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2012年06月

日常の関係に隠された感情

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日常の人間関係にも、様々な感情が隠れています。
幾つかの視点で自分の感情を探ってみましょう。

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◆親しい関係ほど気をつけたい思い込み

「家族だからわかり合えるはず」という言葉を口にしたりしますが、そこにどれほどの根拠があるのかは疑わしいところです。
「家族」とか「夫婦」とかという言葉で関係を名付けたところで、お互いに何かが変わるわけではないのですが、そこでは言葉によって期待感がつくられるという違いがあります。
しかし期待したことと実際の間には、残念ながらギャップがあるものです。
期待とはそうあって欲しいという願いですが、現実はそれとは別に独立して存在するのです。
自分に関してでさえ期待は実際と違いがあるのですから、他の人への期待を現実だと思うのはかなり無理があると思った方がいいでしょう。
つまり「相手のことをわかっている」と思うのは、かなり無謀な行為であるということです。
そこには、しっかりした根拠があるわけでなく、家族だからわかるはずという期待によって作られた幻想があるわけです。

◆非難感情に取り組めば驚くほど楽になります

非難感情は自分自身と他人を巻き込んだ実りのないゲームです。
相手に対して正直に、現実的で寛大な見方ができないことが引き起してしまう面倒な感情です。
それはあなたの側の一方的な思い込みが原因で独り相撲をとっている場合が多いのです。
非難は事実の指摘ではなく、相手に向けられた怒りの感情です。
人がこうすべきなのにしていない、あるいはやってはいけないのにやっているということに対して腹を立てているのです。
この感情は毎回ポイントのようにため込まれていきます。
同じことが繰り返されるたびに、腹立ちはどんどんひどくなって、どうしてこの人は気がつかないのだろうといらだってきます。
そのうち、この腹立ちをいつか爆発させてしまうのではないかという恐れの感情が生まれてきます。
次にまたこのような状況になったら、自分が抑えられなくなると、自分自身の怒りを恐れます。

◆怒りに隠された自分の罪悪感

怒りの感情は、普通に考えれば「相手が自分に対して悪いことをした」から怒っているのだということになります。
しかし、その多くは、自分自身に対する気持ちを、相手に投影したものです。
つまり、自分自身に罪悪感を感じるから、それを相手が悪いことにしてしまおうとするわけです。
自分が怒っているとき、私たちはその原因に対して、自分にはまったく関係なく、自分は何も悪くないふりをしてしまいます。
しかしその怒りや攻撃の元になっているのは、自身への恐れや罪悪感なのです。
たとえば、子どもが悪いことをしでかして親や先生に叱られたとき、素直に認めたくなければ、誰か他の人が悪いから自分はこんなことをしてしまったんだ、自分は何も悪くなんかないんだと開き直ります。
そこに怒りの感情を含ませて、自分の罪悪感を隠そうとするわけです。
これが、いわゆる逆ギレというものですね。

◆押しつけをやめて相談してみる

誰か他の人の提案がより内容が優れていたり、あるいはアピールの仕方がうまかったりすれば、あなたの提案がどんなに素晴らしくても負けてしまう可能性があるのです。
このような自分の提案をアピールする場面は、みなさんも日常よく経験することだと思います。
その提案をぜひとも採用して欲しいという要求が高いほど、あなたは自分の提案の仕方にプレッシャーを感じてしまうでしょうし、毎回毎回だと気が重いものかも知れません。
場合によっては、明日これを発表すると考えただけでも胃が痛くなるかもしれません。
そこでちょっと発想を変えて、「相手に自分の案を相談する」というやり方をとってみたらどうでしょうか。


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人間関係004:日常の関係に隠された感情001

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自分が思うように扱えない

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自己の心理002:自分が思うように扱えない001

私たちは、自分の知らない世界を怖がります。
その傾向は、知っていることが増えるほど怖がる対象が増えるものかもしれません。
なまじっか知らない方が、怖いもの知らずでいられるということもあるからです。

しかし、実際に経験したことのない作り上げた世界観は、現実とは一致しないかもしれないわけで、もしそういうことが起きると自分の積み上げてきた世界が崩れ去ってしまうと思って怖くなるのです。
そんな制約を持たない子どもは、もっと大胆に知らないことにも挑んでいきます。

夢中になっているときには、出来上がったものの評価や成功、失敗といった結果など気にしていません。
ただそのものに入り込み、一体となって自分も働いているのです。
その時私たちは、プロセスそのものを楽しんでいるはずです。

新しいことには、いつもおそるおそる一歩を踏み出す勇気が必要なものです。
その勇気がとんでもなく負担に感じるようなら、今のやり方が何に焦点を当てているのかを見直した方がいいのかもしれません。
そこでは結果に脅えるあまり疲れ切っている自分を発見するかもしれません。
結果でなくプロセスに焦点を当てましょう。
いま目の前にある一歩だけ見ていれば、それはたやすいはずです。

「プロセスに焦点を当てる」「情報をスパッと切り捨ててみよう」「イライラをなんとかしたい」「制限している自分を解放するには」「こころの映像とシナリオ」の5編ダウンロードしてご覧ください。


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◆プロセスに焦点を当てる

子どもが夢中になって遊んでいるのを見ていれば、私たち大人が成果主義に陥ることでなくしてしまったものを思い出すのではないでしょうか。
夢中になっているときには、出来上がったものの評価や成功、失敗といった結果など気にしていません。
ただそのものに入り込み、一体となって自分も働いているのです。
その時私たちは、プロセスそのものを楽しんでいるはずです。

◆情報をスパッと切り捨ててみよう

テレビを見ていれば、次々と新しい情報が押し寄せてきて、「まだ始めていないのですか?遅れてますよ」とでも言われているようです。
このような情報をいち早く取り入れて、ひとつのことを充分味わう暇もなく次のことに目がいくといったスケジュールや新しい刺激が満載の生活を送っていると、自分の一部では「すごく充実した毎日!」とうきうき感じるかも知れません。
しかしその裏で実は疲れてしまっている自分を感じることはないでしょうか。

◆イライラをなんとかしたい

情報を調べることがとんでもなく便利になり時間が短縮されていることは、私たちに大きな恩恵を与えてくれましたが、その一方で欲しくなくてもどんどん情報にさらされるという環境に置かれることとなりました。
昔のように「知らぬが仏」を決め込んでいることが難しくなっている時代です。
そんな変化が私たちのストレスに影響しているとすれば、私たちはほおかぶりして情報から逃げることよりも、今まで以上に私たちの側のイライラの原因を知って対処する方法を身につけることが必要です。

