

 

ですが、いろんな理由から同じ感情を自分の中で引き起こしやすくなってくると、状況にはそんな理由がなくても、「嫌な感情」を自分から作りだしてしまうことがあります。

 

その場合、その人が感じるのは、自分からその感情を呼び出しているのにもかかわらず、原因は外にあるように感じます。

 

「また嫌な気分だ。世の中嫌なこと(人)が多いね。」といった具合なのです。

 

しかし、無理な姿勢が元に戻そうと思えば直せるのと同じで、「嫌な感情」というのも、どこかから突然わき出してくるものではなく、自分で消し去ることも出来るのです。

 

それには、まず自分がそういう感情傾向を持っていることに気づいて意識してみることです。

 

次に、それは「誰か(何か)のせいで起きてきた」と考えないで、自分が作りだしているものだということを納得できるまで調べて見ましょう。

 

「怒らせる人がいるから、自分はいつも嫌な気分にさせられる。」のではなくて、「私が怒っている」と認めることです。

それが納得できないといつまでも、その悩ましい感情とおつきあいしなければなりません。

 

なぜかといえば、それが外からやって来ると信じ込んでいるのですから、自分では変えようがないのです。

 

また同じようなことですが、勘違いしやすいのは、「人生というのは嫌なこともあるもの。この感情も我慢しないといけないもの」と思って納得してしまうこと。

 

中には避けられないこともあるでしょうが、自分で「くせ」にしてしまった感情をくりかえし引き出しているということの方が、むしろ多いのではないかと思います。

 

手放せるものは、大事に抱えていないで根こそぎ消し去ってしまおうと決心することです。

 

それから、3つめとして「嫌な感情」というのは、どこかで拾ってきた「くせ」のようなものであって、本来の自分が持っていたものではないことをはっきり知っておくことです。

 

もともと、そんな感情など自分がいつも持ち続けるような対象ではなかったのです。

役目を果たしたら消えてもらっても、ちっともかまわないのです。

 

しかし、そういった感情をなんとかしようと取り組みはじめると、すぐに抵抗が働きます。

 

抵抗するのは、今まで慣れ親しんだものを壊させまいとする、習慣の塊、エゴとか執着の働きです。

 

「それは必要な感情だよ。消し去ってはいけないよ」と言い出します。

 

「なぜかというと~だから」という理由をまくし立てて、何とか阻止しようとしてくるのです。

 

ですが、それはくせに過ぎないのですから、騙されないで不要な感情は作り出さない(湧いて出るのではない)と決心すること。

 

いつもとっている姿勢を変えると、最初は変な感じがしますが、気にとめないで楽な自然な姿勢こそが本来のものだと信じるのです。

 

手放していくにつれて、その言葉で説明しにくいやりかたを感触で覚えていきますから、どんどん楽に手放しが出来るようになります。

 

やがて、やっかいなボス感情とでもいうものも、決して本来の感情ではないと見破って、振り向かずに放り出してしまうことが出来るでしょう。

 

 

自分と正直に向き合うことは、やっかいで、怖くて、つい後回しにしてしまうものです。

 

私は別にまにあっています、それよりも目の前のことが大事とばかりかけずり回っていることも、調べてみたら、かなわない思いに突き動かされていることばかりなのです。

 

表向きは大丈夫と言いながら、一人になるとしつこい不安がいっぱいというのが普通なのです。

 

中には「ポジティブ!ポジティブ!」とスローガンのように唱える人もいますが、営業として割り切ってやっているのならいいですが、本来の自分と同一視してしまうと、こじらせて心の病を引き起こしかねません。

 

「そんなものはない」と言えば消え去るわけではないのが感情というものです。

 

嫌わないで正面から向き合えば、ごまかしではなしに、不要な感情に付きまとわれることはなくなります。

 

それには、何も特別なものはいりません。

その存在を無視しないで認めるだけでいいのです。

 

だだし、その時に説明しようと思ってはいけません。

だたその感情のままを感じ取ることです。

 




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苦手な人-考えるだけで憂鬱

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人間関係020:苦手な人-考えるだけで憂鬱001

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★苦手な人-考えるだけで憂鬱
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=322999471113337>

