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2012年12月

今の自分が告げてくるもの

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自己の心理016:今の自分が告げてくるもの001

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★過去とどう付き合うか

「『あたしO型だから、済んだことは気にすることができないの』って、言い方をすると面白いよな」

「何それ」美紗ちゃんが訊いた。神経衰弱ははじまったばかりで余裕があった。

「だから、アイデンティティなんてものは『私は何々だ。だから私には何々ができる』っていう肯定に働くものじゃなくて、『私は何々だ。そういう何々でしかない』っていう否定的な限定だっていう認識があると面白いっていうことだよ」
 
季節の記憶 (中公文庫)  保坂 和志 / 中央公論新社 / 1999-09 /


「あのとき、あんなことがなかったなら……こんなことにはならなかった」
過去を振り返っては、私たちはよくこのようなことをつぶやいているのではないでしょうか。

残念な過去というのは誰にでもあります。

中には「これさえなければ、俺の人生も変わっていたはずだ」と叫びたくなるようなものもあるかも知れません。

しかし過去を非難し、否定することで現在の不都合の理由付けをするというのは、現在をありのままに生きることを妨げます。

そこで、いいことでも悪いことでも「あのとき、あんなことがあったからこそ、今の自分があるのだから」と認識すれば、過去も肯定することが出来るという考え方があります。

たしかにもっともだと思える考え方ですが、どこかこじつけめいた感じが残る気がするのです。

最初の言い方は、過去を否定することで何とか現在の自分を釈明しようとしています。

後の方の言い方だで気になるのは、過去の流れをいまに持ち込まなければならないことです。
なんとか、いまだけで処理できないものでしょうか。

ところで、冒頭に引用した文章は何なのかと、気にされている方もいらっしゃるでしょう。

少し視点を変えて、「私は何々だ」ということを考えてみましょう。

冒頭の文章は、血液型で人の性格を規定するということに関しての会話の一部です。

『あたしO型だから、何でも直感で判断するの』

『あたしO型だから、済んだことは気にすることができないの』

血液型が影響を与えるかどうかはともかく、私たちはこのように自分のアイデンティティというものを、肯定表現と否定表現の集まりとして認識しているのかも知れません。

だから、なにかが話題になると「私は○○系だとか」「私は◇◇はだめ」とか分類したくなります。

そして、そのように考えたくなるのは、自分を分別することで、何かのメリットを感じているからだと考えられます。

メリットを考える前に、私たちは何かを見て対象を認識するときに何を行っているのでしょうか。

たとえばリンゴを見たとき、私たちは大ざっぱに丸い形、赤い色、大体の大きさ、ヘタの部分の特徴などから、これはリンゴだと認識します。

細かいことまでチェックせずに、非常に大ざっぱなとらえ方をしています。
しかし実用的にはこれくらいのとらえ方が丁度いいのです。

リンゴをいくつか並べてみれば、今いったような共通点は見いだせても、一つ一つを比較すれば細かい部分で非常に多くの相違点があるわけです。

しかし、色の濃さや斑点の付き方や、微妙な形の違いを細かく見ることは、必要がなければ行いません。
先程いったように、実用的にはこれくらいのとらえ方が丁度いいのです。

また、いちいち細かい部分まで平等に見ていたのでは、それが何であるかを判定するのが困難になってしまうから、そのように特徴をつかんだとらえ方を身につけているとも言えます。

たとえば、実際にリンゴを見ていないで誰かが説明する特徴を聞いて、何であるかを当てようとしているならどうでしょう。

ポイントをつかんだ説明を受ければ、すぐにリンゴを思い浮かべますが、事細かに見える部分を順番に説明されたら苦労してしまうでしょう。


これから類推すれば、私たちが自分のアイデンティティをとらえる場合にも、白黒ハッキリしていた方が都合がいいことがあるのだろうと考えられます。

なにかの行動を起こそうとするときに、自分の方針があった方が動きやすいのでしょう。

ものを分類することが役に立つと分かった私たちは、人を分類することも同様に始めます。

それは、同時に自分自身を分類することでもあります。

キャラクターのハッキリしない人物が登場する小説は、呼んでいても状況が分からず面白くありません。

キャラクターがつかめてくると私たちは安心します。

この人は、自分とこういう所が似ているみたいとか、あるいはこの人は鬼のような悪人だとか、イメージをつかめてくると理解できるのです。


さてそこで過去のは何に戻りますが、自分の過去というのも、自分に役立てるためには分類しなければなりません。

自分が思い描いている過去というのは、先程のリンゴと同じように、自分の役に立つ情報で成り立っています。

けっして、過去の事実を忠実に思い浮かべるわけではありません。

わたしたちは、どんなときに過去を思い出すのでしょうか。

まず思い出そうとしなくても、急に思い出される反射的な気分や曖昧な情景といったもの、これは何ともコントロール出来ないもののようです。

何かの恐怖症であれば、即座に反応してしまうわけで簡単には制御できません。

しかし、それとは質の違った過去の思い出し方があります。

それは、私たちが過去を必要とする場合に思い出すということです。

「目の前にあるクソいまいましい現実、いまの自分の責任じゃない」、そう考えたくなるときも、私たちはその原因となった過去に登場願いたくなるのです。

「あのとき、あんなことがなかったなら」、いまの自分はいないのだから、いまの現実は違っているはずだから、だからいまの自分には責任はないと考えたいのです。

「起きたことは仕方がない」、「過去は変えられない」と納得しようと言い聞かせてみても、本当に納得するのは簡単でないことは経験からお解りかと思います。
 

ところがその一方で、私たちは普段から、変えられないことでもあっさり受け入れることだってやっているのです。

たとえば、朝起きたら雨が降っていた。

一時的にいやな気分になる人もいるでしょうが、雨は自分に都合が悪いからあってはならない事だと、いつまでも主張し続ける人がいるでしょうか。

天候はどうにもならないからとあきらめる事は、それほど難しいことではないでしょう。

受け入れが難しいのは、いったいなにが違うのでしょうか?