◆制限している自分を解放するには

思い切って飛び込めば、新しい世界が開けそうな気がする。
だけど実際には動こうとしない。
入り口まで入ってみるのだけれど、知らないことばかりで尻込みして帰ってくる。
自分に正直に振り返って見ればこういう言い方もできるのですが、実際にはもっといろんな理由をつけてやらないことを正当化していることが多いでしょう。
大人になるほど、正当化はうまくなるものですから。

◆こころの映像とシナリオ

こころの中で現実だと思って描きだす映像は、現実をどのくらい忠実に反映しているものでしょうか。
それは実際に起きているできごと以上に、あなた自身の思いや偏りを反映したものになっています。
たとえば、あなたが誰かとのつきあいでひどく傷つくような経験をしたとします。
当然あなたは、そのあともそのことを繰り返してこころに思い浮かべるでしょう。
あなたが言ったこと、相手がどのように反応し行動したかという経験を、映像を見るかのように思い出しながら、「あなたが感じて思い描いた経験」を再現しようとします。


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自己の心理002:自分が思うように扱えない001

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まわりに振り回されないために

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人間関係003:まわりに振り回されないために001

私たちはまわりの意見に振り回されていて、ややもするとなにが自分の考えなのかわからなくなり、迷子になった子どものように感じてしまいます。
自分の中心を見失ってしまうと、耐えず不安を感じながら世間の動向に脅えつつ生きていくことになるのです。
問題は自分が誰よりも正しいと思えることでは解決しません。
誰よりも正しいことを望むことは、他の人との比較を作り出し、それがまた別の問題を作り出してしまいます。どこまで行ってもどちらが正しいかという不安がつきまといます。
表面的な正しさにとらわれずに、自分の中心を取り戻さない限り迷子状態から抜け出せません。

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◆まわりに振り回されないために - 5つの問いかけ

私たちはまわりの意見に振り回されていて、ややもするとなにが自分の考えなのかわからなくなり、迷子になった子どものように感じてしまいます。

 

自分の中心を見失ってしまうと、耐えず不安を感じながら世間の動向に脅えつつ生きていくことになるのです。

 

問題は自分が誰よりも正しいと思えることでは解決しません。

 

誰よりも正しいことを望むことは、他の人との比較を作り出し、それがまた別の問題を作り出してしまいます。どこまで行ってもどちらが正しいかという不安がつきまといます。

 

表面的な正しさにとらわれずに、自分の中心を取り戻さない限り迷子状態から抜け出せません。

 

それでは、迷子にならずに本来の自分を取り戻すために、何を気をつければいいのかを考えてみましょう。

 

1.「なぜ私のまわりには、自分をイライラさせる人が登場するのでしょうか?」

 

あなたは「人はこうあるべきだ」という信念を抱えています。

そこであなたのまわりにその基準に反する人を見つけてしまうと、目の前にあなたをいらつかせる人が誕生するわけです。

 

あなたは、あなたの考えとは全く関係なくその人が現れたと信じています。

そこで、よりによって自分の前にそういう人がいることが許せなくなるのです。

 

それは、あなたの基準にまわりが合わせるべきだという無理な思考に基づいていますが、あなたがまずは他の人をあるがままにみて、自分の判断を後に回すなら、不要な苦しさを生み出さなくても済むわけです。

 

あなたの「人はこうあるべきだ」という信念にしたって、しょせんは外から取り入れたものなのですから。

 

2.「こんな大変な世の中でどうやって自分を守ればいいのか?」

 

どうやって守るかではなく、自分の何を守ろうとしているのかを問いかけることです。

 

あなたが「今までのやり方のままで困難を解決できるべきだ」と信じているから、今までのやり方に固執しないといけなくなるのです。

どこかで身につけたやり方が唯一の対策だと信じないことです。

そして決まった対処法で処理するのではなく、本来の自分の臨機応変な対応力を信じることです。

 

あらかじめ解決方法が分かっていないと不安だと思っている限り、毎回不安がつきまといます。

初めて取り組んだときのやり方を思い出しましょう。自信はなくても迷いもなかったはずです。

 

どう動くかが分かっていなくても、今までも何とかしてきたわけですし、これからも解決できると信じることです。

 

3.「どのやり方が正しいのか分からなくなってしまった。」

 

あなたは、外側の解決方法を次から次へと取り入れるために、なにが正解なのか分からなくなってしまいます。

 

一度借り物のガラクタを整理して、自分自身で考えてみる力を取り戻しましょう。

そうしないと簡単な判断をすることまで自信を無くして自分で決められなくなってしまいます。

 

4.「今のやり方でこれからも大丈夫だろうか?」

 

そもそも「あらかじめ方法が分かっていないと不安である」と思い悩むことが必要なことかどうかを考え直してみましょう。

 

新しいことに取り組むときには、わからないまま進むしかありません。

わからないことをわかったフリをしてやり方を固定してしまうから、現実と合わなくて悩んでしまうのです。

 

5.「なぜあの人はあんな行動を取るのだろう?」

 

その人がどう行動するかは、その人が決めることです。

あなたがそれが気にしているのは、なぜなのかを考えることです。

 

たとえば、あなたの気に入らないやり方を取る「あの人」が正しいと、あなたが間違っていることになると思っていないでしょうか。

 

表面的な正しさなど、しょせん相対的なものです。

誰かにあなたの方が正しいと言ってもらえたとしても、一時的な安心でしかありません。

 

あなたの気にする「あの人」の方が本当は正しいのかも知れないと思うから、あなたの自信がぐらついているのです。

 

そんなあてにならない確信を欲しがるのをやめれば疑心暗鬼を断ち切ることが出来ます。

 

 


◆束縛されたくないと言うけれど


ほとんどの人は、自分が他人から束縛されることを厭がっていると思います。

 

しかし本当に束縛を全部嫌っているかと言うと、時には全く自由にしろといわれると戸惑ってしまったり、寂しく感じたりします。

 

どこかで相手に依存している部分があるからです。

 

その意味では「自由にさせろ、束縛するな」というのは、勝手なときだけ使っているとも言えます。

 

別の見方をすると、自分の自由を完全に主張するためには、相手の自由も完全に認めなければなりません。

 