 

あなたには苦手な人がいます。

 

誰でもそうですよね。

 

できるなら避けて通りたいひとです。

 

相手をしないといけないと思っただけで、憂鬱になります。

 

あのひとと仕事するくらいなら、仕事を変わりたいとまで思うかも知れません。

随分そのひとは嫌われたものですね。

 

ともかく、そういった他人と毎日顔を会わせることは、大変なストレスとなります。

 

 

 

何か方法はあるのでしょうか。

 

まず、あなたにとって、その苦手な人とはどういう人なのかを考えましょう。

 

苦手な人というのは、ひとそれぞれ異なるものでしょうが、一般的な傾向というのは見いだせるかも知れません。

 

・その人は話しかけにくい。

・何か下手なことを言うと、攻撃されそうである。

・あなたの考え方からすると、その人は何を考えているのかよくわからない

 

どうでしょうか。

このあたりは、共通してみられることではないでしょうか。

 

それを確認できたら、次はどうすればいいでしょう。

 

あなたはこれらの問題点は、相手の問題だから、変わるべきは相手だと思っていないでしょうか。

 

実際そうなのかも知れません。

しかし、たとえそれに賛同する人がいたとしても、あなたが取り組むのは相手を変えることではありません。

 

それが成功するくらいなら、あなたはいつまでも苦手なままでいるはずがないのです。

 

あなたは、いや試したことがないから、というかもしれません。

なんなら試してもいいですが、他人を変えることは、ほとんどの場合割に合わない取り組みに終わります。

恐ろしくパワーのいる取り組みになってしまうでしょう。

 

その方向で考えるのはやめて、相手ではなく、あなたに出来る方法を考えましょう。

 

・その人は話しかけにくい。

・何か下手なことを言うと、攻撃されそうである。

 

話しかけにくい難い人というのは、ほとんどの場合、防御がかたい人です。

自分の苦手な部分に入り込まれることを、怖がっている人です。

 

ですから、正面から入ってこられると、すぐに身構えてしまいます。

それがあなたには、取っつきにくさを感じさせるわけです。

 

「下手なことを言うと、攻撃されそう」

そうです、あいては自分の守っていることに触れられれば、攻撃してでも阻止しようとします。

 

ですからその面だけを見て、その人は横柄な人だという見方をしていては理解できません。

そのひとは、自分を守ろうとしている、怖がっている人だと理解するのです。

 

 

 

 

難しい入り口を選ばないことです。

正面から意見を聞こうとしないことです。

 

取っつきにくい人とはいえ、あなたにも相手とはなせる話題の1つはあるはずです。

差し支えのないことから、なにげなく話しかけてみるのです。

 

「なんで自分から話しかけないといけないんだ」とか考えないようにしましょう。

あなたがやるべきことは、相手を糾弾することではなく、理解することです。

 

あなたが目指すのは、あなたのストレスを、これ以上続けないようにすることにあるのですから。

 

自分を守ろうとしている人ほど、いったん自分が警戒を解いてもいいことがわかれば、180度接し方がかわってくるものです。

 

 

 

 

自分の取っつきにくさを自分でも感じているからこそ、自分のことを誰かに理解して欲しいと言う気持ちも強いわけです。

 

あなたは、その理解してあげられる人になれるのです。

 

・あなたの考え方からすると、その人は何を考えているのかわかりにくい。

 

わかりにくさというのも、自分を守ろうとして見せかけている態度から来るものでしょう。

 

あなた自身も意地を張っている時と言うのは、相手の意見にあわそうなどとしないものではないでしょうか。

 

あなたがいったん共通の話題を見つけたら、相手の堅さも和らいできます。

相手の人も、守る必要がないとわかれば力が抜けて打ち解けてきます。

 

そうなれば、それほどわかりにくい人ではなかったことに気づくでしょう。

そのひとも、実はあなたと同じ事を考えているんだという発見をするでしょう。

 

取っつきにくい人ほど、相手と話が出来るようになることを喜ぶものです。

あなたは、苦手な人の克服だけではなく、とても有益な関係を築けたことを発見するかも知れません。

 