A.出来事が受け入れられないほど、いやなこと悲惨なことだった。
あるいは、
B.もしかしたら、変えられると思うからいつまでも過去が気になる。

このような、系統の違う要因がありそうに思えます。

AとBでは随分事情が違います。

Aは変えようがないと諦めていても気になるのであるし、Bはまだ変えられると思っていたり、やり残している感じがあるから気になるのです。

なんとか対処できる過去の出来事もあれば、手を出しようのない過去もあります。
 

話があれこれ飛びましたが、この辺で新しい見方を考えましょう。

それは「ひたすら現在に取り組むということ」です。これは過去に何があったとしても出来ることです。

いまの問題はいまの時点で何とかしようと決めて、過去に戻ることをやめることならなんとか出来そうです。

そうやっていまが充実してくれば、過去のせいにしたくなることも、だんだんなくなってくるでしょう。

いまがうまくいかないから、つい習慣で過去を引き合いに出したくなっている自分がいないでしょうか。その瞬間をとらえてみましょう。

過去を引っ張り出すと、一時的にいまの不都合をごまかせるかも知れませんが、その後に起きることは、不都合な「いま」といまいましい「過去」の両方に責め立てられることです。

過去を持ち出さずに、いま目の前のことだけに、目をそらさずに取り組めば大抵のことは何とかなるわけですし、そこでその出来事を終わりにすることができるのです。

次に、自分がどんなメリットから目の前の出来事に善し悪しをつけようとしているのか、それ以外の選択はないのかを考えてみましょう。

無意識に過去の判断から、これはやっかいだと決めつけていないでしょうか。
いままでも正面から向き合うのを避けていたから、今度もそうしようと思ってはいないでしょうか。

そして「そのまま受け入れることもできる」という今まで避けていた見方が、選択肢に入らないだろうかと考えてみるのです。

ものごとは、それ自体が良いわけでも悪いわけでもありません。
自分にとっての関心ごとが、価値を決めているだけです。

どのように価値を決めるかどうかは、自分次第で何とかなることです。

「どうしてそうあって欲しいと思い込んでいるのだろう?」という問いかけをしてみましょう。

「少々都合が悪いことがあってもいいから、大ざっぱに何でも受け入れてしまおう!」
こう宣言して、細かいことをチェックするのをやめてみれば、どれほどスッキリするでしょう。

是非一度試して見て下さい。

思っているほど、現実は悪いものではありません。

それと過去マニアが見落としている重大な事実があります。

過去に時間を取られていると、いま目の前のことを簡単なうちに片付けられなくなるということです。

これならすぐできると思って、目の前のことを放り出して過去を見ていると、今なら簡単にできたはずのことが、いつのまにか大きなやっかいごとに変身してしまうのです。

そうなってしまってから、過去マニアは、またひとつストックが増えたと驚き、またひそかにほっとするのです。

小さな後悔で時間を費やしているほど、人生は長くありません。

どんなに作戦を立てようと、実行できるのは「いまここ」でしかないのです。

振り返らなければ、ただ過ぎていくことに、自分からわざわざ手を出さなければいいのです。



★ひそかな反発

何かを嫌がっている自分に気づくことがありますか。

自分の内面からの、ひそかな反発に気づいてあげることは、思っている以上に重要なことです。

そんな大したことじゃないから、と軽く扱っているかもしれませんが、いつまでも反発をやめない自分に気づいたら、何を訴えているかをじっくり検討してみましょう。

軽い気持ちで、見過ごしてきたことが、積もり積もって大きな結果となって現れることもあります。

それは、仕事の失敗であったり、身体的な病気であったり、あるいはやる気のなさや、自分を罰したくなるような罪悪感となって現れる場合もあります。

何度も内面から訴えかけてくるものは、そのまま無視し続けていても解決しません。

その力は、思っている以上に強力です。

その由来は、もしかするとこども時代の経験から来るものかもしれません。

  こどもは自発的な行動を自由にとれる場合もありますが、親と接する中で、苦痛を避ける方法と、承認を得るための方法を見つけ出していくことになります。
  親から与えられる笑顔や、自分をうれしがらせれてくれる反応は、自分が正しいことをしていることや、承認されていることを意味するのだと受け取ることができるでしょう。
  また、親の冷たい反応や、怒った表情からは、間違ったことをしたという苦痛と、失跡という観念を受け取ることになります。
  こどもが「~ねばならない」を学んでいくのは、このように、ほめられたり叱られたりすることを通じてであるわけです。