相手には言うとおりにしろと言っておいて、自分だけは自由にしたいというのは、相手が納得しないし、自分でも後ろめたいところがあってうまくいきません。

 

本当に自由にしたいのなら、相手にも完全に自由を認めなければなりません。

 

また、たとえ相手がどのようにあなたを批判しようと、それは相手の自由で、その責任は相手にあるのだから、それに対して自分は何も反論する必要もないと思える覚悟も必要です。

 

これは、権利の問題ととらえる事も出来ますが、実際には権利以前に人間の心理というのは、自分と相手の自由の片方だけを取るということが出来ないもののようです。

 

実は、多くの場合逆をやってまずい結果をまねいていることが多いのですが、これをふまえて、この原理をうまく使うことを考えた方がいいでしょう。

 

たとえば、相手の自由を充分に認められないうちに、自分を束縛するなと主張しても失敗します。

 

先ほど述べたように、相手は納得しないし、おそらく相手の自由を認められないうちは、相手の反論があることを薄々わかっているものだからです。

 

ですから、どこかでこんなことを言ってもダメだろうなと思いながら主張しているのです。

だからといって相手に完全に自由を認めるだけの踏ん切りもついていないのです。

 

これは一種のゲームを演じる関係を作り出します。

 

表面的には「なんで言うとおりにしないんだ」と怒って見せ「だったらこっちも勝手にするからな」と主張しますが、完全に自由に行動することは実際には出来ないのです。

 

場合によっては、それでうまくバランスを取っている場合もありますが、真正なやりとりではないので、曖昧でこじれた関係になってしまう危険もあるわけです。

 

次に、相手からの不当な主張に対しては、そのまま受け取って自分の責任を感じるのではなく、主張するのは相手の自由だがその責任をもつのも相手自身だということをはっきり認識しておくことです。

 

そうしないと、自分を責めてしまいやすい人は、根拠もなく自分が悪いことをしたような気になってしまうからです。

 

なんとなく自分も悪いような気になってしまうと、相変わらず自分の信じることを主張できないので、本当に自分が何をしたいのかが、わからないという悪循環を続けてしまいます。

 

日本の社会は欧米に比べて共依存の傾向が強いと言われます。

 

部分的に相手に期待することを前提に動いているところがあるのですが、余りあてにしすぎては、暗黙のうちに相手と了解しあっていることが崩れてしまえば、関係はこじれてしまいます。

 

そのあたりは、「いいかげんさ」とか「あうんの呼吸」が必要なので、誰に対しても使えるわけではありません。

 

使う相手を間違えて痛い目にあうと、人間全般を嫌いになりかねません。

 

最初のテーマに戻ると、自分の自由を認めたいのなら、同じだけ相手が自由にすることも認めることが必要だと言うことです。

 

自分を振り返って、どこまでその認識があるのかどうか確かめておくことは重要ではないでしょうか。

 

それと、身近な人と、仕事関係の人、通りすがりの人とでは当然関係の仕方も変わってきます。

同じようなことを言われても、受け取り方を切り替える必要があるでしょう。

 

「誰に何を言われようと」と言う表現はありますが、「誰」に言われたかでその影響力は当然違うわけですから、言葉に騙されない方がいいでしょう。

 

自分を知らない人から言われたことをどう考えますか?

 

「よく知らない人からもそう見えているということは、やっぱり自分には問題があるんだ」と受け取る人もいるでしょう。

 

しかし、そういうこともないとは言えませんが、むしろそれを言った人は部分的な類似点から、自分の知っているパターンを思い浮かべたに過ぎないと考える方が当たっていそうです。

 

知らない人に出会ったとき、できるだけ早く相手のことを掴もうとして、自分の知っているパターンで分類しようとするのが普通だからです。

 

むしろ、すぐに自分の責任だと受け取りやすい自分の傾向があるなら、それをよく承知しておくことです。

 

自分を煩わせる人というのは、あなたの内面を教えてくれる人でもあります。

 

すぐに誰が正しいとか、誰の責任かということに意識を向けてしまわないで、自分のこころの動きを確認する機会と受け取れば、イライラしたり罪悪感を感じたりすることもずっと少なくなるはずです。

 

 


◆窮屈な人間関係から抜け出すには

「あの人のやり方は間違っているから何とか変えてあげたい」

 

あなたはこう思って相手のためにアドバイスしたくなるかも知れません。

 

しかしこんな当たり前のように思える考えにも「わな」が潜んでいます。

 

相手があなたが保護すべき人ならば、このような考えは正当なものと言えるでしょう。

たとえば、相手が子どもで毒になるものを口に入れようとしていたら...

 

あなたが相手にやめさせようとするのは当然のことでしょうし、相手の意志だから好きなようにさせようと思う人はまずいないと思います。

 

しかし、いま問題にしているのはそのような関係ではなく、一般的な独立した大人の関係についてです。

 

では問題を作り出しそうなポイントを考えてみましょう。

 

「間違っているから」とか「変えてあげたい」というのは、あなたの意見なのです。

たとえどんなにあなたの意見が正しそうに見えても、相手は自分の選んだことをする権利があります。

 

相手の反応しだいではありますが、2つの問題が発生します。

 

A.あなたの意見とは違う考えを持っている場合。

 

相手にもよりますが、どちらが正しいかをあなたと議論することになる可能性が高いでしょう。

そして、議論が終わっても、お互い自分の方が正しいという確信をより強めて意地になる可能性が高いのです。

 

当然このあとはお互い気分が良くありません。

 

B.相手が自分の意見に自信がない場合。

 

あなたの説得によって、表面的にはあなたの意見に従って行動を変えるかも知れません。

 

しかし、そのあと相手は徐々に問題を感じ始めます。

自信を持って自分の考えを決められなかったことに惨めさや劣等感を抱きます。

そして、相手に従わされたやり方に満足出来なくなってくると、こんな気分になるのは無理に従わせたあなたが原因なのだと思い始めるのです。

このようなタイプに人は、自分の考えを主張せずにいて、後から従わせた相手を責めるというおなじみのパターンを繰り返すのです。

 

実はあなたの方も、自分のやり方にそれほど自信があるわけではないのです。

もしかしたら、相手に指示しなかった方が良かったのではと後悔を始めたり、あなたの考えに威圧的に従わせた自分に嫌気がさしたりするのです。

結局相手を自分に従わせたとしても、本来のあなたはいっこうに満足感を感じられないのです。

 