あなたがやるべきことは、相手を糾弾することではなくて、理解することです。

 

逆のことを考え続けるかぎり、あなたはストレス状態を、今までどおり続ける事になるのです。

 

横柄な人だという見方

相手が変わるべきだという見方

このような役に立たない批判をあなたの側で捨てることです。




★苦手な人-考えるだけで憂鬱2
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=324041084342509>
 

 

前回の話ではこのような面を考えました。

 

あなたがやるべきことは、相手を糾弾することではなくて、理解することです。

逆のことを考え続けるかぎり、あなたはストレス状態を、今までどおり続ける事になるのです。

 

横柄な人だという見方

相手が変わるべきだという見方

このような役に立たない批判をあなたの側で捨てることです。

 

https://www.facebook.com/note.php?note_id=322999471113337

 

 

今回はもう少し根底にあるものを考えてみたいと思います。

 

ところで、あなたは自分の苦手な人が誰もいなくなってくれたら、この世界はすばらしく住みやすいものになると想像しているでしょうか?

 

自分の好きな人ばかりになるのだから、よくなるに決まっていると思うでしょうか?

それとも、それでもまた新しい苦手な人が現れるに決まっていると思うでしょうか?

 

歴史は絶えず悪者を排除しようとしてきましたが、黒を消せば白だけの世界ができあがることはありませんでした。黒を消してもそのときの灰色が黒に変わるだけです。

 

しかし、このようなたとえを追求するよりも、自分の苦手な人がどうして存在するのかを考え直した方が、新しい発見があるように思います。

 

さて、苦手な人とは、あなたが排除したくなる人かもしれませんが、実はあなたの一部であるとは考えられないでしょうか?

 

あなたの中に存在しないことは、あなたを傷つける原因になることはありません。

そうではないですか?

 

あなたが苦手な人は、あなたの触れたくない部分を刺激するのです。

見ないようにしている自分を思い出させるから、「この人やだ!」と思って近づきたくないのです。

 

表向きは、そんな自分はいないと自分の一部を否定していますが、その部分は確実にあなたの中に存在するのです。

 

一方で否定し見ないようにしながら、それでもふとしたときにその存在は自己を主張してくるのです。

 

つまり周りに対しては、あってはならない存在だと誰かを批判する対象にしていますが、実はそれが自分の中に潜んでいることも十分認識しているのです。

 

誰かの中にその嫌な部分があると思うことで、そしてその相手を嫌ったり批判することで、自分の中にそんなものはないと言い聞かせたいのです。

 

ですが、その批判する行為は、自分の中に向かっても跳ね返ってきます。

批判するたびに、自分の中の一部を痛めつけます。

 

外側を批判することで懸命に隠そうとしながら、一方ではその批判が自分を痛めつけるという、少々やっかいな構図になっているのです。

 

それがたまたま周りにいる人間の中に見えるとき、苦手な人、嫌いな人を作り出しているだけなのです。

つまり本質は自分自身との関係の中に存在し、他人は巻き込まれているだけです。

 

あるいは、こうも考えられます。

必要ならあなたは、嫌いな人間をつくりだしてでも、誰かを批判するという隠れ蓑を作り出そうとするのです。

 

ただ見たくない自分を隠し続けるためにです。

 

ですから、これを根本的に解決するには、自分自身と向き合うしかありません。

 

隠すことが何の解決も生み出さないことを、とことん理解したとき、正直に自分と向き合う決心が出来るでしょう。

 

そして、正体が暴かれたらとんでもないことが起こると恐れていたことは、白日の下にさらしてしまえば、他の様々なできごとの中の一つに過ぎなかったことがわかるでしょう。

 

否定し続けることが、いかに無駄なエネルギーを使わせていたかに気がつき、それが葛藤や憂鬱を生み出す原因だったことに気がつくのです。

 

 

やり残した夏休みの宿題は、考えるだけで憂鬱になります。

思い出せば、その都度暗い気分にさせるのです。

 

宿題をやってしまわないと問題は消えないことは十分わかっています。

しかし、なんとか、それ以外の方法で原因が消えてくれないかと思うのです。

 