「ハーイ今やります」~適応の3パターン

常識的に考えても、親からの影響というのは、大きいものだとわかっていると思います。

それは自分が依存するしかなかった時期に身に付けた、非常に根源的なものであるだけに、大人になって身につけた行動習慣よりもずっと根深いのです。

その頃に身に付けた信念や反応のパターンは、理屈でおかしいと思っただけでは、なかなか解放されません。

たとえば、あなたが販売関係の仕事に携わるとしましょう。

資本主義の社会では、商品を販売すると言うことは、他のメーカーとの競争に勝たなければなりません。

そのためには、自社の商品のメリットを強調し、一方でデメリットは見せないようにしなければなりません。

時には、他社の商品をおとしめる必要が出てくるかもしれないのです。

もしあなたが、両親から「嘘をつかない」ことを言われ続けて、それが自分の内面に染みついているとしたらどうでしょうか。

あなたは、販売にかかわることとはいえ、事実をゆがめてアピールすることに抵抗を感じます。

仕事だから、ある程度は仕方がないと言い聞かせている大人のあなたがいる一方で、それに弱々しく反発を続ける自分を発見することでしょう。

あまり目立たないので、簡単に無視してしまうかもしれませんが、そのひそかな反発は、しかし毎回あなたに「何か間違っている」と訴え続けます。

その仕事を続けながら、あなたはなにか、仕事に嫌気を感じ始めます。

何かわからないけれど、やる気が出なかったり、嫌な気分になったりします。

もがいても、もがいても解決しないような夢をみるかもしれません。

仕事というのは、多かれ少なかれ、嫌なことがあるのは仕方がないと言い聞かせるかもしれませんが、いっこうに、あなたのこころは晴れないままです。


子どもの頃の思い込みに過ぎないと、軽く見ない方がいいかもしれません。

それがどの程度重大な影響を及ぼすかは、ひとりひとり違いますから、あなた自身にしかわからないことです。

ひょっとしたら、あなたが販売関係の部門から、別の業務に移って対外的なアピールにかかわらなくなったら、一気に元気を取り戻すかもしれません。

ひそかな反発は、日頃から観察する習慣をつけておくといいでしょう。

嫌々何かをやっているとき、何が反発しているのかを探してみましょう。

また、そのときの自分の身体の反応を、よく感じておきましょう。

おそらく、ゆったりとしている感じとは違いますね。

呼吸のスピードや深さはどうでしょうか、イライラする感じはどのように現れてきますか?

そのときよく思い浮か言葉や思考は何でしょうか?
なにか特定の信念やフレーズがあるでしょうか?

それを正しいと思っていますか?間違ったことだと言っている自分はいますか?
守るべきこと、あるいは逆に捨て去りたいと思っていますか?

小さな反発であっても、疎遠にならずに仲良くしておきましょう。
それが、とんでもなく大きなメリットをもたらしてくれるかもしれないのだから。

「善とはなにか、あとあじのよいことだ。悪とはなにか、あとあじの悪いことだ。」

ヘミングウェイ


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誰の責任なの?~私がちゃんと知っているからね

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人間関係016:誰の責任なの?~私がちゃんと知っているからね001

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★私がちゃんと知ってるからね・・

自分のやってることなんて、つまらないことだと感じる時もあるかもしれません。
 
だれもが、自己評価MAX!でばかり生きられない!
 
でも、つまらないことばかりと思っている日常を、
 
新鮮でワクワクやりがいに満ちた日常に変えることだって 。。。
 
また今日もこれをやるのか、と思ってスタートしないで、
 
今日もこんなにやれることがいろいろあるのを見直してみましょう。
 
今日はあれもこれもやりたいが、どれからやろうかと選べることのうれしさを感じてみましょう。
 
いきなり難しいことに取り組んだり、完璧にやろうなどとは思わないことです。
 
なんなら、普段毎日やっていることを、今日はちょっとだけ工夫して、
 
「昨日とは違うなにかを見つけてみよう」ということからスタートしてもいいでしょう。
 
完璧にではなく、自分のベストを尽くせばいいと考える。
 
成果のよしあしではなく、どれだけ自分がいっぱい生きたかを振り返って見る。
 
他人からの評価ではなく、あなたがあなた自身を評価しご褒美をあげましょう。
 
 
「私がちゃんと知ってるからね・・そっとそしてやさしく自分に言ってあげました」
 
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ちゃんと知っているから
http://www.gokuraku-net.org/snow/kibunn-tyanto1.htm
 
 
MS(多発牲硬化症)という難病と戦って最後まで一生懸命自分を生きた「すのうさん」のブログから
 
「snow letter 」
 
「自分で出来ることは自分でしましょう」私の事よく知らないから言われました。
 
知らないんだからそう言っても仕方ないけど。
 
でもこう見えても私、ちゃんとやってるんだから・・
 
そうでなかったら今頃もっと体力なくて歩いたり、笑ったりしてないと思います。
 
皆自分に今何が一番大切かちゃんと知っています。
 
人に言われる前に自分で自分に嫌っていうほど言ってあげてると思います。
 
「自分でできることは自分でしましょう」って言われた時、あまり体力がなくて上手に歩けなかったけど、とりあえず自分で出来ることは自分でしようって決めていたし、そうしてたのです。
 
こんなに一生懸命歩いているのに、誰の手も借りてないのに。
 
がんばってる人にむかって、「自分で出来ることは自分でしましょう」って言わないでほしい。
 
それともそう言ったってことはなまけてるように見えたのかな。
 
雪絵が今日までどうやって生きてきたか、私がちゃんと知ってるからね・・
 
そっとそしてやさしく自分に言ってあげました
 

★誰の責任なの?

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ペパーミント・パティ:
あのね、チャック...
学校がはじまったその日に
校長室によばれたの...
それってあなたのせいよ、チャック

チャーリー・ブラウン:
えっボクのせいだって?
ボクのせいにどうしてなるんだい?
どうしていつも、何でもかんでも
ボクのせいだっていうの?
 
パティ:
あなた、私の友達でしょ
そうじゃない、チャック?
 
パティ:
あなたはもっといい影響を
私に与えてくれるべき
だったのよ!
 
