◆おもうがままにならない
仏教的な意味での「苦」というのは、自分にとって不満であるという気持ち、つまり自分の思い通りにならないということです。
漠然と「苦しい」と感じているのと比べれば、「おもうがままにならない」ことが苦しいのであると分かれば対象がしぼりやすいというものです。
苦しさが嫌なら「おもうがまま」にしようとしていることを見つけて、おもうがままにしようとするのをやめればいいだけです。
いいかえれば、「おもうがまま」の代わりに「あるがまま」を受け入れるということです。
ことは非常に単純なのです。
ですが単純ではあっても、こんなことを言われても、聞いた次の瞬間には忘れてしまうのが実状でしょう。
まさに、右から左へ抜けて言ってしまいます。
そのくらい「おもうがまま」にしたいという欲求は強いのです。
「おもうがままにしたいと思って何が悪い、自分の願いがかなわなくて何が楽しいのだ」と考えてしまうのが普通だからです。
またもう一方では「あるがまま」など退屈で何が楽しいんだという思い込みがあります。
「あるがまま」とは現状維持であり、「おもうがまま」にしたいと思うから生きがいもあるし、進歩があるんだとでも言いたいわけです。
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◆バランスを取り戻すための見落としがちな事実
親は子どもに対して、幼い頃からの性格などから、この子は落ち着かない子だとか、おとなしい子だとかいったぐあいに、その子の本来的な姿を決めつけてしまう傾向があります。
「○○君は、どうしていつも◎◎なの」というように、偏った見方をしてしまうのです。
しかし、誰であろうと、「いつも」同じ傾向ばかりを示すわけではありません。
おとなしい子が、思いがけず、何かの反動でわがままなことを強く言い張ったりすると、すっかり慌てて、信じていたことが裏切られたように思ったりしてしまいます。
このように、人にはいろんな面があることは、しばしば忘れ去られてしまうのです。
子どもには、親から、いろんな自分がいて、全体でバランスを取り合っているものだ、ということを教えてあげた方がいいでしょう。
そして、子どもを偏った見方で見るという親自身が、実は自分のことも一面的にかたづけてしまおうとしています。
そのように、多面的な見方が出来なくなるのは、いろんな理由があるかも知れませんが、ひとつは普段の人間関係の処理の仕方に起因するのかも知れません。
わたしたちは、普段の会話では、「わたしは○○な人間だから、そのつもりで扱って」というメッセージを送りがちなのです。
それは、ある意味で、人と人の関係を分かりやすくする効果があるのですが、同時に自分自身を一面からだけ見た存在に固定してしまいがちです。
実は、わたしたちは、こうした会話をしながらも、どこかで自分の見せていない面も理解して欲しいという欲求もまた、持ち合わせているわけです。
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他人の意見に耳を傾けなさい。
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