ですが、それがまさに悪循環を生み出しているのです。

いつのまにか、巨大な怪物に成長してしまいます。

 

ですが、考えるのをやめて宿題に取りかかった瞬間、道は開け、きっとすぐ青空が広がる予感を感じ始めるでしょう。

 

 

苦手な他人の中に見え隠れする、自分自身の嫌だと思っている部分ときっぱり仲直りしましょう。

取りかかってみれば、思っているよりずっと簡単なことだとわかるでしょう。

 

自分で大変な重荷に作り上げていただけですから。

 

たかが夏休みの宿題も、放っておくととんでもない重荷になるのと同じなのです。

 

そして苦手な他人とは、その宿題の存在を思い出させ続けてくれます。

 

すぐに対立する存在を作り出すという思考の癖が、あなたの内部に対立するものを作り出し、自分を分裂させてしまうのです。

 

「要するにどっちが悪いの?」という発想をやめることから、道は開けるでしょう。

 

それが存在することは、正しいか間違っているかという分類以前の前提なのです。

 

分類することで、何かが解決したように錯覚しないで、存在自体と向き合わなければなりません。

正真正銘、あなたの一部なのですから。

 

分類をやめて、批判をやめて、両方の存在そのものを認めたとき、はじめて問題は消え去るのです。

 

それを本当に理解すれば、苦手な人はあなたに解放をもたらしてくれる人に見えてくるでしょう。




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私もあなたも関係が作り出したもの

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人間関係019:私もあなたも関係が作り出したもの001

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★競争に疲れ果てたと感じる人へ
私も他人も関係が作り出す

<https://www.facebook.com/note.php?note_id=297494323663852>

 

あなたが今の生活に疲れを感じ、もうこれ以上競争はいやだと感じるならここらで自分を振り返ってみるのがいいでしょう。

 

このままの生活を続けると、どこかで倒れてしまうか、やり場のない不安で病院に行くしかない。こんな思いを抱き始める人も決して少なくないはずです。

 

◇自分を振り返る最初のステップは、現状を認めることです。

 

たとえば、このような内容です。

自分は今、意志の力だけで何でもどうにか出来ると信じてきたことに限界を感じている。

自分は、他の人からの評価を維持するため努力してきたが、これ以上はどうにもならないと感じ始めている。

 

このように自分が限界に来ているという事実を認めないと、変化は始まりません。

 

◇今まで無理をしてきたことの実態を理解する。

 

つぎは、自分がいままでこれしかないと思い込んでやってきたことがどういう事だったのかを明らかにしてみることです。

 

意志の力で何とか出来ないことはないと信じてきた。

出来ないのは、努力が足りなかったり、意志が弱いせいだと言い聞かせてきた。

しかし、それだけではどうにもならないことがあることがあることを認めよう。

 

自分は他の人からの評価が気になってしょうがなかった。

そのためにはどんな無理をしても弱みを見せないようにしてきた。

自分がそのような人間でないと人にわかってしまうのが怖かった。

 

◇今までのやり方をあきらめて、ありのままの自分でもOKだと認めることを決心する。


決心する内容は、このようになるでしょう。

 

意志の力で何でも出来ると信じることを放棄することにする。

それだけでは、限界があるし、いつでも自分が勝てるものではないことを認めよう。

他の人の評価がないと自分の生きていく価値がないという価値観を捨てることにする。

ありのままの自分でも、それだけで価値があり、そのままでもOKであると信じることにする。

 

以上の3ステップが、まずはあなたが取りかかるべき方向です。

 

スタートは出来ても、それを維持することには様々な障害が立ちふさがります。

 

ありのままの自分でいいと言われても、それでいいのだろうかという不安が起きてきます。

そのままの自分でOKという考えに慣れていないせいです。

そのままでいいのなら、何も努力しなくなると心配かも知れません。

 

しかし実際には、比較や競争を捨てればいろんな事に取り組みたくなる自分がよみがえってきます。

今までどうせ負けるからと放棄していた事も、自分の選択肢にあることが解ってきます。

 