 
自分を責めてしまう傾向が強い人がいます。
またその裏返しで、自分の欠点を認めるのが怖いので、誰かの犠牲者になってしまおうと考える場合もあります。
 
「誰の責任なの?」というのは、第3者が客観的に判断すれば結論は出るかも知れませんが、それで納得する人もいれば、信じ難く感じる人もいるわけです。
 
それに対する反応の仕方は1つや2つでは捉えられないでしょう。
 
◆完璧な正しさを追求する人は、他の人以上に正しさを主張したり、自己弁護しようとします。
 
◆正義を主張するのは同じですが、自分の力を主張することに関心がある人もいます。
 
◆他の人の反応が何よりも大事な人は、正しさよりも他の人に合わせることが優先され、自分を見失うこともあります。
 
◆誰の責任かの追求よりも、自分のユニークさをアピールすることに関心が強い人もいます。
 
◆責任の所在は自分では確信していても、他の人に主張したくない人もいる一方で、自分の判断に自信が持てなくて主張できない人もいます。
 
◆責任の所在なんかどうでもいいから、もっと楽しいことを考えようよと言う人もいます。
 
◆責任の所在の追求よりも、もめごとをさけ、穏やかに終わらせることに関心が向いている人もいます。
 
そして、このような関心の方向の違いに加えて、その人の現在の自己を肯定する度合いが高いか低いかでも、その現れ方が変わってくるのです。
 
ここで理解すべきなのは、誰が一番正しいかと言うことではなく、次の点でしょう。
 
・自分の正しさは多分に自分のとらわれに引きずられたものであること。
 
・他のタイプの人の正しさのありかたは、自分には見えにくいものであること。
 
相手の行動が理解できないとき、その人の主張は非常に理不尽なものに思えるものです。
 
しかしこのような様々なタイプがあることを理解すれば、相手がなぜそれを主張するのか、あるいはしないのかということも見えてくるわけです。
 
その結果、他人への不必要な怒りを感じなくても済むかもしれません。
そして、それと平行して自分の偏りというのも意識できるようにもなるのです。


★他人に変わって欲しいと思う時、自分の方を振り返ってみよう

他の人に「変わって欲しいなあ」と思っているとき、実は自分が変わりたいと思いながらできずにいる部分を、相手に反映していることがあるものです。
 
たしかに、自分にはできているのに相手が変わってくれないから、期待するという場合もあるでしょうが、実は自分自身への期待を相手の中に見ているということも意外と多いものです。

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このように自分の特性を他人の中に見ることを、心理学では投射(投影)と呼びますが、投射から自分を知るためのワークを少し見てみましょう。
 
◇自分が嫌っている人を思い浮かべてみる。
 
・この人を嫌いなのはどの点だろう?
   その嫌いな点とは自分の中に存在するだろうか?
   実は自分でもその特性を持っているという可能性は?
 
・この人に似た人を他にも知っているだろうか?
   その人たちも自分は嫌っているだろうか?
 
・このような嫌いな特徴を持っている自分を想像して、自分がそのような行動をしている様子を思い浮かべてみる。
   どんな気がするだろうか?
   もしかすると、嫌っているけれど、実は自分にも同じ特性があるかもしれないと感じるかもしれない。
 
・人のやっているのを見て気にさわる行動を、自分もまねてやってみる。
   ピンとこなかったら、そのしぐさを大げさに誇張してみる。
 
◇自分が賞賛している人を思い浮かべてみる。
 
こちらも、上の例を参考にしてやってみてください。
もしかすると、自分があこがれている人の特性を自分が持っていることを発見するかもしれません。
 
 
さて、本題に戻りますが、誰かに変わってほしいと感じる点について、自分自身を振り返って見てください。
 
そして、それが実は自分も変わりたいと思いながらできずにいることだと気がついたら、ぜひ自分の方が変わることを考えてみてください。
 
たしかに自分を変えるというのも、言葉で言うほど簡単なことではありません。
 
しかし、他の人については、自分のコントロールでで直接変えることはできません。
自分の方は変えられても、こちらは不可能と思った方がいいでしょう。
 
相手次第で自分ではどうにもできないことを願うのは、もどかしく、イライラするものです。
 
ところが、「自分を変える」という方なら自分の決心次第でできるのです。
 
それによって、相手次第の世界から、自分でどのようにも出来る世界へ切り替えられるのです。
 
ですから「相手が変わるべき」と決めつけていたのをやめて、自分が変わることを考えて見るのは、実に実りの多い試みです。
 
今まで「相手が変わってくれさえすれば」と思って先送りにしていたことこそ、実は自分を変えたいと思っていたことなのかもしれないのです。
 
自分で変わりたいと思っていることを、他の人から指摘されるのはいやなものです。
 
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たとえば、子どもが自分で気がついて何とかしたいと気にしているのに、なかなか行動化できないでいらだっているとします。
 
そんなとき、親からそれを指摘されると、頭ではわかっていても、反発して意地でもやらないとへそを曲げてしまうかもしれませんね。
 
同じように自分でわかっていながら、実行できないでいることは、なかなか正面から認めたくないのです。
 
そんなときに、誰かの中にその特性を見つけたりすると、自分のことだとは気づかずに、「あの人は変わった方がいいね」と思ってしまうのです。
 
他人を変えることは、自分が変わるよりも何倍も大変な試みです。
 
そして、もし自分の投射として他人を変えようとしているのなら、たとえうまくいったとしても、あなたは満足することはないでしょう。
 
実はあなた自身が、変わることが唯一の解決なのですから。
 
相手次第で自分の気分が左右されてしまう事態を自分から作らないことです。
 
「相手が変わるべき」と意地を張らないで、「自分が変わってみようか」と「折れて」みたら、実に実りの多い変化が待っているかもしれません。
 
先程の子どもの例でも、最終的に解決を見るには、親子とも素直になって何をすればいいのかを認められるようになることが必要なのです。
 
いままでずっと解決しなかったのは、自分のプライドのせいだったのかもしれません。
 
「自分の方が折れてみる」という勇気を出した人は、驚くほど簡単に世界を変えられるのです。



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不満の多い相談者

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人間関係015:不満の多い相談者001

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★不満の多い相談者(1~3統合版)