あまり極端な結果にならないまでも、相手が間違っているから相手を変えようとするやり方は、多くの場合あなたに満足感をもたらすことはないでしょう。

 

 

では、どう考えればお互いが間違わなくて済むのでしょうか。

 

それは、「他人の誤りから自分を守るには、自分の誤りから自由になるしかない」ということです。

 

つまりあなたが巻き込まれる他人とのトラブルは、あなたが抱えている誤りに呼応するものに他ならないのです。

 

あなたが自分を「正しい人間」と見なそうとする誤ったイメージにとらわれていれば、それに反応する相手を引き寄せてしまいます。

 

とはいっても、誰しも自分が「正しい人間」であると信じたいわけですから、自己イメージを壊されることは不快をもたらすショックであり、なかなか認めることが出来ません。

 

それでも自分を解放したいのなら、なぜ自分が特定のイメージにしがみつこうとするのかに気づくのが第一歩であるといえます。

 

実はあなたが本当に望んでいるのは、本来のあなたを自由に表現できることではないですか。

 

相手を自分に従わせることなど、どこかで拾ってきたいい結果をもたらすと思い込んでいる習慣でしかなくて、ちっともあなた自身を満足させるものではないのです。

 

人と関わるうちに、あなたはその関係性の中で自分のイメージを作りあげていきます。

 

「あなた」と「わたし」は独立した存在と言うよりも、「わたし」が作り出した対象が「あなた」であり、それは「わたし」にたいする対照的な関係を持つ存在であるということなのです。

 

「あなた」とは「わたし」の友だちであったり、敵であったり、助けてくれる存在であったり、守るべき存在であったりするのです。

 

そのような関係が作り出したのが、人と関わるときの作られたあなたのイメージなのです。

社会的な「わたし」とは「あなた」とどのように関わる存在であるかを規定したイメージなのです。

 

一見対立する存在に見えますが、じつはあなた自身が自分を好きな部分は、相手の中にあっても好きな部分であり、あなた自身が自分を拒んでいる部分は、それを持つ相手も拒むことになります。

 

ですからもとになっているのは、相手ではなく、あなた自身の持っているもの次第ということなのです。

 

それらが交互に入れ替わることで、お互い引かれ合ったり拒み合ったりする関係なのに、あなたは一方的に相手がその感情を引き起こしているのだと感じるのです。

 

ですから、このような関係を見るとき、どちらが感情の持ち主であるかを決めるのは、ほとんど意味がないことなのです。

 

 

それよりも、自分自身の感じていることを正直に自分でとらえることが、唯一間違いのない拠り所になるのです。

 

社会的な作られた「わたし」を本当の自分だと同一視しなければ、本来の自分とそうでないものを見分けることが出来るようになってきます。

 

本来の自分でないものを自分自身と切り離せば切り離すほど、あなたは他人が仕掛けてくる作られた関係に巻き込まれることがなくなり、自由に離れた所から見ることが出来るようになります。

 

そうなれば目の前の相手が誰でも、あなたは平然と自分自身でいることに恐怖を感じなくなり、本来の自分自身を表現することに後ろめたさを感じなくても良くなるのです。

 

こんなことを言っても大丈夫だろうかと、毎回躊躇したり、言ってしまった後に後悔や罪悪感を感じることがなくなってきます。

 

あなたが自分自身でいてもいいのは、同時に相手もそうであっていいと認めることであり、相手を自分の考えに従わせたいという強迫感からも解放されるわけです。

 

目の前の相手とは、「受け入れるか/拒むか」という二元的な選択をする必要のない存在になってきます。

 

そして見せかけの自己イメージを持たなくなったかどうかは、あなた自身が自分の中で自己矛盾を感じなくなったかどうかを調べれば判断できるでしょう。

 

それは、人に見せかける自己と本来の自己を区別する必要を感じなくなるからです。


・・・・
※文字数の関係で、残り(「個人的に受け取らない/ネットでのやりとり」「嫉妬とはどんな感情でしょうか」)は「まわりに振り回されないために(続き)」をご覧ください


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人間関係003:まわりに振り回されないために001


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心理療法001:交流分析と論理療法001

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代表的な心理療法である、交流分析と論理療法を軸に幾つかのテーマを集めてみました。

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◆意地悪な人 - エゴグラム

意地悪な人というか、他人の弱点を突くのが得意で、相手に痛手を与えてしまう人がいるものです。
もちろんそんなタイプにもいろいろあるでしょうが、典型的なパターンと標的にされる人との関係などを見てみたいと思います。

内容に入る前に「エゴグラム」や「交流分析」について、必要な知識を紹介しておきますのでざっとご覧ください。
 
エゴグラム - Wikipedia
  
エゴグラムとは、エリック・バーンの交流分析をもとに弟子のジョン.M.デュセイが考案した分析法である。
 
バーンの交流分析では親らしさのP(Parent)、大人らしさのA(Adult)、子供らしさのC(Child) の3要素が用いられたが、デュセイはPをさらに批評的な親であるCP(Critical Parent)と養育的な親であるNP(Nurturing Parent)に、Cをさらに自由奔放な子供であるFC/NC(Free Child/Natural Child)と従順な子供であるAC(Adapted Child)に細分化し5つの要素で分析する(後述)。
 
それぞれの要素は必ずしも高いほうがよく低いほうがよいというわけではなく、あくまでもその人の性格や人との関わり方などを表したものであり人の優劣を表すものではないが、一般にそれぞれの要素が中庸または強くかつバランスがよいのが理想的であるとされる。
 
日本では東大式エゴグラム(TEG)によりグラフで表示することが考案されたことで自己分析法として広く一般に知られることとなったが、国際的には 3要素で分析することが今でも一般的である。
 
 5つの自我状態
 
* 親の心(P)は親などの影響を受けて形成され、CPとNPに分けられる。
 
    CP(厳格な親の心)・・・信念に従って行動しようとする父親のような心。自分の価値観や考え方を譲らず、批判的である。
    NP(保護的な親の心)・・・思いやりをもって他者のために世話をする母親のような心。優しく、受容的である。
 