周りを見回すと、どこもかしこも競争に明け暮れ、比較することに躍起になっています。こんな世界にいれば、やっぱり自分も競争の世界に戻りたくなるものです。

 

競争がないと退屈で刺激がないと感じるかも知れません。

それでも、あえて自分の生活に不要な比較、競争を持ち込まない様にするのです。

 

他の人からの評価がないと不安だという気持ちがよみがえってきます。

しかし、人の評価には関係なく自分はOKであるという姿勢を崩さないことです。

 

自分に自信が持てる様になれば、自然と他の人もそのようにあなたを扱う様になります。あなたが自分自身を評価する姿勢が、そのまま他の人からのあなたの評価に反映されてきます。

 

 

これらのステップで比較や競争、あるいは自分の思うように対象を征服しようと思わなくなったとき、その対象とのありのままの関係が見えるようになります。

 

「意志」とは自分の思うように対象を征服しようという思いであって、ありのままの関係を無視して力ずくで対象を加工しようという働きです。

 

それはあたりまえのように思っているかも知れませんが、自分勝手な働きかけに過ぎません。

作られた関係であって、ありのままの関係とは呼べないものなのです。

 

ですから、思うようにならないと対象である他人を非難したり、それが果たせない自分をダメだと思ったりしているのですが、問題があるのはその関係の認識にあるのです。

 

関係とは、私自身と所有物や他人や観念との関係です。

 

そして実は、関係を通してのみ私とは誰かを認識しているのです。

つまり、関係というものがなければ、私と私以外のものを区別する手がかりはありませんから、私という観念もなくなるのです。

 

私を非難したり痛めつけているのも、私を誇らしく思ったり自信を持つのも、関係をそのようなかたちで認識しているからです。

つまり関係の認識の仕方が変われば、対象はそのままでも「私」の受け取り方は変わります。

 

たとえば対象である他人は何もしていないのに、あるいはその人が見える場所にいなくても、比較や競争の関係を感じていれば、緊張したり脅威を感じたり、あるいはその人との比較で「私はもっと○○しなければ」と感じたりするのです。

 

それがありのままの関係であれば、その他人は登場すらしてこないかも知れません。

 

関係の認識しだいで、他人がどうであるか、私がどうであるかとは関係なく、勝手に緊張関係を創り上げてしまうのです。

 

そしてそれは、関係のあり方に過ぎないのに、実際に他人が働きかけてきたと感じていたり、私のあり方に問題があると感じたりといった勘違いが起きてきます。

 

相手が実際になにかしたのか、私に実際に問題があるのか、あるいはただその関係を作り上げているだけなのかを問い直して、ありのままの関係を見るとき、世界は全く違ったものに見えて来るでしょう。



★相手の中に映った自分を受け入れてみる
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=302163509863600>
 

 

 

ありのままの自分を受け入れるための1つの方法として、他人を受け入れてみるということがあります。

 

あなたが他人の中に見る、魅力的な部分もいやな部分も、あなた自身の一部分が投影されたものと見ることが出来るものです。

 

他の人の中に見るいやな部分を、批判なしで受け入れてみることは、自分自身を受け入れることにもつながるわけです。

 

最初は架空の人物で試して見ましょう。

あなたがこういう人は嫌いだと思う人間を、想像してみます。

必要ならこれでもかと自分のいやだと思うことを取り入れて、自分の大嫌いな人物Xを作り上げて見ましょう。

 

自分が思う、いやなこと、嫌いなこと、ダメだと思うことを想像できるでしょうか。

すぐに思い浮かぶこともあれば、何かありそうで思い浮かばないとことがあるかも知れません。

あるいはこうした試み自体に抵抗を感じるという人もいるかも知れません。

 

やってみて、こんな人は誰が見ても嫌うだろうという人物が出来上がったら、あなたがその人物を前にしていることを想像します。

 

そこではあなたは何をしようとしているでしょう、自分の言葉に耳を傾けてみます。

あなたはいきなり相手を非難しようとしているでしょうか?

それともただいやな感じを味わうだけでしょうか?