不満の多い相談者

~Part1~

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だれかの不満を聞いてあげるということは、けっこう日常的にあることだと思います。
 
あなたが聞いてあげたことで、相手が「あースッキリした。ありがとう。」といって喜んでくれると、あなたもいい気分になれるでしょう。
 
しかし中には軽い気持ちで相談に乗ったばかりに、あなた自身が負担を感じたり、だんだん相手を嫌いになってきてつき合うのをやめたくなってしまうという場合もあるでしょう。
 
そこで後者のような場合の対処で注意したいことを書いてみたいと思います。
 
せっかく相手のためを思って聞いてあげたのに、ムダになるどころか関係を悪化させるというのは残念なことですからね。
 
今回は、まず一番肝心な原則についてです。
 
それは、 
 
あなたが責任を持てるのはあなた自身に対してだけであり、相手の問題をどうするるかの責任は相手自身にあるということです。
 
つまり、あなたが相手の問題を解決できないことで、自分が罪悪感や無力感を感じる必要はないということ。
 
そして、 
 
相手が自分で解決しようとする能力を発揮出来るように応援してあげることが、あなたの出来るすべてです。
 
相手が責任を持つべきことまで、あなたがかわりをすることはお互いのためにならないのです。
 
 
 
しかし私たちの多くが、相手をコントロールして変えてあげられるかのように錯覚します。
 
わたしなら相手のことがよく解っているから、何かしてあげられると思って相手の領域にまで踏み込んでしまうのです。
 
残念ながら、相手の考えていることがわかるというのは幻想に過ぎません。
 
例えどんなに親しい人であっても、親子であっても相手のこころの中を知ることは出来ないと思った方がいいでしょう。
 
あなたが相手をわかっていると思っているのは、あなたが思い描いている相手のイメージを、相手そのものだと思い込んでいるのであって、実際の相手のこころの中ではありません。
 
この点を勘違いすると、あとあと複雑な人間関係を作り出し、こじれる原因になったりするのです。

~Part2~

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さて前回の原則をふまえて、不満の多い相談者のタイプを考えてみます。
 
誰かに 愚痴をこぼして聞いてもらったことでスッキリしましたという場合には、その人はおそらくそれほど頻繁に不満を訴えている人ではないでしょう。
 
ところがそうではなく、会う人ごとに誰かのことで愚痴をこぼしている人というのがいるものです。
 
両者の大きく違う点は、前者は話していることがズバリその人の不満そのものであるのに対して、後者は本当の問題を隠していたり、見たくないと思っている可能性が高いということです。
 
本当の問題は、まだ人に話せない状態なのですが、もっと当たり障りのない不満を漏らすことで話を聞いてもらいたがっているのです。
 
ですから、いろいろ問題を挙げていても、それ自体はそんなに重要でない場合が多く、本当に何とかしたい問題は解決しないままだからこそ、いつも何か不満を抱えたままになっているのです。
 
何度か話しているうちに、聞いている側が「それで、いったい何が問題なの?」と相手に言いたくなるとしたら、このような状態にある可能性が高いでしょう。
 
その場合、相手が問題を抱えていて聞いて欲しいと思っていること自体は嘘ではないので、理想としては相手の本当の問題を相手に気づかせたり、あるいは表に出すことを手助けしてあげられるといいのでしょう。
 
その意味では、途中に出てくる表面的な問題については、本気で悩んでいるわけではないくらいに思って、あまり入り込まない方がいいといえます。
 
そうしないと、先程の「本当は何が問題なの?」と言いたくなってイライラさせられ、あなたの方が疲れ切ってしまうことになります。
 
この様な場合には、最初に書いた原則、あくまで自分の問題を解決する責任は相手にあること、あなたが責任を感じる必要は無いことを思い出して下さい。
 
一定の距離感を忘れて相手の問題に巻き込まれてしまっては、ミイラ取りがミイラになってしまいます。
 
自分の不満を話しながらも、あなたのアドバイスに対して「そうなんだよね、でもね...」といったYES,BUTの話し方が多いうちは、まだ本当の問題にたどり着けてはいないのでしょう。
 
また、それがあまり長引きそうなら、その回はけりをつけて、相手が本当の問題を話せる段階になるまで仕切り直すことも考えて下さい。
 
不満ばかりいっている人の中には、自分の本当の問題を解決する気などなくて、ただ誰かの不満を聞いてくれる人を探している場合もあります。
 
そのうち、相手が「~したい」というような能動的な話し方が出てきたら、本当の問題に近づいたわけですから、じっくり聞いてあげるといいでしょう。

~Part3~

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「不満の多い相談者」の最後に、相談を受けている側の問題を少し触れておきたいと思います。
 