* 大人の心(A)は科学的な思考・行動の自我状態。
 
    A(合理的な大人の心)・・・事実に基づいて検討・判断する大人の心。冷静で客観的である。
 
* 子供の心は(C)子供の自由な感情・環境へ反応の自我状態で、FCとACに分けられる。
 
    FC(自由な子供の心)・・・自分の欲求・感情に従って行動する自由な子供のような心。明るく、無邪気である。
    (NC)(自然な子供の心)・・・FC(フリーチャイルド)の別名、ナチュラルチャイルド=自然のままの子どもの意。
    AC(従順な子供の心)・・・自分の感情を抑えて他人に良く思われようとする従順な子供の心。
 
 エゴグラムを用いた自己分析
 
自己分析方法としては東大式エゴグラム(TEG)やその応用が有名である。質問紙法で、50程度の質問に答えていき最後にそれを集計し点数化したものをCP、NP、A、FC、ACの順に点数を基に点を打っていき、グラフにする。グラフから各自我状態の強弱・性格の傾向を知ることができる。点数が高い自我状態はその自我状態の傾向が強いということであり、低いものはその傾向が弱いということである。(例えばNPが高い場合は優しくて思いやりが強い、低い場合は思いやりに欠け、冷たいというように判断できる。)
 
普通、子供の頃はCPやNPが低くFCやACが高いため右上がりになり、年を重ねるとCPやNPが高くなりFCやACが低くなるため次第に右下がりとなる。
 
一般に、日本人ではNPが最も高い山型でCPA>FC>ACとなるへの字型が最も多くかつ理想的とされ、欧米では Aが最も高い山型が最も多くかつ理想的であるとされる。
 
それではデュセイが紹介している「ゼスト」の症例に入ります。
 
ゼストの問題は、孤独であり不幸や絶望感を漂わせていて、ひとりぼっちになると飲み過ぎ、ひとりアパートで飲み過ごすけれど誰ひとり彼のアパートには訪ねてきません。
 
いじめゲーム エゴグラム(ゼスト)

 
ゼストのエゴグラムは、FC(自由な子供)が最も高く、次にAC(従順な子供)が続きます。
その次に来るのはCP(厳格な親)とA(合理的な大人)であり、他と比べてNP(保護的な親)が非常に低くなっています。
 
ゼストの幼少期の家庭環境は、父親はゼストが幼い頃に家庭を捨てて出て行ってしまい、母親は彼女自身の問題から人との親密さを持つことに問題を持ちます。
 
機会あるごとにゼストは妹をいじめていて、彼女の叫び声やかんしゃくを楽しんでいました。
 
母親との関係では普段親しさを見せない彼女に対し、ゼストが悪ふざけをしているときには注目を集められることを知ってそれを利用していました。


◆ずっと、何だって、僕が悪いんだ(論理療法1)

チャーリー・ブラウン:
ボクに妹ができたら、人生がすっかり変わるかもしれないって思ったけど、やっぱり、変わらなかった。
チャーリー・ブラウン:
みんなボクをきらってる...だれもボクのことを本当に好いてはくれない。
相変わらずそのことで落ち込むんだ...
ライナス:
かわいそうなチャーリー・ブラウン...
ライナス:
世界中のすべてのチャーリー・ブラウンのなかで、
彼こそ最もチャーリー・ブラウン的だな!

いつも自己否定から落ち込む習慣のあるチャーリー・ブラウンですが、「本当にボクが悪いの?」という問いかけをしなければなりません。
すべてが「ボクが悪い」のだと考え続ければ、ウツへ一直線に突き進むことになります。

セリグマン等は、「非理性的な思い込み」が悲観的な感情による結論に導いてしまうのだとして、注意すべき3つの要素を挙げています。
 
それらは、「時間的広がり」「影響がおよぶ範囲」「自分化」の3つです。
この3つを分かりやすく言えば、タイトルにあるように「ずっと、何だって、僕が悪いんだ」ということなのです。
 
順番に見ていきましょう。
 
◆「時間的広がり」(一時的かずっとか?)
ウツになりがちな人は、うまくいかない状況が起きたときに、それが永遠に続くものだと考えがちです。
「いつもこういうことが起きてしまうに決まっているんだ。」
「この困ったことは、これからずっと続いて行くに違いない」
永続的に続くという考えを「今回限りの一時的な出来事に過ぎない」と切り替えて考えられるようになれば、ウツになるのを防止できるといえます。
 
《うまくいかない状況》
◎永続的(悲観的)「この学校で、私と友だちになってくれる人はひとりもいないだろう」
◎一時的(楽観的)「新しい学校に転校したんだから、友だちができるまでには時間がかかるもの」
◎永続的(悲観的)「うちの母親ほど意地の悪い親は、世界にいない」
◎一時的(楽観的)「お母さんはこれまでになくきげんが悪い」
◎永続的(悲観的)「トニーは私を大きらいになって、もう二度と私とは出かけないだろう」
◎一時的(楽観的)「きょうはトニーは私にカンカンに怒っているから、私とは出かけないだろう」
また逆に、いいことが起きたときには、その原因を今回限りだと考えてしまうことはウツにつながりやすく、ウツになりにくい人は原因は「永続的」なものだととらえるようです。
《いい状況》
◎一時的(悲観的)「今回は一生懸命勉強したから、このテストで一番になれた」
◎永続的(楽観的)「一番になれたのは、僕が努力家で、この教科をよく勉強しているからだ」
◎一時的(悲観的)「安全パトロールのキャプテンに選出されたのは、みんなが僕によくしてやろうと思ったからだ」
◎永続的(楽観的)「安全パトロールのキャプテンに選出されたのは、みんなが僕のことを好きだからだ」
◎一時的(悲観的)「パパが私といっしょにいてくれたのは、最近、パパのきげんがいいからだ」
◎永続的(楽観的)「パパは私といっしょにいるのが大好きなんだ」
自分の成功が「永続的」な原因だと考えられる人は、一度うまくいけば次回からもずっとうまくいくだろうと考えることが出来るのです。
それに対して、いいことは「一時的」と思ってしまう人はうまくいったのはまぐれかなんかだと思ってしまいがちなのです。

◆「影響がおよぶ範囲」(限定的か全面的か)
なにかできごとが起きたときに、その影響が自分の人生のあらゆる所に影響してしまうだろうと考えてしまうのが、全面的ということです。
起きたことは、その事柄だけに言えることだと考えられれば、限定的に考えていることになります。
《悪いできごと》
◎全面的(悲観的)「教師なんて不公平なものだ」
◎限定的(楽観的)「カーマイン先生は不公平だ」
・・・・・・・・・・・・・・・ 
 