 

いずれにしても、ここではあなたはそんな人物Xをそのまま受け入れることを試してみます。

良い悪いの判定をしそうになっても我慢して、そのまま相手をどう感じるか自分の心の中の言葉に注目します。

 

最後にあなたは、「こんな人でも自分のベストを尽くしているんだ」と思って受け入れてみるのです。

 

そしてその人を許してあげます。

受け入れた時の自分の側の批判や反発についても感情をそのまま受け入れます。

 

 

 

決して許せないことばかりではなかったと思えたでしょうか。

 

仮想の人物が終わったら、自分の周りの人々(両親や家族や仕事仲間など)についても心の中で試して見ましょう。

 

このとき注意するのは、あくまで正直にそのままの感情を体験することです。

途中で価値観や善悪による批判を取り込まないことです。

 

また無理に全部を受け入れようと思わないことです。

受け入れられない方が自然だと思ったら自分の考えをそのままでOKだと受け入れればいいのです。

怒りを押し込むようなことをしたのでは逆効果です。

 

相手への批判を少しでも違った目で見ることに成功したら、それは他ならぬあなた自身への自己批判を解消することにもつながっている筈です。

 

批判されるべき人を受け入れる事が出来たなら、それはあなた自身を受け入れる事にもつながっているはずです。

 

あるいは人を許すということ自体が、あなたにとってあまり行ったことのない経験だったかも知れません。

 

批判する(自分も他人も)ことばかりに忙しかったひとなら、「許す」という経験を持つだけで世界観が変わるかも知れません。

 

 

 

いちどに全部許そうと思わなくても結構です。

1つでも許せることが出来たら大成功だと思いましょう。

1つの「許し」体験は、その後の展開をずっと楽なものにしてくれるはずです。

 

今の自分には、どうやっても許せないと思うことがあったとしたら、次回の検討課題としてそのままにしておきましょう。

そして、どうして「どうやっても許せない」と思うのかを考えてみるだけにしておくのです。





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他人から批判されたら

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人間関係018:他人から批判されたら001

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★他人から批判されたら
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=175863115826974>

前回は自分が他人を批判する場合の心理でしたが、

逆に他人から批判された場合はどう対処するのがいいのでしょうか。

 

これは、方向が異なるだけでなく、前回とは全く別の話になります。

 

他人から批判されると、誰でもいやな感じをもちます。

しかし、いやだからと言って、単にごまかしたり、

避けたりするだけでは、自分の生き方に問題が生じることがあります。

 

・批判されることを恐れて、他人との接触を避け閉じこもってしまう。

 

このような対処では、批判を避ける為にそれ以外の関わりを持つことまでも

全てチャンスを放棄してしまうことになります。

 

・批判を受けそうなことに対しては、自分の意見を言わないことにする。

 

このとき見落としてはいけないのは、少なくともここには、

自分の主張したい意見が存在したという点です。

 

これを相手に伝えないでいると、相手と表面的にしか関わりをもつことが

出来ずに終わってしまいます。

また言いたかった自分というのを抑えたまま封印してしまうことになる。

これは、いずれ別の機会にゆがめられた形で現れる可能性があります。

 

自分の意見を言うこととは、必ずしも相手と議論するということを

意味しません。相手は自分の考えを率直に言ってくれたことで、

よりあなたを理解できる様になるかも知れない訳です。

 

・すこしでも批判らしきものが含まれると、感情的に反応する。

 

批判を受けた時というのは、だれでも感情的になりがちですが、

まずは、一息おいて冷静に相手が言っていることが正しいのかどうかを見極めることが必要です。

 

そして、客観的に見て相手の批判が的を射たものであれば、素直に認めて反省しなければなりません。

 

人付き合いの苦手な人の多くは、感受性が強く、繊細な心の持ち主です。

繊細であることが必要なことはたくさんありますし、それ自体は長所であるとも言えます。

 

しかし傷つきやすい人が特に注意したいのは、それを隠れ蓑にして

「自分の欠点を認めようとしない」という態度を取ってしまうことです。

 

他人から批判されたときに、腹を立てて感情的になってしまうのは

自分の劣等感と向き合うことへの怖れから来ているのかも知れません。

 