あなたから見ていると、不満を漏らしている相手の、本当の問題が先に見えてしまう場合もあるでしょう。
 
あなたの方が、相手よりも第三者的に見ることでができるのでよく見えることもあるわけです。
 
しかし、相手はその問題を隠したいと思っていたり、直面することを避けている可能性が高いわけです。
 
あからさまにあなたからそれを指摘されることは、防衛の方が強くなって余計に封印してしまう可能性があります。
 
聞いてみるにしても、たとえば「わたしの友だちでこんなことがあったんだけど、もしかするとこういうことはない?」という感じで、やんわりと持ちかけた方がいいでしょう。
 
それから、どこまで関わるかは、あらかじめ決めておくことです。
 
あなたの手に負えないような問題に巻き込まれて、両方のためにならなくなっては意味がありません。
 
あなたの相手への配慮がアダになってしまわないよう、これ以上は無理という引くべき時の判断も必要でしょう。
 
それは、あなたが非情なのではなくて、相手の問題はあなたが肩代わりするものではないということです。
 
それから、これは別の問題ですが、あなたがいつも問題を抱えた人にお節介を焼きたがる傾向があり、相手が自分で何とかしますと決心したのにもかかわらず、いつまでもそれが気になって関わりたい気持ちが消えないという場合です。
 
これは、相手が問題を解決できない保護すべき人のままにしておきたいという、あなたの側の問題を反映している可能性が考えられます。
 
自分をいつも救助する側の立場において、自分自身の未解決の感情を隠したり、代償にしようとする傾向があるのかも知れません。
 
 
あくまでも「あなたが責任を持てるのはあなた自身に対してだけであり、相手の問題の責任は相手自身にある」という点を忘れない方がいいと思います。
 
そして、あなたの手に負えないと思ったらお互いのために退く勇気も必要だということも。




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人は信じたいものを信じる/感情を見直してみよう

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自己の心理015:人は信じたいものを信じる/感情を見直してみよう001

七夕


★偽霊能力者カルロス(人は信じたいものを信じる)

オーストラリア国民が信じた究極のヤラセ番組『偽霊能力者カルロス』
 
1988年にオーストラリアで放送された「やらせ番組」ですが、番組プロデューサーが仕掛けを最後まで明かさず、国民全部を騙すという大がかりなものだったようです。
長年続いている信頼のある報道番組が、この嘘番組を放送したものですから、国民はすっかり騙されてしまいました。
霊能力者カルロスは本物だとみんなが信じ込みました。
番組では「サクラ」を仕込んでいるので、初めてあった人間の誰も知らない秘密を、カルロスが霊能力で読み取ったと信じ込みます。
「カルロスは本物だ!私は身体でそう感じたよ!」と言い出す人が続々と現れます。
番組ではまた「脈を止める」というテクニックを使ったりします。
サクラではない本物の看護士に脈をとらせて、本当に脈が止まるのを確認させるのです。
これは、実はやり方を知っていれば、簡単にできてしまうテクニックなんだそうです。
最後の仕上げでは、他番組のプロデューサーに、カルロスが偽者だと追及させる「やらせ番組」企画をするようにけしかけます。
カルロスとマネジャーが、偽物扱いされて、ついにキレてコップの水を司会者に引っかけて、スタジオを引き揚げる場面を作りあげました。
これは、逆にカルロスを本物だと信じてやまない人と、疑う人を対立させ、議論を盛りあげてしまいます。
もはや、ただ偽物扱いしたぐらいでは、信じるのをやめない人達を生み出します。
そして最後は番組で、オーストラリアの国民にたいして、これまで番組でやってきたことはすべてトリックであったと告白します。
番組へは当然、非難が集中しますが、「すぐにわかるウソばかりであって、騙されたマスコミこそ非難されるべきでは?」と反論しかわします。
実は、この番組でカルロスを信じた人の中には、番組がインチキだと知らされても、「いやカルロスは本物だ」と信じるのをやめない人がいたそうです。
 
この番組が明らかにしてくれた、人間の心理というものを考えてみましょう。

なぜ「カルロスを信じたかった」のでしょう。

私たちは、毎日不満こそいっぱいあるのに、退屈きわまりない日常に飽き飽きしています。
こんな時、偽物ばかりの霊能力者を見慣れてうんざりしているところに、「今回は本物かも知れない」という期待を見せられると、冷静な判断など重要なことではなくなって飛びついてしまうのです。
うんざりした日常に、新しい世界の可能性を見せてくれたのですから、この楽しみを奪おうとする反対者などは邪魔者なんです。
つまり「信じたい」という密かな欲求があるとき、刺激的な情報に対して、人は容易に冷静さをなくして信じたいものを信じてしまうのです。
つまらない日常に逆戻りするよりは、ついに期待するものが現れたと信じる方が、その人にとっては利益があるのです。
これを信じていれば、少しはワクワクしながら日々を送れるというわけなのです。
このことからも解るように、私たちは、決して「ありのまま」にものごとを見ているわけではなく、私が信じたいように世界を作りあげています。
 
私の世界とは、見たとおりではなくて、私の期待や必要性によって歪められた世界なのです。
何か新しい現実を見せられると、自分の世界にそれを配置します。
自分の世界の中で、配置しようとする場所が狭い場合は、現実の方を小さく縮めて配置します。
自分の関心の高いものは、より前景に配置され、関心や必要度の低いものは遠くの方に押し込めてしまいます。
ただこれは、判断が間違っているから歪められるというよりも、それなりの必要もあってやっていることなのでしょう。
つまり、私たちは現実に生活していく中で、何か新しいものに出会っても、じっくり、ありのままに見ながら時間をかけて取り入れている時間はないのです。
すぐに判定して、どう行動するかを決める必要がでてくるわけですね。
ですから過去の経験から似通ったものを思い出して、それと同類だと判断する方が、現実的で実用的であるという事情が、そこにはあるわけです。
言ってみれば、バカだから騙されるのではなく、人間の心理とはそういうものなのです。
 