◆いやな気分を粉砕する(論理療法2)

まずセリグマン等がABC思考法と呼んでいる、論理療法の基本理論を見てみましょう。
人の悩みは出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものであり、受け取り方を変えれば悩みはなくなるというのが基本的なスタンスである。そして、それはABC理論とイラショナル・ビリーフに集約される。
ABC理論

【A(うまくいかない状況)】
新 任教師の私は、中学二年生のクラスを農場に連れて行って農業を学ばせようと、ずいぶん時間をかけて準備をした。反対するベテラン教師もいたけど、私は子ど もたちに何か特別なことをしてあげたかった。農場に到着すると、生徒たちはてん
でに勝手なふるまいを始めた。牛にチューインガムをやろうとした子もいた し、干し草の山にかくれて女の子が二人、たばこを吸っているところを見つけた。もう少しで火事になるところだったわ。男の子たちのグループは卵を盗もうと していた。

◆「ハーイ今やります」~適応の3パターン

こどものころの適応パターンというのは、大人になってからも気づかずに使っていることが多いものです。
こどもは自発的な行動を自由にとれる場合もありますが、親と接する中で、苦痛を避ける方法と、承認を得るための方法を見つけ出していくことになります。
親から与えられる笑顔や、自分をうれしがらせれてくれる反応は、自分が正しいことをしていることや、承認されていることを意味するのだと受け取ることができるでしょう。
また、親の冷たい反応や、怒った表情からは、間違ったことをしたという苦痛と、叱責という観念を受け取ることになります。
こどもが「~ねばならない」を学んでいくのは、このように、ほめられたり叱られたりすることを通じてであるわけです。



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心理療法001:交流分析と論理療法001


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『身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ』~打算を捨てたとき

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生き方001:『身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ』~打算を捨てたとき001

絶望、自分の力ではどうにもならないという諦めしかない事実を認めたとき、私たちは突然、思ってもみなかったひらめきを得る可能性が開けます。それは今までいくら考えても思いつかなかったような解決なのです!!

今まで自分の思い込みで作り上げてきた世界の見方が効力を失った。
絶望してその無力さを認めたことで、いままで抵抗してきたものが取り除かれ、隠れていた特性が表に現れます。
それによって、やっと別の自分が見えるようになったのです。
実際思い込みが激しいと、自由にありのままに世界を観ることが出来なくなります。
ですから、それが解き放たれると、奇跡でも起きたように世界が違って見えることも起こりうるわけです。

まるで、それは別世界から飛んできたように思えるかもしれませんが、もともと自分の内面に備わっていたのに、発揮されてこなかった能力や可能性と考えるのが妥当でしょう。

井戸に落ちたハンターの話



密林で獲物を追っていたハンターが、誤って古井戸に落っこちてしまいます。

 

その井戸は、底の方に少しだけ水がたまっていますが、裂け目から水が他へ流れ出てしまって今は井戸の働きをしなくなっています。

 

ハンターは、なんとか井戸から抜け出そうとして、そこに垂れ下がっていた植物のつるをつかんで出口まで登ろうとしました。

 

しかし、途中まで上がった所で、つるは無常にも切れてしまいます。

次々に別のつるを試すのですが、どれも途中で切れてしまいます。

 

さて、最後の一本しかつるが残っていません。

 

ここでどのように考えるか、ちょっとご自分でも考えて見てください。

 

・最後の一本まで切れてしまったら絶望だ。もう少し慎重に考えてみよう。

・いや、逃げていても何も解決しない。可能性はすべて試して見るべきだ。

 

大きく分ければどちらかを選択するわけですが、前者はこれがダメだと終わりだという思いが強いと、試しても試さなくても地獄だと考えて身動きがとれなくなる可能性があります。

しかし、後者の場合は失敗したとしても、次の可能性に進めそうに思えますね。

 

話を戻すと、ハンターは最後の一本のつるに賭けてみようと思いました。

 

「なんと言うことでしょう、最後の一本に勇敢にも挑戦したハンターは無事出口まで登ることが出来たのです。」

 

という結末も1つあり得るのですが、それでは今回の寓話の目的とは外れてしまいます。

 

ハンターは最後の一本のつるをつかんで登ろうとしましたが、あっというまにつるは切れてしまいました。

 

すべての救いの道は途絶えました。

 

もはや、自分の力では登りようがありません。

こんなジャングルでは、誰も助けは期待できません。

 

この絶望、自分の力ではどうにもならないという諦めしかない事実を認めたとき、ハンターは突然、思ってもみなかったひらめきを得たのです!

 

ハンターは、水が逃げ出してしまっている隙間に、底にあった泥を埋め込んで穴をふさいでしまいます。

 

すると、逃げ場をなくした水は井戸の中にたまり始めます。

 

自分の力では脱出できないことを認めたハンターは、身をあずけることにしたのです。

井戸にたまっていく水に身をまかせて浮かんでいるハンターは、やがて出口まで労せずしてあがって行けたのです。

 

※これはバーノン・ハワード氏の著作に出てきた話をアレンジしたものです。

宇宙のセオリー この世でもっとも素晴らしい秘密

ヴァーノン・ハワード / 成甲書房 / 2010-07-08 /

 

絶望して自分の力ではもうどうにもならない事を認め、身をあずけたとき、全く今までとは違う解決に導かれる。

 

これは神秘的に見えなくもないですが、心理的に考えて見ればこう考えられるのではないでしょうか。

 

今まで自分の思い込みで作り上げてきた世界の見方が効力を失った。

 

絶望してその無力さを認めたことで、いままで抵抗してきたものが取り除かれ、隠れていた特性が表に現れます。

 

それによって、やっと別の自分が見えるようになったのです。

 

実際思い込みが激しいと、自由にありのままに世界を観ることが出来なくなります。

ですから、それが解き放たれると、奇跡でも起きたように世界が違って見えることも起こりうるわけです。

 

まるで、それは別世界から飛んできたように思えるかもしれませんが、もともと自分の内面に備わっていたのに、発揮されてこなかった能力や可能性と考えるのが妥当でしょう。

 

なぜそんなに、多くのものをダメにしてきたのか、それは思考の持つ限界なのかも知れません。

 

ひとつの見方を採用したために、そこから外れた考え方は却下され、やがて忘れ去られたり、そんなものは存在しないかのように抑圧されていきます。

 