その劣等感が相手への攻撃性となって現れ、相手に腹を立てて、悪いのは

相手の方だと開き直ってしまう。

 

自分の過ちを素直に認めることは、だれでも難しいところがあります。

いままで、認めるのを避けてきた人にとっては、最初に自分の間違いを

認めることは非常につらいことになるかも知れません。

 

しかし自分の間違いを認めないと、心の奥では自分が間違っていること

知っていながら違うと言い張る、いわゆる自己欺瞞になってしまいます。

 

間違いを認めることは、勇気が必要だったり、恥ずかしいと思うかも知れませんが、

自己欺瞞を押し通そうとすることは、もっとつらくて、後々までいやな感情を引きずることになります。

 

また自分の方が正しいと意固地になることは、他人からの信頼を失います。

 

・すねたり、ひがんだりする。

 

自分は批判されたことで、傷ついた、被害者だと言う態度を取って元々の問題を分からなくしてしまうというという戦略。

戦略といいましたが、無意識にそういう態度になってしまう人もいることでしょう。

このようなやり方は、自分自身も自分がいやになってしまうし、他の人からすれば、まともに相手が出来ないので、距離を置いてしか接することが出来なくなってしまいます。

 

・相手の批判が正しくない場合

 

いままでは、相手の批判が妥当なものだった場合の対処ですが、相手の批判が正当でない場合は、どう対応すればいいのでしょう。

 

まずは、上記の場合と同じく、感情的に反応しないことです。

相手の批判に対して、自分も感情的に対処してしまっては、自分まで巻き込まれてしまいます。

また、いつまでもその批判を気にしてしまうのは、前回の「他人の中に見る自分のこころ」

で書いたことが当てはまってしまうでしょう。

 

自分の側で、その批判を問題にしないことが基本です。

また、中には相手にその批判が間違っていることを教えた方がいい、という場合であるかも知れません。

その場合は、相手が受け入れられると判断できる場合にだけ、話し合ってみましょう。

物事の解決にならない、批判したいが為の批判には、相手をしないのが賢明です。

ミイラ取りがミイラにならない様に気をつけましょう。

 

 




★他人に認めてもらいたいんだけど
<https://www.facebook.com/note.php?note_id=176277179118901>



 

私たちは、他人から自分のことに関心を持ってもらいたいために、様々な行動を取ります。

 

その時望んでいることは、

 

・自分の存在価値を認めてもらいたい。

・自分に関心を持ってもらいたい。

・自分がよくやっていると認めてもらいたい。

・自分のことが好きだといって欲しい。

 

などなどです。

 

逆に怖がっているのは、

 

・見下されること

・きらわれること。

・無関心でいられること。

 

このこと自体は多かれ少なかれみんなが抱く考えで問題ないと言えますが、中にはこの要求を他人に強要する人がいます。

 

強要するといっても、やっている本人はそのようには感じていない場合が多いのです。

 

表現の仕方は様々ありますが、共通するのは自分の本心が「自分に関心を持ってもらいたい」という点にあるのに、それを見ようとしないで他人の働きかけを期待する点にあります。

 

・他人の前では格好をつけたり、取りつくろう。

 

この時点では強要でないかも知れませんが、だれも関心を持たないと機嫌を悪くして攻撃に転ずることがあります。

 

・関心を持ってもらいたいので、無理に他人をほめる、あるいは無理してひとに合わせる。

 

・「人の話は聞くべきだ」とか、「人のことに関心を持たないのはよくないことだ」といった論理をにおわせる。

 

このようなやり方は、いつもいつもそれをやられると、相手はだんだん嫌気がさしてきて負担を感じることになります。

 

表面的な行動はともかく、裏で見え隠れする訴えの強要を敏感に感じて、気をつかわされる、疲れると感じる様になってきます。

 

もともとは、「自分のことを認めてもらいたい」という要求であったのに、結果としてやっていることは他の人に対して逆効果をもたらすものになってしまうわけです。

 

このような人が、まずやるべきことは「自分の本当の望みは人にかまってもらうことだ」ということを自分で認めることです。

 