 
すねる男子


★感情はあなた自身ではない

「自分は自分でいいんだ」と認められたら素晴らしいと思いますが、言葉で言うのは簡単でもなかなか難しいことのようです。
それは、比較によって自分の存在価値を決めるというやり方が、いつの間にか自己評価そのものに直結するものになっているからでしょう。
自分にとって心地いい評価はあなたの気分を高揚させ、逆に思ったような評価を受けられなかったり無視されることは、ただちにあなたを落胆させるか、あるいはじわじわとあなたの自信を蝕んでいきます。
 
「他からの評価」=「あなたの感情」=「自分の存在価値」
 
こういった3つのことが同一視されて、「あなたの生きがいとはいい感情を持てること」であるかのようになっていくのです。
競争などがもたらすまわりの評価や社会環境は、子ども達を昔よりも追い詰めているようです。

以下に引用したのは、学びの場.com http://www.manabinoba.com/ に寄せられたアグネス・チャンさんの「子どもの存在を丸ごと受け入れよう」というご意見です。

子どもの存在を丸ごと受け入れよう
 
学びの場.com(以下学びの場) 今、日本の学校現場では、子どもたちのセルフ・エスティーム(自尊感情)が低く、自分に自信の持てない子どもが多くなっていると聞きます。教育学の専門家でいらっしゃるアグネスさんから見て、いかがでしょう?
アグネス・チャン
 
アグネス・チャン(以下、アグネス) そうですね。我が子に対し普通に愛情を持って、他の子どもと比べずに育てていれば、その子はセルフ・エスティームを持てるものです。しかし今は、人と比べられたり、競争させられたりという場面が社会全体に増えているので、子どもたちは無言のプレッシャーをかけられているのかもしれません。
 
学びの場 セルフ・エスティームを持っている子どもにはどんな特徴があるのでしょう。
 
アグネス 「自分は自分でいいんだ」という安定した自信があるので、人と自分をやたらと比べません。このため心に余裕があり、他人にも優しくなれます。
 
逆に、セルフ・エスティームが低い子は、人より上位に立つことで、自分の存在価値を確かめようとします。そのため、弱い者いじめをしたり、相手の困った顔を見て優越感を得ようとしたりするのです。でもそうして得られた自尊感情は長続きしませんし、そんなことをしている自分を好きになれないので、自分の中で葛藤が生まれ、素直に伸びていくことができなくなってしまいます。
 
学びの場 どうすればセルフ・エスティームを持った子どもに育てられるのでしょう。
 
アグネス まずは親が、その子の存在を丸ごと受け入れることです。「君のそのままのすべてが好き」って言ってあげるのです。
 
学びの場 小さい頃からですか?
 
アグネス そうです。まだ言葉が分からない、生まれたばかりのときから私は言い続けていました。これは、親が自分自身に言い聞かせるためでもあります。親は他の子を見るとついわが子と比べてしまいがちですから。
 
よく大人になって恋をすると「私みたいな者でも好きになってくれる人がいるんだ」と自信が湧き、そして幸せを感じ、ふたりでいることで力が2倍以上になる、と言いますよね。子どもにとって最初の恋人は親。「あなたは最高よ」という親の思いが、子どもの自信につながるのです。
 
アグネス・チャン 教育学博士、そして母として語る~子どもは自信を持てば、どんどん伸びていきます。 - 学びの場.com http://www.manabinoba.com/index.cfm/4,10875,81,html
 
 
このように「存在を丸ごと受け入れること」は親が子どもに対してしてあげるべきことですが、あなたが自分自身に対しても同じように接することも同じように必要なのです。
「存在を受け入れる」とは、いい感情の時のあなたも、悪い感情の時のあなたも同様に受け入れるということです。
快不快などのあらゆる感情が、あなたの中を通り過ぎていくことはあっても、その感情の浮き沈みで乱されることのないあなた自身に気づくことです。
本当に条件なしにあなた自身を喜べる状態は、あなたが感じていることではなくて、「あなた自身である」ことによってもたらされるからです。
 
よく表面的な状態を海の波に例えますが、感情の海が荒らしであっても、あるいは凪の状態であってもあなたの本質は海そのものであると確信することです。
あなたは喜びを感じれば、それがいつまでも続いて欲しいと願いますが、そのときあなたは自分はその喜びの感情そのものだと思いたがっているのです。
ですが喜びの状態がずっと続くわけではありません。
もっとも、ずっと続いたのでは、喜びも色あせて当たり前の状態としか思わなくなるでしょう。
逆の状態があるからこそ、喜びも感じられるものです。
テレビドラマでは、普通主人公がいくら悲惨な状況に追い込まれても、時期が来ると状況が逆転するように作られています。
視聴者がこれ以上は見たくないと見放してしまう寸前まで困難な状況を作り出し、その後にもたらされるハッピーな状況をより感動的なものに仕上げていきます。
しかし、現実の人生ではこのような作家の采配は行われません。
その人にとっては、もうこれ以上悲惨な状況はごめんだと思っても、いい具合に状況が変わるとは限りません。
感情がすなわち自分自身であれば、もはや耐えられないと感じれば人生を悲観するか、あるいは何らかの方法で「悲惨さなど実際にはない」と無理やり「否認」することに逃げ込もうとします。
感情は結果としてもたらされる体感であってあなたそのものではありません。
物語のストーリー、つまり感情の変化の現れ方を自分で書き換えられないことを認めるなら、
 