まあそういった理屈はともかく、「 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」ということをこの寓話は伝えてくれます。

 

自分自身と同一視して大事にしすぎていることがあると、その執着からは、なかなか新しい道は開けてこないということです。

 

しかし、「身を捨てる」決意は、だれでも実行するには非常に抵抗があり怖いものです。

 

人によっては、捨ててしまえば自分は溺れ死んでしまうという恐怖が、非常に根深いこともあるでしょう。

 

ですから、そこは一気に変化しようと考えずに、少しずつその感覚を取り戻していくことが必要です。

 

いまのレベルで手をつけられる易しいことからはじめて見ることです。

 

今までしがみついていたことを、ひとつ手放して何が起きるか見てみるのです。

 

そうすると何が起きるか。

 

今までは「知っていて説明出来ることを実行すれば、予測通りに物事が起きる」世界がすべてだと信じていました。

 

しかし、説明しなくても、自分が意図しなくても、あるいは理由がわからなくても、解決がもたらされることがあること発見します(あるいは思いだします)。

 

これは、説明出来ることがすべてだと信じ切っていた世界観を、徐々に崩していきます。

 

単純に目をつぶって飛んでみるという、子どもの頃には簡単にできたことを思い出していきます。

 

何事も自力のみでやろうとしていたことから、自力と他力の使い分けを考える様になります。

 

また「自分が何でも知っている、それを揺るがすものは排斥してやる」という姿勢を放棄するという選択が見えてきます。

 

何かを信じたいという思いがあると、人は簡単に冷静さを失って信じてしまいます。

 

「信じたい」という思いの裏には、大抵恐れが隠れています。

「何かが起こって欲しくない、だから起きないと信じさせてくれるものを信じたい」のです。

 

すぐに何かにしがみついてしまうのを防ぐには、普段から自分の内面を正直に観察しておくことや、外側に自分を助けてくれるものがあると信じないことです。

 

自分が変わらない限り、何を使おうといつもと同じ結果が待っています。

外側のもので自分を変えられたようにみえても、それは自分も一緒に変わったからに他なりません。

 

話を元に戻すと、これしか助かる道はないと思い込んでいることを見直してみましょう。

 

その思い込みが、いままでの自分の苦しさの原因だったことを発見するでしょう。

 

それを認めることで、根本から今の状況を見直してみようという選択肢がはじめて見えてきます。

 

それまでは、これしかないと信じていた方法をこね回すことしか思い浮かばなかったのです。

だから、いくら頑張っても次元の違う解決は思い浮かばなかったのです。

 

それは誰もが陥る心理のくせのようなものですから、意地を張らずに認めてしまえば、すぐに一歩離れたところからの視界が広がってくるのです。

 



あなたがどう思おうと

 

あなたがどう思おうと、

世の中は今のままで完全なのだ。

世の中はそのようなものなのだ。

 

そして、この世の中は、

自分を活かす場としては申し分のないところだ。

 

【引用】『今日が楽しくなる魔法の言葉』 アーニー・J・ゼリンスキー

 

 

何かにこだわって時間を無駄にしていると感じることはありませんか?

 

「なにごとにもいいところは見つかる」と信じるのは、根拠がどうであろうと、これこそ知恵というものではないしょうか。

 

その一方で、「なにごとも願えばかなう」と信じるのは、妥当なように見えても落とし穴が隠されています。

 

 

あなたがどう思おうが

 

「世の中はそのようなものなのだ。」

 

あなたが何を願おうと勝手ですが、世の中がそれにイエスと言うか言わないかも勝手なのです。

 

私たちは、自分の関心のままに世の中が動いていると考えてしまいがちです。

 

しかし、世の中の一部であるあなたの関心だけですべてが動いているわけではありません。

 

あなたは「こんなことは誰も望んだりしない」と確信していることをもっています。

 

しかしそれにもかかわらず、それこそが望ましいことだと信じる人たちが存在するのです。

 

その人たちは、あなたが思うのと同様に、これを否定する人などいるものだろうかと思っているかもしれません。

 

 

 

わたしは世の中の部分的な存在であり、わたしの関心のあることだけで世の中が動いているわけではないという見方をしてみましょう。

 

あなたの関心を一旦脇において、世の中全体を見渡してみれば、あなたにとっての真実は決して普遍的なものではないことがわかってきます。

 

そうすれば、「なんで世の中はこんなに理不尽なんだ」と思うことの無意味さが見えてきます。

 

あなたにとって「理不尽」なことなど、ちっとも普遍的ではないのかもしれません。

 

世の中の「理不尽さ」を愚痴りながら、すねて生きるなどもっとも無駄な生き方に思えます。

 

 

ところで、あなたが本当に「正しい」と思うことがあるのなら、それを人を説得できるところまで追求してみるといいでしょう。

 

やってみれば、それを人に訴えたい思ってうずうずしていたけれど、いつのまにかその欲求から解放されてしまうことに気づくでしょう。

 

なぜなら、あなたの「正しさ」を徹底して追求することは、あなたという人間を、あるいはその生き方を確認しながらシェイプアップしていくことだからです。

 

よく見えていなかった「あなたの望みとそうでないもの」をじっくり見分けていけば、あなたの正しさがどこから来たものかがわかってきます。

 

自分が何を望んでいるのか、その方向が見えてくれば、あなたの関心はそれを人に訴えたり正しさを証明することよりも、自分を磨くことに移っていくでしょう。

 

誰かに正しさを訴えたいと思うあいだは、まだそれを確信できていないのかもしれません。

 

確信が出来てくれば、いままでのあなたがアピールしたいと思っていた正しさなど、全体の一部でしかなかったことがわかってきます。

 

それよりも、もっと世界は魅力や不思議に満ちていて、こだわってしがみついていることなど、どうでも良くなります。

 

「そして、この世の中は、自分を活かす場としては申し分のないところだ。」

 

世の中は、愚痴をいって時間つぶしをしているのがもったいないと思うほど、あなたの関心を引くもので溢れていることを発見します。

 

☆~⌒☆

 

「はじめて牡蠣を喰べた人間は大胆な人間であった  スウィフト」

 

とても食べられそうもない見かけをした「牡蠣」は、あなたの大胆さで発見されるのを待っています。

 

 



がんじがらめ

社会に生きる中で、自分は「がんじがらめ」になっていると感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