「そんなつもりでやっているのではない」と反論して認められないうちは、状況は変わらないままになるでしょう。

そして、なんで人は自分をわかってくれないのだろうと反撃に転じるようになります。

 

それでは「自分のことを認めてもらう」には何をすべきなのかを考え直してみましょう。

 

実は「自分のことを認めてもらう」のに他人に働きかけるのは順序が違うのです。

先にやるべきことは、「自分が自分のことを認める」ことです。

 

残念ながら、自分で自分を評価して満足出来ていないひとには、他人もいい評価をしてくれません。

 

いくら取り繕っていても、その人の自信のなさや本物でない反応を感じ取り、またその人の不機嫌さを見抜いてしまうからです。

 

これに対して、自分のことを自分でも好きになれる人というのは、周りの人も安心して近づけるし、楽しさを感じられるのでひとがまわりに集まります。

 

自分のことが好きで自分で認められる人に対しては、他の人も相手の中に「自分がそうなりたいと思っている姿」を見ることが出来るので、無意識に近づきたくなるのです。

 

そして、自分に自信がある人は他の人の関心を引くことには、それほど関心を持つ必要を感じません。

 

他人がどう見ているかというのは、自分のこころの反映だとわかれば、「他人が関心を持ってくれるのも、自分で自分を認められることも、実は同じことなのだ」ということがわかるでしょう。

 

皮肉にも、他人の関心を引きたい人には人が寄ってこないし、それほど関心がない人には、まわりの人が自然と集まってくるということが起きるわけです。

 

ですから、ますは

 

自分を好きになること。

 

今のままの自分を認めてあげること。

 

今の自分を批判する自分がいてもそれを認めて、それも自分の一部だと受け入れること。

 

いいことも、悪いことも、両方含めて自分なのだとわかってくれば、自分を非難しなくなるし、それは同時に非難する他人も存在しなくなることにつながります。

 

「他人に認めてもらいたいんだけど」と願う人は、まず「自分で自分を認める」ことからスタートするのが正しい順序なのです。




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故常無欲,以觀其妙,常有欲,以觀其徼

故に常に無欲にして、以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を觀(み)、
常に有欲(ゆうよく)にして,以て其(そ)の徼(きょう)を觀る。

老子道徳経 第一章

だから人は常に無欲で純粋であれば、その妙(みょう)である根源の世界を見ることが出来るが、いつも欲望の虜になっていれば、その徼(きょう)の世界、つまり差別や対立に満ちた末端の現象社会ばかり見ることになってしまう。


・・・・・
結局核心にあるのは、次の二点だと言うことになります。
徼(きょう)を観て判断を作り出すのか、妙(みょう)を観る段階に止まって楽しみを壊さないでいるか・・・
自分を喜ばせる原因と、苦痛をもたらす原因は、もとをたどれば同じであることに気がつけば、・・・
これが、世界を変えるのに必要なことだとしたら、どうすればいいのか?
これを考えていきましょう。
答えはすでに出ています。
妙(みょう)を観る段階に止まって楽しみを壊さないでいると言うことです。
それを壊すのは、名前をつけてしまったため、つまり言葉を使うようになったことです。
では「言葉を使わなければいい」というのは簡単ですが、あなたは言葉を覚える以前の存在には戻れない。
あなた自身が、もうすでに言葉の固まりになっている。
都合よく、リセットしますと言うわけにはいかないのです。
あなたはすでに知識をため込んだ。
その知識が生み出すおいしさも知っています。
しかし、その知識が、様々な言葉を使ってあなたを悩ませる。
今度はそれを捨てていくしかない。
最初からなかった状態にするのではなく、言葉の層があなたに張り付いているのを、1枚1枚歯がしていくのです。
ただし、この作業は、継続してやるしかない。
今日やった分が今日効果を発揮するという具合にはいかない。
ですから、それと平行して、今目の前にある問題について、そこにある言葉を調べてみる必要があるのです。
言葉というものを甘く見てはならない。
あなたが使うか、使わないかを簡単に扱えるわけではないのです。
なぜなら、それらはあなたの身体にしみこんでいるのです。
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