「他からの評価」=「あなたの感情」=「自分の存在価値」
 
という図式を切り離して、あなたの存在自体に喜びを感じることを選ぶべきなのです。
あなたの嬉しい感情が薄れてきたとき、苦しさが浮上しないようにすかさず新しい快楽を追い求めるという繰り返しが悪循環を作り出します。
うまく行かないときの人生を否認して存在しない時間のように扱っていると、感情は鈍磨して喜ばしいときが巡ってきてもそれを充分に感じられなくなります。
表面的な浮き沈みを超えた所に喜びを探さないと、本当の安定は感じられないでしょう。
 
 

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人は自分自身になりさえすればいいのだ

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生き方016:人は自分自身になりさえすればいいのだ001

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★遠回り・寄り道

人は自分自身になりさえすればいいのだ。
これが、わしの基本的なメッセイジだよ。
自分をあるがままに認めた瞬間、
すべての重荷、山のように見えた重荷が、
うそのように消えてしまうのだ。
すると人生が喜びそのものになり、
光のお祭りになるのだよ。
--------- バグワン・シュリ・ラジニシ
 
「自分自身になるだけでいい」
この言葉ほど、誰もが見かけながら、実行せずに通り過ぎる言葉も少ないのではないでしょうか。
ほとんどの人は、自分自身のことはわかっていると思っているからでしょうか。
たえず関心は誰か他の人になること向けられ、あこがれの存在ようになりたいと追い求めるのに夢中になっています。
それでなければ、いまの尋常でないがむしゃらな走り方は説明がつかないのです。
走り出せば、目に入るのは併走する人たちばかり、走っている人たち同士で刺激を受け合っているので、誰も立ち止まることなど思いつかないというわけです。
自分自身になったところで、何も変わらないと思っています。
そんなことよりも、誰かさんにならないと、だれも振り返ってくれないと思うのです。
そこには、自分が持っているものなど大したものはないという確信があります。
その度合いは、自分への信頼のなさに比例します。
「もっと、もっと、スゴイ人にならなければ!」


自分をあるがままに認めた瞬間、
すべての重荷、山のように見えた重荷が、
うそのように消えてしまうのだ。
 
この重荷とは、いまは?であるという思いが、仮想の重荷を作り出しているです。
いまここには、重荷などないことに薄々気づいていながら、いまはその時ではないというプログラムがすべてを台無しにします。
「将来は?だが、いまが◎なのだ。」と言い切れるとき、初めて、いまを生き始めることが出来ます。
じつは、将来は誰にとっても?であることをなぜか忘れてしまいます。
将来をすべて見越して生きることなど不可能であることを認めさえすれば、そんな出来ないことに時間を使うことはないのだと気がつきます。
いまが楽しめないのは、いまはまだその時でないという「のろい」にかかっているだけです。
ですから、そんな脚本を抱えていない子どもたちは、いまを生き生きと楽しんでいるのです。
人は自分自身になりさえすればいいのだ。
ここでも、「いま」の否定がこれを不可能にします。
「自分自身? いまの自分など信用できるか!」・・・・

☆~⌒☆
しかし、いまであろうと将来であろうと、自分自身とはいま存在するものでしかない。
そして、それを確認してもいないのに否定してしまっている事実に気がついて、もう一度見直してみることです。
未来とは、甘く魅力的に見えますが、それは実体のないからっぽでしかないのです。

じつは、未来とは、いまの自分に見える範囲でしか見えていないことに気がつかないといけません。
他のだれでもない「いまのあなた」が予想しているのが、そのあこがれの未来なのです。
どこまでいっても、「未来への予想」はいまの自分を超えることはないのです。
未来を作ることばかりにとらわれずに、いま=自分自身に立ち返るだけで、どれだけ重荷が消えていくか。
いままで怖がって振り返らないでいたことを、ちょっと実行してみればそれは見えてきます。
 
いまには、どんな代償も、資格も、準備もいりません。
無条件にあるのがいまなのです。
 

★へんなものがつまっている

小学2年生の女の子の感想文におどろきました。

 

セロひきのゴーシュ (宮沢賢治のおはなし)の感想文なのですが、次のはじめの文章に衝撃を受けました。
これが、すべてを表現しています。
 
「だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん入っています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、本当のじぶんがちゃあんと見えません。」
 
人は自分では自分が役に立っていることに気がつきにくいものです。
 
「ゴーシュはひとりぼっちじゃなかったのです。下手でだめだと思っていたセロは、どうぶつたちのびょう気がなおるのでかんしゃされていたのです。」
 
そして驚いたのは、次の洞察力!
 
「今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと思います。「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかもしれません。だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。わたしはゴーシュだったと思います。」
 
「つらいのがんばってがまんするぞ」は本当の「がんばるぞ」ではないのですと見切ってしまう。
これが理解できていない大人がどれだけいるでしょう。
 
最後も参りますね!
依存と自立と相互依存をこんな言葉で「ちゃあんと」表現してしまいました。
言葉ってこんなに易しくも語れるんですね。
 
「人は、みんな、心をくっつけ合って、生きていくのです。でも、くっつけすぎには気をつけて、みんな元気な時ははなれて、じぶんのことをちゃあんとするのがいいと思います。
わたしは、がんばって大きくなります。」
 
 

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ダン・オコナーによれば、

現実的な話、実に世の中の90%以上の人が、無意識の内に
『会話において重大な間違いを犯してしまっている』とのことです。

単純に鵜呑みにしなくてもいいですが、こういったコミュニケーションの
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