がんじがらめとは、いくつも自分がいてそれぞれが個々の主張をするために、何をどうしていいのかわからなくなっているといった感じでしょう。

 

そもそも「がんじがらめ」は「雁字搦め」と書いて、ひもなどを堅くしばりつけて、からみあったものがほどけなくなっている様子を言います。

 

「雁字」とは、かりが編隊になって飛ぶときをあらわしたもので、隊列がさまざまに変化することを搦めあっていると表現したようです。

 

 

複雑に絡み合った糸をほどくには、一つずつわかる所からほどいていかないとなりません。

手品のように、一振りでほどけるような方法はないでしょう。

 

日常生活での問題や、社会の中での自分の人間関係の問題についても、からみ合ったものをほどいていくには、やはり一つずつ片づけていくしかありません。

 

そのとき、全体が見えているのなら、いろいろなことが派生してくるおおもとに取り組む事も出来るかもしれません。

 

しかし、少なくとも「がんじがらめ」と表現しているような状態では、全体は掴めていない可能性が高いでしょう。

 

そんなときには、何から片づけるかについて、あまり迷ったりしない方がいいかもしれません。

 

考えすぎて、最初の一歩を検討してばかりいたのでは、いつまで経っても糸口が見えてきません。

 

それよりも、手近な問題を一つ取り上げて、当面それに集中する方法をとった方は良い結果が得られるでしょう。

 

ひとつは、とにかく動き始めることで、自分が問題に取り組み始めたことを身体全体で感じることが出来ます。

こういうとき、頭の中で思考実験だけしていては、新しい糸口は見えてこないのです。

 

ひとつの行動が新しい展開を生んだり、あるいは動いてみないとわからなかったことが見えてきます。

 

最初のうちは、もつれた糸をほどくのと同じで、地味で非常に面倒な作業に見えます。

 

しかし、糸がほどけてきて全体が姿を現し始めると、もうすこしで何とかなりそうという期待が出てきて、やる気を与えてくれます。

 

また、芋づる式という言葉がありますが、一つが解決すると次々と関連した問題が解決していくものです。

 

全体がある程度見えて来れば、大ボスは誰かがわかってきますから、思い切って核心に切り込んでみることも可能になります。

 

☆~⌒☆

ところで、問題が複雑でどうしていいのかわからないと嘆いているときに、実は問題に取り組むのが怖いので、問題がわからないままにして、どうしようもないと言い訳しているという場合があります。

 

そんなときには、手近な問題ですら、あえて取り組まないでおこうとしてしまうのです。

 

「こんなに複雑では手がつけられないよ」といつまでも言い続けられるからです。

 

しかし、それで損をするのは自分自身です。

 

問題が片付かないだけでなく、いつもいつもやらなくてはいけない課題を残していると、ある重さを超えたときに心身に異常を来してしまうことにもなりかねません。

 

問題は、易しいうちに取り組むことです。

 

タオに生きる人は、小さな問題の中に潜む難しさを見抜いているから、小さいうちから慎重に扱う。

だから、問題が大きくなっても無難にこなせるのだ。

 

老子道徳経 第六三章

 

 

最後にこんな和尚の言葉を引用して終わりにします。

 

 

瞑想とは、学んだことを忘れることにほかならない

自分の玉ネギを剥いてごらん

それは大変だ

あなたはその玉ネギに自己同化してしまっているからだ

あなたはそのいくつもの層を自分だと思っている

だから、それを剥いてゆくのは難しい

それは苦痛でもある

それはただ着ている服を脱ぐのとはわけが違うからだ

むしろ、それは自分の皮をはぐようなものだ

あなたはそうした皮にあまりにも執着しすぎてしまっているのだ

 

けれども、一度わかったら

一度ひと皮落としたら

新鮮さが沸き上がってくるのが感じられる

あなたは新しくなる

そうすれば、勇気が増す

そうすれば、希望が出てくる

そうすれば、もっと確信が持てる

そうすれば、あなたはまた新しい皮を剥くことができる

剥けば剥くほど、あなたはもっと静かに

もっとハッピーに、もっと至福に満ちた人間になる

もう、あなたは正しい路線に乗っている

もう、玉ネギ全体を捨てるまでそう遠いことではない

 

Tao永遠の大河〈3〉―バグワン・シュリ・ラジニーシ老子を語る

バグワン・シュリ・ラジニーシ めるくま-る社 / 1980-05

 


自分の求めるままと人生の求めるまま

その兆候とは例えばこういうことです。

 

・いつも自分の計画通りに進んでいないのではないかと不安になり、イライラしてしまう。

 

・自分の中で反発が起きていても決めたことを押し通そうとするので、自己矛盾に苦しむことになる。

 

・自分がいったん手に入れようと決めると、状況がどんなに不自然でも状況が自分に合わせるべきだと考えて不快になる。

 

・いつも次の計画に向けて作戦を考え続けている。計画外のことは楽しむ余裕もないし邪魔者ですらある。

 

・計画の邪魔になることに、神経質になり腹を立てやすい。

 

・いつも戦っているような気がする。油断すると自分の計画がダメになると考えてしまうから。

 

・新しい目標が見つからないと不安になる。

 

・世の中がいつも競争の対象に見えてしまう。

 

・心がゆったり出来るときがない。

 

・自分の成果は自分の分身であり、批判や脅威に脅えている。

 

・どれだけ成果が上がったかが自分の幸福度のバロメータになってしまうので、外の世界しだいで自分が振り回されてしまう。

 

 

世の中を「自分の求めるまま」に動かそうとしないで、「人生の求めるまま」に切り替えてみましょう。

 

・起きてきたこと次第で自分の心の状態が影響されなくなります。

 

・計画に縛られていないので、どのような状況でも静かに落ち着いていられます。

 

・外界がもたらすことによって、怒りや不安を感じる必要がなくなります。

 

・いつか将来満足するのではないので、いまここが自分の居場所だと感じることが出来ます。

 

・やり忘れたことがないかと常に駆り立てられている状態を抜け出せます。

 

・通り過ぎていくものを自分の側に抱えようとしないので、失う事への恐れがなくなります。

 

・計画外の事態が発生しないので、いつも起きることは自分の受け入れるままと感じていられます。

 

・競争や闘いから無縁なのでいつも穏やかでいられます。

 



自分の求めるままと人生の求めるまま2


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